https://www.bbc.com/news/articles/c5y2qd1795yo
Tricked, abducted and abused: Inside China's schools for 'rebellious' teens
Mengchen Zhang, Jack Lau and Ankur ShahBBC Global China Unit and Eye Investigations
カミュの「反抗」と、中国における“問題児矯正”の構造
1. カミュが言う「反抗(révolte)」とは何かカミュにとって「反抗」とは、人間が自身の尊厳を守るために、理不尽で圧制的な力に対して“ノン”と意志を示す行為です。これは暴力の肯定ではなく、「人間とは何か」を守る倫理的態度そのものです。
人間が“物”として扱われる瞬間に反抗は始まり、その核心には 自由・尊厳・境界線の意識 があります。
カミュは全体主義を批判し、個人の尊厳より体制維持を優先する社会では、反抗の精神はかならず抑圧される と喝破しました。
ちなみに、日本のメディアは「体制批判こそ正義」という美しい物語を好みますが、そこに自分たちの物語以外を排除する全体主義的傾向が潜んでいるのは興味深い点です。
2. 中国の「問題児矯正」学校——反抗の否定としての“規律”
BBCが報じた中国の矯正学校の構造は、カミュの「反抗」という概念を参照すると鮮明に見えてきます。
現れた「問題」とは本当に“問題”か?
矯正対象とされた若者の理由は、
- 親との不和
- ネット依存
- 性的指向
- 恋愛
- 「反抗的」態度
- 不登校
これらは犯罪でも反社会行為でもなく、「自分とは何か」を模索する、ごく自然な“反抗の芽” です。しかし中国では、その芽を「異常」扱いし、「矯正すべきもの」と断じ、体制にとって都合の良い“従順な若者”へ加工していきます。
日本でも、「正しい価値観」を押し付けがちな某公共放送や、朝の報道番組と称する“偽善的なショー”で司会者やコメンテーターが声高に異論を排除している光景を思い出します。
体制側の論理:反抗=秩序の脅威
中国の矯正学校では、軍事式訓練・監禁・体罰・性的暴行まで報告され、個性を消し“従順さ”を作り出すこと が目的とされています。
これは、カミュが批判した「個人を体制に適合させるための素材」とみなす、典型的な全体主義の論理です。
3. 「思想教育」としての反日教育の位置づけ
中国の義務教育が掲げる「愛国教育(愛国主義教育基礎)」は国家戦略として構築され、その中核が「抗日戦争物語」を軸とした歴史修正教育です。
- 日本を一貫して“侵略者”として強調
- 共産党が人民を救ったという物語を正当化(justification)
- 国家への忠誠と民族感情を結びつける
日本の歴史認識報道でも、特定の価値観だけを“良心的”“リベラル”と称し、異論に冷淡な空気が漂う点は、どこか似ています。
反抗の否定としての“愛国的感情”の動員
カミュは、権力が正統性を保つために“敵”を創作し、集団の憎悪を管理する 手法を批判しました。
反日教育は、
- 中国国家の正統性(legitimacy)
- 共産党の歴史的正義
を補強するために「外なる敵」を物語化し、若者が自分で考える力=反抗の精神を弱める仕組みとして作用しています。
注)中国共産党は、自分らに何ら正統性(legitimacy)がないことを知っているのです。
異なる制度に見えて、両者は驚くほど似ています。
共通する構造
- 個の尊厳より集団秩序を優先
- 個性や反抗を“問題”として扱う
- 国家や大人が一方的に「理想の人間像」を定義
- 従わせるための身体的・精神的強制
- 若者の「自分とは何か」という問いを封じる
なお、日本の大手メディアが“良心”や“正しさ”の名のもとに異論を封じる姿勢も、構造的にはこの装置と完全に無関係とは言い切れません。「報道しない自由」はその典型でしょう。
5. まとめ
カミュは「反抗する者は、同時に人間らしさを守ろうとする者である」と述べました。
中国の矯正学校も、反日教育も、人間が本来持つ“反抗=自分で考える力”を危険視し、都合のよい枠に押し込む点で同型 です。
カミュ的視点で見れば、そこで抑圧されているのは「問題行動」ではなく、人間にとって最も根源的な自由と尊厳 です。
魯迅もまた『阿Q正伝』で、封建中国が“人間そのもの”を変えない限り、革命も進歩も幻で終わると鋭く見抜きました。阿Qが「革命、革命」と唱えていれば何か良いことが起こると信じ、何も理解しないまま処刑される姿は、思考を放棄した社会が生む悲劇 を象徴しています。
結局のところ、問題の核心は指導者個人よりも、中国共産党という巨大官僚組織に根づく
「自分たちの組織を守るためなら真実を捻じ曲げ、約束すら反故にする」官僚的メンタリティそのものにあります。
そしてその姿勢は残念ながら、日本の財務省をはじめとする官僚機構にも驚くほどよく似ているのです。
“唯一の正しい物語”を掲げたがる日本の大手メディアにも、同じ匂いを感じざるを得ません。反抗の精神は、どんな社会でも腐食しうるのです。
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