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2025年11月13日木曜日

もういっぺん、始める勇気

 

最近のビジネス誌には、「老後」や「定年後の生き方」に関する記事があふれています。

たとえば、ある作家が書いた『定年後の人生を考える本』(某ビジネス誌系の出版社)では、人生後半戦を三つの段階に分けている。45~59歳、60~74歳、75歳以降――。 そして、40代半ばから「死ぬことを意識し始める」ときに、人は自らの人生を見つめ直すべきだと説く。60~74歳を「黄金期」と呼び、成長の形を変えながら、年齢に応じた“生き方の知恵”を持つことが大切だと。

確かに部分的にはもっともです。しかし、こうした議論はどうしても「ハウツー本的」になりがちで、心の奥の問題、つまり“生きることの意味”にまで踏み込まないように感じます。老いとは、単なる体力や環境の衰えではなく、「心の老化」のことではないか、、、。

ここからがほんまの話や(高齢者は関西弁がええねん)。

人生は「定年」で終わらへん。もういっぺん、始める勇気っちゅうもんや。

人間な、年を言い訳にしだしたら、心が成長をやめてまう。
「もうこの歳やしなぁ」て口にした瞬間、それは体やのうて、心が老けた証拠や。ほんまの老いっちゅうのは、年齢やあらへん。あきらめの言葉が根ぇ張ったときや。

挑戦せんようになったら、坂道は一気に下り坂や。
人生ちゅうのはな、墓入るまでずっと途中やねん。
歳っちゅうのは限界を決めるためのもんやのうて、味わいを深めるための時間や。年重ねてからの情熱は、ひつこいで、芯から燃えとる。
それが、人間がよう熟れた証や。魅力的や。

「無理や」と思う心が老いを呼び、「やってみよか」と思う心が若さを取り戻すんや。挑戦いうても、別に大それたことやのうてええ。
新しい楽器を手に取ってみる。
知らない分野の勉強をちょっとはじめる。
日記をつける。小さな一歩で、ええんや。

やり直す勇気、迷子になる勇気。
それがあったら、人間はいつまでも若いんとちゃうか?
いくつになっても、始める人は若いんや。
七十前にサックス始める? そらええやないか。
どんだけ若うても、あきらめた人間はもう老人や。
心が虚ろなやつほど、年寄りくさいねん。

歳いったらいったで、おもろなることは山ほどある。
ギターでも、サックスでも、ハーモニカでもちょっとずつでええ。
進歩があるうちは、自分を見捨ててへん。
妥協とか、あきらめるいうのは、自分を置いていくことや。

――せやからな、何歳になっても、始めたらええ。

人生っちゅうのは、終わりやのうて、つづきや。
死ぬまで迷子でええねん。


注)本稿に流れる思索の多くは、小林秀雄、三島由紀夫、福田恒存、会田雄次、石原慎太郎、西部邁といった先人たちの思想に学んだものです。彼らの言葉を糧にしながら、私は自分なりの生のかたちを探しているのだろうと思います。     

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2016年9月26日月曜日

大阪弁

奈良 秋篠川のコスモス

国際政治学者の高坂正堯、会田雄次、司馬遼太郎、生きている人であれば佐伯啓思さんとか、みんな分かりやすい、平易な言葉で難しい言いにくいことを説明します。 そして、みんな関西弁なのです。

政治や国際問題を語るには大阪弁がいい。 私は大阪南の生まれの関西人ですが、大阪弁を話さなくなって30年以上たちます。 そろそろ関西弁に戻すのもいいかなと思い始めています。

坂口安吾が大阪の作家 織田作之助の死に際して書いた『大阪の反逆』(1947年)の一文です。

「理論は理論でちやんと言つてゐるのだから、その合ひの手に時々読者を笑はせたところで、それによつて理論自体が軽薄になるべきものではないのだから、ちよつと一行加筆して読者をよろこばせることができるなら、加筆して悪からう筈はない」。

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2014年5月6日火曜日

リーダーシップと憲法改正

会田雄次
1916年、京都生まれ。京都大学名誉教授。1997年9月17日没。

リーダーに求められる資質というのは、時代や環境とともに変化し、時代によって異なるタイプのリーダーが出現するものです。

これは、会田雄次さんがビルマ戦線でイギリス軍捕虜となり、1947年に復員するまでの捕虜体験を基に書かれた『アーロン収容所』(1962年)のテーマでもあります。 勝っている時のリーダー、敗走中のリーダー、捕虜になった時のリーダー、イギリス軍のリーダーと日本軍のリーダーの比較が書かれているのですが、会田さんの実体験だから、非常に説得力があります(『アーロン収容所』は中央公論から文庫本で復刻されています)。

日本では、一般的に先生に言われたことに忠実で、効率よく多くの科目を勉強して暗記する能力に長けた人が指導者になります。 日本の教育システムや企業の入社試験では、平均して優秀な人を選択することに主眼が置かれています。 独創性があって個性が強い人は、新入社員教育にも不適で、特定の企業カラーに染めるのに手間がかかるので敬遠されます。 大企業が盛んにダイバーシティなんて言っていますが、根本から矛盾があるのです。

敗戦後30~40年ほどは、日本企業と日本の教育システムは合致していたのです。 それらは、日本を取り巻いていた当時の世界情勢や日本のポジショニングの中でのみ可能だった。 しかし、世界の勢力図はこの20~30年で大きく変わりました。 これまでのやり方で子供たちを教育し、これまで通りのスペックのリーダーを育成しても、先が見え難い今の時代には合っていないのです。 国家や組織全体を崩壊に導く恐れがあります。 いつか来た道じゃないですか?

憲法記念日、テレビで知識人と言われる人たちが憲法議論をしていました。 リーダーシップ論と重なる部分があると感じました。 『時代は変わる』のです。 憲法は改正じゃなくて、一旦廃棄処分にしなきゃ。

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2013年4月20日土曜日

奴隷型のリーダー

実家の本棚に大昔に読んだ本がありました

「日露戦争後の日本の不幸は、学校制度がリーダー養成向きにならず、学歴主義が幅をきかせすぎ、このサーバント適合型の人々がリーダーを占めたところにある。その器ではない人間が、青年将校などの甘えとつけ上がりを導きも抑えも出来ず、日本は崩壊に導かれていったのである。今日も姿は変われ本質的に同じことが行われている」 会田雄次 『日本人材論 - 指導者の条件』 (昭和51年)。

会田さんの指摘は、今の日本の大企業でも当てはまる場合が多いと思います。 40年近くたった今の日本でもですよ! 

戦後の高度成長期は、サーバント適合型の人々、つまり、言われたことを従順に、問題を起こすことなく実行する管理職たちで、企業を成長させることができました。 しかし、低成長で先が見えない世界情勢の中では、こういったタイプのリーダーたち(会田さんの表現を借りると全員が係長タイプ)ではサバイブは難しいでしょう。 なぜならば、状況が変化する中で、彼らの多くは、臨機応変に考える創造力も、高い志もないからです。    

更によくない事は、会田さんの時代から40年もの間、教育も政治も劣化し続けていることです。 「HOW TO」だけに価値を見出す青年将校たちは、今の大企業のいたるところに巣くっています。 彼らは蛸壺の中で歳を重ねます。 そして、DNAは受け継がれる。 リーダーの器でない彼らのつけ上がりを、抑え付けることができないところなど、日本の大企業は、今でも会田さんがいた日本帝国陸軍そのものじゃないですか。

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2010年3月6日土曜日

日本人の意識構造

30数年ぶりに会田雄次の「日本人の意識構造」を読みました(1972年出版)。

会田雄次は、京都帝国大学文学部の講師だった1943年に応召し、ビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍しました。終戦でイギリス軍の捕虜となり、1947年に復員するまでラングーンで拘留されました。

会田さんは、多くの著書の中で日本人論を展開しています。当時(昭和45年)の日本社会を戦前派と戦中派と戦後派に分けて比較しています。会田さんの言う戦前派は明治生まれで大東亜戦争に行かなかった人たちで、戦中派は会田さんのように当時20代で戦争に行った人たちです。戦後派に関しては、第一次戦後派と戦後生まれの第二次戦後派(団塊世代を含む)に分類しています。

会田さんの言う第一次戦後派は、私がマッカーサー呪縛世代と呼んでいる世代で、会田さんはこの世代を 「インチキなサッカリン漬け教育でふやけた世代」と容赦ないのです。第二次戦後派に関しては、まだ若すぎて何とも言えないとしながらも、ゆとりと自信に乏しい競争世代であると指摘し、その原因は、宙に浮いた理想主義と自分たちの劣等意識を持つ先生たちの教育にあると言っています。

もし会田さんが生きていたら、今の日本をどう評論したでしょうね。辛口の会田さんは、「日本人の、ほめられると有頂天になり、けなされると逆上する欠点は、団塊世代が受け継ぎ、団塊に続く日本のえせリーダーたちに滔々と受け継がれている」と言うのではないでしょうか? (私の想像ですよ、、、念のため)。

「日本人の意識構造」のあとがきより

アメリカはまだよい。そこにはきびしさがある。自分が誤っていたと認めれば、率直に反省し、大胆に自分を変えていける国民だ。今日の苦悶を脱皮するための転機としうる可能性がある。しかし、うわっつらだけをアメリカに真似てきた日本はどうなることか。たとえばえせデューイ哲学でおかされきった教育界は、すっかり偽善理想主義と責任転嫁術だけを身につけてしまった

(中略)

私は、今日は、もう戦後の自失を回復して日本人自身が日本を発見してよいときではないかと思う。そのことは何も戦前の独善性に帰ることを意味しない。ただ、もう少し広く深いところから日本人が自らの長所と短所を見きわめ、新時代へと前進する手がかりをつかむべきだというだけである。

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