2019年12月27日金曜日

親は責任を果たしているか?

なぜか食卓にクライスラービル

現実的にならざるを得ないアメリカの若者

アメリカのミネリアル世代(1980年代から2000年代初頭までに生まれた人をいう)はナルシストというよりも非常に現実的です。超格差社会がそうさせているのかもしれません。

ミレニアル世代の親たち

たとえミレニアル世代の親でも日本の多くの親のように「受験(偏差値)=教育」とは考えない。問題の多いアメリカでも選択肢の幅は広い。落ちこぼれても軍隊という受け皿もある。日本の教育は周囲から与えられてばかり。社会人になって、「これからは自分の人生を自分で選んで生きてください」と言われても無理。無理なまま還暦を迎える。子供の頃から自分の意思で選ぶ経験を積ませてあげないと、自分は何が好きなのか、何をしたいのか、どう生きたいのかを考えることができない。 

自主性を養うのは親の責任

たぶん子どもの自主性というのは15歳ぐらいまでの間に決まってしまうのでしょう。その間に子供たちが自主的に選んで行動していると思えることがポイントで、アメリカはまだいい。問題は選択という概念のない日本の教育だと思います。受験システムが変わらないなら親が何とかするしかない。

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2019年12月22日日曜日

ブレッドクラム(パンくず)とは?

家で作るローストビーフサンドイッチ

「ヘンゼルとグレーテルは、ある森のなかへ入りました。その道中迷わないように持ってたパンのクズを落としながら進んだ」

みなさんご存知のヘンゼルとグレーテルです。英語でパンのクズ(breadcrumb)は、キャリアアップの道筋を示す例えに使われます。例えば今の仕事をあとどれくらいの期間経験したら、次にどういったポストに就くことができるのか。組織の上司や人事部の指示に従うのか、それとも自分の生涯キャリアを考えながら組織と折り合いをつけながら自分のキャリアを自分で選択するのか?

どんな仕事をしてきたか、これからどんな仕事をしていこうとするのかは重要な事です。20代から30代の前半に意識したほうがいい。他人任せにすると50代の後半で後悔します。履歴書は一貫性があるほうがいい。自分の人生の運転席にいるのは自分ですからね。

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2019年12月21日土曜日

ここがロドスだ、ここで跳べ!


昨日は ibg の忘年会でした。今年は ibg の談話室でファミリー・ディナー。幸せなひと時でした。大きなビジネスの成功(経済的なもの)はなかったですが、確実に幸福だったと感じるのです。豊かな一年だったと言えるでしょう。

子供たちへのクリスマスプレゼントはイソップ寓話の本。忘年会のテーマはイソップから

『ここがロドスだ、ここで跳べ!』。

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2019年12月9日月曜日

セサミストリート

九州は福岡の田舎で中学生だった私はアメリカンニューシネマや洋楽に触発され「いつか必ずアメリカに行くぞ!」と決意したのでした。中学の英語のT先生と決別しセサミストリートをカセットレコーダーで録音して聴くようになりました。ほぼ半世紀前のことです。私には立派な「志」なんて1ミリも無かったのですが、強い「憧れ」があったんのだろうと思います。

志や意志、または単に憧れでもいい、それらが無い場合、「何のために」が欠落した虚無的な日々を送ることになります。

Caroll Spinney, Big Bird’s Alter Ego on ‘Sesame Street,’ Is Dead at 85
Besides the sweet-natured giant yellow bird, he also played the misanthropic bellyacher Oscar the Grouch.

Caroll Spinney, center, at the 15th Annual Sesame Workshop Benefit Gala at Cipriani 42nd Street in New York, in 2017.Credit...Mike Coppola/WireImage
Dec. 8, 2019Updated 9:01 p.m. ET (NY Times)

2019年11月23日土曜日

日本の将来に必要な「知」とは?

チャーリーはドイツ製のドッグフードをやめて
卵焼きや豆腐を食べるようになって復調しました。

30年後の日本を見てみたいけど、残念ながら自分が生きてる可能性はほぼないですね。日本は力(核や軍事力)を持たない弱小国です。自然科学の「知」だけでなく、生き残りをかけて、国際情勢、経済、文化に対する深い知識・知恵や洞察力を身につけないといけないでしょう。

英語や記述式問題じゃなくて、教育において「知育の知とは何ぞや?」ということを考えるべきでしょう。偏差値や点数で序列をつくる教育って何のためにやっているのでしょうか、、、。

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2019年11月10日日曜日

続々 教育について

この夏は体調が悪く病院通いの連続だったチャーリー

日本政府が本当に議論すべきなのは英語教育だけでなく、明治5年からやってる官吏養成教育の是非ですね。かつては年功序列に代表される序列というものが人を支配する手段として非常に有効でした。テストの点数や偏差値も序列です。しかし、我々の住む世界は大きく変わったし変わり続けています。

人材育成も世の中の変化に対応していかなければいけません。これまでは、教えられたことを決められた時間内で言われた通りに実行できる能力の高い人を社会や企業が求めてきました。ところが世界はマスプロダクションからオーダーメイド的な価値に重きを置くように変化してきています。テストの点数による序列だけでは多種多様な人が交錯するクロスボーダーの環境では対応ができないでしょう。

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2019年11月9日土曜日

続 教育について

今年も秋の味覚 ~ 栗と零余子

学校や受験だけが教育の場じゃないのです。要するに「教育≠学校教育」ということを理解していない。官僚型社会人育成プログラム(受験システムのことです)は教育と言えるのか?

世界で軽蔑されない大人になるには、自分で「metaphysical」(形而上的)な修行を積む必要があり、それらは授業をサボって喫茶店で身につくかもしれないのです。

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2019年11月8日金曜日

教育について

本を読む時は濃い鉛筆を持って印をつけながら読むのがいい

教育の機会や教育そのものが多様化しています。オプションは有り過ぎるほどあるわけです。だから、文部省をお上とする上意下達の教育システムでなく、現場に適したプログラムにしたがって自律的な学習を目指すべきだと思います。前提は教員にも自由な時間があることです。

物差しが偏差値だけだと教員もサラリーマン化し学生も自分で考えなくていい。今の受験システムは「教育」とは程遠く官僚型人間の大量生産になってしまいます。いくらイノベーションだ多様化だ生産性だ働き方改革だと声高に叫んでも笑止千万です。

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2019年10月28日月曜日

小中高で何を教えるべきか、何を学ぶべきか?

https://www.youtube.com/watch?v=LJAsBkC9kas&t=10s

今回のショートビデオで述べていることは、そのまま学校教育の議論にも繋がります。

①幼稚園で動物(禽獣の域)から社会生活を行う人間へ脱皮する術を教え、
②術をベースに様々な教科(学問)を知識として積み上げる。
③それから学生は自分自身で教わった術や吸収した知識で自分の人生観、死生観 などの「~~観」を自己形成していく(全体を見渡す広い展望)。
今の日本は①がちゃんと出来ていない(家庭でも幼稚園でも)。②は受験システムの下、些末なことまで多くを詰め込みすぎる。③の哲学的な部分は日本の教育システムの最も弱いところです。③は自分で考え悩むしかないのですが考え悩む自由(時間)がない。

本来教師の役割と責任は学生の観の自己形成(③)を背後から援助することだったはずです。決められたテスト範囲で時間内で答えが出せ、且つ、ミスをしないで100点をとる教育だけで大人になる。定年が近づくと「生きるとは?」「死ぬとは?」「友達とは?」「愛とは?」、即ち「~~観」で悩み始めることになるのです。

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2019年10月16日水曜日

小林秀雄を思い出した ~ 無常という事

亡き祖父が設計施工した家のリフォームで露わになった屋根裏の「梁」

「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか」 (小林秀雄『無常という事』昭和17年)。

平成の30年間の日本は目の前のお金やモノ(即ちこれが「無常」ですね)に振り回されてしまった時代でした。「常なるもの」をおおかた見失って思い出す事もしなくなった。

高校の教科書に載っていた小林秀雄の『無常という事』、半世紀近くが経ちやっとこさ半分くらい解った気がします。縦割りの組織を統合する事さえ困難な今の日本に、過去と現在を総合して自己を知るなんてどうあがいても出来ないでしょうね。

小学校から始まる教科ごとの授業と偏差値だけを物差しとする受験システムが、物事を総合的に考える能力をすっかり奪ってしまったのでしょう。それが政治や経済にも悪影響を及ぼしている。家屋の「梁」のように全体を考えて支えるリーダーが育たない。

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2019年10月9日水曜日

日本の年金はおかしくないか?


USの社会保障局から公的年金に関する通知が来ました。USの full retirement age は 66才です(年金は62才から前倒しで受け取れます)。「年金だけじゃ老後の40%しかカバーできないので自分で考えなさいよ」と但し書きがあります。

私は 1989年から現在に至るまで負担しています。掛け金(収入)に見合った給付額になっています。USの年金は自己責任(自助)の尊重がベースになっています。

日本の年金って一度ゼロリセットしたほうがいいと思います。

日本の年金は働き方や高齢化・少子化の問題もあるでしょうが、年金の定義や考え方が根本的におかしい。年金は保険なんだから給付の原資は保険者の掛け金から出すべきで、税金を当てるのはおかしいと思います。へんだと思っている人はいっぱいいても誰も変えられないのでしょうね。日本の場合何事においても責任の所在や責任の取り方(roles and responsibilities)が不明確なのは一つの原因です。人生100年時代かどうかは個人的には大いに疑問ですが(健康年齢のほうが重要)、個人は公的年金を補助的なものととらえ、それだけに頼らない自分の役割と責任を考える必要があるのではないでしょうか?

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2019年9月30日月曜日

エコロジー思想の先駆者 ~ 岡倉天心



名古屋で話題になっている展覧会よりも、こういった意味のある試みに注目が集まり政府としても助成すべきだと思います。特に環境大臣になる人は人間と自然の関係を正そうとした岡倉天心を勉強してもらいたい。天心の思想の本質さえ振り返らない敗戦後70数年の日本や日本人って一体何なんでしょうね。日本人の視野狭窄って、戦前だけのことではないのです。

10年前に帰国してから岡倉天心の五浦に行ってみました。海外から日本や日本人のアイデンティティーを考えた岡倉天心に共感する部分は多いのです。2011年の津波で天心の六角堂は消滅しちゃいました(その後再建されました)。

「幻のオペラ」、結局「幻」に 岡倉天心のNY公演中止

【ニューヨーク共同】日本近代美術の父と呼ばれる岡倉天心の未完のオペラを11月にニューヨークで公演する計画が中止になったことが24日、主催者の話で分かった。「幻のオペラ」が約100年ぶりに、創作された米国に凱旋する予定だったが、文字通り幻に終わることになった。
 天心が亡くなった1913年に書かれた最後の著作「白狐」(原題・THE WHITE FOX)の日本語版で、11月21~30日にニューヨークのアートスペース「ホワイトボックス」で芸術祭の一環として公演する予定だった。
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2019年9月29日日曜日

他者を気遣い自分も気遣う


日本の若いサラリーマンを見ていて20世紀初頭の哲学者であるハイデガーを思い出しました。今の日本は1920~1930年頃の哲学者が考えたことがズバリ当てはまるように感じます。当時の社会状況が今の世相と似ているのでしょうか。たとえ哲学を理解するだけの人生経験がなくても若いうちに読んでおくことは意味があると思います。

ハイデガーは、人は投企しながら存在すると言いました。投企はサルトルも使った言葉ですが、主体性をもって生きることだと解釈できます(サルトルはハイデガーを師と仰いでいたそうです)。 必ず訪れる死が目的であり最終形で、そこに向かって投企し続ける(自己を変化させる)。偉大な哲学者は人間とか生きるとか死を一生考え続けたのでした。 

極端に単純化すると、

ギターが何か分からない、使い方が分からない。

使い方を理解する(理解しようとすることが投企)、そして使えるようになる。

ギターが少し弾けるようになったことで、自分自身の在り方も多少なりとも変化していく。 

以上が、ハイデガーの言うところの「人は投企しながら存在する」です。 

若いサラリーマンは分からないことに対する姿勢や対応の仕方が淡泊すぎるように感じるのです。自分で考え判断するのではなく偏差値をガイドラインとして学校の指示に従いながら大人になったからでしょうか?

相手がギターのようなモノでなく人間でも言えるのです。「他者を気遣うことで不安を感じ、自分のことも気遣うことになる」。ハイデガーは人間の根源的営みは「気遣い」だといっています。 

日本は島国で単一民族、ただでさえ視野は狭くなり想像力は貧困になる。それなのに平均的で均一的な大人を育てる教育を長年継続している。卒業すると企業という閉ざされた空間に閉じこもる。そして還暦をすぎて解放される。日本が置かれている環境を客観的に認識し、視野を拡げ想像力を豊かにすることに注力し子育てや教育を考えないと、日本は本当に沈没してしまいます。

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2019年9月21日土曜日

働き方改革と生産性

朝の雲

働き方改革の課題は一般的に以下のように言われています。

‶働き方改革は「労働時間短縮」に関する項目が重視され、本質的な生産性向上には至っていない″

時短のための労務コンプライアンスと打ち上げても働き方改革の課題は解決されない。ルールに依存するだけで自分で考えない方向に行ってしまうだけです。常に会社に従順という訳ではなく、組織内の至る所で信念と疑念のぶつかり合いがないと本当の生産性は上がらない。アウトプットがMAXになるようにぶつかり合いをマネージするのが管理職の仕事であり最終的には生産性にインパクトを与えるのです。

大企業で働いているビジネスマンは、全ての人が必ずしも一生懸命に働いているのではありません。なぜならば、彼らのエネルギーは「一生懸命働いている」というポーズをつくることに集中されてしまうから、、。

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2019年9月10日火曜日

教育のフレームワーク

https://www.youtube.com/watch?v=Fz8_ghDzskg&t=9s




















グローバルで仕事をしなくても参考にできるフレームワークです。

今の教育を変えるための教育者の教育は誰がやるのでしょう? やる気のある子供達にとって今の教育は形而上と形而下のバランスが悪すぎる。暇を奪うことは考える時間を奪う事なのです。今の日本で「立派な大人になれ」と言っても環境が悪すぎる。

私=私+環境、つまり、「私」は自分自身も含め環境との対話の中で「私」になって行くのです。

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2019年9月3日火曜日

世の中には色んな会社がある

9月1日 ibgの飲み会です@吉祥寺

ibgは小さな小さな経営コンサルティング会社です。今年が14期目です。世の中では一般的に利益を上げることに多忙を極めること(business)を誇りにしているようですが、ibgの場合はそんなことはお構いなしです、より一層の「firmさ」(思想の強化)を求めるのです。それが会社、つまり「firm」 なのです。これは我々の負け惜しみか?

二次会へ

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2019年8月25日日曜日

哲学が足りない!

武蔵野市文化会館通りの百日紅
今年は咲かないのかと思っていたら咲きました

ハイデガー(1889 - 1976 ドイツ)は人間を人間と呼ばず「現存在」と言いました。それは人間は一人一人が同じじゃないからです。人は平均的じゃないからです(平均人とはスペインの哲学者オルテガがいった大衆人のことです)。サルトル(1905 - 1980)はハイデガーを参考にしたと言われる実存主義の哲学者です。この3人の哲人は本質的には同じようなことを言っていると思われます。そして、それらは今の日本に対する警鐘のように聞こえるのです。

生きることは孤独で辛い。忍耐も必要です。それを平均的な大衆人の中に紛れることで誤魔化しているのが今の日本でしょう。孤独に向き合い自分で考えるのが哲学であるならば、だから日本には哲学が存在しないと言えます。 

哲学なき日本、つまり、形而下だけの物質社会に対し、ハイデガー、オルテガ、サルトルを読み、彼らが一生をかけて悩んだことを共有することで形而上下のバランスをとるのが日本サバイバルのための最初の一歩だと思います。このままバランスの悪いままだと未来永劫どこかの国の奴隷の地位に甘んじるしかないでしょう。 

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2019年8月11日日曜日

梅の土用干し 2019年 夏


今年の梅の土用干しです。

7月の梅雨明け、、、のはず。8月になっても梅雨明けの発表がない。梅漬けも土用干しの段階までくると私の血圧は高止まりです。ネットで天気予報を詳細にチェックはするものの、7月は毎日が雨、気温も上がらずいらいらする日々です。

7月も月末に近づくとやっとお日様が顔をだしました。やっとこの時期に行われる我が家の年中行事です。今年は立派な南高梅が手に入ったので、土用干しの三日間、24粒の精鋭たちとの対話は十分に手応えを感じます。 















2019年7月31日水曜日

セミの木登り

近年日本のセミの幼虫は無防備にも白昼木を登るようです。通常は外敵の襲撃から身を守って羽化するために夜中や早朝に木を登っていたのですが、、、。トポス(環境)が人、否、セミをも変える!


2019年7月29日月曜日

百日紅の景色


これそげに夏の花なる百日紅  正岡子規

百日紅は夏の炎天が似合う花です。やっと青空になりました。お日様が出て来たのでさっそく今年の百日紅の景色をカメラで切り取ってみました。

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2019年7月27日土曜日

カツカレー


大量に漬けたらっきょうを食べるためのカレー。カレーにソースはかけませんが、カツカレーのカツにはソースをかけて食べます。

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2019年7月26日金曜日

思い出が蓄積される食器

スウェーデンミートボール

中学の同級生N君が連絡をくれました。還暦も過ぎると対等の友人関係というのは良いものです。至る所で対等な関係が崩れ誰かが誰かに対して威張っている。私も御多分に漏れずそのことに気づいていなかったのでしょう。

私の中学時代は1960年代後半から1970年代初めにかけての福岡です。半世紀前の福岡のことや我々の中学時代の話をして当時が蘇って来る。私の場合、人生で「初めて」というのは殆どが福岡にあります。初めて食べたもの、初めて聞いた音楽、アメリカンニューシネマ 等々。自分の人格が形成されたのは中学時代の福岡かも知れません。

上の写真の食器は小学校時代から家にあった皿です。カレーはいつもこの皿で食べていました。食器は日常の中にあるわけですから様々な思い出が蓄積されています。それも自分にしか分からない思い出が。

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2019年7月25日木曜日

どうやって大人になるか?

豚角煮丼
料理も自分でつくるには食材や調味料との対話が必要です

今の世の中お手本があり過ぎます(ネットにレシピがあるから私でも料理ができる)。

精神が大人になる(精神の近代化)とは、環境と対話しながら自分のエゴとバランスをとりながら自分を形成していくということです。それには自分で考え試行錯誤を繰り返す必要がある。他者とのコミュニケーションで自分のエゴや弱みを強みに変えていくのです。

お手本を消化吸収していくと短期間で進歩は遂げる。しかし、精神面はそうはいかない。環境との対話を省略するからエゴだけの傲慢な大人だらけになってしまったのです。

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2019年7月11日木曜日

今年の梅

今年の梅

今年の夏の土用の入りは7月20日だそうです。それまでにお日様が顔を出すのでしょうか?

権利や人権を強調しすぎて義務や道義とのバランスを欠いたのが今の日本のように思います。長年の教育の混乱は大きいのでしょうね。最近では、お天道様も愛想を尽かすような事件が多すぎます。

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2019年6月24日月曜日

心の幸せ

鳥取砂丘のらっきょうで作ったらっきょう漬け

今年の桜桃忌(6月19日)は太宰治生誕110年でした。 太宰が追い求めた心の幸せを追求するのがこれからの日本にとっての進むべき道かも知れません。

『秋風記』は中期の作品です。後期の反俗精神に入る前の作品ということです。太宰は自分はダメな奴だという深い自覚があるから優しい。あくまでも心の幸せを追求する。金持ちの成功者は神のお加護があってエライというアメリカや、物質的な豊かさで誤魔化された独裁監視社会の中国とは真逆の世界観なのです。

「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」(太宰治『秋風記』より)


2019年6月10日月曜日

梅雨の夕暮れ


梅雨の夕暮れは俳句にもならないですね。

秋篠川から薬師寺を望む。 東塔は平成21年より史上初の全面解体修理に着手しており、令和2年4月に落慶法要を勤修する予定です。西塔の右に見えるのが覆屋。

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2019年6月9日日曜日

半分化粧


半夏生(はんげしょう)です。

葉っぱが白く化粧していくので「半化粧」とも書きます。風流ですね。オシャレですね。

半夏生は陰暦の上での「雑節」の一つ。今年は7月2日のようです。まだ梅雨が明けない時期なので、この頃の雨を「半夏雨」(はんげあめ)と呼んできました。半夏生は、田植えなどの農作業を終える日の目安としてちょうどよい時期にあったのです。

田植えの農作業が終ってほっと一息、しばし休息をして七夕様を迎えます。昨今のこじつけた10連休と違って風情がありますね。国民の祝日は文化ですから意味がある。




















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2019年6月8日土曜日

梅の雨


今年も梅雨がやって来ました。ジトジトと不快だしチャーリーの散歩にも困るので大嫌いなのですが、唯一、「梅の実が梅雨によって熟すのだ」と考えれば梅の雨も趣があり風流なものです。

『仰臥漫録』は病床に釘づけにされた子規の日記です。日本人が理解できる普遍的なテーマが満載です。

自分は一つの梅干しを二度にも三度にも食ふ
それでもまだ捨てるのが惜しい
梅干しの核(たね)は幾度吸はうっってもなほ酸味を帯びてゐる
それをはきだめに捨ててしまふというのが如何にも惜しくてたまらぬ


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2019年5月15日水曜日

太刀魚巻


宇和島河合太刀魚巻店の元祖太刀魚巻 

宇和島の創業150年の老舗魚屋さんである河合鮮魚店が太刀魚巻の元祖。タレに二度漬けされて、竹に巻かれて炭火でゆっくりと焼きあげられたのが太刀魚巻です。最近では太刀魚が以前ほど獲れないのと手作業のためいつもあるわけではないそうです。

宇和島出身の四国在住の友人が送ってくれました。オフィスでランチタイムにみんなで食べました。
一緒に焼いているのはアジのすり身コロッケ。
これも胡椒がきいていて旨い!

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2019年5月12日日曜日

原子力潜水艦とハンバーガー


生まれて初めてハンバーガーを食べたのは1964年の佐世保でした。少し小さめのバンズにトマト・スライス。米軍の原潜シードラゴンが入港しているというので、当時福岡市内に住んでいた小学生の私は父親に連れて行ってもらったのです。

昭和25年に始まった朝鮮戦争では米軍の艦船が佐世保より発進し、街は空前の特需景気に沸いたそうで、昭和30年代も街は米軍の水兵さん達で賑わっていました。

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2019年5月5日日曜日

令和の日本企業は躍進するか?



AIだイノベーションだ生産性の向上だと声高に叫んでいる経済界ですが、
果たして令和の時代に日本企業の躍進はあるのでしょうか?

昭和の敗戦の原因のひとつは、大山巌のような人格者を欠いた事でしょう。山縣有朋や伊藤博文、山本権兵衛など明治のリーダーたちは多少の問題もあったでしょうが、世界情勢を理解する視野の広さを持つ常識人だった。

ところが、日露戦争後から昭和前期のリーダーたちはどうだったでしょう?

スーパー係長的な専門家が国のリーダーになってしまったことが悲劇だった。視野が狭い。学業優秀な秀才、つまり、スクール・スマートのエリートたち。平成時代、日本企業の敗因はこういったDNAを受け継いでしまったことにあると思います。

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2019年4月12日金曜日

新東名 最高速度120キロの試行



新東名上り 新清水付近

新東名120キロ制限を走りました(新静岡ICから森掛川IC)。
今回が3度目になります。

私は今の条件のまま最高速度120キロは如何なものかと思います。

遅いトラック(90~100km/h)が更に遅いトラックを抜くために走行車線にでてきたり(通行区分違反)、200km/h以上ですっ飛ばす勇猛なドライバーがいるので危ないのです。私の 1500ccの支援太(シエンタ)だとパワーがなく、ミッションはCVTなのでレスポンスが悪く回避行動に時間がかかります。

実際に走ってみるとよく分かります。速度差の安全確保が大きな課題です。

管轄の交通機動隊は速度違反について異常に熱心ですが、通行区分帯違反やゆっくり走るクルマに寛大なので片手落ちと言わざるを得ないのです。

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2019年4月10日水曜日

10連休を上手に使う

秋篠川の桜(右手は薬師寺)

10連休となる今年のゴールデンウィーク。
海外旅行やドライブと計画を立てている人は多いのだろうと思います。

日本人は時間の使い方が下手くそです。

忙しく仕事をする時と遊ぶ時間のバランスが悪い。閑暇は英語でレジャー(leisure)と言います。閑暇な時に自分を振り返り人生を考えるものです。しかし、日本人の多くは閑暇と言うとレジャー、すなわち、行楽地に行く事しか頭に浮かばないのではないでしょうか? 子供が小さい家庭では仕方がないことなのかも知れませんが、、、。

日本の労働生産性が問題になっています。忙しく仕事をする時に生産性を上げるには、閑暇(ひま)な時間こそ上手に使うことが大事なのです。

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2019年3月30日土曜日

従業員の承認欲求とは?

40年来の友人が愛媛のみかんをおくってくれました。
非常感謝了!

フォーブスの日本語版に以下の記事が掲載されていました。

(抜粋)

従業員が辞める第一の理由、36%が「承認不足」と回答

上記の表題は、私が最近目にしたマネジメント調査で判明した主な結果の一つだ。詳しく説明すると、従業員の36%が強い承認欲求を持っており、自分が認められているかどうかが「転職を強く考えるようになる一番の理由」となると考えているのだ。

この調査は、従業員エンゲージメント企業アチーバーズ(Achievers)が2017年12月に実施したもの。この調査結果はシンプルながらも、深い意味を持っている。承認は、基本であるものの現実にはうまく対処されていないことが多いマネジメント機能の一つだ。簡単であるはずなのに、実際には簡単にはいかないことが多い。

(抜粋おわり)

英文は読んでないので分かりませんが、ここで言っている「承認」って英語の recognition を訳したものだと想像します。だとしたら「承認」というよりも「ご褒美」の方が適当かもしれません。アメリカ人の多くのビジネスパーソンは短期的なご褒美がないと一生懸命働かない。しかし、大金がかかっていると寝る間も惜しんで働く傾向にあります。

恐らく、アメリカでも余裕があった古き良き時代は、部下の理解に時間を割き、部下のためにロジカルな目標(ストレッチし過ぎない)を設定する。そしてその目標を管理し、部下に対して目標達成への責任を持たせ、よくできた場合は褒めてあげ、ご褒美をあげることだったのだろうと思います。それを recognize といったのでしょう。しかし、今や部下の成長が自分のモチベーションになるようなマネジメントは少なくなった。日本にはそもそもこういったことを認識(recognize)しているマネジメントは少ない。自分の仕事ではなく人事部の仕事と思っているか?

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2019年3月28日木曜日

Born In The U.S.A.

ブルース・スプリングスティーン  『BORN IN THE USA』(1984年)

「我々のアメリカはロクでもない国だけど思いっきり愛そうぜ!」という歌です。黄色い人間である私はそう解釈するのです(歌詞の中に黄色い人間を殺すために外国に送られるとあります)。

Got in a little hometown jam
So they put a rifle in my hand
Sent me off to a foreign land
To go and kill the yellow man


自分の国を愛してる人は自国に対して批判的なものです。アメリカ人だって中国人だって日本人だって。この歌も多くの人がベトナム反戦歌と認識しています。しかし、スプリングスティーンは酷いアメリカだけど愛そうぜと歌っている。そして、こういった自分の生まれた国に対する感情は万国共通であるべきです。自国に対して愛情を感じることに関して互いに寛容になれる。要するに、相手に対するリスペクトであり、それが本当の保守ということです。

(以下、ウィキペディアより抜粋)

歌詞のテーマ

同曲はひとつに、ベトナム戦争を体験したスプリングスティーンの仲間たちに捧げたものであり、その仲間の数名は生きて帰ってこなかった。それはまた、戦争から帰還したベトナム帰還兵が直面した困難に抗議している。曲の物語は、主人公の低い地位の出身、軍への入隊、そして不満のある帰国をたどっている。苦悶の間奏はさらに衝撃を与えて、主人公の(文字通りの、または比喩としての)兄弟(または仲間)の悲運を描写している。

I had a brother at Khe Sanh
Fighting off them Viet Cong
They're still there, he's all gone
He had a woman he loved in Saigon
I got a picture of him in her arms now


歌詞に登場するケサンの戦いは、北ベトナム軍との戦いであり、歌詞で聞かれるようにベトコンではない。最終的にアメリカ軍はケサンの包囲を壊したが、たったの2ヶ月後には前哨基地から撤退した。このことでケサンは、ベトナム戦争における無益の象徴のひとつになった。

(抜粋 おわり)

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2019年3月25日月曜日

日本の教育は世界に通用するか?

昭和のフォークはなかなかいいものです。日本独特の情緒がある。
でも日本人以外には分かり難い、、、、。

「他人を尊ぶ日本の教育を世界に」という記事が日経新聞にでていた(3月21日)。

(記事の抜粋)

国内外で日本語教育を手がける学校も急速に増えているが、営利優先で、当座の言葉の障壁を取り除くうわべの教育にとどまっている。日本の短期的な利益を求めるのではなく、関係国、世界の持続的な成長のために何をなすべきかという長期的な視点による教育が必要だと感じる。外国人との共生は目先の対症療法に終わらせてはならない。日本ならではの貢献の道を考えるべきだ。


(抜粋おわり)

主張はもっともなのだが、へそまがりの爺さまとしては少しコメントしたくなる。確かに他国と比較すると、日本には利他の精神はあるかも知れない。しかし、自立しない親たちが子供を育て、長年自虐的な教育を続けてきた負の遺産は大きい。結果、国も国民も自立していないのだ。アジア各国が50年前のように日本にリーダーシップを期待しているというような自惚れはやめるべきである。誰かが何とかしてくれると考える相互依存の高齢化社会の日本はロールモデルにはならない。

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2019年3月9日土曜日

サイレンに反応するチャーリー

救急車のサイレンに反応するチャーリー(井の頭通り)

チャーリーには彼の「仁義」があり(愛)、遠吠えは犬仲間からのコミュニケーションに応答しようとするチャーリーなりの「礼」なのです。

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2019年3月3日日曜日

「正統性」の主張

 
 

私が大阪人であるという「正統性(legitimacy)」をお好み焼きで証明できたでしょうか?

国家の正統性(legitimacy)が問われるようになってきています。

政治的用語としての正統性とは「政治的支配がもつところの正当な支配としてのその妥当性のことをいう」(世界大百科事典 第2版 )とあります。つまり、その政府が国を治めることがなぜ正当なのかという、歴史による理由付けです。政治的支配はむきだしの暴力や強制だけによっては,その安定性を確保することはできないし、他の国に対する憎悪を正統性の元とするのはおかしいということです。

日本人は日本や日本人の正統性を確認すべきです。2600年以上の一貫した歴史があるのだから。未来志向だけじゃなく日本の歴史や過去の偉人と対話してみる必要があるのです。日本の正統性はどこにあるかを国民が確認してから外に対しては堂々とやればいいのです。

遺憾だとか、未来志向を声高に叫ぶのはもうやめましょう。

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2019年2月17日日曜日

料理を作りながら考えた


鳥手羽先の甘辛煮、これは全プロセス30〜40分でできる簡単だけど美味しい一品です。こんな簡単な料理でも上手に作ってやろうと一生懸命です。

人は問題を解決しようとする作業のプロセス(流れ)の中で成長するものです。プロセスは与えられたものではなく、自分で見つけ出す。プロセスは作業そのものだけでなく、作業の機会を自分で見つけ出す(創造する)ことも含まれます。その中で人や組織は成長するのです。

日本の課題は、いくら労働生産性向上や働き方改革の旗を振っても、以上のような根本的な問題が理解されていないので、施策は上滑りなものになってしまいます。他者に依存しているからダメなのです。「自らが成長したい!」という強いモチベーションが基本にならないといけない。

次回はもっと美味しい鳥手羽煮を作ってやるぞ! 

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2019年1月29日火曜日

本 ~ 世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男

『世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男』MR.JIMMY (2018年)

キャリアをどう考えるか? どういった人生を送るか? 重要な意思決定時には大きな葛藤があるものです。周りにいる人たちの理解やサポートなしでは成り立たない。親、妻や恩師、仕事仲間との関係があって自分がある。決して一人ではここまで来ることはできなかった。要するに、自分自身に強い愛があって(仁)、周りとコミュニケーションする気配りが不可欠である(礼)ということが分るジミー桜井の自叙伝です。

レッドツェッペリンやジミー・ペイジやギターに興味がなくても価値のある一冊です。表紙の写真は元大リーガー、歴代二位の通算奪三振ピッチャー ランディ・ジョンソンの撮影(ランディはプロ野球引退後写真家となりました。ジミー桜井のファンだそうです)。

『武士の娘』の杉本鉞子は長岡藩の家老の娘でしたが、桜井さんも長岡藩が地元のようです。長岡は偉大な人を何人も排出しています。

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2019年1月26日土曜日

武士の娘

日本人は日本という国や歴史にもっと深い関心や興味を抱く必要がある。

この本は、日本女性の生涯や、幕末から維新の時代へとの日本文化の変化と武家の生活が理解できます。武家の古いしきたりを取捨選択し、時代や場所に適応していく。何を保守すべきかは、自分の物差しと判断力が必要です。隣国からの不愉快な言いがかりは端的な例ですが、今の混沌とした世界情勢の中、自国への理解と愛情が武力を持たない半国家日本の最大の武器である事を肝に銘じて欲しい。

武士の娘 (ちくま文庫) 杉本 鉞子

「夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました」「夫は自分でお金の要る時には、妻からもらい、夫に、地位相応の支給ができるのを妻は誇りとしていました。夫が外に出て、どれ程のものが必要であるかを知ることも、妻の教養の一部なのであります。時に、夫が肩をすくめて『それじゃ、都合が悪い』という事はありましても、家族全体とその地位とが夫の誇りであるからには、全体を傷つけては、夫自身の損失になるわけでありますから、先ず必要なものは、一家を支えてゆく為の入費です」(本書より)。

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2019年1月22日火曜日

仁と礼

散歩道にある消火栓 ~ 果たして機能するのか?

外交って「仁」と「礼」が重要です。自分の家族や仲間、自分の国家に対する愛情とそれらを守護する心、つまり、それが「仁」です。そして、他者とのコミュニケーション(プロトコル)と言えるのが「礼」だと思います。仁があっても礼がなければ意味は無いし、仁がなく礼だけがあるのも駄目です。思いやりの気持ちを持って相手に伝えることが肝心なのです。もっとも、外交だけじゃない、人間の本質でしょう。

哀しいかな、今の日本は「仁」も「礼」も恐ろしく劣化しました。政治家やメディア関係者は酷い、また、教育者に自覚は有るや無しや?

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2019年1月5日土曜日

日本に必要なシナリオプラニング


年末年始とネガティブに聞こえる内容で申し訳ないですねぇ、、、
それほど世界情勢や日本の現実はよくないのですよ。

今はいつくかのシナリオを準備しておくべきでしょう。これはシナリオプラニングと言われるものです。シナリオプランニングでは、起こり得る未来をいくつか想定して、複数の異なるシナリオを描いていきます。複数の未来への道筋を考えておくことで、慌てずに状況に対応可能になるのです。選択肢の幅を拡げ、選択肢が複数あるということを理解し、主体的に未来を選択することを目指します。

国では国民、会社では会社全体の学習にもなるし、コミュニケーションの活性化や考えの共有にもなります。個人でも有効です。自分と家族、家族の将来に対するシナリオを話し合うことで何が家族の成功要因になるのかを見出すことができるのです。

さて、日本にとって最悪のシナリオは何でしょうか?

最悪はアメリカの崩壊が想定(してるか?)以上に加速し、中国が世界の覇権を握ることでしょう。そうなったら日本はどうするか? 聖徳太子の時代まで遡って考えるか?(150年どころじゃないですね、、、)。

少子高齢化とそれに伴う日本のあまり明るくない未来は、経済予測と違って確度の高い「事実」です。社会インフラが維持できなくなる等は現実の問題なのです。これに対してどう対処するかは今の時代に生きる我々の想像力や努力次第で変わります。

他者依存はやめて自分たちの将来へのシナリオプランをもっと真剣にやるべきでしょう。

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2019年1月4日金曜日

いま日本が議論すべきこと

Trump pushes border wall in surprise media briefing, but takes no questions
 01/03/2019
CNBC.com



President Donald Trump made a quick, unannounced stop 
in the White House briefing room Thursday to reiterate his 
hard-line border wall stance amid an ongoing partial 
government shutdown.
The surprise appearance, which lasted just a few minutes, 
marked the president's first time speaking from the briefing 
room podium. He answered no questions from reporters, 
who shouted questions at him as he walked out of the room.
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孔子は、仁者というものは「自分が立ちたいと思えばまず人を立たせ、自分が達したいと思ったらまず他人を達せさせる」と言います。孔子さまの時代から2000年たっても人間は「今だけ、金だけ、自分だけ」という自分の利益だけを追求する世界のようです。アメリカや中国は最先端を突っ走っています。だから、大統領のプレスコンファランスでもケンカするしかない。品がないったらありゃしない、、、。

平成の終わりを話題にするよりも、世界中で近代が終わろうとしている事を日本は議論すべきでしょう。明治の偉人たちが憂いた「精神の近代化」も150年経った今でも達成できていないのですから。福沢(諭吉)さん、夏目(漱石)さん、森(鴎外)さんが議論に加わる事ができれば、深夜の討論番組のようなエンタメの世界にはならないでしょう。

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2019年1月2日水曜日

アメリカの現実


ホワイトハウスのプレスコンファレンスを日本語に翻訳して毎日7時のニュースでやればいいと思います。分かり易いアメリカの現状だからです。全く酷い、小学生低学年の学級会だ。日本人はアメリカ礼賛の夢から覚めるかもしれない。今のアメリカは客観的な価値基準は存在しないということです。

ここまで自分勝手になると議論なんてできるわけない。ニーチェじゃないけど神はいなくなった。つまり、絶対的な真理はないのだ。共有する部分は何もないわけだから毎回毎回ホワイトハウスのプレスコンファレンスで喧嘩するしかない。

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