2025年12月25日木曜日

生活に浸透するAIと、その光と影

 

リチャード・ギア主演のミュージカル『シカゴ』(2002年)


生活に浸透するAIと、その光と影

――日本社会に潜む「目的と手段の逆転」という危険――

私が「AI(人工知能)」という言葉を初めて知ったのは、1988年、コンピュータ会社に勤めていた頃でした。隣の席にいた同僚のOさんが、AI製品の日本語化を担当していたのです。当時の私は、「図書館で使うような、少し高度な検索ツールなのだろう」くらいにしか考えていませんでした。

それから40年近くが経ち、AIは検索どころか、文章を書き、絵を描き、声を生成し、映像すら作る存在になりました。便利になった一方で、AIは今や「毒にも薬にもなる」存在になっています。しかも厄介なことに、フェイクを見抜くためにAIが使われ、同時にフェイクを作るためにもAIが使われる、「フェイクとフェイクの闘い」の時代に突入しています。

この変化に、ルール作りはまったく追いついていません。各国はAIの規制や標準化を巡って主導権争いを始めています。技術そのものではなく、「どの価値観で、どのルールを世界に押し付けるか」という戦いです。これは軍事や通商と同じく、国家戦略そのものです。 

AIは現代版「辣腕弁護士」になり得る

私はこの状況を考えるとき、ミュージカル映画『シカゴ』を思い出します。
辣腕弁護士ビリーが、記者会見でメディアを完全に操るあの場面です。

Understandable, understandable
Yes, it's perfectly understandable
Comprehensible, comprehensible
Not a bit reprehensible
It's so defensible!


論理は整い、感情にも訴え、疑う余地すら与えない。1920年代のシカゴでは、殺人を犯しても、金と腕のある弁護士がいれば、メディアも陪審員も味方につけ、無罪を勝ち取ることができました。

これを現代に置き換えてみてください。

言葉を操るのが人間の弁護士ではなく、AIだったらどうでしょう。原告も被告もAIが生成した証拠、AIが作った証言、AIが編集した映像や音声――。正義と虚偽の境界は、さらに曖昧になります。questionable(疑わしい)ものが、AIの力で defensible(正当)に見えてしまうのです。

だからこそ、今の世界で最も重要なのは「自己防衛」の意識です。情報を鵜呑みにしない、自分の頭で考えるという、ごく基本的な姿勢が、これまで以上に求められています。

日本特有の危険性――目的と手段の逆転

ここで、日本社会特有の危険性を指摘しておきたいと思います。それは「目的と手段の逆転」です。

AIはあくまで手段、ツールです。しかし日本では、いつの間にか「AIを使うこと」自体が目的化しがちです。
これは、仕事や教育でも繰り返されてきた問題です。

私は以前、「仕事が金銭を得るための手段と化したら人生はつまらなくなる」と書きましたが、教育も同じです。新渡戸稲造は1907年の講演『教育家の教育』で、教育を「飯を食うための手段」にしてしまった人間を厳しく批判しました。免状や肩書きがあっても、志がなければ教育家ではない、と。

AIも同じです。

「AIを導入すること」「AIを使っていること」が目的になった瞬間、そこに「志」や「観(価値観)」は消えます。何のために使うのか、誰のためなのかという問いが抜け落ちてしまうのです。 

Be Assertive――AI時代にこそ必要な姿勢

もう一つ、日本人にとって重要なのが「be assertive」という姿勢です。
アリストテレスは中庸(Golden Mean)の重要性を説きました。理性的であるとは、極端に走らないことです。

アメリカの小学校では、子どもたちに「Be Assertive!」と教えます。これは攻撃的になれという意味ではありません。人の話をよく聞き、自分の意見を持ち、それをきちんと表明しなさい、という意味です。

一方、日本人はリザーブド(控えめ)すぎる。相手に合わせ、空気を読み、自分の意見を言わない。その結果、何を考えているのか分からないと言われます。AIが生成した「もっともらしい意見」に流されやすい土壌が、ここにあります。

AI時代には、アグレッシブでもなく、リザーブドでもない、アサーティブな態度が不可欠です。AIの答えを参考にしつつ、「私はこう考える」と言えるかどうか。それが人間の役割です。 

日本のメディアは毒にはなるが、薬になっていない

残念ながら、日本のメディアはこの点で大きな問題を抱えています。

福澤諭吉は、文明とは「智徳と人間交際を高めること」だと言いました。智はインテリジェンス、つまり手段やツール。徳はモラルです。そして人間交際は、コミュニケーションであり、外交の基礎でもあります。

今の日本は、「どこへ行きたいのか(目的)」が曖昧なまま、手段やツールばかりを追い求めています。AIもその一つです。メディアは不安や対立を煽り、思考を深める材料を提供していません。毒にはなっても、薬になっていないのです。 

AIとどう向き合うべきか 

AIは間違いなく、私たちの生活に深く浸透していきます。避けることはできません。

だからこそ重要なのは、

・AIを目的化しないこと
・情報を鵜呑みにしないこと
・自分の意見を持ち、表明すること
・智と徳のバランスを意識すること

AIは強力な道具です。しかし、道具に使われるか、道具を使いこなすかは、人間次第です。

辣腕弁護士ビリーのように、言葉や論理で現実をねじ曲げる存在が、AIという形で現れた今、日本社会にはこれまで以上に「理性」と「志」が求められているのだと思います。

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