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2025年12月29日月曜日

大学教育と世界観――ある隠居老人の違和感

19世紀は労働者、20世紀は消費者がカモにされた…
大企業が舌なめずりして囲い込む「21世紀のカモ」の正体

(PRESIDENT Online 掲載記事)


1970年代のアメリカの大学

隠居老人、最近の記事を読む

PRESIDENT Onlineに掲載された、ある大学教員による論考を読みました。大学の政経系学部で行われた講義をもとにした著書の一部だそうです。

私はその先生の本を読んでいません。
知ったのは、あくまでこの紹介記事だけです。
したがって、以下は「講義の全体像」を論じるものではなく、
公開されたテキストから受け取った印象に基づく感想です。

もっとも、古希を前にした隠居老人としては、人生もそろそろ先が見えてきました。今さら遠慮する必要もない。言いたいことは言っておこう――そんな心境です。

「21世紀のカモ」論の要点

記事の主張は明快です。

資本主義の歴史は、「誰がカモにされてきたか」の歴史である。
19世紀のカモは労働者。
20世紀のカモは消費者。
そして21世紀のカモは、「参加者」だ。

テック資本主義の時代、人々はSNSや検索サービス、各種プラットフォームに参加することで、自らの個人データ、注意力、時間を無償で提供している。それこそが21世紀の「資本」であり、巨大テック企業は、それを原材料に富を蓄積する。

赤い通知バッジ(notification badge)、スワイプ操作、色彩心理を利用したUI(ユーザーインターフェイス)。人間の生理的・心理的特性を前提に設計された仕組みによって、私たちは自由意思で行動しているつもりで、実は囲い込まれている――。

議論は刺激的で、比喩も巧みです。しかし、読み終えたとき、私は強い違和感を覚えました。

正しい。しかし、、、、


内容が間違っているとは思いません。テック企業が人間の注意力を資源として扱っていることも、行動科学がビジネスに使われていることも、事実でしょう。

それでも息苦しい。
なぜか。

それは、この論考が最初から完成された世界観として提示されているからです。

資本主義は搾取装置であり、
参加者はカモであり、
自由は幻想であり、
人間は檻の中のネズミである。

分かりやすい。しかし、分かりやすすぎる。共産主義国家の人民のような、、、。

そして、これが「大学の講義」をもとにしていると知ったとき、隠居老人は、少し背筋が寒くなりました。

「如何なものか」では足りない

最初、私はこう思いました。
「考えさせる前に、世界観を与えるのは、如何なものか」。

しかし、考え直しました。
これは「如何なものか」という話ではありません。

間違っていると思います。

あらゆる「観」―― 世界観、歴史観、国家観、人間観――は、人格形成の過程で、自分で身につけていくものだからです。

教育が提供すべきなのは、結論ではなく、思考の材料と摩擦です。

1970年代、アメリカの大学で起きたこと

この違和感は、私にある古い読書体験を思い出させました。

『The End of the American Era(アメリカ時代の終焉)』ハッカー(1970年)です。

アメリカの没落はベトナム戦争から始まった、という議論はよく知られています。しかしハッカーは、より根源的な問題として、大学と学問の劣化を挙げました。

アメリカ人が、自分たちを特別な存在だと錯覚し、謙虚さを失い、学問が凡庸になっていった。

彼は、こんな趣旨のことを書いています。

  • 平凡な学者が恐れるのは、他人から批判されることである。
  • だから彼らは、決して間違いを指摘されないことしかやらなくなる。
  • 凡庸な頭脳にとって最も都合がよいのは、
  • ルールが明示され、全員が同じ手続きを踏む研究である。

これは、1970年のアメリカの話です。しかし、今のアメリカでも続いている。そして、今の日本も、急速にそうなりつつある――隠居老人には、そう見えます。

福田恆存の警告

さらに思い出すのが、昭和29年の福田恆存の言葉です。

アメリカ視察から帰国した福田は、
「アメリカは貧しい」と言いました。

物質的には豊かでも、
精神的なバックボーンが痩せている、という意味です。

私は2001年、15年ぶりに香港、上海、北京を訪れ、「中国は1980年代より貧しくなった」と感じました。高層ビルが増え、生活は便利になった。それでも、精神的な安定は見えなかった。

「神」や「お天道様」がない文明は危うい。
多民族化が進み、「神」の力が弱まったアメリカも危うい。

そして今――

精神的な支柱が溶け、「お天道様」が隠れた日本は、福田恆存が憂慮した時代より、もっと崖っぷちに立っているように見えます。

大学は、世界観を配る場所ではない

大学がやってはいけないことがあります。

  • まだ経験の浅い若者に
  • 権威ある立場から
  • 感情に訴える完成形の世界観を
  • 代替的な視点を十分示さずに与えること

それは教育ではありません。思想のインストールです。

一度インストールされた世界観は、あとから疑うことが難しい。
これは、長く生きた者の実感です。

おわりに――隠居老人の譲れない一言

私はその本を読んでいません。この記事だけを読んだ感想です。

それでも、「大学の講義を本にした」と聞いて、この完成された世界観が前面に出てくることに、1970年代アメリカと同じ匂いを感じました。

あらゆる「観」は、人格形成の過程で、自分で身につけていくもの
それを、考えさせる前に大学が与えてしまうのは――
如何なものか、否、間違っている

隠居老人の、率直な違和感として、ここに書き残しておきます。

***

2025年11月13日木曜日

もういっぺん、始める勇気

 

最近のビジネス誌には、「老後」や「定年後の生き方」に関する記事があふれています。

たとえば、ある作家が書いた『定年後の人生を考える本』(某ビジネス誌系の出版社)では、人生後半戦を三つの段階に分けている。45~59歳、60~74歳、75歳以降――。 そして、40代半ばから「死ぬことを意識し始める」ときに、人は自らの人生を見つめ直すべきだと説く。60~74歳を「黄金期」と呼び、成長の形を変えながら、年齢に応じた“生き方の知恵”を持つことが大切だと。

確かに部分的にはもっともです。しかし、こうした議論はどうしても「ハウツー本的」になりがちで、心の奥の問題、つまり“生きることの意味”にまで踏み込まないように感じます。老いとは、単なる体力や環境の衰えではなく、「心の老化」のことではないか、、、。

ここからがほんまの話や(高齢者は関西弁がええねん)。

人生は「定年」で終わらへん。もういっぺん、始める勇気っちゅうもんや。

人間な、年を言い訳にしだしたら、心が成長をやめてまう。
「もうこの歳やしなぁ」て口にした瞬間、それは体やのうて、心が老けた証拠や。ほんまの老いっちゅうのは、年齢やあらへん。あきらめの言葉が根ぇ張ったときや。

挑戦せんようになったら、坂道は一気に下り坂や。
人生ちゅうのはな、墓入るまでずっと途中やねん。
歳っちゅうのは限界を決めるためのもんやのうて、味わいを深めるための時間や。年重ねてからの情熱は、ひつこいで、芯から燃えとる。
それが、人間がよう熟れた証や。魅力的や。

「無理や」と思う心が老いを呼び、「やってみよか」と思う心が若さを取り戻すんや。挑戦いうても、別に大それたことやのうてええ。
新しい楽器を手に取ってみる。
知らない分野の勉強をちょっとはじめる。
日記をつける。小さな一歩で、ええんや。

やり直す勇気、迷子になる勇気。
それがあったら、人間はいつまでも若いんとちゃうか?
いくつになっても、始める人は若いんや。
七十前にサックス始める? そらええやないか。
どんだけ若うても、あきらめた人間はもう老人や。
心が虚ろなやつほど、年寄りくさいねん。

歳いったらいったで、おもろなることは山ほどある。
ギターでも、サックスでも、ハーモニカでもちょっとずつでええ。
進歩があるうちは、自分を見捨ててへん。
妥協とか、あきらめるいうのは、自分を置いていくことや。

――せやからな、何歳になっても、始めたらええ。

人生っちゅうのは、終わりやのうて、つづきや。
死ぬまで迷子でええねん。


注)本稿に流れる思索の多くは、小林秀雄、三島由紀夫、福田恒存、会田雄次、石原慎太郎、西部邁といった先人たちの思想に学んだものです。彼らの言葉を糧にしながら、私は自分なりの生のかたちを探しているのだろうと思います。     

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2025年10月18日土曜日

「支援」という名の責任転嫁

 

帰国子女支援という言葉を聞くと、立派な理念に聞こえます。

しかし現実に向き合うほど、それが「支援」というよりも「責任の転嫁」になってはいないか――私はいつもそう感じます。

海外で育った子どもたちは、確かに多様な文化や価値観に触れ、広い視野を持っています。しかし、それは同時に「どこにも完全に属せない」という繊細なバランスの上に成り立っています。だからこそ、帰国子女支援は単なる「優遇策」ではなく、文化的摩擦や適応のプロセスを理解した上で設計されなければなりません。ところが実際には、「支援」という名のもとに、社会や教育現場が家庭の責任を肩代わりしてしまう構図が見えてきます。
 
どの国にも、その国のやり方やエコノミーがあります。

教育も生活も、制度も文化も、すべてが国ごとに異なる仕組みの上に成り立っています。したがって、自分が学び生活する国のシステムをできるだけ早く理解し、そのルールに適応して生きるしかありません。これは妥協ではなく、生きるための知恵です。その中で結果を出さなければ意味がありません。そうでなければ、それは単に負け犬の遠吠えになってしまいます。

そして帰国したら、今度は日本のやり方に合わせるしかない。ただし、すべてを盲目的に受け入れる必要はありません。日本の教育や教師の言うことの中に、どうしても納得できない部分や理不尽だと感じるところがあれば、そこに従う必要はない。むしろ、「どこまで合わせ、どこから距離を取るか」という判断力こそ、異文化を生き抜いた経験の中で最も磨かれる資質ではないでしょうか。

帰国子女支援という制度が、「社会のやさしさ」を装いながら、家庭の覚悟を奪っていないか。教育や支援という言葉が、現実の厳しさを覆い隠すための免罪符になっていないか。私はそこにこそ、もっと議論が必要だと感じます。

そしてこの問題は、帰国子女に限った話ではありません。

「支援」の名を借りて、社会的弱者や困窮者の足元を見て利益を得ようとする、いわゆる「貧困ビジネス」や、それに類するハイエナ的なビジネスが今も社会の片隅で蔓延しています。本来の目的は「助ける」ことのはずが、制度や理念の隙間に「儲けの構造」が生まれてしまう。支援のはずが、支配になり、依存を生み、やがては搾取へと転じる。

支援とは何か。

それは、与えることではなく、依存させないこと。そして、現実の中で自分の足で立てるようにすることのはずです。「支援」という言葉の美しさの裏で、誰かが利益を得ていないか――その問いを忘れたとき、支援はすでに、支援ではなくなっているのかもしれません。

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2015年7月5日日曜日

経験から勘を養う

会津に行ってきました

実践で鍛えるって大事です。それも魅力的な人たちの中で経験を積むことは非常に大事なことです。それは勘が養われるからです。 理論だけでは勝負の勘は養われません。勝った時の達成感や、負けたときの悔しさがないと駄目なのです。 

頭の良し悪しなんて、実は大した問題ではないのではないかと思うのです。 ほんの少しの違い、その違いは質と量共に充実した経験の積み重ねから来る勘です。

場数を踏んで勘を生む引き出しの数が多くなってはじめて自信のある言葉が生まれます。 だから、歳を取ってその人の雰囲気や魅力が出てくるものなのです。

















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2015年6月24日水曜日

いつまでも従業員感覚の日本


会社には様々な役割があります。 個人の役割はどう進化するのか? 国会やメディアでの国家意識の低い憲法や集団的自衛権の議論と同じで、ビジネスや仕事に関しても、大前提となる「資本主義とは何ぞや?」を見失った議論に終始しているのが気にかかります。 

欧米、特にアメリカでは、オーナーとして起業し、出来る限り短期間で会社を商品として売ることが一つの成功の目安となります。 通常、起業は複数の仲間と一緒に行うのですが、彼らの関係は任侠に近い横の関係です。 一方、経営者(officer:役員)は株主との主従関係、つまり、縦の関係です。

日本は経営者を含めて従業員感覚が大多数を占めています。 従業員のまま現役を終えるのも一つのオプションですが、若い学生さんたちにはオプションの幅を広くもって自分にはどの役割が向いているのか考えてもらいたいと思います(実は定年退職を迎えるお父さんたちにも)。

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2015年3月2日月曜日

就活に思ふ

企業も学生も完全に自由にすればいいと思いますが、、、。

就活中の学生さんには厳しい言い方かも知れませんが、果たして自由な就職活動を本当に欲しているのか甚だ疑問なのです。 自分の心を見つめることをしないで、ただ単に、就活騒ぎに便乗しているだけなのではないか?(企業も就活ビジネスを運営する会社もメディアも評論家も)。

本当に自分が何を欲しているかなんて、「アラ還」の私でも分からない。恐らく一生かけて自分を理解していく、大げさに言うと、それが人生では?


就活、3か月繰り下げ解禁…説明会入場制限も
2015年03月01日 23時36分 読売新聞
  • 就職活動の本格的な解禁を迎え、合同企業説明会に集まった大勢の学生たち(1日午後、東京都渋谷区で)=加藤祐治撮影
    就職活動の本格的な解禁を迎え、合同企業説明会に集まった大勢の学生たち(1日午後、東京都渋谷区で)=加藤祐治撮影2016年春に卒業予定の大学生の就職活動が1日、解禁された。


















経団連が定めた新ルールで、会社説明会の解禁が「3年生の12月」から3か月間繰り下げられ、学生にとっては短期決戦となる。すでに昨年中から本格的に動き出した学生も多く、解禁で活動を始めた学生との間で「二極化」も目立っている。景気回復を背景に企業の採用意欲は高く、例年以上に熱い就職戦線となりそうだ。

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2014年10月2日木曜日

自由を求める香港、自由を放棄する日本

リーダーは17歳の大学一年生(1997年生まれ)

中国共産党が行ったプロレタリア文化大革命の数千万とも言われる殺戮や、1989年の天安門広場の弾圧を知らない世代ばかりになると、つまり、世代交代し新陳代謝が起こると、共産党に対する恐怖心がなくなり、ついには中国も変わるかも知れません。

さて、共産党の脅威や恐怖がない日本ですが、何を恐れて新陳代謝が起こらないのでしょうか? いまだに60代70代の政治家が第一線で活躍しています。 今でも多くの学生さんたちは大企業に職を求めます。 自由がなくても、これからも、政府や会社の保護を求め続けていくのでしょうか?

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2014年8月4日月曜日

好きか嫌いか

昭和初期の巻尺が見つかった

人生の物差し(stick-yard)は特に難しいものではないと思います。 理念とか価値なんて言うからややこしくなる。 自分の美的感覚であり美意識、つまり、自分が好きか嫌いかなのです。 コンサルタント的に言うならば、それは人生に戦略性が有るや無しやということです。

便乗するばかりで、自分の物差しなんて考えたこともない知識人や有識者はいただけません。 コミュニケーション能力を高める議論は大流行です。 しかし、コミュニケーションの本質は「美意識と美意識の格闘」です。 自分の美意識が明確でないのに、他の美意識と格闘し新たな価値を創造するなんて出来ないですよね?

学生さんは長い夏休みですが、世間なんて完全に無視して(特に8月のマスメディア)、長年読み継がれてきた本の一冊でも何度でも読むことをお薦めします。  

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2014年5月16日金曜日

時代小説で学べること

『鎌倉河岸捕物控』と『酔いどれ小籐次留書』 シリーズ全巻

今から何十年も前、池波正太郎の時代小説に夢中になった時期がありました。 池波さんの小説はシリーズを通して出てくる登場人物が魅力的で、江戸時代の庶民の生活が生き生きと描かれています。 そして、池波さんの美意識が、小説の至る所に散りばめられています。

池波さん以降、もう何十年も時代小説から遠ざかっていたのですが、佐伯泰英という作家に出会いました。 佐伯さんの作品は構成が非常に良く考えられたエンターテイメントです。 池波さん同様に登場人物が魅力的で個性的です。 最近(平成)の創作なので、池波さんの時代小説とほぼ同じ時期の江戸が舞台になっているにもかかわらず、現代の様々な社会問題も江戸にタイムスリップさせて描かれています。 例えば、アルツハイマーになった老人を長屋のみんなで協力して面倒を看るとか(コミュニティのセイフティ―ネット)。 

『鎌倉河岸捕物控』というシリーズがあります。 学生さんや若いビジネスパーソンにお薦めです。

十手持ちの宗五郎親分と親分の下にあつまる多くの手先が大小さまざまな事件を解決していく物語です。 経験豊かな大人でリーダーである宗五郎親分が、若い手先をよく観察しながら一人一人の技術や個性を生かしながら人材を育成して行くのです。 宗五郎親分は決してスーパーヒーローではないのですが、思慮深いユーモアのセンスがある大人のリーダーなのです。 若い悩み多き手下たちの青春グラフィティと、それを見守る宗五郎親分や老舗の酒問屋「豊島屋」の主人である清蔵さんたち大人との掛け合いも参考になると思います。

エンパワーメント、コーチング/カウンセリング、リーダーシップ、、、、MBAで教わるようなことがいっぱい出てきますよ。

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2014年1月13日月曜日

成人の日


おい、チャーリー!  

ご主人様は、反抗の時期をもたないままに成人になった人間を信用しない。 反抗しながら自分を見つめて、そして、成熟した大人の犬になるのだぞ。

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2014年1月11日土曜日

自分の物差し


「自分の物差し」は、本人の美意識、つまり、自分だけの美学だから、東洋経済にも日経ビジネスにもダイヤモンドのようなビジネス雑誌にも載っていないのです。 理想は、自分だけのものであって、他人の理想や、本に書いてあるものとは違います。 


今日より明日はよくなる、より裕福になると、死ぬまで考え続けるのは間違っていますね。 失敗することもあるし、後退することもある。 しかし、そういった時でも精神的に強くあること(mentally tough)が大事だと思います。 それには、根拠がなくても自信や自尊心がないとダメです。 要するに、自分の美学を信じることです。

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2013年11月5日火曜日

読書について ~ 英語よりも大事なこと


『読書について』が新訳で出版されていました。

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」(本文より)。

頭の中の言語空間が広がらないうちに外国語を詰め込んだって、思考のベースラインを構築することはできませんね。 『読書について』は本を読むなと言っているのではなく、意義の有る中身のある本を何度も読んで、自分の思想を形成することが大事だと言っています。

学校を卒業したら、自由に本を読んで考える時間を見つけるのは難しくなります。 学生時代、貴重な時間を社会人の真似事で無駄にする必要はない。 きっと、学校やマスコミに仕向けられているのでしょうが、反逆する学生さんの出現を待望します。

いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。 なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方向から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ」(本文より)。

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2013年11月1日金曜日

コミュニケーションの基礎 ~ 英語よりも大事なこと


就職活動中の学生さんの中には、自分のやりたいことが分からない人が多く見うけられます(一般的なことだと思います)。 自分のやりたいことを知るには、色んな人とコミュニケーションして(人間交際)、自分をためしてみなければいけないのです。

コミュニケーションの基礎って、外国語を学習する以前に、こういったところにあるのではないでしょうか? 外国語がペラペラできても、信用される人間だと思われない場合、世界で仕事はできません。   

特定の組織やグループの中だけで、塩漬けになってはいけないということです。 

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2013年10月29日火曜日

引き出しが多い人 ~ 英語よりも大事なこと


ibgの新人教育で説明していることです。 

コンサルタントは、話し相手をみて、その場に相応しいネタを、タイミング良く、引出から出してこなければいけません。 英語や中国語のスキル以前の問題なのです。 普段の生活(仕事)スタイルからネタを収集する習慣を身につけることが大事です。 もちろん、たまにはネタの棚卸も必要ですよ。 不易(普遍的なもの)もあるし、流行のものもあるからです。  

ところで、世の中には、善玉と悪玉、二種類の頑固じじいがいます。 悪玉には要注意です。

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2013年10月26日土曜日

自信を回復するには?

自信を回復するには、チャレンジ(挑戦)し続けるしかない。 停まったら、自信は絶対に回復しない。 デフレスパイラルを脱するには、前向きに進み続けるしかない。 失敗も大きな前進です。


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2013年10月17日木曜日

意識から無意識に、、、、が重要


これは、ibgの新人教育で使っているスライドです。

若い時に習慣化する、つまり、無意識に行動するようにすることは重要です。 ただ、悪い習慣が身につくと、40歳50歳になった時に損をします。 その時に気づいても後の祭り。 上手に年をとる作業に失敗したということになります。

フィードバックの習慣を身につけたメンバーからなる組織は強いものです。 できれば、ポジティブなフィードバックがよろしい。 日本人組織の場合、フィードバックはネガティブで単なる批判になる傾向があるので、意識的にポジティブなフィードバックをするといいと思います。

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2013年9月6日金曜日

学生は不安に苦しんでいる


小林秀雄は、経験や実践を重んじました。 『僕の大学時代』という作品があり、以下のことを言っています。1938年頃です。

「現代の学生は不安に苦しんでいるとよく言われるが、僕は自分が極めて不安だったせいか、現代の学生諸君を別にどうという風にも考えない。不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎるのである」

今の学生さんたちは、経験や実践を軽んじている訳ではないのでしょうが、最初から安心を得るための方法だけを模索するのは如何なものかと思うのです。

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2013年9月3日火曜日

人生における成功者とは?

 

学生さんは、これから人生の第1コーナーに入ります。 人生は不可逆性ですので、トラックを何周もできない。 第1コーナーは、人生で一回きりです。


ibgは、会社のポリシーとして、「ゴーイング・コンサーン(going concern)」を掲げています。 継続して事業を行うという意味です。 実は、人生も同じなのです。 成功の定義は、人によって違うかも知れませんが、成功者って、死ぬまで成長を目指してチャレンジを続ける人だと思います(試練を乗り越え続ける人)。

だから、これから社会に出る学生さんたちは、何回もチャレンジする強い精神力と、40歳になっても50歳になっても60歳になっても、成長を続けられる土台を作ることが大事だと思うのです。

「今の日本人は周回遅れじゃないか(怒)」と団塊世代が批判します。 人生は不可逆性です。 周回遅れなんてないのです。 この世は「無常」なのです。 

現実を直視して、Seize The Day ! (今日を生きる)。

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2013年9月2日月曜日

400メートル競争の人生



「人生は無常であること」を忘れては、時間が無駄になります。

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2013年8月3日土曜日

基本はDNA

新盆の風景(奈良 西方寺)

人のベースは「DNA」と言われるものです。 

学校を卒業して社会人になると、社会的な制約で身動きがとれなくなります。 しかし、忘れてはならないことは、人間には「DNA」という身体的(生物学的)な制約もあるということです。 

私の体つき、目の色、髪の毛の色は決まっていて、能力(オツム)だって、それなりのものです。 無限の可能性なんてないのです。 過去から受け継いだ「DNA」が存在していて、それを現在の私が未来へと繋いでいくのです。 

大袈裟に言うと、そういったことが「生きる意味」なのかも知れません。 

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