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2025年8月24日日曜日

南京事件と歴史を語れない国、ニッポン

 

1985年 南京航空学院 大学の先生方と

中国で「南京写真館」というプロパガンダ映画が上映され、観客を集めているそうです。日本のメディアは否定的な言葉をほとんど発していません。BBCの記事('We were never friends': A massacre on the eve of WW2 still haunts China-Japan relations)を読んでも分かるように、歴史問題はいまだに政治とナショナリズムの道具として利用され続けています。

私自身、10代のころはご多分に漏れずやや左翼的で、本多勝一の『中国の旅』を読んで衝撃を受けました。しかし同時に、どこかおかしいという違和感も持ちました。やがて鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(1981年)に出会い、その後も検証本を何冊も読みました。1985年、仕事で南京を訪れる機会を得て、旧城内を歩き回ったときの実感からも、10万人単位の虐殺は物理的にあり得ないと確信するに至りました。南京事件を追いかけてきたのは10代のころからであり、以来、東京裁判と切り離せない問題だという認識を持っています。

南京事件、文化大革命、天安門事件。これらは本質的に同じものです。すなわち、中国共産党にとって都合の良い記憶は誇張され、不都合な記憶は消される。中国国内では文化大革命など教えられず、当時を知る人もすでに高齢となりました。天安門事件も同様です。だからこそ、国外で語り継ぐしかありません。

南京事件に関しては、アメリカでとくに議論になります。1997年、アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』がニューヨーク・タイムズのベストセラーとなり、多くのリベラル派ニューヨーカーがその影響を受けました(江沢民の反日教育とタイミングが一致しています)。しかし内容には数々の誤りがあり、多くの写真さえ捏造だと指摘されてもいます。アイリス・チャンは2004年36歳の時に自動車の中で謎の拳銃自殺をしました。

だからこそ、日本人としては反論できるよう、少なくとも10冊ほどは関連書籍を読み、歴史的経緯を把握しておく必要があります。南京事件を論じるときは、必ず東京裁判の性格や問題点も合わせて考えるべきです。なぜなら「南京大虐殺」という言葉自体、東京裁判の場で突然持ち出されたものだからです。

中国のプロパガンダ映画は、歴史を検証するための資料にはなりません。むしろ「歴史は未だ終わっていない」と感情をあおる役割を担っています。記憶と怒りを組織的に演出し、若い世代に「日本は敵だ」というメッセージを刷り込む。これは歴史教育の名を借りた思想統制です。そして残念ながら、日本のメディアはそれに真っ向から反論しようとしません。

私たちは南京事件の真偽そのものを議論すること以上に、「歴史を利用する政治のあり方」に警戒すべきだと思います。東京裁判、日本国憲法、日米安保の延長線上に、日本が「自らの歴史を語れない国」として固定化されてしまった。だからこそ、南京事件を論じることは過去の問題ではなく、今の日本の姿勢を問うことでもあるのです。

「友達だったことは一度もない」という中国映画のセリフは、歴史の断絶を象徴する言葉です。しかし、本当に断絶を招いているのは、日本人の記憶力の弱さと、歴史に向き合う覚悟のなさではないでしょうか。南京事件の「真実」に迫ることは、中国のプロパガンダを打ち破るためだけではなく、日本人が自分自身の足場を確立するためにも不可欠なのです

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2025年4月10日木曜日

アメリカの狙い

 2001年8月に作成した中国に関するビジネスプランの資料の一枚です。私のニューヨークから上海への異動は2002年の夏でした(アメリカ同時多発テロ事件により一年延期された)。

Turning Point は2001年12月11日の中国のWTO加盟にあります。アメリカは中国を自由化してしこたま儲けてやろうと企てていました。私がNYから上海に異動したのも中国のWTO加盟により中国でコンサルビジネスが盛んになるという目論見から来ています。

このスライドを作成した意図は当時の会社幹部(アメリカ人)に「WTO加盟で中国は変わるのか?」という問いかけです。私なりのリスクヘッジでした。25年経過したいま振り返ると、アメリカの思い描いた理想通りに中国は変わらなかったことは明らかです。中国の国家資本主義を発展させただけでした。 

アメリカは(トランプというよりも次世代リーダーたち)アメリカの産業構造を転換させて国内で生産できる国への転換をしたいと思っています(Rust Belt の再生)。2000年当時の全世界的な自由貿易ではなく、アメリカとアメリカに同調する国 vs. 中国と中国に従う国の2分化を考えていると思います。25年前の反省から。

トランプが日本の首相との電話会談後にSNSで発したコメントの最後の「すべてを変える必要がある、特に中国に関しては!!!」の意味するところだと思います。 

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2023年2月22日水曜日

上海の友人との再会

薬師寺境内で自転車の練習(昭和34年頃?)

40年来の上海の友人Q君と3年振りに会いました。

最初に会ったのは1981年の上海でした。42年が経って、私も変わっているしQ君も大分変わっています。私は20年ほどアメリカにいたし、Q君は日本の商社から日本の自動車会社に転職し20年近く日本の地方都市にいました。今回は定年退職後の嘱託期間も終え本社に挨拶に来たそうです。

40年でアメリカ、中国を始めとして世界情勢は大きく変わりました。日本は失われた30年の低迷は未だに継続中です(私は30年ではなく150年以上の迷走だと思うのですが、、、)。

私もQ君も自分の国を離れて他国で暮らした期間が長い。ウクライナの事、習近平の事、アメリカの今後、台湾の事、日本の現状 等々、多くのことを話しました。あっという間に3時間が過ぎたのです。お互いに変だと思う事、意見が合わない事も多々ありました。でも2人とも相手の意見を排除する不寛容さよりも寛容さが勝つ年の取り方をしていたので安心しました。

2010年のブログですが、内容は1996年のQ君との会話です。


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2020年2月21日金曜日

カミュのペスト


1947年

武漢肺炎の件でカミュの小説『ペスト』を思い出しました。

カミュは不条理が人間を襲う事を書いています。今回の武漢肺炎も不条理です。不条理は絶望的状況とも言えます。武漢肺炎終息のメドはたっていませんが、これまで亡くなった方々を犬死させないためにも備忘録として書いておこうと思います。

中国人も日本人も現実を直視せず不条理に慣れきっていなかったか? 
虚無的で責任回避の事なかれ主義に陥っていなかったか? 

ここ20年の中国を見ていると一部日本の高度成長期と共通する問題が見えます。短期的で急激な経済の発展や日々の利便性の向上(too much, too fast)で自分を誤魔化している。国民は自己中心的になり、根本原因である不条理な共産党に慣れてしまった。一方、30年間経済が停滞する日本はどうか? 日本人は満ち足りたゆる〜〜い過保護な社会(comfort zone)に慣れてしまった。コンフォートゾーンは文字通り「居心地のいい場所」という意味です。日本は不安が極度に少ない居心地のいい場所なのです。居心地のいい場所に居続けると人間は成長しません。茹でガエル状態です。

カミュは「ペストと戦うには誠実である事が唯一の武器であると言います。絶望(不条理)に慣れることは絶望より悪い。絶望から脱出する事を考えなくなり時間の囚人になる」と言っています。中国社会(上流の数億人?)も日本社会も同じような問題に直面している。不条理への反抗は連帯しかない。今の状況を忘れない。死者を忘れないで記憶すること。

高校生の時は理解できなかった難解な小説も年をとって少しは理解できるようになったか、、、、。 武漢肺炎がいち早く終息することを望みます。

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2018年12月31日月曜日

アメリカ依存を強めるニッポン


「日米安保条約を維持すべき」米世論調査で14ポイント下落 
2018年12月31日 7時05分 NHK ニュース

2018年11月27日火曜日

台湾は日本と似ている ~ 孤独に耐える力 ~

台湾統一地方選:野党国民党が大勝、与党率いる蔡英文総統に暗雲

Bloomberg News
Pro-China Party's Big Win in Taiwan Puts Tsai Future in Doubt
2018年11月26日 7:21 JST

独立なんて大変そうだ。習近平に取り込まれるのも嫌だ。国家と認められなくても今のままがいい、、、、。どこかの国と似てますね。

中国共産党は「日本はアメリカの統治領から中国の統治領になるべきだ」と思っていることを、日本の政治家や官僚には肝に銘じてほしい。共有できる価値観なんてないのです。日本はアメリカとも価値観が違いすぎる。

要するに、日本は孤独に耐える力を養うしかない。

ハンチントンが『文明の衝突』(1996年)で「日本は第八の文明だ」といった通り、元々独立した文明といえるのだから自信をもって孤立すればいい。戦後体制からの脱却とは日本人が洗脳から覚醒して独り立ちすることです。

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2018年4月16日月曜日

グローバル化の基礎は国語

ibg上海オフィスからコンサルタントが2人来日し終日の会議です。

ibg社内の会話は日本語と中国語と英語のミックスですが、特にそのことを意識はしていません。それぞれが自分の母国語をちゃんと書けるようになればいいと思っています。

自分の「国語」を書くのは難しい。グローバル化の基礎は国語力なのです。それは、思考のベースは自分の国の言葉、つまり、国語だからです。基礎となる土台を欠いてはクロスボーダーの仕事はできないということです。 

伊藤忠 中国語話者が総合職の3割、1000人に到達 

日経新聞 2018/4/13 20:19

伊藤忠商事は13日、中国ビジネス拡大のために進める人材育成で中国語話者が1000人に達し、東京本社で記念集会を開いた。総合職社員の3割にあたる。日本企業が抱える中国語人材の人数では最大とみられる。
中国語を勉強した約700人を前にあいさつする岡藤会長
中国語を勉強した約700人を前にあいさつする岡藤会長

集会には社員700人が参加、中国の程永華駐日大使らが来賓として出席した。岡藤正広会長兼最高経営責任者(CEO)は冒頭で「日本中の会社を見渡しても、1000人が中国語を話せる会社は例を見ないはず。円滑なコミュニケーションで中国ビジネスを拡大したい」と話した(日経新聞の記事より)。

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2017年10月18日水曜日

REUNION

六本木 全聚徳

1984年、当時私が勤めていたアメリカのコンピュータメーカーが中国法人を設立しました。アメリカや香港から中国系の社員が北京に集められ、日本からも主に技術系のスタッフが参加してスタートしました。

夕べ、その当時のメンバーが六本木に集合しました。Van と Sandy は20年ぶりの日本。現在はフランスのパリに住んでいます。Van は北京時代の私のアドバイザー。強~~いベトナム人女性です!

最後に彼等に会ったのは1990年。アメリカはコネチカット州の彼らの自宅、家族で夕食に招待してもらった時でした。その後、彼等は同じ会社のFrance法人へ。私は2002年に上海に移るまでUSに残りました。Van には電子メールの書き方や、アメリカ人とのビジネスのイロハを教わりました。1984年、電子メールで仕事をするなんて全く一般的でなく、私が勤めていた外資系の会社も日本法人だけは、まだまだ電子メールは一般的ではなかったのです(ラップトップのパソコンが登場したのは1990年頃で、インターネットの普及は90年代の半ばです)。

周りの人たちが優秀であれば、自分自身は少々ボンクラでも何とかなるという事を、再確認する 夕べのreunion でした。振り返ってみると、私のキャリアは当時から今に至るまでいつもこうだったのです、、、。

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2017年2月20日月曜日

木犀肉(ムーシーポーク)



友人が中国東北地方特産の木耳(きくらげ)を持ってきてくれました。さっそく木犀肉(ムーシーポーク)を作ってみました。本場のきくらげで作ると木犀肉も本物の味に近くなるものですね。非常感謝了!


北京市の西郊に木犀地という地名のところがあります。

中国の国家統計局・国家計画委員会のデータセンターはこの木犀地にあり、1980年代の前半は頻繁に足を運びました。当時、ビルの横に小さな河が流れ金木犀が咲いていました。釣りをする人がいたり、橋のたもとには餃子の屋台が出て、統計局の人たちと一緒に餃子を買いに行ったものでした。2001年、15年ぶりに北京を訪れたときには、高層ビルが林立し高速道路も走り、舗装されていない金木犀の咲く川沿いの道は影も形もなくなっていました。

木犀肉の木犀(ムーシー)は金木犀の花。「卵の黄色が金木犀の花の黄色と同じことから、きくらげ・ほうれん草・豚肉・卵の炒め物を木犀肉というんだよ」と、統計局の中国人に教えてもらいました。

明治維新からの日本の近代化には大いに問題があったのでしょう。しかし、1980年代後半から今に至る中国の現代化は更に大きな矛盾と問題をかかえています。「文化は、物が変化する様には決して変わって行くものではない、人間が成長する様に発展して行くものだ」と言ったのは小林秀雄ですが、果たして、近代から現代の中国には小林秀雄のような人生を語る思想家は存在するのでしょうか?

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2016年11月20日日曜日

祭りのあと

能動的で、あくまで主体性の強いチャーリー

魯迅は「阿Q正伝」の中で中国人の自尊心の強さや主体性の無さに警告を発しました。 世界が第一次世界大戦に突入するころです。主人公の阿Qは、革命が何かも知らず「革命、革命!」と唱えれば革命が起こり、何かいいことがやってくるような気がして、とうとう何も解らないまま処刑されてしまいます。

「人間の世の中はもともとこんなもんで、時には首を斬られなければならないこともあるかもしれない」。

自らの「運命」に責任を持つのが近代国家の国民なのですが、阿Qには全くそうした意識がない受動的な人生です。 魯迅は当時の中国の状況を見て痛烈に批判し告発したかったのでしょう。 魯迅は愛国者だったのです。

アメリカ大統領選が終わりました。 祭りのあとです。

民主主義の成れの果てが専制であり全体主義に陥る危険性を含んでいることを世界が理解したのではないでしょうか? 自由と平等が実現できない場合、つまり、明らかに格差が開きすぎた場合、為政者は国民の不平不満を何とかしなければなりません。 そうして辿る道が専制や全体主義なのです。 これは、もちろん私が言い出したことではなく、ギリシャの哲学者プラトンの言葉です。道理でアメリカではギリシャ哲学は人気がない、、、、。

さて、トランプさんは反エリートの期待に応えることができるでしょうか?

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2016年5月11日水曜日

自信のあるホルモン屋


「放(ホオ)るモン」(捨てるもの)でも鮮度に自信がある三鷹のホルモン屋さん。 自信があるっていいですね。 店員さんも胸をはって元気がいい。

昭和29年に評論家の福田恆存は「アメリカは貧しい」と言いました。

私は2001年8月に14年ぶりに香港、上海、北京を訪問して、「中国は1980年代に比べて貧しくなった」と感じました。それは、物質的な生活がいかに豊かになろうと、精神的な安定は得られないと感じたからです。 「神」や「お天道様」がいない中国の物質文明は危険だし、多民族化が行き過ぎて「神」の力が弱まったアメリカも危ない。 そして、自信をなくし「お天道様」が隠れ始めた日本も同様に危険なのです。


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2016年4月9日土曜日

神様の使いに対する冒とく

なぜかスーツケースを持って散策する観光客

久しぶりに奈良公園を散歩しました。 東大寺の南大門まで行ったのですが、それはそれは大変な事態になっていました。

外国人観光客ばかりのなか、ひときわ目立ったのが中国からの観光客です(私は中国語を理解するので、台湾と大陸の発音や広東語上海語北京語の区別はつきます)。 中国人観光客は奈良の歴史には全く興味がなく、鹿だけを目当てに奈良公園にやって来ると聞いていました。

死亡した鹿の胃から大量のビニールが見つかったという記事を目にしていたのですが、自分で実態を検証することができました。 神様の使いである鹿に対して傍若無人としか言いようがない。 写真撮影をするときに鹿のクビを羽交い絞めにして、否、ヘッドロックをかけて自撮りしている。 信じられますか? 150円の鹿せんべい代をケチっているのかどうかは知りませんが、鹿せんべいの代わりにティッシュペーパーやチラシを鹿に与えている。ヤギと間違っていないか?

不祥事の元祖、悪名高き奈良市役所なんかに任せるのではなく、日本政府が伊勢サミットで議題にするなり、グリーンピースに献金してクジラやイルカと同様に鹿も保護しろと手を回すか、、、とにかく早急に手を打つべきです。














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2016年1月26日火曜日

2016年 世界はどうなる?

またヘアカットに連れて行かねば

1912年から1926年までが日本の大正時代です。

今の中国は以下の点で第一次世界大戦後の日本によく似ています。

① 格差の問題(農村と都市の格差)
② 投資でなく投機(成金の発生)
③ 粗製乱造(生産過剰)
④ 倫理観の欠如

当時の日本は、アメリカに従属せず独立を保とうとしていたのですが、世界情勢を読み間違えました。 そして、軍部が台頭し破滅へと向かったのです。 当時の日本は民主(民本)主義の国でした。 だから、民意が戦争へと駆り立てた部分もあると思います。

中国の場合はどうでしょうね? 中国は核弾頭を持った独立国家だし、当時の日本よりも世界情勢を読む力はあるのだろうと思います。 ただ、民主主義ではない、つまり、今の共産党政権は民意を代表していない。 人民解放軍の暴走はあるのか? 習近平さんの舵取りは極めて難度が高いと思います

摩訶不思議な国際社会で大人になるって難しいですね。 日本はりかけて失敗したままだ。 さて、誰にも従属しない中国共産党政権は大人の国家として認められるか? 今年が勝負だと思います。 日本だって「半分国家」を続けるか、それとも覚悟を決めて一人前になるのか? 日本や世界の運命に大きく影響を与えるアメリカ次期大統領も決まる年でもあります。 申年の2016年は目が離せない一年になりそうです。

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2015年9月9日水曜日

つけまつける

習近平



胡錦濤

中国の抗日70周年パレードは凄かったですねぇ。 国会議事堂前に集まっている人たちは、どう思ったのでしょう?

私が注目するのは、第一汽車製造の中国製リムジン「紅旗」です。 胡錦濤が乗っている紅旗は、習さんの紅旗と同じように見えますが、どうでしょう? (ただし、胡錦濤さんは習近平と違って、ちゃんと右手で敬礼しています! 習さんは左手で敬礼しました)。


最新型の紅旗のヘッドライトはかわいいのです。 つけまつげをつけているようで、きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」を思い出してしまいました。










ibgの中国人コンサルタントもそうですが、中国の若い人の見方は実に冷静で、日中両国のリーダーたちの本質を見抜いています。 中国に媚びへつらうだけの日本の政治家は評価されないのです。 恐らく、アジアの他の国も同じでしょう。 EUもアメリカもアジアも、強いリーダーの不在が世界を混沌とした状況にしているのだと思います。

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2015年8月20日木曜日

人として大切なこと

奈良の人力車には「奈良まちしぐれ」の手拭いが

年をとったら出しゃばらず 
   憎まれ口に 泣きごとに
  人のかげ口 愚痴言わず
  他人のことは褒めなはれ
  聞かれりゃ教えてあげてでも
  知ってることでも知らんぷり
  いつでもアホでいるこっちゃ

中国語に「修身養性」という言葉があります。 昔々の中国で、絵を画いたり楽器を演奏したりして情緒を育み、人間力を高めることを指します。 10年近く前、ibgの上海オフィスを開いた頃、大学を出たばかりの中国人新入社員に「修身養性」の話をしたことがあります。 コンサルタントを目指す若い中国人たちに「そんな古いこと言われても、、、」と一笑に付されました。

その中の一人 A さんが子育てのために退社することになりました。 この10年近くの間にボーイフレンドを見つけ、彼と一緒にマンションを買い、結婚をして子供が生まれました。 東京のプロジェクトで中延(品川区)にアパートを借り一年間滞在したこともあります。 仕事を終えて彼女が無事上海に帰国した時は、プロジェクトの成果よりも彼女の帰国のほうがホッとしたものです。

10年が経ち、今となれば果たして私に「修身養性」を語る資格があったのか気にかかります。 しかし、人として大切なことは、死ぬまで修行が続くということを自覚し、他者に対しても寛容であるということで、私はそう思うことで自己正当化しましょう。

A さん、幸福順利!

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2014年12月24日水曜日

帰属意識

チーム・ビルディングのための夕食会(上海)

プロジェクトの現場が活性化している ibg を見ると、日中混成チームでも会社への帰属意識が少しずつ醸成されて来ていることを感じます。 8年かかってやっとです。 「起業」って、ビジネス書が言うよりも時間がかかるのです。

組織への帰属意識は、現場を支える重要な資産で、組織としての能力を維持し高めて行くためにとても大事な礎となるものです。

また、クロスボーダーの混成チームを引っ張っていく現場のリーダーに必要なスキルは、「ユーモアのセンス」です。

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2014年12月18日木曜日

自分の目線を信じる







上海の湖南料理

年とともに、「暑さ」、「寒さ」、「辛さ」に弱くなります。 夕べは「寒さ」と「辛さ」の両面攻撃でした。 上海は更に格差が広がり、「自分だけ」の人たちが暴走しています。

中国だけでなく、世界の雲行はますます怪しくなってきました。 もういいでしょう、世界各国の餌食になるのは。来年からは、自分主体の目線を信じましょう。 日本は決して「自分だけ」にならないと思いますよ。

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2014年11月1日土曜日

正統性があるかないか

奈良 薬師寺の土塀

中国の専制独裁は短期で終わるでしょうね。 今はインターネットがあり、情報をコントロールするのは難しい。 専制は昔よりも長続きはしないと思います。

中華人民共和国は1949年に成立以来、一度も国民の信任を受けていない政府なのです。 当然のこと、支配者たる正統性(legitimacy)はない。 この「正統性」というのが重要で、世界の国々はそのことをよく承知しています。 

日本は伝統とか独自性を基礎として、人間の共通性の領域に到達していることを認識しておけばいいと思います。 歴史上の連続性を根拠とした伝統の正当性があるということを。

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2014年10月18日土曜日

香港の民主化運動

(BBC News より)

1997年の香港返還が発表されたのは1984年です。 当時、北京にいた私は香港人の同僚と仕事をしていました。 香港に行く機会もあり、香港は大好きな「場所」でした。 84年の発表があると、私の同僚たちはカナダやオーストラリア国籍を取得し、国籍を替えた上で香港にもどり、大陸(中華人民共和国国内)で仕事をしていました。 当時の多くのインテリ層がとった行動です。

今回の香港に民主化運動の中心は17歳の学生たち。彼らは香港返還の1997年の生まれで、共産党による大虐殺であるプロレタリア文化大革命は知りません。 また、1989年の天安門事件も全く知らない(当然、学校でも教えない)。 恐怖を知らない、世代交代した世代が香港から北京を動かすか、それとも、権力維持のために最後は武力で徹底的に制圧されるのか? 

日本のメディアは相変わらず表面的です。 以下は、香港と中国に多少かかわってきた私の感想です。
  • 習近平主席は、最悪の混乱を避けるためには、共産党政権支配の継続が必須だと思っているのだろうが、専制政治というものは長期化しない。一党支配を支えるべき人心があちらこちらで離反している現状を見ると、権力で押さえるのは限界ではないだろうか?
  • 香港は1989年の天安門事件とは違う。香港はビジネス最優先に考える土壌で、民主主義よりも「お金」が大事。民主運動を率先する大学生(高校生)と一般大衆(商業者)が一体化していない。
  • ただし、香港という東西の「際」での騒動は、世界に筒抜けになった。 これは、北京にとって大打撃である。 したがって、今回の民主化運動の意味はあった。
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2014年10月2日木曜日

自由を求める香港、自由を放棄する日本

リーダーは17歳の大学一年生(1997年生まれ)

中国共産党が行ったプロレタリア文化大革命の数千万とも言われる殺戮や、1989年の天安門広場の弾圧を知らない世代ばかりになると、つまり、世代交代し新陳代謝が起こると、共産党に対する恐怖心がなくなり、ついには中国も変わるかも知れません。

さて、共産党の脅威や恐怖がない日本ですが、何を恐れて新陳代謝が起こらないのでしょうか? いまだに60代70代の政治家が第一線で活躍しています。 今でも多くの学生さんたちは大企業に職を求めます。 自由がなくても、これからも、政府や会社の保護を求め続けていくのでしょうか?

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