2013年12月31日火曜日

かやくごはん


チラシ寿司、ばら寿司、五目寿司、まぜごはん、かやくごはん、、、。

関東では「チラシ寿司」というと、寿司ネタをすし飯の上に散らして載せたもので、西日本で言う「ばら寿司」も「チラシ寿司」というようです。 つまり、チラシ寿司には2種類あるようです。

私は関西で生まれ、九州と関西で育ったのですが、チラシ寿司やばら寿司というよりも、「五目寿司」のほうが聞きなれています。ちなみに、「かやくごはん」の「かやく」は、「加薬」と書き、漢方薬の効果を高めるために薬を加えることを言うのだそうです。 これは関東でいう炊き込みご飯ですね。

慌ただしく毎日を過ごしていると、自分で考えることをせず、永遠に幼稚なまま時間だけが過ぎて行きます。 2013年も最後の一日となりました。

よいお年を!
         
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2013年12月28日土曜日

舟を浮かべたいくらい綺麗な青空

実家の庭に山茶花が咲いていました

先週の上海のPM2.5200300。 まともに息もできない状況でした。 

軍事よりも人工衛星よりも安倍さんのことよりも、自国の大気汚染に全力を集中してもらいたい。 でないと、地球が滅亡する。 舟を浮かべたいくらい綺麗な青空にしてください。今から始めても何十年もかかるでしょう。

太宰治の『新郎(はなむこ)』は、1941年128日の日米開戦の日に書かれたものです。 太宰の『新郎』は、先日読んだ百田尚樹『永遠のゼロ』の凝縮版のような小説です。 イメージと違って、太宰治には読後に人を前向きにする文章って結構あるんですよ。

新郎

太宰治

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮べたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという程の意味である。

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2013年12月27日金曜日

永遠のゼロ



昨日、百田尚樹の『永遠のゼロ』を読みました。
この作家の本を読むのは初めてで、300万部も売れたというので読んで見ました。

戦争体験者に今の日本の若者がインタビューする設定だったので、先の戦争に対する現代人の無知と、戦争体験者の思考との対比がよかったのでしょう。 この作者は、『失敗の本質』を参考にしていると思います(巻末の参考文献リストにはあげられていませんでしたが)。

http://ibg-kodomo.blogspot.jp/2010/05/blog-post_11.html (『失敗の本質』のブログ)。
 
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2013年12月25日水曜日

百合根


昨日、スーパーで百合根を買いました。

子供のころ、7年前に亡くなった母親が、「茶碗蒸し」の具や「卵とじ」にしたりと百合根を使った料理を作ってくれました。 私は特に好物だったという訳ではありませんが、冬になり正月だというと何となく欠かせない食材です。

スーパーのレジで、若い女店員さんが百合根を手に取り眺めながら、なかなか金額をレジスターに打ち込みません。 しばらくして、「これはカブでしょうか?」と聞かれました。「最近は食べないのかね、、これは百合根といって茶碗蒸しなんかに入れると美味しいんだよ。 試してごらん」と答えました。

百合根なんかも、世代が交代して消えゆく文化なのでしょうかね?

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2013年12月23日月曜日

空気が有難い日本の朝

今朝の東名浜名湖SA

思いっきり呼吸ができる日本の Nippy Morning ! 

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2013年12月21日土曜日

PM2.5は300!


中国の大気汚染の深刻化を受け、日本でも関心を集めている汚染源の微小粒子状物質「PM2」。 金曜の朝、上海の中心地 静安寺のPM2の値は300です。 これまで比較的無頓着な中国の若者も、さすがに挨拶代わりに空気の話をします。

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2013年12月19日木曜日

中国語でいう「覚悟」

ibg上海オフィスの玄関

日本人でも中国人でも国籍は問わないのですが、一つの組織を立ち上げてビジネスを継続する場合、相手に対する根本的な信頼がなければなりません。 しかし、その信頼は将来的に相手に裏切られないということを意味しないのです。 裏切られない率を三割くらいに考えておいたほうがよろしい。 それが覚悟というものです。

中国語で覚悟は「承諾」と言います。 中国語で「覚悟」というと、責任を伴わないそうです。 責任を伴う、日本語で言う覚悟は「承諾」です。

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2013年12月16日月曜日

谷島さんの著書 ~ 我々は適応異常に陥っている

『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国~「経営と技術」から見た近代化の諸問題』

先日、W大学のOさんと、日経BP社の谷島さんに会ってきました。 上の本を12月に出版されるそうです。 早速、読ませてもらいました。 私は若い人に「第2章」を読んでもらいたいですね。 夏目漱石や福田恒存、そして、吉田満さんまで登場します。

「個人の弱さ」、「立体感、距離感が乏しい日本人」は、まさに的を射ています。 福田恒存もどこかで書いていたと思いますが(40年程前)、自分の立ち位置が理解できていない。 特に、スマホやゲームが発達した現代では、他者に興味がないから、他者との距離感、自分の立ち位置なんてどうでもいいのでしょう。

学生さんたちには嫌われる発言ですが、あえて言わせてもらうと、どうも最近は「美意識」に欠ける人が多いように思います。 自分自身の美的感覚が弱い。 自己本位でない、自分の物差しがない、つまり、自分自身に対するイニシアチブ(initiative)と決断力(determination)がないという印象があります。 ついでに、夏目漱石のようなユーモアのセンス(sense of humor)も、、、。

谷島さんの本と夏目漱石を読むと、漱石が明治の末期に訴えたかった自己本位ということが、何となく分かると思います。 また、「我々は適応異常に陥っている」のは、明治だけではなく、福田恒存が考えた敗戦後の昭和も同じ、そして、平成25年の今でも同じだった訳です。 大きな問題は、今の日本に漱石や福田恒存のような知性の存在がないということでしょう。 学生さんに期待です!














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2013年12月12日木曜日

家庭の意義


1963年12月12日 60歳の誕生日に小津安二郎はなくなりました。 欧米の映画人が小津映画を好むのは、小津安二郎の美意識でしょう。 この美意識こそが日本人の思想であり、恐らく、今の日本からどんどん無くなって行く日本の文化かも知れません。 

生涯家庭を持たなかった小津さんは、自分の人生と映画の世界のギャップを楽しんでいたのかも知れません。

上は、少し前にブログで取り上げた人生トラックのスライドですが、今の日本は第一コーナーに入るまでのホームストレッチに大きな問題があると思います。 すなわち、家庭を重視しないで、人生の第一コーナーから第二コーナーに入っても、遅かれ早かれ行き詰まるか、修羅場を上手に乗り切ることは難しいといううことです。 

家庭に対する愛情や貢献、または、束縛に耐えられないのに、どうやって社会でやっていけるのでしょう。 ましてや、価値観の大きく違った外国で仕事などできるはずがありません。

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2013年12月11日水曜日

再び、「自由とは?」


そもそも、「自由」なんて意識しないのが日本人でしょう? 「自由には覚悟が必要」なんて発想はありません。 「自由なんて、生まれながらにして保障されている」と考えるのが、通常の日本人だと思います。 

自由の意味を十分に理解した上で、意識して自由を放棄している人もいるのだろうと思います。 また、自由なんて意識したこともなく、理想のイメージ(Vision)を欠き、めくらめっぽうに目先の能力を獲得しようとする人もいるでしょう(例えば就活の一環として)。

自由であることを望んでいる人ですが、100%自由な人っていないと思います。 何らかの制約を受けているのです。 しかし、自由になりたい人は、自分の自由度を高めるために、(Visionに向かって)能力を獲得し、成功しても失敗しても、自分自身で責任を取る覚悟がある人だと思います。

会社組織も同じですし、国家なんかも基本は同じだと思います。


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2013年12月7日土曜日

男としての人生


全く忘れていたのですが、1年以上前に図書館で予約した本が利用可能になったので、早速取りに行って読んでみました。      

木村久邇典著 男としての人生 - 山本周五郎のヒーローたち 』という本で、今では絶版となっています。 俳優高倉健さんがお気に入りの一冊として持ち歩いているということで、中古でも数万円のプレミアムがついている本です。

かなりワクワクと期待していたのですが、山本周五郎作品からの抜粋が、全体の大部分を占めるという構成で、かなりガッカリしました。しかし、高倉健という役者の生き方は何となく分かったような気がしました

高倉健さんは、第一の人生である実の人生以外に、映画の中で、第二、第三、第四、、、の人生を生きて来ました  映画の中の人生のほうを全面に出して、より実存感を持って自分のイメージをブランド・マネージしてきたのでしょう。 衆からすると、映画の高倉健さんを高倉さんとして見るわけですが、高倉さんご本人にしたら、実人生と役との間の距離感を楽しんで来たのかも知れません。

山本周五郎という作家は、小説の主人公を通じて自分の実人生と小説の中の虚構の主人公とのギャップを楽しんでいたのだろうと思います。 小説の主人公を通して自分の人生のVISIONを語ったのかも知れません。 

高倉健さんが『男としての人生 - 山本周五郎のヒーローたち 』を愛読書としたのは、高倉さんの映画に対する姿勢と、山本周五郎の小説に対する姿勢が一致していたからではないでしょうか? 『男としての人生 - 山本周五郎のヒーローたち という本に感動して持ち歩いていたというのではないと思います。
   
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2013年12月5日木曜日

豚そば



何を血迷ったか、、、、、 濃厚な豚骨醤油ラーメンは、元気でテンションが相当にハイでないと完食はできません。  

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