2010年5月30日日曜日

上海市静安区の愛国学校

中国では『中華人民共和国義務教育法』の規定に基づいて、9年制の義務教育制度が行われています。小学校および中学校が義務教育です。


上の写真は、弊社上海オフィスの近くにある「愛国学校」という公立中学校です。毎朝の朝礼では全校生徒が運動場に整列し、国歌斉唱と国旗掲揚を行い、全員で体操(中国版ラジオ体操)を行います。上海のほとんどの小中学校で普通に見られる光景です。

我社の3人のインターンをつかまえて、中国の教育問題について聞いてみました。

3人のインターンは、上海の一流大学の4年生で、来月卒業予定です。問題なければ卒業とともに我社に入社します。全く物怖じしない、非常に優秀な若者達です。中国では一流の大学を卒業したからといって、規模の大きい有名な企業に職を求めるとは限りません。弊社のような、吹けば飛ぶような会社でも、インターンシップに対する応募は100名近くありました。

3人のうち2人は、上海に戸口(戸籍)がないので、我社が保証人となります。中国では戸口がないと社会的なサービス(医療、教育など)は受けられません。戸口の移動は、就職による移動が基本です。戸口は、公安(警察)によって厳格に管理されています。また、上海でさえ城市(都市)戸口と農村戸口の別があり、両者には大きな格差が存在し問題になっています。

インターンが考える3つの大きな教育問題:

  1. 教育の機会が不平等である(全国で統一されていない)。例えば、人口が多い省にもかかわらず、重点大学への定員枠が少ない。

  2. 教育の目的が功利的である。学生にとって学習の目的は、一流大学に合格すること、給料の良い仕事に就くこと、より多くのお金を稼ぐこと。教師や役人にとっては、教育が自分たちの仕事の評価対象(業績)としてしか考えていない。一般の人にとって教育とは、ビジネスの機会としか見ていない。

  3. 成績至上主義である。多くの中国人は、勉強ができること、つまり、学校で良い成績をとることが人生唯一の成功の道だと思っている。したがって、受験戦争、詰め込み教育が過激である。「万般皆下品,唯有读书高」は、封建時代、士農工商が存在したときの言葉で、勉強だけが「士」に通じる、つまり、成功する手段だという意味です。 中国語で「下品」は日本語で言う「下品」と違って、ランクが低いという意味です。

何だか日本に近いですね。中国と韓国と日本はよく似ています。激しさという意味では、中国と韓国は非常に近い。アメリカと考え方が違うのは、アメリカには士農工商なんていう封建時代が存在しなかったからかも知れません。


***

2010年5月29日土曜日

日本沈没?

夕べ、上海から帰ってきました。

上海浦東空港も成田空港も混んでましたね。日本に行く中国人の団体や中国から帰国する日本人のお年寄りの団体が目に付きました。

朝から自分でいれたコーヒーは旨い。何も特別なコーヒーではないんですよ。言いたいことは分かっていると思いますが、、、そう、日本の水がオイシイのです。

たった1週間いなかっただけなのに、日本は大変なことになっていました。どこまで沈んでいくんでしょうね、、、。

国家は国民のために何をしてくれるのか? 国民は国家に対してどういう義務を負うのか? 中国、朝鮮半島、台湾、ロシアと、厄介な位置にある、資源のない日本が生き残るには何が必要なのか? これら根本的な問題を問い直そうという政治家、国民、マスコミっていないんでしょうかね? 私みたいな老百姓(ラオパイシン)が考えることじゃないんですけど。

防人の時代から東アジア情勢なんて大して変わっていないのでしょう。防人の発想がない今、日本列島を捨てて、華僑ならぬ「日僑」か「和僑」として世界で生き残りをはかるのでしょうか?これって、まさに小松左京の「日本沈没」?

朝は、トマトをスライスしてオープンサンドにしました。
日本のトマトはアメリカよりも中国よりも圧倒的に美味い!

***

2010年5月26日水曜日

北朝鮮館で将軍様のバッチは売ってなかった。。。

入場ゲートは入場者よりもセキュリティの数が多い

昨日、仕事の合間に上海万博を見てきました。会場には一時間ほどいただけです。入場時のセキュリティチェックでも並ぶ必要もなく、1970年の大阪万博のような活気もあまり感じられませんでした。ウィークデイのせいなのか、それとも会場がだだっ広いせいでしょうかね? 「強制的に連れてこられたボランティア」の学生達も手持ち無沙汰の様子でした。

日本など代表的なパビリオンの入場待ち時間は3時間以上でした。私は先頭を切って北朝鮮パビリオンへ。想像通り待ち時間ゼロ。将軍様のバッチが欲しかったのですが、売店にはありませんでした(当然?)。韓国館では、パビリオン前で和太鼓の実演を大音響でやっていました。韓国だから和太鼓ではないのでしょうが、、、。

地下鉄で行ったのですが、帰りはフェリーで浦東会場から浦西会場に黄浦河を渡り、タクシーでオフィスに帰ってきました。全部で2時間の上海万博観光でした。

将軍様の北朝鮮パビリオン(お隣はイラン館でした)

***

2010年5月24日月曜日

上海に来ています

上海に来ています。例によって中国政府の情報統制の網の目をくぐり抜けて、ブログ村にアクセスしています(内緒ですよ)。

ヒラリーさんが中国に来ていますね。日本には3時間程しかいなかったそうですが、中国での予定は週末を挟んで5日間です。今日から米中戦略経済対話が始まります。韓国哨戒艦沈没問題に関して、ヒラリーさんはどこまで中国政府に迫るんでしょうかね?興味津々です。胡錦濤・温家宝政権が中国の民衆にあまり支持されていないことをご存知でしょうかね?

米中戦略経済対話の直後に、温家宝首相が来日しますね。実は、中国では温家宝さんは胡錦濤さんより人気がないんですよ。人気取りのパフォーマンスが過ぎるために、大衆からは「アカデミー賞がとれる」と揶揄されています。日本政府はご存じかな?

以下は、去年11月のオバマさん来日時の演説を勝手に翻訳したものです(寺子屋の書写にならないかな、、、)。

○●○ ○●○ ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

(前略)

中華の国とも出来る限り話はしてみるなれど難しきやもしれぬ。中華の国をば民真田の旦那化(民主化)せむなぞまふ無理じゃね、 諦めたでござる。中華の国は此の儘が状態にて大幕府になり申して参上するで候。メリケンが製品をば買りてもらわぬとゐけぬ、メリケンのみにてが消費者と云ふ時代は終わったよりのう。メリケン幕府債ぢゃって、ゐっぱゐ引き受けて貰りてゐる。此れまでは、自由と平等じゃ輩権(人権)ぢゃってでござる申してきたなれど、背に腹は代ゑられぬ。此処ん所業は、はっきりとは申せぬなれど分やりてで候のう。

日の本も独立幕府でござるな。そりゃ、敗戦後は占領時代があったでござるやもしれぬなれど、六十数年がたち経済大幕府にもなりき。軍団ぢゃってでござる持ちたけらば持りてよきんでござる。自立してもらったでござるほうが有り難ゐ。価値観をば共有するでござる武士が幕府だ故に、政権が代わったよりとて既に決まった事に対してひっくり返すごときこと云わぬにて所望致す。戦後六十数年が歴史やメリケンが現状も理解してくださらぬと難儀困る。

***

2010年5月21日金曜日

江戸時代の教育システム

江戸時代の教育システムを簡単にまとめてみました。

(図をクリックすると大きくなります。もう一度クリックすると更に大きくなります)。


***

2010年5月20日木曜日

寺子屋システム!

TVドラマ「水戸黄門」の再放送を見ていたら、だんだんと頭の中が江戸時代になってきました。

江戸時代の寺子屋をご存じですか? 今、巷にある寺子屋と称する塾じゃないですよ。江戸から明治初期にかけての、庶民を対象とした日本の教育システムです。 明治維新の頃には全国で3万ほどの寺子屋が存在したそうで、この数は、現在の全国小学校数を上回るものでした。

私は教育の専門家ではありませんが、寺子屋での学習形態は非常に優れたものだと思います。なぜかと言うと、寺子屋の教育は「人と人との関係を重視したもの」だからです。 今では多くの学校や企業で e-ラーニング と言って、コンピュータによる学習の効率化が行われていますが、少々教育の本質を見誤っていますね。コンピュータはあくまでも補助的なツールです、コンピュータで人格は形成されません。

寺子屋の教育内容にもPROs&CONs(良い点・悪い点)があるのですが、コンサルタント育成にも通じるところがあるし、アメリカのMBAと言われるビジネス・スクールの授業にも似たところがあります。少しばかり特徴を見ていきましょう。

  • 教師と生徒の関係よりも、お師匠さんと弟子の信頼関係で成り立つ。知育・体育の土台としての徳育を重視した。

  • 授業内容は多種多様。師匠の人柄を学び取ることが中心となるため、内容は師匠のスペックで決まる。つまり、リスクもある。

  • 子どもたち同士が対面して座る。教師が前に立って教える形態ではない。師匠はファシリテ―タのような役割である。「教える」ではなく、「学ぶ」が主体。

  • 先に進んだ子どもが遅れた子どもを教える。教育メソッドで一番効果があるのは人に教えることで、理にかなっている。また、強者は弱者をかばうという精神も生まれる。

  • 習字(書写)が基本。 文章を読み、文章を書き写すことによって文字を憶え意味を理解する。現在の学校の書道の時間とは意味が違う。

  • 往来物(往復書簡などのビジネスレター)を書写のテキストとする。自然と「誰に(WHO)、何を(WHAT)、何時(WHEN)、何処で(WHERE)、何故(WHY)、どのように(HOW)」を学ぶ。これは、MBAで行われているケーススタディにも通ずるところがある。

江戸時代は、武士と庶民の身分が厳格に別れていました。武士には藩校というものがあり、為政者のためのエリート教育が行われました。ここで言う国とは藩のことですね。一方寺子屋は、庶民の教育システムです。社会が進歩して商業や物の流通が盛んになるにつけて、庶民の間でも読み書き算盤の必要性から寺子屋のような学校が生まれてきました。教育熱が強まり予習復習と子どもは遊ぶ時間がなくなり、現在の教育システムの弊害は、江戸時代に芽生えたのではないかと疑う部分も見受けられます。

今後の日本の教育を考える上で、江戸時代の寺子屋や藩校の存在は非常に参考になると思います。

明治5年の学制と終戦直後のGHQによる学制改革は、前者がフランスを真似た学制で、後者はアメリカ占領軍による学制改革だとしても、いずれにせよ寺子屋や藩校の良い点をかなりゼロリセットしたのですね(流行の言葉だとゼロベース)。日本再生のための喫緊の教育改革は、日本人による日本人のための改革であるべきですね。

***

2010年5月17日月曜日

子どもを政治家にしたいなら ~ TVドラマ 「水戸黄門」


TVドラマ「水戸黄門」の再放送を見るのが楽しみになりました。

私の好みは、1970年から始まった第二部、東野英治郎が主役を演じるシリーズです。助さん、格さんに加え、うっかり八兵衛(高橋元太郎)、志乃さん(山口いずみ)と風車の弥七(中谷一郎)のご一行様です。

このドラマは、日本再生のバイブルになり得るかもしれませんよ。地方の歴史や特産物が所々盛り込まれています。お隣の国のドラマを放送するくらいなら、何回でも「水戸黄門」を再放送して欲しいと切望します。事実が誇張されていてもいいんです。所詮、一国の歴史観とはそういうものです。お子さんを政治家にしたいお母さん、政治家を志すあなた、特に、タレント候補の皆様には、政治家入門講座として是非ともご覧になっていただきたい。善悪の基準は? 正義とは何か? 卑怯者とは? 恥とは? リーダーシップとは? ユーモアのセンスとは?、、、、様々なことが学べると思います。

TVドラマ「水戸黄門」は、江戸は天保の頃に人気を博した講談「水戸黄門(漫遊)記」がベースになり、現代のテレビ用にアレンジされたものです。そもそも、「講談師、見てきたような嘘をつく」わけですから、天保の頃から時代に合わせたフィクション、事実とはかけ離れているのでしょう。しかし、幕末から明治、そして大正・昭和と、それぞれの時代で黄門様は全国的に人気者だったのです。これだけ長期にわたり支持率は高いのですね。これは、今も昔も日本の庶民は勧善懲悪のストーリーが好きで、黄門様は日本人の理想のリーダーをイメージしているからだと思います。

「水戸黄門」の中には、袖の下を渡す悪徳町人や、「お主もワルよの~」と言って菓子折小判を受け取る悪代官が必ず出てきます。悪代官や愚行をおかす藩主は、権力の座についても長続きはしません。黄門様は、こういった連中を一時間の放送時間の枠の中で全てやっつけて、問題を解決してくれるのです。

黄門様のリーダーシップに学んで下さい。

***

2010年5月15日土曜日

ゆとり世代の新人教育

ゆとり教育世代が社会人になり、日本の会社ではゆとり世代の社員教育が問題になっているというニュースを耳にしました。「新人をどう育てるか?」とか、「新人は手をかけて育てないとダメではないか」と言った内容でした。

驚きました。幼稚園や小学校教育の話かと、、、。

コンサルタントの育成は、実は実務的な知識を研修などのクラスで学ぶことよりも、行動を共にする先輩の考え方、言動などを「盗むこと」が基本です。 新人は、先輩コンサルタントのことをよく観察し、自分で盗む価値があると判断したことだけを盗む必要があります。自分の商品価値を上げるのは、基本的には自分の責任です(commitment to personal growth)。先輩のほうは、無意識のうちに後輩たちに影響を与えることを、十分に理解しておかなければなりません。もしも、先輩が正しいことを身につけていないならば、 新人は間違ったことを学んでしまう危険性があります。これは、組織全体としてマネジメントが注意しなければいけないことです。 だから、ロールモデル(お手本)という考え方があります。

以上のことが暗黙知として了解されている組織であれば、自然と組織共通の価値観が醸成されていくのだろうと思います。

学校教育(義務教育)もそうあるべきでしょうが、つまり、先生達が人格者であり、生徒が先生の生き方そのものを学ぶのが理想でしょうが、先生にそこまで期待するのは無理というものです。先生方には正しい知識の教育に専念してもらい(偏向した歴史教育などやめて)、人間的な教育は、家庭で親がしっかりと行うべきだと思います。

エリック・クラプトンなどのスーパー・ギタリストは、黒人ブルースマンのフレーズを完璧にコピーすることから始め、完全に真似ることができるようになった時点をスタートとし、それから自分のスタイルを確立していったのですね。通常は、黒人ブルースマンを完璧にコピーすることができないで諦めるか、完璧にコピーできた時点で満足し、自分のスタイルを創造するまでに至らないかですね。

私の場合は、勿論、前者です。それも、ごく初期のレベルで何十年も停滞しています(一般的には「素質がない」と言いますが、、、)。



***

2010年5月11日火曜日

失敗の本質

(食卓の花)

1945年4月から6月にかけての沖縄戦の失敗の本質は、いつものことながら、日本軍の作戦目的の曖昧さでした。つまり、アメリカ軍の本土侵攻を引き延ばす持久戦なのか、航空決戦や地上決戦を考えていたのか、最後まではっきりしなかった。更に、東京の大本営と沖縄の現地軍との間に、認識のズレや意思の不統一がありました。根本的な作戦目的において対立構造があったにもかかわらず、大本営は対立の存在を見過ごしたのです。

詳しくは、「失敗の本質」(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 共著 1991年 中公文庫)を読んで見て下さい。 沖縄戦だけでなく、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ海戦に関する失敗の本質も説明されています。

長年にわたり、この本には随分とお世話になりました。アメリカ人に対して日本人や日本企業の特徴を説明するのに絶好のテキスト・ブックだったのです。「コンサルタントの基本はパクリ」、おっと失礼、「学びの基本はパクリ」です。しかし、効果的にパクリができるようになるには、かなり修行の時間が必要なのですよ。

戦争に関する本は否という程読みました。なぜ、ガダルカナルで止めることができなかったのでしょうかね?インパール、レイテ、特に沖縄戦、沖縄で亡くなった人、彼らの死の意味は何だったのでしょうか?

***

2010年5月10日月曜日

ユーモアのセンス ~ 漱石と鴎外

先週は天気がよかったですね。

5月3日は憲法記念日でした。この祝日は戦後、まだアメリカ占領軍の言論統制下にあった時代に制定されました。憲法記念日があるから、憲法は改正できないのでしょうかね?先ずは、憲法記念日を廃止してみてはどうでしょう?どうしても残したいなら、マッカーサー元帥が「バターン号」で厚木に到着した8月30日を「マッカーサー記念日」として、憲法記念日に代替すればいいと思います。

さて、憲法記念日に先輩Yさんの案内で、JRお茶の水駅から根津権現界隈を散歩しました。東京でもこの辺りは良いところですね。ご存じかも知れませんが、江戸時代は広大な加賀藩の江戸屋敷があったところです。千駄木商店街に向かう途中、夏目漱石旧居跡を通りました。帰宅後、本棚から「吾輩は猫である」を引っ張り出して読み返しました。漱石の日本語の描写能力は、私の日本語力では形容詞が見つからないほどのレベルの高さです。

5月5日の子どもの日には、三鷹禅林寺にある森鴎外のお墓を見てきました。これまた天気が素晴らしく、清々しい朝の散歩です。禅林寺には鴎外と太宰治の墓があることは以前から知っていたのですが、これまで訪れる機会がありませんでした。太宰治のお墓が、森鴎外の斜め向いにあるのは偶然ではなく、森鴎外を慕っていた太宰治の希望でこうなったそうです。森鴎外は、クラウゼヴィッツの戦略書「戦争論」を日本軍に紹介した人でもあります。軍医と言っても大日本帝国陸軍の指導者ですね。

太宰治は森鴎外の強い部分に憧れたのですかね?私は森鴎外よりも夏目漱石のほうが好きです。森鴎外のファンの方、ごめんなさいね。なぜだろうと考えたのですが、たぶん、「ユーモアのセンス」ですね。鴎外はドイツ、漱石はイギリスに留学しました。私は、ドイツやイギリスのことはよく知らないのですが、ドイツと日本は、ユーモアのセンスに欠ける、或いは、非常に弱いということで、共通点があるのではないでしょうか? 漱石は、イギリスでうつ病になって胃が痛くなったのかも知れませんが、自己本位と共にユーモアのセンスを学んできたのではないかと思います。

日本の子どもたちには、ユーモアのセンスをつけながら育って欲しいですね。

禅林寺にある森鴎外(林太郎)の遺言

***

2010年5月6日木曜日

優雅に年を取るには「私立」じゃなくちゃ


生き甲斐と言うほど大袈裟ではないですが、公から引退して私的な生活を楽しむことができない場合、なかなか苦しい老後になりそうですね。私的な生活を楽しむということの前提は、福沢諭吉が言うところの「私立」です。つまり、自分で立つということです。「自立できない中高年の心のケア」なんて言うのが、国会の最大の議題になる時が来るかもしれません。

「考へるヒント」(昭和37年)で小林秀雄が福沢諭吉について書いています(台湾のカブちゃんに教えてもらいました)。「考へるヒント」は何十年も前に読んだのですが、当時は何も理解していなかったんですね。しかし、何度も読める本は本当に価値がある。おまけに経済的です。

小林秀雄によると、福沢諭吉の言う「私立」の本義とは「痩我慢」、我慢自体に価値を求めんとする心の動きだそうです。「私情と公道の緊張関係の自覚である」と。なるほど、「私」と「公」のバランスですね。多様性を楽しみ、その中でバランスをとることに長けていた福沢諭吉の本質じゃないかと思います。

どうも、日本人は多様性の中でバランスをとることが苦手のようです。

穏やかで温厚な民族なのに極端から極端に走りやすい。軽信しやすいとも言えます。だから、軽佻浮薄なテレビ・新聞にコロッと騙されます。個人としての多様性が集団としての多様性を生み、組織、または、国家としてのダイナミズムにつながります。外国人をこの狭い日本列島に招き入れて多様化だなんてダメですよ。先ずは、日本人が個人としての多様性、つまり、「私」と「公」のバランス感覚を身につけないと、外国人が混じると難度は更に高くなるでしょう。愚鈍な(愚直ではないですよ)リーダーでは無理です。

蛇足ながら、ワシントン・ポストのコラムニストには「loopy」なんていまに消えて無くなるような言葉じゃなくて、「perpetual puerility(永遠に幼稚であること)」くらいは使って欲しかった。loopy は groovy と一緒で今の若者からするとダサイ言葉ですね。

私の場合、多様性がありすぎて何一つまともに出来たためしがない。コントロール不能に陥っています。

連休中にストラトキャスターの弦を極太に交換しました。バカですねぇ、スティービー・レイボーンと同じ太さの弦を張ると同じように弾けるのではないかと考えたんですね。

***

2010年5月5日水曜日

井の頭通りのひなげしの花


連休の早朝、井の頭通りに咲くひなげしの花を撮影しました。「写真は腕ではなくカメラだ」と証明するような一枚です。ニコンのVRレンズ(手ブレ補正機能)は凄い!もっと宣伝すべきなのに、あくまで謙虚なニコンさんです。日本の街は綺麗で歩道が平坦だから歩きやすいですね。 早朝だから、天敵である傍若無人な自転車もいない。

***

2010年5月2日日曜日

上海で食べた茶蛋(チャータン)を作ってみました


上海 太陽島の朝食バイキングで食べた茶蛋(味付けゆで卵)が美味しかったので、家で作ってみました。茶蛋だけだと寂しいので、豚バラ肉と新じゃがを一緒に煮ました。中国人スタッフからは、中国で五香粉(調味料)を買って帰るといいと言われたのですが、中国の調味料は何が入っているのか分からないのでサジェスチョンには従わず、三鷹のスーパーで買った八角と群馬県産の生姜と千葉産ネギを入れて作りました。非常に美味しくできました(上の写真はあまり美味しそうに撮れていませんね、、、)。

茶蛋の作り方です。卵はゆで卵にし、殻にいっぱいヒビを入れて殻をつけたまま煮卵にします。できあがって殻をむくと、恐竜のタマゴのような模様になるところがミソなのですが、太陽島の朝食バイキングで出てきた茶蛋は、ヒビの入った殻はついたまま、お皿に山盛りになっていました。私が作った茶蛋は、皮をむいて豚のバラ肉と新ジャガと一緒に煮たので、殻をむいたときにあった綺麗な模様もなくなり、単なる茶色い煮卵になってしまいました。でも、美味しかったので没問題(メイ・ウェンティー)。

***