2012年11月30日金曜日

年末ジャンボ

年末ジャンボ宝くじ売り場

公的資金を民間企業に注入したケースは、ダイエー、カネボウ、りそな銀行、最近では日本航空 等々、公的資金はそれそれが数千億単位です。 東京電力への支援注入は、すでに3兆5千億円、これから総額がいくらになるか分かりません。

今年の年末ジャンボ、史上最高額の宝くじは6億円だそうです。 国民にとっての抵抗は一票の重みですか、、、くれぐれも死に票にしないように。

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2012年11月28日水曜日

表面だけ和している


国会議事堂前
(自信や実力がないから「表面だけ和している」日本の政治)

ブログも来週で丸三年になります。 年をとってくると、その人の本性はその人の顔つきに表れると言います。 三年もブログをやっていると、私の人となりは暴露されたも同然です。 あぁ、恐ろしい。
 
ブログは備忘録のようなもので、自分が何者であるかを整理するのには最適です。 自分が書いた文章を読んで、自分で「なるほど」と思えるといいのですが、まだまだそういったレベルには達していません。
               
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2012年11月26日月曜日

インデペンデントということ

 昨日のJR御茶ノ水駅

江戸時代の末期に二宮尊徳という農政家がいました。薪を背負いながら本を読む姿は有名です。多くの小学校には二宮金次郎の銅像がありました。今ではすっかり見なくなりました。二宮尊徳の「私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自分に還元される」という報徳思想は、軍国主義につながるということで、銅像は日教組によって撤去されたのでしょうか?     
  
二宮尊徳は、荒廃した村の復興を任された時、報告書の中で以下のように言っています。
 
「金銭を下付したり、税を免除する方法では、この困窮を救えないでしょう。まことに救済する秘訣は、彼らに与える金銭的援助をことごとく断ち切ることです。かような援助は貪欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもとです。荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません」。
  
どうですか? 二宮尊徳は軍国主義どころか、アメリカの義務教育の理念に近いですよね。
  
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2012年11月24日土曜日

感謝祭(1989年と1996年)

 1989年の感謝祭と7年後

1989年感謝祭 

1989年11月も終盤、THANKS GIVING WEEKEND(感謝祭の週末)に入った。ここ2、3日、「とうとうニューヨークの冬だなぁ」と言う気温になってきた。

この街は、冬の顔が一番似合っているような気がする。

グランド・セントラル・ターミナルからマディソン街を北に向かうと、すぐ右手のビルの壁にある電光掲示の温度計は、華氏30度(摂氏0度)を表示している。路上からは、ところどころスチームの湯気が温泉場のように立ち昇り、視界を遮る。それをすり抜けて相変わらず忙しそうな人の波はそれぞれのビルへと消えていく。

マディソン街を歩く人達は、日に日に寒くなってくる気温とともに、その歩調を一層速めるような気がする。街角のホットドッグ売りは背中を丸めて、白い息をはいている。ショーウインドーの飾り付けが、赤と緑を基調にしたクリスマス用のものに変わってきている。おでこをウインドーにつけるようにして見ているオバアサンは、真っ赤なマフラーを首に、片手には食べかけのホットドッグをもっている。マンハッタンの冬には色がある。東京自由が丘商店街が、マディソン街と姉妹タウンになったそうである。どうもピンとこない。日本で来ていたようなトレンチ・コートは、薄過ぎて、まにあいやしない。トレンチ・コートを着て歩いている人は、裏に厚手のライナーを付けているのだ。

私の働く営業所では、感謝祭の休日直前に、200人余りの営業所員全員があつまりミーティングが開かれた。部屋に入る手前から、通路がテープや風船で飾り付けられていて、部屋に入るとまるで幼稚園の学芸会場だ。部屋の入り口で新入社員が皆に七面鳥の形をしたチョコレートを配っている。

『このまま行くと、ノルマの114%は皆のおかげで達成出来る。これを130%にしようじゃないか。それにはやるだけだ。JUST DO IT!

インディアンの酋長に変装した営業所長が、みんなのヤンヤの喝采を浴びながら、激を飛ばす。そのあと十数人いる課長連中が壇上に上がり、それぞれの部下の名前をもりこんだ歌を大合唱する。そういえば、最近やけに連中のミーティングが多いと思っていたら、奴らこれを練習してたのか。

感謝祭は、11月の第4木曜日で、マンハッタンでは木曜の朝のメイシーズの大パレードで始まる。金曜日は休日ではないが、普通、ほとんどの会社は休みで、4連休の感謝祭の週末(THANKS GIVING WEEKEND)となる。今年(1989年)の感謝祭は、前の日の夜から降り始めた雪が、感謝祭の朝まで降り続き、パレードは、一面真っ白のセントラルパーク・ウェストからのスタートとなった。感謝祭を過ぎると、人々は、クリスマスや冬物の買い出しをしたり、あわただしい。感謝祭の次の日、金曜日からあちらこちらで、バーゲンセールとなる。

ニューヨーク郊外、グランド・セントラル・ターミナルから電車で40分程のウエストチェスター・カウンティーにあるホワイト・プレーンズには、ブルーミングデール、サックス・フィフス、メイシーズ、B・アルトマン、JCペニー、ニーマンマーカス、ローダンテイラー、たいがいの有名百貨店が店舗を持っていて、この金曜日からセールに入る。セールを目指して車が渋滞するところは、東京の郊外、例えば二子玉川園の日曜日を思い出させる。ホワイト・プレーンズは、私の住む日本人村から車で十分程のとこにあり、ウエストチェスター・カウンティーでは、一番大きな街になっていて、百貨店だけでなくかなり大きなオフィスビルもある。

感謝祭の翌日、金曜日の朝、渋滞に一層の拍車をかけたのは、B・アルトマンが閉店セールをするからだ。ニューヨークの名門デパートは、ほとんどが外国人オーナーになっていたり、資金難で、売りに出ていたりする。B・アルトマンは、買い手が見つかる前に倒産してしまい、閉店を余儀なくされてしまった。なぜ、日本企業に話しを持っていかなかったのだろう?それとも日本人にとって、ブルーミングデールやサックス・フィフス程、ネームバリューが無いために、金持ち日本人といえども買い手が付かなかったのだろうか?とにかく、B・アルトマンは、百貨店としての売却ができずに閉店セールとなってしまった。

ニューヨーク・タイムスには、サービス低下による客離れ等を百貨店凋落の原因としているようだ。その原因にうなずくところも大いにあるが、それに加え、購買力の低下と並べられている商品に魅力が乏しいことにも原因があるように思う。百貨店の売買を仲介しているアメリカの銀行などは、現実問題として、金のあるところへ話しを持って行き、買収を成立させなければならない。それが今、金のある日本企業に向いている。

日本企業がこれらの百貨店を手に入れるかどうか知らないが、もし、日本の企業が買収することになり、ニューヨーカーの非難が集中するようだと、どこにこういった原因、つまり、百貨店そのものが輸出品になってしまった原因があったのか、はっきりさせておかねばならない。それは、アメリカに対する日本のPRにもなる。アメリカの商売のようにサービスが悪く、品質もさほどよくなく、なおかつ値段が高いとなると、客足は自ずと遠退く。消費者は世界中のどこでも、質のいい、安い、そして魅力のある物を求め、サービスの行き届いた雰囲気の良いところで買いたいものである。

たまたまこれを書いているとき、ブルーミングデールの会長が日本に出向き、日本の百貨店に買収をアピールする記者会見を開いたというニュースが伝わってきた。このブルーミングデールは、 B・アルトマンより日本人にとって知名度が高いが、アメリカ国内企業の所有物ではない。カナダの不動産会社が、ブルーミングデールの親会社を買収したことはしたのだが、すぐに、資金難となり、早急な売却を余儀なくされている。ニューヨーク・タイムスが、『アメリカの最大輸出品は百貨店』と書いたこともあり、金持日本に早速の売り込みとなった模様である。

、、、と、ここまでが1989年の感謝祭の印象である。


七年後の感謝祭

あれから7年がたった。アメリカと日本の情況は随分と変わった。一体どう変わったのだろうか?

1989年、「アメリカの最大輸出品は百貨店」とアメリカの経済はどん底であった。通産省にバックアップされた「ザイバツ」や「ケイレツ」でもって戦う絶好調日本に、企業の独自性で勝負しなければならないアメリカ企業に勝ち目はないと言われた。一般の消費者にとっても当時私が感じたように、サービスや品質の悪さ、そして値段の高いことなどかなりレベルは低いものであった。感謝祭に街に出ても店はどこも開いてなかった。マクドナルドまで閉まっていたのである。ところが今は、ファースト・フードの店はだいたいどこでも開いているし、ショッピングモールでもWIZなどの大型電気スーパーやレコードショップまで開いているのだ。感謝祭にアメリカ人が働くようになったのである。

デパートや商店の店員の態度も非常によくなった。サックス・フィフス・アベニューなどのデパートでもターゲット別(客層毎)にきめ細かなセールス・キャンペーンを行っている。例えば、年間2,000ドル以上買っている客だけにダイレクト・メールで特別セールの知らせをする。その日はコーヒーやクッキーを売場でサービスしたりして金持ち客の機嫌をとる。7年前とは大きな違いである。

一方、日本はどうであろうか? バブルがはじけ政治・経済いたるところでボロが出はじめた。今まで表沙汰にならなかったことが次々と明らかになってきた。闇から闇へと葬られるよりいいことだが、あまりにもあきれた事件が多すぎる。今年(1996年)は、ほぼ半年を日本で過ごした。新聞紙上を賑わす事件に愕然としたのは勿論だが、街を歩いていても色んなことに驚いた。その一つにデパートや店の店員の態度の悪さがある。「1980年頃の中国で買い物をしている感じ」がしたのである。新宿のデパートに行くと、人がいっぱいで上海は南京路の第一百貨店と大差ない。さすがに、買った物を放り投げたりはしないけれど、若い店員はニコリともしない。最初は私がオジサンになって嫌われているのかとも思ったがそうでもない。魅力的なものはあるが、あまりにも値段が高くて買えない。

アメリカの経済は1992年頃から活気を取り戻してきた。大きな原因はアメリカの企業が復活してきたことである。日本がバブル最盛で「アメリカから学ぶものは何もない」と言い切った頃から少しばかり様子が違ってきた。購買力も元に戻り始め、デパートなどの大型小売店はさらに大きなショッピング・モールの形態をとり、買い物客で賑わうようになってきた。アメリカの若いお父さん達は、これまでにも増して自分と自分の家族を第一に考える。ショッピング・モールでの買い物も大事な家族サービスなのだ。結果としてショッピング・モールがさらに発展して場所によっては遊園地と大差ないところまで出てきた。銀行は買物客に合わせ土曜の営業を始め、驚いた事にニューヨーク市の犯罪発生率さえ下がってきたのだ。

ではなぜアメリカ企業の業績が良くなったのだろうか?

元々そんなに悪くなかった?

まず考えられるのは、アメリカ社会の仕組や企業のシステムが元々そんなに悪いものではなかったことである。ビジネス慣行にしたって合理的なものだった。それらをささえるコンピュータ・システムに至るまで基本的なコンセプトはちゃんとしていたのである。

流通システムを見てみよう。アメリカでは小売店にいたるまでSKU番号と言われる単品管理を行っている。在庫は本当のリアルタイムなのだ。基本的な仕組みは整っていたのである。もともと中間業者が少なく責任範囲が明確で、その上コンピュータで管理しやすいような基本的な仕組みが整っているのだから、インターネットやその他の通信・コンピュータ技術の進歩によりそれらの基本的な仕組みが一層効果的になったのである。オーダーを入力することから消費者動向を分析し、消費者の求めるものを常に商店の棚に並べるようにする。一つの店、一つの地域だけでなくグローバルに企業全体の業績をリアルタイムで把握し、全体最適化を計ろうとするのである。

90年代に入り、クリントンが政権に就いたころから新しい世代が世の中の中心として活躍しだした。彼らは過去のアメリカの栄光とは別に客観的に、冷静にアメリカを見つめ始めた。日本のいいところは素直に認めた。そして、元々ある様々なインフラストラクチャーに対し、新しいテクノロジーでもって再構築を始めた。最初からコンセプトやアーキテクチャーはしっかりしていたので、効果は早急に出てきた。勿論、カリフォルニアのシリコンバレーのソフトウェア産業が大きな助けになったことは間違いない。そしてそれらはインドや中国からの不法移民で支えられているといった事実も裏にはある。

情報基盤に対する投資

次に、情報基盤に対する投資の考え方の違いがある。日本の企業は、会社全体の予算の中で、情報システムに対する投資額がアメリカの企業に比べて非常に低い。情報システムに対する考え方そのものが随分と違っているのである。どういうことかと言うと、アメリカの企業のコーポレート・プランは情報システムのプラン抜きでは考えられないし、次期情報システムへの投資はコーポレート・プラン無しには行われないと言うことである。一方、日本は情報システムと経営方針が積極的に同じテーブルで話されることはまずないのではないだろうか。

1980年代の終盤から1990年代の前半にかけて、コンピュータの役割自体が一歩前進した。コンピュータは省力や大量処理を行うだけのものから本当の意味での意思決定システムとして使われ始め、経営者にとっては不可欠な経営ツールとなったのである。意思決定システムの基本的なコンセプトは20年近く前からあったのであるが、コンセプトを実現するテクノロジーが急速にともなって来たのである。

「USA TODAY」と言うアメリカの新聞に面白い記事が載っていた。それは、「電話が1000万のユーザー数に達するのに38年かかり、パソコンは7年かかった。しかし、インターネットは2年はかからないだろう」と言うものである。新しいテクノロジーは技術的な面だけでなく様々な法規制もダイナミックに変えようとしている。「インターネットがすべてを変える」と言っても過言ではない気がする。政府や一般企業の経営者は情報システムの動向を無視して戦略のフレームワークを組めないのである。

「アメリカ企業は日本化するしかない。しかし、個人の独創性や企業の独自性のために日本的経営は成り立たない。だからアメリカ企業は日本企業から今後もどんどん取り残される」と言われた。だがアメリカ企業は、これら日本企業がアメリカ企業の弱点としたところを逆に強みとして立ち直ってきた。インターネットなどのテクノロジーでもって仮想集団を形成し、仮想集団がバーチュアル・コーポレーションとなる。これは、1980年代から模索し続けたアメリカならではの日本への対抗策なのである。経営者は個人の自主性や企業の独自性を伸ばしやすいようにオープンな情報システムの基盤を構築した。これは、スピードと柔軟性を必要とする時代にあうものでもあった。

アメリカのベンチャー・ビジネス

三番目は、アメリカのベンチャー・ビジネスがアメリカ企業復活の重要な位置を占めたことである。

日本にもニッチなエリア(すき間)を狙ったベンチャー・ビジネスは生まれたし、ベンチャー・ビジネスの重要性も議論されている。ではなぜアメリカでベンチャー・ビジネスが全体としてアメリカ企業を活性化することになったのだろう? そして、なぜ日本ではベンチャー・ビジネスを初期段階から継続して大きく発展させることができないのだろう?

大事な点が2つある。1つはシリコンバレーのハイテク産業は、インド、中国からの移民によって支えられている事実である。彼等はすべてがすべて合法な移民ではない。アメリカと言う国はこれら移民をできるだけ自由に受け入れる懐の深さがあったということだ。2つ目は、アメリカにはこれらベンチャー・ビジネスが成り立つ明解な資本主義が確立されていることである。

アメリカへの移民に関しては、また別の機会に説明することにして、アメリカの会社が日本の会社と全く違うことにふれてみよう。

1989年と1996年でニューヨークのマジソン・アベニューの街並みで変化したことがある。それは、グランドセントラル駅から北、セントラルパークのほうへあがっていくと、1989年にはなかったコーヒーショップが数軒できたことだ。以前はちょっと座ってコーヒーだけ飲んで一休みという場所はなかった。

これらのコーヒーショップの中でもとりわけ成功した全国チェーン店に「スターバックス」というのがある。「スターバックス」はこの5年程で従業員が1万7000人の大会社に成長したベンチャーである(1996年の冬)。ただこの全従業員の4分の3はパートタイム(アルバイト)である。「スターバックス」の経営者はこのパートタイムを含む全従業員にストックオプション(自社株の購買権で、事前に決めた価格で株式を購入できる権利)の権利を与えたのである。「株式会社は株主の利益のために存在する」。従来であれば特定の会社幹部だけにストックオプションを与え、経営陣に真剣さを増させたのであるが、「スターバックス」のすごさは、パートタイムを含め全従業員にストックオプションを与えたことである。株があがればみんな儲かる。会社の株をあげるためにみんな一生懸命働くのである。当然、各店舗でのサービスレベルは上がるのである。パートを含めた全従業員を経営のパートナーとみなしているのである。

日本の企業はどうであろうか? 自社株を少しでも上げるために必死になるサラリーマンはいない。ましてや、ストックオプションなんてほとんどのサラリーマンは知らない。そして、コーヒーショップで働くアルバイトの店員さんがストックオプションを念頭に一生懸命働くことなど考えられない。日本の会社はアメリカ企業に比べ株主資本率がきわめて低く、大部分は銀行からの借金で成り立っている。株主が強いのではなく銀行が強いのである。株主総会なんて意味がないのである。意味がないのに総会屋と言われる人たちが活躍してしまう。珍しい資本主義国家である。

日本には民主主義と同じように明解な資本主義も存在しない。会社は株主の利益のためにあるのではなく、社長や上司の機嫌をとるためにあるのかも知れない。社長は社長でさえストックオプションを持つことなく、会社の業績と自分の年収がリンクしない。だから、大事な意思決定も本人が中身を十分知ることなく集団合議制にして責任の所在を曖昧にするのである。自社の情報システムに対しても興味がないのは当然である。

アメリカの「会社」は明解な資本主義の論理にのっとっている。だめな社長は簡単にクビになる。プロフィット(利益)のでない会社はチャプター・イレブンだ(日本での会社更生法の適用にあたる)。ある程度ちゃんとやっていても株価をあげる努力を絶えず行なわないと株主は経営陣のクビを切るし、別の会社に買収されるおそれさえあるのだ。

日本はベンチャー・ビジネス以前に会社そのものに関する「根本的なところ」が違っている。だから、今のままではアメリカのようにベンチャー企業が活躍し継続して発展することは考えられない。そして、NASDAQのような店頭市場を日本でやっても、ハイテク産業を育成することにはならないだろう。アメリカのベンチャー起業家はまず株をNASDAQに上場することを目指す。上場したら株価をあげストックオプションで大儲けをしてさっさと若いうちに引退してしまう。だから必死になって働く。うまく行けば見返りがあるからだ。それに、若くして成功してリタイアしても(遊んで暮らしていても)世間に羨まれることはあっても批判されたりはしない。

日本ではカジュアルウェアで会社に行くことが流行りだしたそうであるが、服装だけをシリコンバレーのようにカジュアルにしてもベンチャー精神が生れる訳ではない。

1996年感謝祭

今年の感謝祭はまったく寒くない。薄手のセーターで散歩ができる。ロックフェラー・センターに飾られるクリスマス・ツリーにうちの近所の木が選ばれた。数年前、家の増築を請け負ってくれたトニーが「あれは、6万ドルで売れたんだ」と言っていた。それを聞いて自宅のバックヤードにある木を眺めまわしてしまった。残念ながらあれほど立派な木はない。

アメリカはクリントン政権が2回目の4年に突入しようとしている。経済のほうはここに来て少しだけ頭打ちになって来ている。「アメリカ経済の好調を持続させるために、日本をバイパスして中国を中心とするアジアに展開しようとしているのではないか」と言った意見もある。1997年年初のクリントン大統領の「一般教書演説」が楽しみだ。不明瞭な社会基盤を持ち、世界の中でリーダーシップをとれない日本はアメリカが本当に日本をバイパスした場合どうやって生き残るのだろう?

今年の感謝祭には人工のターキーではなく野生のターキーが全米各地に帰ってきたと言う話題をCBSニュースで見た。数年前には、野生のターキーはもう見られないとまで言われたそうである。しかし、残り少ない野生のターキーを使って意図的に全国に分散させ、保護しながら野生のターキーが増えるようにした結果だそうである。余裕のあるアメリカならではの話題だ。土地が広く自然が残り、人が少ないから出来るのである。

中国だとどうだろう? 中国では先ず「食べること」を全ての国民に行き渡らせることを考えなければならない。野生のターキーなどすぐに食べられてしまって保護どころではない。日本はどうだろう? 悲しいほど土地が狭く人の多い日本に野生のターキーが散歩できる空間があるだろうか?

アメリカ人にとって「食べる事」さえままならない状況は考えられないだろうし、東京の住宅事情を知ったら日本は先進国家の仲間だとは思わないだろう。7年前のアメリカは随分と問題があった。だが、基礎がしっかりしていたために立ち直りははやかった。バブルがはじけた日本のカムバックは5年や10年で実現できるとは思えない。「カムバック」と言う言葉さえ少しばかり奇妙に聞こえる。私のような教養の伴わない単なるビジネスマンではなく(これは謙遜でもなんでもない事実である)、政治や経済の一線にいる人達にはもっと根本から考え直して欲しい。

感謝祭が終わると、クリスマスまではあっと言う間で新しい年に入っていく。感謝祭はアメリカ人にとってのお正月みたいなもので、子供たちは、普段離れて住んでいてめったに会わない両親の家へと帰っていく。大学生たちも故郷に戻り、幼なじみと再会する。今年は半年間家族と離れて私一人が日本にいた。今年の感謝祭は我が家にとっても家族のリユニオンである。

1996年11月末

2012年11月20日火曜日

好きなものは好き


若い頃も今も好きなものは好き。 人間は、好きなもののためにはいくらでも我慢ができるのです。 好きなものがあって、且つ、上達の度合いを楽しむことができると最高なのですが、私は才能がないので、そこまで高望みはできません。

好きなものが分からない、または、他者に便乗するだけなんてダメですよ。

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2012年11月18日日曜日

私が一番利己的?

  
夕方のスカイツリー(墨東病院から望む)

会社を起業するということは、その会社の気風を作ることです。 つまり、精神を育てることだと思います。ibgは起業して6年目が終わろうとしています。 しかし、未だに毎日が日中の若者と一緒に会社の気風を作る作業中です。 たとえ10年経っても同じでしょう。 企業文化ができるか、それともその前に倒産するか、我慢比べなのです。

本田さん豊田さん松下さんが、それぞれホンダやトヨタやパナソニックを創業してから半世紀以上が経過しています。 こういった企業では、創業時のメンバーが企業の気風を育てていったのです。生意気な言い方ですが、今の経営者はテクノクラートのようなもので、創業時の気風を作ることは経験していません。 これが問題なのです。

国家だって同じでしょう。 福沢諭吉さんが偉大なのは、そういったことに気づいていたからです。 夏目漱石の『三四郎』に出てくる広田先生も同じです。「日本は滅びるね」と言いました。  

福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」と言ったのは、欧米列強の侵略に対してアジアや日本を守るには、一人ひとりの国民が他者に依存したり判断を任せるのではなく、自分で考えて(取捨を断ずる)、智徳、つまり、知識(インテレクト)と徳(モラル)を積んで人間交際(ソーシャライズ)していかなければならない。 国民一人ひとりが国のあり方に責任をもつ、そうしてこそ、はじめて国の独立は保たれると言ったのです。

日本の場合は、気風をゼロから創造するわけではありません。 上手に思い出すことをやればいい。 文化が復活するまで国が滅びずに浮かんでいられるかどうか? 12月は選挙のようですが、よく考えて投票してもらいたい気持ちで一杯です。 半分日本人を辞めている私は、選挙結果により余生をどうするか、、、、? 

要するに、私が一番利己的だと言うことですね。

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2012年11月15日木曜日

トンカツ、たい焼き、果たしてサンタナは?


エリック・クラプトンはトンカツを食べに日本へ、エアロスミスはたい焼きを食べに、さて、カルロス・サンタナは何を求めて日本へ?  

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2012年11月14日水曜日

試行錯誤のための散歩

今朝の三鷹駅前

誠実って何でしょう? 誠実そうな人柄っていいますよね。 わが国の総理は誠実そうだ、、、とか。 これほど誠実って言葉が意味不明になったことって未だかつてないのではないでしょうか?  
  
今を真剣に生きていないと、人生なんて空虚なものになるのではないかと思います。 毎日を精一杯生きるということは、誠実に生きるということでしょう。 最初から100%なんてない、試行錯誤して工夫するから面白いし、それが誠実であるということです。 試行錯誤を省略しちゃったら利己的なだけです。         
  













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2012年11月10日土曜日

散歩の続き


眉山』といっても徳島市にある山ではありません。 太宰治が亡くなる3ヶ月前に発表された短編です。 この作品は、敗戦後から玉川上水に入水するまでの太宰治の心情がよく表現されていると思います。 

「そうですか。……いい子でしたがね」。
思わず、溜息と共にその言葉が出て、僕は狼狽し、自分で自分の口を覆いたいような心地がした(『眉山』 太宰治 1948年)
 
久しぶりに新宿の飲み屋に行った主人公は、「眉山」とあだ名をつけた飲み屋の給仕の余命が短いことを知らされて、これまでの彼女の行動の理由を知るところとなり、慚愧の念に駆られます。 狼狽し、自分で自分の口を覆いたいような心地がしたのです。 

上の写真は三鷹駅南口の太宰が『眉山』を含む最晩年の作品を執筆した下宿(仕事場)があったあたりです。 毎日が「自分で自分の口を覆いたいような心地ばかり」の私は、慚愧の念をきれいさっぱりと忘れ去って武蔵野の朝を散歩するのみです。 だから自殺しないのでしょう。

  














太宰治文学サロン

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2012年11月9日金曜日

朝のゴールデンタイム


三鷹駅北口の交番。 国木田独歩の詩碑のあるところから朝の駅前を撮影しました。 足もとは、玉川上水が駅の下を斜めに横切っています。  
  
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。 どの路でも足の向くほうへ行けば必ず其処に見るべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことに由って始めて獲られる」(国木田独歩『武蔵野』)。     
  
自分とのコミュニケーションは朝の散歩が一番。 私にとってのゴールデンタイムです。 
 








 
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2012年11月7日水曜日

成年に達すれば独立すべし

  
Start Your Consulting Career! というキャッチコピーで、今年も上海のキャンパス・リクルーティングに参加しました。 上海地区にある大学の合同会社説明会です。

ibg5年連続して新卒大学生を採用しています。 これが日本ではできないのですねぇ、、、。 新卒大学生は中小にソッポですから、我々のようなスタートアップの、中小にもみたない零細企業には見向きもしてくれません。 学生さんたちの問題というよりも、日本社会の問題でしょう。 「成年に達すれば独立すべし」と言ったのは福沢諭吉ですが(『福翁百話』二十九)、子供も大人も、そして、国民も政府も、それぞれが独立してこそ社会の進歩があると思います。
  
根強い大企業志向…学生20万人、中小にソッポ

今春卒業した大学生約56万人について、同じ約56万人分の正社員の求人があったものの、約20万人が正社員として就職していなかったことが6日、内閣府の推計で分かった。

約20万人分の求人の多くは中小企業といい、根強い学生の大企業志向が、中小企業への就職に結びつかないミスマッチを引き起こしている実態が浮かび上がった。推計は、6日に開かれた若者の雇用問題について政府や労使の代表らが議論する厚生労働省などの協議会で報告された。

内閣府によると、就職したのは約36万人で、就職しなかった約20万人の内訳は、未就職・未進学が9万人、大学院などへの進学が8万人、パート・ アルバイトでの就職が2万人、不明が1万人。内閣府は、進学した8万人を除く12万人については、中小企業の魅力が学生に伝わっていない部分があるとして いる。このため同協議会では、来年度から学生に地域の中小企業の求人を紹介するハローワークの非常勤職員を、全国50大学に常駐させる方針を確認した。
20121162341  読売新聞)

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2012年11月4日日曜日

地下鉄に乗って

政治家たちが考えているほど国民は政治家が偉いと思っていないし、尊敬もしていないでしょう

「仕事が生き甲斐」と言うとヘンな誤解を与えるかもしれませんが、私は仕事と「生き甲斐」を完全に分離するのはおかしいと思っています。 なぜならば、人生そのものが「生き甲斐」であると思うからです。 ちょっと大袈裟ですか? でも、お金のためだけに働くのはつまらないですよね。
  
いかに自分の人生をプロデュースするか? 自分を主人公とした映画を作るようなものです。 要するに、生まれて死ぬまでが「生き甲斐」で、その中には仕事や子育ても含まれます。 仕事には様々な種類があるだろうし、職人のように自分の技術を高め後世に伝承していくようなものもあるでしょう。 起業して会社を育てると言うのも「生き甲斐」だと思います。

それらは全て「文化」を創造することであり、「文化(culture)」ってそういったものだろうと理解しています。   
   
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2012年11月3日土曜日

文化の日

明治神宮の大鳥居
  
今日は「文化の日」です。 
 
文化の日は、明治期には天長節といい、昭和になり明治節になったのですが、元々は明治天皇の誕生日を祝うものでした。 敗戦後、文化の日になり、今では文化勲章を授与する日という印象しかなくなりました。 

家電メーカーの業績不振がニュースになっています。 何十年も前に起業した経営者や、起業家と一緒に働いたマネジメントがいる間は、起業時の精神が生きていたのでしょう。 つまり、その企業の文化を大きくを育てようとする情熱(passion)が強かったのだと思います。 創立記念日になると、創業時の大変な時代を懐かしんだり楽しんだりして、その企業の「文化」というものが形造られ、価値観が養われるのです。 ところが、3代目4代目となると、創立記念日が単なる休日となってきます。 そして、ついには「文化」の形成が途絶えてしまうのです。 要するに、企業文化のコモディティ化が起こるということです。 因みに、ibgはまだ文化形成に四苦八苦している状態です。

国だって同じです。 「文化の日」は文化勲章の授与という儀式はあるのかもしれませんが、「文化(cultureをcultivateすること)」ということとは全く関係のないもので、やはり、敗戦後の自己欺瞞ではないかとうがった見方をしてしまいます。

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