2016年6月26日日曜日

50年前のビートルズ来日とBREXIT

The Beatles White Album (1968年)

50年前の6月29日、ビートルズが来日しました。 記者会見で「日本はどう?」と聞かれたリンゴ・スターは、「ほとんど変わらないよ、世界中が同じようになるのかなぁ、、、」と答えたのです。

「自立した個人」(自立したイギリス人)は、イギリスの中で実現するものなのか、それとも、EUという共同体の中でも実現可能なのか? 今回のBREXITは、世界中の人にデモクラシーやナショナリズム、そして、リベラリズムとは何かを考える機会を与えてくれたと思います。

テレビでコメンテーターが言うような、エリート支配や合理性の終焉というよりも、「アメリカ主導のグローバリズムの終焉」ではないでしょうか? グローバルエリート達とその他の人々との格差を生み、エトス(マックス・ウェバーの言うところの社会的エトス)と相容れなくなったのです。

イギリスでは、彼らの良識、つまり、ビートルズが育った生活習慣とか思考様式がグローバリズムの価値観とは相容れないということだったのでしょう。 要するに、イギリス人のエトスがグローバリズムと対立しちゃった。 これは、イギリスだけのことでなく、グローバリズムが進めば進むほど、文化・伝統を保守しようとする力が働くでしょう。 

ホワイト・アルバムからレコード盤を取り出して聞くのは40数年ぶりでしたが、いいですね。 イギリスの音でした。

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2016年6月24日金曜日

完全変態

花散りし藤の若葉の毛虫哉 正岡子規 (明治33年)

我が家の場合、パンジーの花が散って毛虫の餌となりし哉。

サナギになる直前の毛虫(固まっている)

サナギになってぶら下がっている

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2016年6月22日水曜日

ストーンズはどう思うか? ~ 英国のEU脱退

The Rolling Stones: 50 Years of Rock 'n' Roll

(ネットから許可なく使用しています)

ミック・ジャガーはイギリスのEU離脱に関して以下のように語っています。

「僕個人にとっては、離脱か残留かで違いが生まれるということはないだろうと思う。 短い期間で見れば、離脱は弊害をもたらすことになると思ってるんだ。 だけど、長い期間で見れば、20年くらいの期間で見たら、有益なんじゃないかな」。

イギリスという国家や社会、文化・伝統の中でしか「ローリング・ストーンズ」って生まれなかったと思います。 ストーンズが50年 keep rolling できたのは、イギリスのナショナリズムとストーンズのリベラリズムの調和でしょうね。 ミック・ジャガーが「リベラル」と言われることをどう思うかは別として、、、。

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2016年6月20日月曜日

都知事報道はイジメだったのか?

「我々が見ている世界は、真実そのままではあり得ない」(『世論』 リップマン 1922年)

インターネットの普及により誰もが手軽に情報にアクセスできるようになりました。 だから、メディアの提供する情報の価値が著しく低下したのです

価値を提供する実力のないメディアが一番恐れるのは世の中(大衆)から批判されることです。 したがって、彼らは決して間違いを指摘されることのない報道しかやらなくなりました(付和雷同)

これは、リベラリズム(自由)やデモクラシー(民主)の発展の帰結だともいえます 日本のテレビに出てくる見識者の中にはリベラリズムとデモクラシーを混同している人もいるので要注意ですが、、、。

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2016年6月15日水曜日

ソーセージ & ペッパー サンドイッチ

ソーセージもパンも手作りの Sausage & Peppers Sandwich

ソーセージのサンドイッチといえばホットドッグが圧倒的に有名ですが、私がたまに無性に食べたくなるのは Sausage & Peppers Sandwich です。 ペッパーとはピーマンのことです。









Sausage & Lettuce Sandwich
   
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2016年6月11日土曜日

1/2 国家が 1/4 国家になるか?!

アンドリュー・ハッカー 『The End of the American Era』(1970) 
”アメリカの問題はベトナム戦争の頃から変わっていない”

日本では馴染みがない「liberal democracy」。 アメリカ大統領選挙の今年、欧米のメディアでは頻繁に取り上げられています。日本には「自由民主党」という政党はあるのですが、どうも、リベラルデモクラシーを混同しているように感じます。 これは、戦後民主主義教育で、「民主主義」を「自由主義」と教えてきた結果なのかもしれません。

民主主義(democracy)は制度ですから、画定した国境が必要、つまり、国家が前提となりますが、自由主義(liberalism)というのは国境なんて必要ない行動や行為で国民の義務だとかワクは関係ない、いわゆる主義の問題です。アメリカの問題は、自由主義が行き過ぎて自己中心主義者ばかりになったことです。 最近、アメリカで「liberal democracy」に関する記事が多くなったのも、「もうたくさんだ!」と考えている人が多いことなのかも知れません。 「自由」と「民主」で押しまくってきたアメリカも、とうとう「自由」と「民主」の折り合いがつかなくなってきた(国際金融資本やグローバル企業は国境なんてどうでもいいですから、、、)。

日本は、敗戦後に国家という概念を消そうとして(国家は悪であるというプロパガンダのもとに)、「国家」の代わりに「社会」という概念を持ってきました。同時に「デモクラシー」(民主主義)を「自由主義」と置き換える教育を開始しました。アメリカの占領政策の意思が働いた結果でしょう。

デモクラシーのような政治制度は国民一人一人の意識を前提とします。 リベラリズムは個人の精神的な強さを要求します(国家を頼りとしませんから)。 2つとも脆弱で、更に宗教心も弱い、「武士道」はよかったのですが、すっかり蒸発してしまった。 日本は益々不安定になり、半分国家が1/4 国家になる可能性が大ではないでしょうか?

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2016年6月10日金曜日

大都市とネズミ


今週のエコノミストのカバー・トピックは「教育」です。 アダム・スミスは、精神の不具・奇形を防ぐのは教育だと言っています。 人々が教育により賢くなることにより、政府や指導者の不正不義を見抜く能力を得ると主張します。 福沢諭吉の『学問のすすめ』と似ていますね。

ネズミ男にとって、コスモポリタンで事なかれ主義の大都市 「東京」 は打ってつけの住み家です。

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2016年6月8日水曜日

何かが三鷹に飛来!

TAMIYA COLOR "つや消し" で遊んでみました












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2016年6月4日土曜日

ひむがしの野に、、、


東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

柿本人麻呂 

振り返って見ないでも、東の野の朝陽(かぎろい)の中に下弦の月が昇る。  苗が植えられる前の水が入った状態を水張田(みはりだ)と言うそうです(後方の山は若草山)。











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2016年6月2日木曜日

大阪の反逆はなくなった?

早朝の法善寺横丁

30数年ぶりに大阪の南を散歩しました。 私は大阪の南の生まれ、織田作之助は私の卒業した府立高校の先輩です。 保守的な東京に対抗するための進歩的な大阪というイメージは、残念ながら感じられませんでした。 どちらかというと、上海の街から活気を取り去ったような印象でした。

『大阪の反逆』 坂口安吾 (1947年)

「織田は悲しい男であつた。彼はあまりにも、ふるさと、大阪を意識しすぎたのである。ありあまる才能を持ちながら、大阪に限定されてしまつた。彼は坂田八段の端歩を再現してゐるのである。だが我々は織田から学ぶべき大きなものが残されてゐる。それは彼の戯作者根性といふことだ。読者を面白がらせようといふこの徹底した根性は、日本文学にこれほど重大な暗示であつたものは近頃例がないのだが、壇上のスポットライトの織田作は神聖なる俗物ばらから嘲笑せられるばかりであつた。

(中略)

東京の芸術が職人気質名人気質の仙人的骨董的神格的なものであるとき、大阪の芸術は同時に商品であることを建前としてゐる。かくの如くに両都市が気質的にも対立してゐるのだから、東京への反逆、つまり日本の在来文化への反逆が、大阪の名に於て行はれることも、一応理窟はある。

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