2010年12月31日金曜日

ゲーム・チェンジャー

深大寺(今年はゲゲゲのおかげで随分と有名になりました)

われわれが最大の仮面をかぶるときは、内面にひそむ邪悪と醜悪をかくすためでなく、われわれの空虚さ(中味のなさ)をかくす場合である。何といっても、隠すのに最も難しいものは、存在しないものである(Our greatest pretenses are built up not to hide the evil and the ugly in us, but our emptiness. The hardest thing to hide is something that is not there)。

これは、エリック・ホッファーの『情熱的な精神状態』からのアフォリズム(金言)です。この一年半、日本の政治やマスコミを見ていて「これだ、コレコレ!」と思いました。

アメリカの雑誌、Foreign Affairesの11月号に、「The Game Changer」という中国に関するレポートが掲載されていました。「中国は、国際社会で大きなポジションを狙っているだけでなく、自分の都合の良いようにゲームのルールを変えるゲームチェンジャーだ」と批判しています。最近、アメリカのメディアでこういった内容の記事を多く見掛けます。これって、これまでアメリカがやってきたことなのにね。

一方、日本では「中小企業の活路は中国にある」と新聞やTVで中国ビジネスを奨励しているようです。中国に対する見方が相反しているので面白いですね。当の中国では、「中国はどんどん良くなっている」といった報道が急増しているようです(共産党の常として、ヤバイときに事実と真逆の報道をするのか?)。

経済力と軍事力でイギリスが覇権を握った19世紀半ばから第一次世界大戦までは、パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和と秩序)と言われました。その後、アメリカが新興国としてのし上がって来て20世紀になってパクス・アメリカ-ナと言われるようになりました。特に、ソ連崩壊後は、アメリカの一極体制になりパクス・アメリカ-ナが長く続くかと思われたのです。ところが、そうは問屋が卸しませんでしたね。昨今、アメリカの弱体化は歯止めが掛からない。21世紀、パクス・シニカ(Pax Sinica)、つまり、中国による世界平和と秩序維持の時代が訪れることがあるのでしょうか?

政治や国際情勢の話題に深入りするのはやめましょう。 墓穴を掘っちゃいます。

子どもの教育に関して一言。

最近、グローバル社会で生き抜くために、英語教育だけでなく中国語まで子どもに習わせる親が増えてきていると聞きます。偏差値偏重の受験システムでは飽き足りず、国際人に育てるために中国語も必須だということなのでしょうか。

「優秀な人材に国籍は関係ない」と声高に叫ぶ政治家やコメンテーターもいるようですが、私はそうは思いません。やはり、世界を舞台に仕事をしようとすれば、自分が日本人であることを意識せざるをえません。あなたがどこの国の人か分からないようであれば、外国人と信頼関係なんて築くことは不可能なのです。これが国の外交ともなれば一層重要なことです。「日韓中を一つの市場と考えて、国境を取り払い、パスポートも要らなくなる」といったようなことを、日本の某国大使が発言したそうですが、もっとリアリスティックに考え行動して欲しいですね。大使たるもの国家を代表しているのですから。

年の瀬のウダウダの結論ですが、子どもには外国語もいいですが、日本の歴史や文化を正しく教えて欲しいものです。

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2010年12月28日火曜日

ハンバーガーも作ってみた


ハンバーガーも家で作るのが最高!
メルローもうまい。

もうすぐ2010年も終わりですね。1年間日本を見て感じます。この国は、「文明」に近づくどころか「野蛮」に逆戻りしているんじゃないかと、、、。中高年の尊厳(dignity)も大事ですが、若者に希望(hope)がないのは悲しい。

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html
(今年1月のブログ「教育は何のためにあるのか?」)

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2010年12月26日日曜日

日本脱出されちゃった。。。。

深大寺の手水舎

息子がとうとう日本を脱出しました。

福沢諭吉の福翁百話に『成年に達すれば独立すべし』というのがあります。福沢さんというのは、どうなっているんでしょうね。時代に関わらず人生のどんな場面でもグッとくる一言を残しています。

往くを咎(とが)めず、去るを悲しまず、自由自在に任して、その働きのあらん限りを逞(たくま)しうせしむべきのみ。 斯(か)くありてこそ社会の進歩も期すべきことなれ子供が家を出ても、責めたり悲しんだりしないで子供の自由にさせなさい。そして、子供が思う存分に世の中で活躍できるようにするべきだ。そうすることによって社会も進歩するというものだ)。

既に至当の教育を被りて成年に達するときは、独立の生計を営むべし。即ち父母の膝下(しっか)を辞するの時にして、これより後は一切父母の厄介たるを許さず。既にその厄介たらずとあれば、仮令(たと)い父母の尊厳無上なりというも、漫(みだ)りにその子の言行を妨ぐべからず(子供が教育を受け成人になったのであれば、独立し自活させるべきである。父母の家を出て、もう両親の厄介になってはいけない。父母の尊厳は重要であると言うが、やたらに子供の言うことや行動を妨げてはいけない)。

息子は、下関から船で上海。上海から夜行列車で北京。北京からシベリア鉄道に一週間、モンゴル経由で極寒のサンクトペテルブルクへ。そこからスウェーデン、フェリーでドイツに渡りフランスから大雪のイギリス。先日、ニューヨークに着いたとEメールが来ました。

ここ1年余りは日本で働いていたのですが、彼なりに考えた上での日本脱出なのでしょう。ニューヨークで育ち、大学時代の4年間はマンハッタンに住んでいたので、「Get back to where you once belonged」なんでしょうね。

福沢さんは更に言います。

「父母の役目というものは、子供を産んで養育するだけでは、半分も全うしたことにはならない。産んで育て一人前の男女とし、子供たちの世代で世の中の役に立つ人物になるように教育し、老若交代してこそはじめて父母の名に恥じないと言えるのだ」(「教育のこと」福沢文集 巻之一)。

キツイねぇ、、、。

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2010年12月24日金曜日

ローストビーフを作ろう

日本のカイザーロールはミニチュアサイズ

牛肉の塊は、COSTCO(コストコ)でアメリカンビーフを買う。サンドイッチなど薄切りにする場合は安い肉で十分。プライムリブの場合は、リブアイの塊り4ポンド(1.8キロ)くらいのものを買います。焼く前に室温に戻しておく。

塩・コショー、にんにく(ガーリックプレスで潰す)、オリーブ油少々を手で肉にもみこむ。ミートサーモミターを肉に差し込み、予め325°F(163°C)にセットしておいたオーブンで肉1ポンドにつき25~30分焼く。

サーモミターの温度:

140度 RARE
160度 MEDIUM
170度 WELL DONE

実際にその温度にならなくても、オーブンから出した後も、肉内部の温度は上がるので、時間が来たら取り出して、ラックにのせたまま1時間レストさせる。

オーブン皿に残った油と肉汁の中で、野菜少々(玉ねぎ、セロリ、にんじん)薄切りを炒め、赤ワインを少々と水とマコーミックのAU JUS GRAVYミックスを溶かしたものを加え軽く煮込む。味見して、塩・コショーを加え、濾してソースとして使う。肉を切って出た肉汁も加える。


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2010年12月22日水曜日

運転免許更新 ~ Keep Getting Up !

アメリカの運転免許の更新手続きを日本から行いました。

アメリカの各種事務手続きはいい加減で問題が多いと思われています。
しかし、紆余曲折を経ても最終的には結構うまく行くのですよ。

アメリカで運転免許の発行や自動車の登録業務を行う所をDepartment of Motor Vehicles (DMV)と言います。役所の中でもイメージの良くないところです。ニューヨーク州DMVのホームページで調べても、海外から免許証を更新する方法が見つかりません。日本では、運転免許の更新手続きをする際には必ず「講習」を受講しなければならないのですが、アメリカ(NY州)では講習はなく、インターネットで更新ができます。

日本から更新しようとしたら、IPアドレスが国外であることを認識してか、うまく行きません。NYの友人に頼んでインターネットでの更新を試みましたが、これも失敗です。住所変更が伴う更新だからかも知れません。私の場合、ニューヨークに住所がないのでどう対応すればいいのか、または、そもそも非居住者は更新できないのか分かりませんでした。

諦めてはいけません。「Keep Getting Up !」。 アメリカ生活の基本です。そうです、映画「ロッキー」を思い出すのです。「ロッキー」のテーマ音楽を頭の中でかき鳴らし、出来るまでトライするのです。

以下の書類をレターを添えてニューヨーク州のDMVに郵送しました。

免許証のコピー
住所変更願(友人の住所を借りました)
更新依頼
視力検査(眼科医による証明書)
更新費用(80ドル50セントと17ドル50セントのチェック)

これが大事なのですが、上の必要書類(と思われる)ものに加えてレターを書きました。内容は、「現在、日本に住んでいます。免許更新のための必要書類とチェックを送付致します。必要書類はDMVのホームページからダウンロードしたものです。尚、視力検査のドクターによる表記『1.0』は日本の表記方法なので、アメリカであれば『20/20』です。もし、追加書類が必要であればお知らせ下さい。メールIDは以下の通りです、、、、、」。

果して、数週間が経ちニューヨーク州の友人宅に更新された免許証が送られてきました。手書きのレターが添えられており、「今回の更新では17ドル50セントは必要ない」とのことで、17ドル50セントのチェックが同封されていました。

Keep Getting Up !

庭の葉ボタン

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2010年12月21日火曜日

「走れメロス」をどう読むか?

大ヒットしたアメリカ映画の特徴は「ないものねだり」です。自分に無いものを映画で表現しているものです。少し分類してみました。分類なんて、コンサルタントっぽいですね。

  • ネバーギブアップ型:(「ロッキー」、「アポロ13」、「フォレストガンプ」、「ショーシャンクの空に」、「ルディ/涙のウィニングラン」)
  • ヒロイズム型(「シェーン」、「真昼の決闘」、「アルマゲドン」、「バットマン」、「大統領の陰謀」)
  • ホープ&ドリーム型(「レインマン」、「今を生きる」、「ET」、「勝利への旅立ち」、「愛と青春の旅立ち」)
  • グローイングアップ型(「ペーパー・チェイス」、「スタンドバイミー」、「セント・オブ・ウーマン」、「ベスト・キッド」、「卒業」)
  • サクセスストーリー型(「ワーキング・ガール」、「プリティウーマン」、「摩天楼はバラ色に」、「ベイビー・ブーム」)

さて、皆さんよくご存じの太宰治「走れメロス」、中学生の教科書に長年にわたり登場する作品です。「走れメロス」を中学生に教えるのは難しいでしょうね。学校ではどう教えているのでしょうか? 自分もどう教わったのか、今では覚えていません。

難しいと思うのは、作品が何を主題としているのかがはっきりしないからです。単純に友情や信義を主題とするか、それとも、時代を含む自分自身の境遇を皮肉った太宰のニヒリズムなのかと言うことです。私は知らなかったのですが、文学界では侃々諤々の議論があるようです。このあたりの背景も、先生が中学生に紹介すると面白いですね。現代史の授業にもなります。

上記のアメリカ映画の分類で言うならば、「走れメロス」は、自立したい太宰の心の表れである「グローイングアップ型が5割、単純に健康で明るく読む「ネバーギブアップ型」「ヒロイズム型のミックスが5割でしょうか。それに、時代背景、つまり、日中戦争が泥沼化し、軍部が台頭していくことに対する太宰の反骨精神がちりばめられている。これが私の解釈です。 何れにせよ太宰治はアウトプットを周到に意識した小説家ですね。

私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。

それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。

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2010年12月20日月曜日

日本の医療システムはすごい!

支払い能力の証明をしなくてもお医者さんが診察してくれるなんて、日本の医療システムは素晴らしい。アメリカだとこうは行きません。社会主義を標榜する中国だって国民皆保険からはほど遠い。

勇気を出して歯医者に行ってきました。レントゲンを撮って、歯茎のレーザー治療をして、歯垢をとってもらって、いくらだと思いますか? 2910円です! アメリカであれば確実に10倍以上だと思います。デンタル保険に加入していても、保険で何%給付されるかは、保険会社と何度も交渉をしなければ簡単には支払ってくれません。アメリカでは国民健康保険や社会保険のようなシステムはありません。ほとんどが民間の保険会社の健康保険に加入するわけです。そして、一般的にデンタルはオプションとなっていますので、別途加入することになります。

歯が痛くなってから最初に食べるジャイアントコーンです。ジャイアントコーンにミニサイズがありました。嬉しくて10コも買ってしまいました。 でも、歯が痛いときのアイスクリームは危険です。

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2010年12月17日金曜日

鎌倉と三鷹の共通点は?

昨日、所用があって鎌倉に行ってきました。

鎌倉と三鷹の共通点は「太宰治」です。

インターネットで著作権が消失した過去の文学作品を無料で読むことができるので重宝しています。長い文章をPCのディスプレイ上で読むのは苦手なのですが、短編だと問題ありません。短編が多い太宰治とか織田作之助はもってこいです。

学校の教科書では未だに「走れメロス」の太宰治ですが、私は好きな作家の一人です。理由は、太宰というのは「小説に出てきそうな小説家らしい小説家だった」と思うからです。私のブログのようなインスタントな文章でなく、熟考した上でエンターテイメントとしてのストーリーをアウトプットしようとしたのでしょうね。つまり、太宰治は職業意識の高い文筆家なのです。

太宰治は三鷹の玉川上水で自殺しましたが、鎌倉でも心中を図っています。昭和5年、大学生の頃です。許嫁がいたにもかかわらず、銀座のバーで知り合ったばかりの女性と薬を飲んで海に飛び込み女性だけが死んでしまいました。『道化の華』は、その時のことが舞台になっている短編です。その後、時代は満州事変から日華事変、大東亜戦争になり敗戦からアメリカ占領時代に突入します。

太宰治が死んだのは敗戦から3年後の昭和23年です。太宰と言えば、私生活と小説がオーバーラップしたデカダンスなイメージですが、戦前戦中戦後と時代を反映して作品は変遷していったのだと思います。戦後の作品を読むと、反骨の精神が垣間見えます。今の日本を予言していたのかも知れませんよ。http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_29.html (7月29日「太宰治のこと」)。

江ノ電 心中を図った小動岬(こゆるぎみさき)の近く


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2010年12月15日水曜日

宮本武蔵はなぜ負けなかったのか?

学校で習うことなんて、人生の中のほんの一部ですね。偏差値をベースにした日本の受験システムを全否定するわけではありませんが、戦後教育の集大成であるかのような昨今の日本を見ていると悪夢を見ているようです。

「理論の基礎は実践であり、理論はまた転じて実践に奉仕するものである」。これは、毛沢東の「実践論」(1937年)からの引用ですが、毛沢東は宮本武蔵の「五輪書」でも読んでいたのですかね? 宮本武蔵は有名な剣豪です。巌流島で佐々木小次郎とも決闘をしました。ご存じの通り武蔵は最後まで負けなかった。生涯六十余回の決闘をしたそうですが、遂に一回も負けなかった。

なぜ負けなかったか?

武蔵は晩年、「自分は器用であった」と言っています。「兵法の理を知っていたから勝ったのではなく、自分の小手先が器用だから勝ったのだ」と。武蔵の書画を見ても武蔵が抜群に器用であったことは分かりますが、多くの経験を積んで、その中から何かを掴むということが出来たのでしょうね。武蔵は実践を通じて常に勝つことを考えました。それは非常に合理的で現実に即したことだったのだろうと思います。一本より二本、武蔵の二刀流なんて、まさにこれですね。

武蔵の「五輪書」は、彼がたどり着いた人生の方法論です。

第一に、よこしまになき事をおもふ所 (正しい事を考える)
第二に、道の鍛錬する所 (学問/芸は鍛錬すること)
第三に、諸芸にさはる所 (多芸に親しむこと)
第四に、諸職の道を知る事 (様々な分野を知ること)
第五に、物毎の損徳をわきまゆる事 (物事の損得を理解すること)
第六に、諸事目利(めきき)を仕覚ゆる事 (真実を見きわめる力を養うこと)
第七に、目に見えぬ所をさとってしる事(目に見えないところを悟ること)
第八に、わづかなる事にも気を付くる事(小さなことにも気をつけること)
第九に、役にたたぬことをせざる事(役にたたないことをしないこと)

私は、第三が好きです。

(東照宮の石灯籠(苔のむすまで、、、、)

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2010年12月13日月曜日

日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク

学校で「協調性がない」と言われたら?

喜びましょう。

逆に、幼稚園や小学校の先生から、「お子さんは、協調性があってよい子ですよ」と言われたら、危機感を感じたほうがいいかもしれません。

「協調性」って注意を要する言葉です。

日本の学校や会社組織では、「協調性」が重要視され、「和」がチームワークの基本であるかのように言われます。しかし、「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他の人と協調することなのです。学校の先生を含む多くの日本人は、この「和」の意味を誤解していると思います。「和」の前提は、個人の主体性です。主体性がないと「同じる」ことになる。つまり、「付和雷同」というわけです。

これが、孔子の言うところの「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、小人同而不和)の意味するところなのです。夏目漱石は、主体性を軽視して西欧に迎合した明治時代の日本を死ぬまで憂いたのでしょう。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html (夏目漱石の「自己本位」に関する過去のブログ)。

仕事をする上でチームプレーヤーであるかどうかは重要な点です。だから、就職の面接で「チームプレーヤーだと思いますか?」と言うのはよく聞かれる質問です。しかし、「チームワーク」に関しても、「協調性」や「和」と同じで、多くの日本人の認識は、少しばかり世界とギャップがあるように思います。

「チームワーク」というのは、チームメンバーが同じて和せず、つまり、メンバー全員が単に協調することではありません。本当の協力や協調というのは、一人ひとりが自分の個性を尽くして、同じ目的を貫くということです。個性や技量は違っても(それぞれに「技がある」ことは大切ですが、、)、同じ目的のために全力を尽くすということであって、だから、ベクトルを合わせるために、または、わかり易くするために「Vision(ビジョン)」が重要になってくるわけです。

日光東照宮 御本社の屋根

(「Vision」と「チームワーク」がしっかりしていたので、日光東照宮は完成したのでしょうね)


「付和雷同」の意味:

自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。

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2010年12月12日日曜日

Happy Holidays !

やっと、我が家もクリスマスツリーを出してきました

1996年の感謝祭は、まったく寒くない年でした。ロックフェラー・センターに飾られるクリスマス・ツリーに、当時の我が家(ニューヨーク州アーモンク)のすぐ近所の木が選ばれました。家の増築を請け負ってくれたトニーが、「あれは6万ドルで売れたんだ」と教えてくれました。それを聞いて、自宅の裏庭にある木を眺めまわしてしまいました。残念ながらあれほど立派な木はなかった、、、。

その頃、ビル・クリントン政権が2回目の4年間に突入しようとしていました。クリントン政権の2期目は本当に余計でしたね。アメリカが中国に対して弱くなった4年間でした。今更、奥さんのヒラリーが出てきて中国に凄んでみても後の祭りですよ。そう言えば、10日にビル・クリントンがオバマ大統領との会見後の記者会見で、「日本のようになりたくない」と言ったそうですね。「お前さんだけには言われとうないわい!」と思ったのは私だけ?

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2010年12月10日金曜日

東照宮の三猿が教える人生訓

大洗の友人に会う序でに日光に行ってきました。日光東照宮に行くのは初めてです。

石灯籠や屋根の苔色を見ていると、私のような者でも「伝統が積み重なって文化になる」ことが分かります。人工国家が多い中、日本の歴史って相当誇れるものだと再確認しました。

神厩舎(しんきゅうしゃ)は1635年に建てられたものです。ここに誰でも知っている「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(さんえん)の彫刻があります。実は、猿の彫刻は8面彫り込まれています(①子育て、②成長、③悩み・思春期、④旅立ち・希望、⑤挫折・友情、⑥出会い・恋愛、⑦結婚、⑧妊娠)。 猿の一生をもって人間の生涯を風刺したものだそうです。

子育て
母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞきこむ。A mother monkey is looking far into the future of her child, and a child is looking up at the mother.

成長

子どものうちは、悪いことを「見ざる・言わざる・聞かざる」がよい。The three monkeys tells us that children should “See-No-evil, Say-No-evil, Hear-No-evil”.

挫折・友情

人生の崖っぷちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。崖っぷちに立たされた猿。しっかりと足下をみつめる。He is frustrated in life and desperately looking down the cliff while one of his friends is cheering him up.


人生は8つの段階がシーケンシャルに推移するのではないようです。例えば、「挫折・友情」なんて人生に何度も出てきますね。

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2010年12月9日木曜日

小さい時から価値観の形成って大事ですよ

( 寒さに弱い12月の花 ポインセチア)

今日は12月8日です。30年前、ビートルズのジョン・レノンがマンハッタンのウエストサイドにあるダコタハウスの前で凶弾に倒れた日です。私の誕生日でもあります。私は凡人ですから、まだのうのうと生きていますね。特に優れたところがない私なのですが、少しばかり偉そうに、グローバルな環境で仕事をする上で一番重要なことに関してコメントします。

夏目漱石が「私の個人主義」で言っていることにも通じます。漱石がイギリスで胃が痛くなるほど考えた個人主義というのは、利己主義とか自分勝手という意味ではなく、自分のバックボーンとなる考えを確認し、信念をもって自分の道を進んで行くというものです。それは、自分だけでなく他人をも認めることなのです。

「グローバル」でも「インターナショナル」でも、言葉はどちらでもいいのですが、そういった環境で仕事をする時に大事なことは、「他者の価値観を理解すること」だと思います。全ての人の価値観が同じであることを前提としてはいけません。もし、あなたが管理職であれば、部下の価値観を理解して、行動を予測し、彼らのやる気を高め、チームとして仕事の成果に結びつくような施策を講じたり、指導する力が要求されます。

そこで、まずやらなければならないことは、自分自身の価値観をしっかりと認識しておくことです。このあたりが、イギリスで気づいた夏目漱石の「自分本位」なのです。そうした上で、あらゆるコミュニケーションを通じてチームメンバー一人一人の価値観を理解するように努めなければなりません。組織内でのコミュニケーションは、友人と無駄口をたたく(babbling)のではないので、何らかの考えをもってメンバー全員と会話をすることです。

日本人だけの職場であれば、実はそれほど大きな問題はないのです。なぜならば、暗黙知としてある文化的な背景は共有するわけですから(今のところ?)。しかし、国籍の違う人たちと一緒に仕事をする場合、彼らはあなたを意識する前に、彼らの持つ先入観を通して日本人としてのあなたを見ます。それがスタートポイントとなります。したがって、日本人であるあたなは、日本や日本人のことをよく理解しておかなければなりません。そうした上で、「自分の価値観はこうだ」と行動や言葉で仲間や部下に理解してもらうようにするのです。チームメンバーとの価値観のギャップを認識して、そのギャップをマネージするのが大事な仕事となります。

ちょっと堅苦しかったですね。先ほど、YouTubeでジョン・レノンの「Don’t Let Me Down」と「Instant Karma!」を聞きました。YouTubeに感謝です!

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2010年12月7日火曜日

常にアウトプットを意識する

図書館で「別冊太陽 三島由紀夫」を借りてきました。

三島由紀夫の自筆原稿や書簡が写真で多数紹介されています。三島由紀夫という人は、常にアウトプットを考えて創作したり死ぬまで人生を送っていたことがよく分かります。私みたいに思いつきで非論理的な文章をブログにアップするのではありません。比較するなんて失礼ですね、何を考えているのでしょう。

(金閣寺の創作ノート)

三島由起夫のことばかり書くと有らぬ誤解をされかねないので、本日のメッセージです。「常にアウトプットを意識して考えたり行動することは大事だ」と言うことです。

我々のようなコンサルティングビジネスでは非常に重要なことです。メンバーで議論に議論を重ね、時間をかけて膨大な資料を作成しても、クライアントへのプレゼンテーションでうまく伝えられなければ価値はないのです。

30年近く前、北京でアメリカ人の先輩と仕事をしていた時のことです。アメリカ人と言っても、元々はベトナム人で、後にアメリカ国籍を取得した大変頭脳明晰な女性でした。彼女からは色々と学びました。私の電子メールの書き方の問題点を指摘してくれました。それは、「1ページ目に結論を書け」ということでした。「マネジャーは忙しいので、電子メールが長いと2ページ目は読まないよ」と言うのです。これも、アウトプットをよく考えてアクションをとるということだと思います。

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2010年12月5日日曜日

なぜ子どもにとって読書は大切か?

( 井の頭公園のイチョウ)

戦後を代表する文芸評論家の故江藤淳さんは、『閉ざされた言語空間』(文春文庫)で占領軍の検閲と戦後日本の問題点を鋭く指摘しました。昭和の戦争で日本の軍部さえもやらなかった、徹底的な言論弾圧をアメリカ占領軍が行ったことがよく分かります。

今回は、江藤淳さんの「閉ざされた言語空間」を語るのではなく、「言語空間」という題名だけを拝借したいと思います。

人間は頭で思考する訳ですが、思考には言葉が存在します。日本人であれば日本語で考えるのです。この考える空間、つまり「言語空間」の大きさが問題です。「言語空間」が広ければ広いほど思考は深まります。そして、話をしていて楽しい魅力的な人にもなります。「言語空間」が広がると言うことはどういうことかというと、沢山の語彙や修飾語、そして、文章を知っているということです。それらがつながってストーリーとなります。私は威張って言うほど日本語を知っているわけではありませんが、今の日本のマスメディアや政治家先生、ビジネスパーソンの言語空間は一体どうなっているのかと驚くことがあります。

英語や中国語などの外国語の勉強では単語や文章を記憶します。日本語も同じです。カッコいい表現や教養がありそうに見える単語はいつでも使えるように自分の「言語空間」に在庫しておかなければいけません。政治家を志そうなんていう人は特に必要ですね。

ここ2~3日、三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。

『金閣寺』は、現実を上手に生きることができない、今で言うと、引きこもり系の主人公が、最終的には放火することによって金閣を滅ぼして現実を生きていこうとするストーリーだと言われています。最初は10代後半に読みました。面白くなかった。20代か30代の頃にまた読みました。面白くなかった。今回は三度目です。すごく面白かった。三島由紀夫が何を言いたいのかが、自分なりに分かったような気がして嬉しくなりました。物語の最後は不可解にも「生きようと私は思った」で終わるのですが、恐らく、「戦後の日本はからっぽだけど、生きようと思った」のでしょう。私の「言語空間」も少しは広がったのかも知れません(もう手遅れ???)。

要するに、読書は大切だという話でした。10月に『読書のすすめ』も書いていますので読んで見て下さい。 http://www.ibg-kodomo.blogspot.com/2010/10/blog-post_17.html

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2010年12月1日水曜日

井の頭弁財天の手水舎(ちょうずや) ~ 12月

暖かく天気がよかったのでカメラを持って井の頭公園を散歩しました。12月に入りましたが、まだまだ落葉進行中でした。驚いたことに、カメラ小僧ならぬカメラ中高年でいっぱいでした。私は思わず持っていたカメラをカバンの中に隠してしまいました。

自民党ホームページで以下の文章を見つけました。結党の精神の一部で、昭和三十年十一月十五日とあります。

{前略}

国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。

思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである。
 
{後略}

55年間も考える時間があったのに、日本の政治って、まったく進歩なく漂流を続けているのですね。

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