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2025年9月22日月曜日

走れメロスを再考する

 

太宰治の故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石。このあたりの玉川上水で、太宰は入水しました(この入水も謎ですね、、、)。  

ある大手新聞社のベテラン記者が、アメリカ社会の分断を「走れメロス」と対比して論じていました。小学校時代に劇で演じた「走れメロス」を思い出しつつ、友情や人を信じる大切さを説く内容です。王はメロスとセリヌンティウスの姿に打たれて改心する――そんな一般的で道徳教材的な解釈です。

しかし私は、どうにも違和感を覚えます。記事の書きぶりは耳触りよく整えられているのですが、「人を信じる努力を忘れてはいけない」と言っておけば自分の責任は回避できる、そんな「無責任の勧め」のようにも感じられるのです。私のうがった見方かもしれませんが、どうしても安易に聞こえてしまいます。

この大手新聞社の力はかつてほどないようですが、いまでも一定の影響力を及ぼしています。しかし、この大手新聞社は、国民に自分に対して嘘をつかせる自己欺瞞の精神を根付かせた大罪を犯していると思います。そして、この新聞社と戦後の日本の教育のベクトルは一致しています。非常に偽善的です。それでも、140年以上の歴史をもち、毎朝約334万部を発行しているそうです。国民のリテラシーが問われているのです。国民の主体性や想像力の芽をつみ続けている。

以上の私の感想は正しいのでしょうか、間違っているのでしょうか?しかし少なくとも、この国の戦後80年をふり返ると、そうした構造が確かに存在してきたのだと思わざるを得ません。

私が思うに、メロスの行動の本質は「信義」と「覚悟」にあります。彼は王や友を感動させるために走ったのではなく、自分が約束したことに対して、逃げずに応じるために走った。そこには、他者に向けた「優しい心」以上に、自分自身への「コミットメント」がある。信義とは、自分の心に対しても嘘をつかないことです。

太宰の時代背景を思えばなおさらです。1940年、日中戦争の泥沼化と軍部の台頭。社会全体が「信義」を失い、強者の論理に押し流されていた時代に、太宰はあえて「私は正直な男として死にたい」とメロスに言わせました。これは単なる友情物語ではなく、むしろ「信義を貫け」という太宰の切実な叫びであり、時代への反骨精神だったのではないでしょうか。

いまの世の中を見ると、ますます「信義」が軽んじられています。国際政治も、ビジネスも、人間関係すらも、表向きの約束や契約はあっても、本気でコミットしない人が増えている。米国の政治リーダーが「王のように信じて改心することができない」のは、決して遠い国の出来事ではなく、世界に広がる病理です。

だからこそ、私は「走れメロス」を再び考えたい。友情や信じる心の美談に留めるのではなく、「人が自分の信義にどこまで覚悟を持てるか」という問いかけとして。メロスが走ったのは、ただ友を救うためではない。彼は「恐ろしく大きいもの」のために走った。――その大きいものとは、人が人であるための最後の拠りどころ、信義そのものだったのではないでしょうか。

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2025年7月10日木曜日

「文化」と「文明」のあいだで ── 今、教養とは何かを問う

 1980年代初期に北京の内部書店で購入した日本語版『毛主席語録』(初版)。




前書きは、毛沢東暗殺に失敗し謎の死を遂げた林彪です。



「文化」と「文明」のあいだで  ──  今、教養とは何かを問う

教養ある中国人とは誰か?

平川祐弘さんは「権威に盲従しない人」と言います(産経正論2025年7月8日)。なるほど、それは実に納得のいく定義です。だとすれば、日本における「教養ある知識人」とは誰のことを指すのでしょうか。

AIが急速に一般化し、「知識」へのアクセスがかつてないほど容易になった今こそ、本当の意味で問われるべきは「文化と文明」のバランス感覚だと思います。科学技術が文明を前に進める一方で、それをどう使うのかという価値判断は、つねに文化に根ざした教養に依拠せざるをえません。

私は、来年古希を迎えます。思い返せば、私の思考の支柱になってきたのは、学校でも教師でも教科書でもありませんでした。むしろ、明治から昭和初期にかけての知識人──いわゆる「文豪たち」の言葉でした。福沢諭吉、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治……。彼らが直面していたのはまさに「文化と文明の相克」という現代的なテーマだったのです。

平川さんの記事でも指摘されていたように、かつての日本では「教養」とは漢籍に通じることを意味し、それに代わって西洋古典が読まれるようになってからも、文学や思想の素養は知識人の証でした。けれど今では、教養の中身そのものが曖昧になり、英語すら手段としてしか扱われず、学ぶべき「日本の近代古典」すら忘れられつつあるように思います。

一方、中国では『四書五経』が国民的古典としての地位を失い、かつて毛沢東の語録がそれに取って代わるかに見えた時期がありました。だが結局、『毛沢東語録』は読まれる古典にはなりきれず、現代の中国においても「敬意をもって読むべき本」が不在のままです。皮肉にも、教養ある中国人とは「語録を読まない人」と定義される時代になっているというのです。

日本においても、教養は形骸化しつつあります。全集を揃える家庭は減り、本棚の存在感はスマートフォンの画面に取って代わられました。それでも、私たちは「本を読む民族」から完全に堕ちてしまったわけではないと信じたいのです。

難解な古典に無理に立ち返らなくとも、たとえば明治の知識人の書いたものに立ち戻ることは可能です。彼らは「日本」という国家が急激に近代化するさなかで、何を守り、何を捨て、何を受け入れるかを懸命に考え、悩み、書き残しました。その営みこそ、現代を生きる私たちにとっての「教養」の原点になるはずです。

AIの時代だからこそ、人間の軸を持たなければならない。平川さんの言葉を借りれば、明治の古典を「カリキュラムの核」に据えること。それはノスタルジーではなく、未来への選択なのです。


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2025年6月27日金曜日

レイラを弾きながら思う事

久しぶりにギターを手に取りました。およそ二か月ぶりでしょうか。何を弾こうかと迷った末、やはり選んだのはクラプトンでした。気がつけば、再会の曲はいつも彼のものになっている気がします。

クラプトンほどの大御所でも、いまなお毎日ギターを弾くのだそうです。しかも、ステージで演奏する曲は毎日必ず練習するという。「忘れるから」と彼は語る。才能と経験を重ねた巨匠でさえ、なお“忘れる”ことを恐れ、日々ギターに向き合う。その姿勢に、クラプトンに可愛さを感じます。

継続することの重みは、年を重ねてますます深く感じるようになりました。この曲——「レイラ」を初めて聴いたのは、中学生のころでした。もう50年以上も前のことです。あの衝動的なギターリフと、どうしようもないほど切ない歌声。若い頃にはただ「カッコいい」と思ったその曲が、今では痛いほど心に響くのです。

クラプトンは、自分自身を自虐的に唄う。まるで、太宰治を読んでいるかのような気分になります。どこか似ているのです。自己否定と孤独を抱えながら、それでも生きようとする人間の姿が。

文学と音楽、ジャンルは違えど、私は彼らの根っこに、「ダメな男」という意味で、共鳴しているのかもしれません。ひょっとすると、私はクラプトンのファンなのですね。いまさらながら、そんな気がしています。


What Comes to Mind While Playing “Layla”
I picked up my guitar for the first time in a while—about two months, I think. As I sat wondering what to play, I found myself turning, once again, to Eric Clapton. Somehow, whenever I return to the guitar after a break, it's always his music that marks the reunion.
Clapton, despite being a legend, still practices the guitar every single day. He says he plays the songs he performs on stage daily—because otherwise, he might forget them. Even a master with decades of talent and experience fears forgetting, and so he keeps facing the instrument, day in and day out. There’s something endearing about that—a kind of humble honesty.
As I grow older, the weight of persistence—of simply continuing—feels deeper than ever.
I first heard this song—“Layla”—when I was in junior high school. That was more than fifty years ago. The raw, impulsive guitar riff, and that achingly desperate voice—when I was young, I just thought it was cool. But now, the song cuts deeper, hits harder. It aches in a way it didn’t back then.
Clapton sings about himself with a kind of self-mockery, a wounded honesty. It reminds me of reading Osamu Dazai. There’s a resemblance between them: men carrying self-loathing and loneliness, yet still struggling to live.
Music and literature are different mediums, but I feel a strange affinity with both. Perhaps what I recognize in them—what resonates—is the figure of the “flawed man.” The broken, but still breathing.
Maybe, after all this time, I’ve always been a Clapton fan. And only now do I truly realize it.

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2025年5月5日月曜日

憲法記念日に考えた

これから何年生きるか分かりませんので、言いたいことは言っておきましょう。

佐藤功の『日本国憲法概説』

50年前の本です。東海林さだおの本やちばてつやの漫画は不本意ながら全部捨てたのに、なぜ佐藤功の『日本国憲法概説』はまだ持っているのでしょうか? 私は反感しかありませんでしたが、この本を「権威」としてキャリアを積んできているのが日本の中枢(エリート)でしょう。佐藤の憲法を知らない政治家もいっぱいいますが、、、。

憲法改正はやりたくない

憲法改正の手続きを定めた96条でさえ議論・検討できない政治家に憲法を改正するなんて面倒なことはやりたくない。官僚や弁護士は憲法は既得権益だから改正なんてとんでもない。覚えたことが無駄になる。護憲は憲法の「憲」ではなく既得権益の「権」なのです(江藤淳?)。つまり日本の国柄とか伝統や文化に根ざした人権でも何でもないのです。もちろん、アメリカ政府のゆるぎない対日戦略のプレッシャーもあります。

決断力の欠如

日本国憲法がアメリカ人によって書かれた終戦直後は、アメリカ人でさえ広島・長崎に「原爆までおとしちゃった」自責の念に駆られて、現実離れした理想を幾ばくかの正義を有した一部の若者が作文したのでしょう。一言も変更することなく80年ものあいだバイブルとしている日本人、驚きを通り越して、怒りはしないだろうけど絶対に信頼できるパートナーとは思っていないでしょう。決断力(determination)の欠如だと思うからです。  

国家の三要素

日本国憲法や特に憲法9条は宗教みたいなもので、イスラム教徒に多神教を認めさせるのと同じです。どう説明してもダメ、論理的にどうのこうのではありません。「マルクス主義の武装解除が9条の戦争放棄と同じことだ」と言っても無駄です。国家破戒の最大の障害は軍隊と国内治安の警察力です。国家の三要素は国法と防衛と治安なのです。日本の場合「治安」しか残っていないのですが、最近の凄まじい犯罪ニュースや移民問題を見ていると、最後の砦である治安も危ういですね。

当事者意識

老若男女多くの日本人は「憲法改正については深い議論が必要だと思う。同じ世代どうしでも議論していきたい」と思い続けているようです(毎年の世論調査)。太宰治の戦後の一連の作品をよく読んでみると(太宰は1948年没)、占領軍の検閲に対する憤りと、戦後180°転換した日本人に対する絶望感があるのだと思えてなりません。 憲法改正の議論の向こう側には何があるのでしょう? 保護者であるアメリカが去った後の日本を考えて議論してもらいたいものです。 護憲左翼も拝米右翼も、議論の前提となる日本の現実を見ていない。 敗戦直後の太宰治はしっかりと見ていたと思います。 今の日本は問題意識が弱いから危機意識に至らず、当然多くの国民に当事者意識はありません。 

思考停止

日本国憲法、日米同盟、核の傘という3つの噓話をリセットすることができるのは100年後でも難しい(アメリカの対日戦略が変わらない限り)。私は長い間日本人は自己欺瞞していると思っていました。しかし、最近では自己欺瞞しているのではなく、本心から現実を理解していない人が多いのだろうと考えるようになりました。思考停止(無関心または虚無)というのもマインドコントロールの結果でしょう。

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2024年2月14日水曜日

スーパーボウルとテイラー・スイフトと大統領選挙

The 2024 Super Bowl

もしテイラー・スイフトの恋人であるカンザスシティチーフスの Travis Kelce が逆転タッチダウンを決めたクォーター・バックだったら、もっと完璧なパブリック・ロマンスでしたね。

歌手テイラー・スイフトのことはあまり知りませんが、初めて YouTube で彼女のステージを観ました。ユーミンなんかはスイフトのステージを参考にしているのか?(もしかしたら逆?)。スイフトは自己肯定、自己絶賛型の私小説家じゃないかと思います。なんだか自己破滅型の太宰治とは真逆です。今回のテイラー・スイフトの東京ドーム公演(2月7~10日)の最後の曲『Karma』(因果応報)なんて、彼女のスーパーポジティブな性格を表している歌詞です。シンガー、エンタテイナーとしては実力人気ともに一流でしょう。

テイラー・スイフトは前回の大統領選挙では民主党バイデンを支持しました。今回はどうするのでしょう? 民主党はテイラー・スイフトに民主党支持だと言わせたくてしかたがない。しかし、民主党が大統領選で勝つには、トランプを牢屋に入れるか、選挙で再び不正をやるか、それともテイラー・スイフトを候補に立てるかの三択じゃないかと思います。

アメリカは政治もスポーツもメディアも、当然エンタメも、全てが金儲けの世界です。私はアメフトは好きなスポーツなので毎年スーパーボールを楽しみにしています。スーパーボールを観ているといつもアメリカの大統領選挙が重なってしまいます。スーパーボールのハーフタイムショーなんて、大統領選挙のスタジアム(アリーナ)でのキャンペーンに近い。

さて、どちらかというと保守のイメージが強いアメリカンフットボールのスターを恋人にしたテイラー・スイフトは、前回通りリベラルな民主党を支持するのか、保守の共和党を支持するのか? 楽しみです!

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2023年12月25日月曜日

上滑りから崖からの転落へ

 
朝の散歩

今年は「大正時代」にこだわった一年でした。それは色んな意味で令和の今とあまりにも似ていると思ったからです。

夏目漱石は明治の文明開化を「上滑り」と言いました。それを大正時代に受け継いだのが芥川龍之介や梶井基次郎でした。芥川の遺作である『或阿呆の一生』(1927年)と梶井基次郎の『檸檬』(1925年)には「上滑り」に対する反抗が見られます。2作とも洋書が並ぶ書店が舞台設定にあります。

「上滑り」は軍国主義が入り込んできて昭和の戦争で破綻しました。敗戦後の70数年、日本はアメリカ化により「上滑り」がとうとう「崖からの転落」になっています。それは敗戦直後の太宰治の作品や坂口安吾の『堕落論』からも予想できます(安吾はまだまだ堕ち足りないと言っていますが、、、)。

梶井基次郎の『檸檬』


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2023年12月15日金曜日

太宰治の三鷹跨線橋

https://www.yomiuri.co.jp/national/20231215-OYT1T50181/

下の写真は12月14日の夜明け頃です。誰もいませんね、、、。







2023年6月15日木曜日

太宰治とクラプトン (続)

『太宰治情死考』坂口安吾 1948年

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html

https://youtu.be/l3hZS-0tomM

太宰治の桜桃忌が近づいてきました。「芸道というものは、その道に殉ずるバカにならないと、大成しないものである」(『太宰治情死考』坂口安吾)。

エリック・クラプトンと太宰治はよく似てると思います。超ダメ男だけど、どちらもハンサムでカッコよく、とてつもなく女性にモテる。安吾が言うように作品で評価すべきなのでしょうね。

私はクラプトンの大ファンではありませんが、クラプトンから一曲選べと言われれば 1966年の『Hideaway』です。クラプトンが21歳の時の録音です。発表から何年か遅れて聞いた高校受験直前の私は、このあたりから学校教育から距離をおくようになりました。

クラプトンのギターはこの一曲に詰まっています。クラプトンは57年経った今でも同じフレーズを弾いています。大ファンからは怒られるかも知れませんが、クラプトンはこの頃が頂点だったように思うのです。

ちゃんと弾けないまま50年以上経ってしまいましたが、YouTubeのおかげで謎だった部分が随分と解明されました。


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2023年5月7日日曜日

太宰治とクラプトン

 
Cream『Sunshine of Your Love』(1967年)

自分の人生にかなり大きな影響を与えた曲です。2008年の自分の映像がありました。不思議なリフのようですが、メジャーとマイナーペンタのミックスでクラプトンの真骨頂です。

誰も言ってないようだから備忘録として書いておきます。

私の中ではエリック・クラプトンって太宰治とダブって仕方がないのです。自分の私生活の葛藤や浮き沈みをそのまま赤裸々に作品として世に出してしまう。二人とも酒に麻薬に女にと、ギターや小説家としての才能が無ければ本当に波乱万丈のダメ男です。でも二人とも好きですよ。放っておけない魅力があるのでしょう。

クラプトンはクリーム時代(1966 ~ 1968)が自分の頂点だという意識から離れられず、つまりギタリストのキャリアはクリームのまま止まってしまったと考えた。それが 1970〜1980年代は麻薬に酒に不倫へと彷徨い歩いたのでしょう(全くの私見ですよ)。リアルタイムで聞いていた私がリリース時に買った最後のアルバムは1974年の『461 Ocean Boulevard』 、次に買ったのは1992年の『Unplugged』でした。

今回のクラプトンの来日、武道館における公演は100回目を記録したそうです。78歳のクラプトンですが、すごい人気のようです。どの時代のクラプトン、クラプトンのどこに惹かれているのでしょうね?

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2019年6月24日月曜日

心の幸せ

鳥取砂丘のらっきょうで作ったらっきょう漬け

今年の桜桃忌(6月19日)は太宰治生誕110年でした。 太宰が追い求めた心の幸せを追求するのがこれからの日本にとっての進むべき道かも知れません。

『秋風記』は中期の作品です。後期の反俗精神に入る前の作品ということです。太宰は自分はダメな奴だという深い自覚があるから優しい。あくまでも心の幸せを追求する。金持ちの成功者は神のお加護があってエライというアメリカや、物質的な豊かさで誤魔化された独裁監視社会の中国とは真逆の世界観なのです。

「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」(太宰治『秋風記』より)


2018年5月6日日曜日

親友交歓


ゴールデンウィークといっても特別なことが何もないのが私のゴールデンウィークなのですが、今年は四国から38年前の仕事仲間がやって来ました。親友交歓です。

彼がお土産に持ってきてくれたのが上の写真の「亀の手」です。亀の手は海辺の岩やテトラポットなどに付着している固着動物で、見た目は貝に見えますが実は甲殻類で、カニやエビの仲間です。上京する前に近くの海岸で自ら獲って来てくれました。

対等の友人関係というのは良いもので、もしかしたら、50代60代の人たちにとって一番大事な事かも知れません。太宰治の短編『親友交歓』の最後は「威張るな!」です。今の世の中は至る所で対等な関係が崩れ、誰かが誰かに対して威張っている。そして、そのことに気づいていないのです。

『親友交歓』太宰治(1946年)

自称小学校時代の友人という男の訪問を受けたときのやりとりを描いた話で、主人公の「私」はそのことが自分の記憶に消し難い記憶を残すという。皮肉の効いたユーモラスな作品でありながら、戦後の風潮をよく捉えた作品である(Kindle)。

2017年12月10日日曜日

違うだろー!


「違うだろぉぉぉっ!!」
フランスの哲学者サルトルを調べています。

「ち・が・う・だ・ろ・ 違うだろー!」がきっかけです
私の中での今年の流行語大賞です。今年起こった事に対して私も怒鳴りたい。

サルトルは良い部分もあるし、やはり左翼的に感じるところもあります。しかし、「人間は主体的に自らを生きよ(投企)」、「人間には設計図はない(実存と本質)」、「社会への参加(アンガージュマン)」 等々、 今の日本人にとって、とってもいいことを言っているように思います。

サルトルの頭で今の日本を考えてみると、全てが「違うだろー!」になってしまうのです。

私が左翼のブルースマンだった十代の頃(左翼というよりも反体制でしたね)、サルトルに共感しました。恐らく、「人間は何者でもない」というサルトルの言葉は、将来どういう人間になるか暗中模索の若者の心に響いたのだろうと思います。

1970年代、サルトルに熱狂した日本の若者が、どれほとサルトルを理解してたかは分かりません。勿論、少し世代が下(高校生)の私は分かっていたふりをしていただけです。バカ騒ぎしてた当時の大学生の中には真剣に日本の戦後は「違うだろー!」と考えてた学生もいたのだろうと思います。

あの頃から50年近くたち、今の世界でも若者は実存するのですが、サルトルに共感する人は少なくなったと思います。話題になりませんからね。ソクラテスやプラトンまで戻らなくても、サルトルは現代を生きた哲学者なので、少しは分かり易いと思います。 

サルトルは晩年「人の運命は人の手中にある」と言いました。第二次世界大戦を境として戦前と戦後、2つの人生を生きたサルトルを振り返るのは、今の日本人にとって決して無駄ではないと思います。日本人の運命は日本人の手中にあるべきだから。

蛇足ですが、備忘録として書いておきます。太宰治は敗戦後3年間だけ生きました。戦前戦中と戦後では太宰はまったく2人の人格のように感じるのです。そのあたりはサルトルと共通項があるのかと思っています。

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2017年1月31日火曜日

メロスはなぜ走ったか?

玄関の梅 ~ 梅の花言葉は高潔だそうです

『走れメロス』(1940 太宰治)

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。

「commitment(コミットメント)」はどう訳すのがいいのか? 一般的には「確約」とか「約束」だと理解されています。ibgでは「覚悟」と意訳してきました。

最近の世の中の出来事を見ていると、「覚悟」の問題と同様に「信義」が希薄になってきたのではないかと感じます。 「信義」とは、大辞泉によると、“真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。 「信義に厚い」「信義を重んじる」”とあります。

契約社会の理想は、紙で契約書を取り交わさなくても、人が約束を守る精神があれば全てがうまく行くというものです。 しかし、現実はそうじゃない。 約束も守られない、非常に自分勝手で腹黒い世界に変化して来ています。

『走れメロス』を読んで感じることですが、約束の本質は自分の信義の問題なのです。 自分の気持ちにコミットするということが重要ということであり、コミットメントとは、覚悟と同様に信義の意味もあるのだろうと感じます。

メロスはなぜ走ったか? 世界中で信義を重んじるメロスのような人がいなくなった!

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2016年3月22日火曜日

三鷹のウナギ


太宰治の短編『メリイクリスマス』の舞台となったのは、三鷹駅前のさくら通りにあった鰻屋台『若松屋』です。 三鷹の下連雀に住んでいた太宰は、午後3時過ぎには大抵が若松屋でコップ酒を飲んでいたそうです。 その後、若松屋は国分寺に移り、何度か代替わりして『若松屋』という屋号を復活させて商売を続けているようです。

連休は三鷹の持ち帰り専門の鰻店『豊駒』で鰻の大串を買ってきて鰻丼にして食べました。

『メリイクリスマス』 1947年 太宰治

母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。 

私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。母は、うなぎが好きであった。私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。
  
「いらっしゃいまし。」

客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。

「大串がよござんすか、小串が?
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」

その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪をあおぐ。

「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」

こんどは私も少し笑って言った。若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」 と言って笑い、鉢巻
の結び目のところあたりへ片手をやった。

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2015年12月3日木曜日

他人の養分を食べて消化できるか?

この1945年製造のC11は姫路機関区の播但線を走っていたそうです
(新橋駅前 SL広場)

今週は久しぶりに新橋からSL広場を抜けて虎の門に出て、日比谷公園から有楽町へと散歩をしました。 新橋の南側は高層ビルが立ち並び様変わりですが、反対側は昔のままです。

『渡り鳥』は太宰治の昭和23年4月の作品です。 太宰の死が昭和23年6月13日ですから死の直前に発表されたものです。

主人公は大学生ですが、闇屋をやったり出版社のアルバイトしながら暮らしています。「ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。 どっちだっていいじゃないか」。 主人公が日比谷から有楽町界隈で偶然出会った3人の相手とのやりとりを書いた短編です。 軽佻浮薄な主人公は戦後の日本人の態度を皮肉ったものだと言えるし、自分の人生を自虐的に振り返っているとも言えます。 死の直前に書かれたものだけに意味深長です。

もともと、このオリジナリテというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。 消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。 昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。 真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。 だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。 しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊している人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。 ああ、溜息が出るわい『渡り鳥』 太宰治 1948年)。

自分で考えて消化することなく、流行りのものや勝ち馬に相乗りする傾向は、70年経った今でも続いています。 2015年の日本もそういった出来事ばかりだったと思いませんか?

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2014年11月13日木曜日

高円寺で朋友と

高円寺 「天すけ」

朋友がサンフランシスコより帰還したので、三鷹から高円寺に行って天ぷらを食べました。 四半世紀以上付き合っていると、時代背景を共有しながら、彼の人生と私の人生がそれぞれ蓄積して、ところどころでオーバーラップしています。 肩に全く力の入らない会話を楽しめます。 

25年前、彼はシドニーに移住し、私はニューヨークに住んでいました。 私の夏の休暇を利用してNYからLA経由でシドニーに遊びに行きました。 彼の長男は4歳、私の長男は3歳、子供たちは風の強い少し寒い浜辺で走り回っていました。 今度、彼の長男が結婚するという。 今年は私の長男が結婚しました。

太宰治 『未帰還の友に』(1946年)

菊屋というのは、高円寺の、以前僕がよく君たちと一緒に飲みに行っていたおでんやの名前だった。その頃から既に、日本では酒が足りなくなっていて、僕が君たちと飲んで文学を談ずるのに甚だ不自由を感じはじめていた。あの頃、僕の三鷹の小さい家に、実にたくさんの大学生が遊びに来ていた。僕は自分の悲しみや怒りや恥を、たいてい小説で表現してしまっているので、その上、訪問客に対してあらたまって言いたい事も無かった。しかしまた、きざに大先生気取りして神妙そうな文学概論なども言いたくないし、一つ一つ言葉を選んで法螺で無い事ばかり言おうとすると、いやに疲れてしまうし、そうかと言って玄関払いは絶対に出来ないたちだし、結局、君たちをそそのかして酒を飲みに飛び出すという事になってしまうのである。

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2014年11月5日水曜日

余裕がでたら実を結ぶ

今年の玄関のオリーブ

日本の世の中が評価して立派だと思われている人が、実は、とんでもない俗物だということに出くわすことが多くなりました。 

世間からダメな人間だというイメージを持たれ続けていますが、本当はそうじゃない、反骨の精神を持った優しい男、それが太宰治じゃないでしょうか?

 『東京八景』(昭和16年)は、大学進学のために上京し(昭和5年)、32才になる太宰が「青春への決別の辞」として振り返ってつづった作品だといわれています。結婚し(昭和14年)、『走れメロス』を書き(昭和15年)、作品はどれも前向きな内容で人気作家となりました。

『東京八景』は、東京での10年を総括したものでしょう。 力が抜けて余裕がでたのだと思います。 

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甚だ心細い、不安な余裕ではあったが、私は真底から嬉しく思った。少くとも、もう一箇月間は、お金の心配をせずに好きなものを書いて行ける。私は自分の、その時の身の上を、嘘みたいな気がした。恍惚と不安の交錯した異様な胸騒ぎで、かえって仕事に手が附かず、いたたまらなくなった。東京八景。私は、その短篇を、いつかゆっくり、骨折って書いてみたいと思っていた。十年間の私の東京生活を、その時々の風景に託して書いてみたいと思っていた。私は、ことし三十二歳である。日本の倫理に於ても、この年齢は、既に中年の域にはいりかけたことを意味している。また私が、自分の肉体、情熱に尋ねてみても、悲しい哉なそれを否定できない。覚えて置くがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にも媚びずに書きたかった(『東京八景』)。

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2013年12月28日土曜日

舟を浮かべたいくらい綺麗な青空

実家の庭に山茶花が咲いていました

先週の上海のPM2.5200300。 まともに息もできない状況でした。 

軍事よりも人工衛星よりも安倍さんのことよりも、自国の大気汚染に全力を集中してもらいたい。 でないと、地球が滅亡する。 舟を浮かべたいくらい綺麗な青空にしてください。今から始めても何十年もかかるでしょう。

太宰治の『新郎(はなむこ)』は、1941年128日の日米開戦の日に書かれたものです。 太宰の『新郎』は、先日読んだ百田尚樹『永遠のゼロ』の凝縮版のような小説です。 イメージと違って、太宰治には読後に人を前向きにする文章って結構あるんですよ。

新郎

太宰治

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮べたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという程の意味である。

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2013年6月21日金曜日

六月十九日

 
6月19日の玉川上水

太宰の遺体が発見されたのは1948年の6月19日。 写真は遺体が発見された近くです。 6月19日は太宰の誕生日でもあります。 遺体にはクビを絞められた跡があったといいますが、本当に心中だったのでしょうか? 謎ですね。 

太宰と全く関係ない話ですが、日本のメディアって、どうなっちゃたんでしょうね? 

個人もそうですが、日本全体が、どこに向かおうとしているのでしょう。 福澤諭吉は、「智徳と人間交際を高め、禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言いました。 智徳の智はインテリジェンスであり、手段やツールのようなもので、徳はモラルです。 福澤諭吉が言う人間交際は、私は社交性のことであり、コミュニケーションであると理解しています。 これは、国家間のプロトコルでもある外交の、根っこの部分でもあります。

今の日本は、Where do you want to go? (目的)が明確でないのに、手段やツールの獲得に必死になっている。 智徳の智と徳のバランスが悪い。 つまり、手段やツールである智に集中しすぎている。 そして、人間交際に関しては、自己中心的すぎるように感じます。 他者が見えない、関心がない。  

どこに原因があるかと考えた場合、教育の問題は根本原因でしょうが、新聞・雑誌やテレビ・ラジオの影響が大きいと思うのです。 それほど最近のマスメディアは酷いということです。

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2013年6月6日木曜日

太宰治を偲ぶ


昭和23年、入水自殺する直前、太宰治は武蔵野税務署から所得税の通知書を受け取りました。 奥さんの手記(津島美知子『回想の太宰治』)によると、太宰は、「自分のように毎日、酒と煙草で莫大な税金を納めている者が、この上、税金を納めることはない」と、駄々っ子のように泣いたそうです。

今年も桜桃忌(6月19日)がやってきます。 太宰治を偲ぶ日です。 6月19日は死体が玉川上水で発見された日であり、太宰の誕生日です。

「世間」から評価されている人が、実は時代の尻馬に乗っただけの俗物だった。 戦争中に軍国主義に協力した作家たちが、戦後臆面もなく180度転換した。 「世間」なんてたかだかそんなもんだ。 自分は「世間」からダメな人間と思われているが、実はそうじゃないかもしれない、、、と、太宰が考えたか? 

もしかしたら、太宰治が忌み嫌った「世間」って、今でも日本社会そのものじゃないですか? 「世間」って曲者ですね。 日本のメディアの正体?

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