2014年4月24日木曜日

創意工夫

創意工夫する若い人たち @ 武蔵小杉

50年代60年代の日本は、コピー・キャットと言われてバカにされていましたが、実は、そこには創意工夫があって、けっこう新しいモノを創造していました。 ところが、70年代半ばから90年代にかけて、日本の創意工夫に欧米諸国は脅威を感じるようになりました。

今でも、創意工夫の精神は微かに残っているのかも知れませんが、多くは他者に「便乗すること」に変わってしまったと感じます。 効率よく便乗することが賢いやり方だと考えられているようです。 

最近話題の論文に関しても、「公表時には100%確証のあるものであるべきだ」になったようです(コピペなどの不正は別問題ですよ)。 最初から試行錯誤の「錯誤」がない論文なんてないでしょう? 議論の余地がない論文なんて意味がありますか? 創意工夫のための問題提起なのです。

そういえば、ビジネス界ではダイバーシティ(多様性)ということが言われて久しい。 ダイバーシティとは、様々な違いを尊重して受け入れ、「違い」を活かすことにより、顧客ニーズに対応するということのようです。 果たして、それだけでしょうか?

ダイバーシティには錯誤や衝突が起こる。 問題提起なわけです。 そして、錯誤や衝突を議論することによって、新しい価値を生み出すのが狙いなのです。 それには、自分の主張と、違った意見の他者と議論する能力が必要です。 自分の考えがなく、他者と前向きに議論することが出来なければ、ダイバーシティと声高に叫んで組織に外国人を雇い入れてみても混乱を呼ぶだけです。

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2014年4月20日日曜日

チャーリーと昼寝 ~ 邯鄲の夢

チャーリーと一緒に邯鄲の夢


足しびれて邯鄲の昼寝夢覚めぬ    正岡子規


「邯鄲(かんたん)の夢」は、栄枯盛衰の例えです。 出世を夢見て邯鄲の街に出てきた青年が、夢が叶うという枕を借りて昼寝をしたら、栄枯盛衰の50年の人生を夢見ました。 ところが、夢が醒めると、注文した黄粱の粥がまだ炊きあがらない束の間の夢であったという中国の故事です。

正岡子規は、脊椎カリエスの足腰がしびれる病床にいる我が身でありながら、自分は「邯鄲の夢」を見続けているといった意味なのでしょうか?


若いうちは夢を追いかけてほしいですね。 Nothing to lose ですから。

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2014年4月18日金曜日

日本は普請中

串カツ田中 荻窪店

久しぶりに先輩と荻窪の串カツ屋で一杯。 私の年になると、先輩と話す機会は貴重なのです。 私が夏目漱石の『中味と形式』の話をしたら、森鴎外の『普請中』で返されました。

時は日露戦争後、場所は銀座の洋食屋。

ドイツ留学時代の愛人が訪ねてきた、主人公が「これからどうするのだ」と聞くと、「アメリカへ行くの。日本は駄目だって、ウラヂオで聞いてきたのだから、当てにはしなくってよ。」との返事。すると主人公は、日本はまだ普請中で、進んでいないから、アメリカ行きを勧める。

森鴎外『普請中』 1910年 より。

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2014年4月13日日曜日

自家製つけ麺


ラーメンに対するこだわりや、ましてや信念みたいなものはありませんが、家で作ると安心で美味なつけ麺を食することができます。 

「ラーメンの鬼」といわれた方が亡くなったそうですが、ラーメンに信念を捧げることができた人生は、死ぬまで青春であり、私などは到底真似のできる生き方ではありません。

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2014年4月11日金曜日

日本沈没


チャーリーの寝相が悪く、丑三つ時からベッドの上を移動しまくるので、私はベッドから抜け出し深夜映画を見ることになりました。 『日本沈没』(2006年作)です。
 

「日本列島は沈んだ。帰るべき国を失った日本民族の流浪の歴史が始まる」。 
 
1973年に出版されたカッパノベルの『日本沈没』は、インパクトがありました。「日本人が日本列島を失い流浪の民になったら、日本人は日本人として存続できるのか?」、「日本人のアイデンティティとは?」が、小松左京がテーマとして持っていたものでした。

過去二度映画化され(1973年と2006年)、私が今回テレビで見たのは2006年版でした(73年版は74年の正月映画でした)。 

2006年作は、小松左京の問題提起を完全に無視したお子様向けドラマになっていて、全くの期待外れでした。 1973年作と比較すると、出演する役者の違いもあるのでしょうが、やはりポイントは、原作をどう解釈するかでしょう(役者は被害者かも知れません)。 

原作から30~40年、これはそのまま日本の国の幼稚化(perpetual puerility)を示しているかのようでした。 できれば原作の小説のほうも完結して欲しかったですが、、、。











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2014年4月10日木曜日

現代の三大ギタリスト ~ ジョン・メイヤー

JR三鷹駅のジョン・メイヤー

アメリカでは絶大な人気のジョン・メイヤー。 しかし、日本ではいつまでもギタリストと言えば、エリック・クラプトンやジェフ・ベックです。 

ジョン・メイヤーは、子どものころにクラプトンやベック、その他の一流のギタリストを完全にマスターして、それから自分のスタイルを確立したのでしょう。 どんな有名なギタリストとも即座にセッションができるプレイヤーです。 

私はデビューアルバムも含めて4,5枚CDを持っているのですが、オリジナルはというと、、、、私の趣味の音楽ではないですね。 やはり、往年の名曲をメイヤー流に弾きまくるライブがいい。 

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2014年4月4日金曜日

奈良の秋篠川を歩く


奈良の秋篠川は、平城京造営時の時代、物資の運搬のために造られた人工河川です。 

上の写真は、平城宮跡から南に歩き、唐招提寺、薬師寺を過ぎたあたりです。 2キロ先は郡山城址。 郡山城は、豊臣秀吉の実弟である大納言羽柴秀長の居城でした。 

もし、秀長が病弱でなく、当時の情報通であった千利休らと一緒に秀吉の驕り高ぶりを諭すことができていたならば、秀吉の朝鮮出兵はなかったでしょう。 天下をとって傲慢になり、冷静な判断を欠いた秀吉は、明の領土が欲しかった。 半島に攻め入ると、朝鮮は自分に屈服し、明征服に手を貸してくれると考えた。 朝鮮は明の属国であること、だから、中国には完全服従であることを全く考えていなかったのですね。 

明と朝鮮の関係を読めなかったことに加え、兵站も考えなかった。 秀吉にとって朝鮮出兵は致命的な負け戦でした。 昭和の戦争と似ていますね。 半島や大陸の方々は、もしも日本を非難するなら、伊藤博文よりも豊臣秀吉でしょうね。

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2014年4月2日水曜日

薬師寺の花会式

薬師寺の西塔を唐招提寺のほうから眺める

奈良薬師寺の修二会(しゅにえ)は花会式〈はなえしき〉)と言います。 今年は31日、結願(けちがん)を迎えました。 修二会は仏様の供養ですが、インドや外国の仏教には修二会はありません。 起源・由来ははっきりしないそうですが、日本では12世紀から続いているものです。

読経の後、たいまつを回し夜空へと投げ上げます。 五穀豊穣や国家の繁栄、そして世界平和を祈る法要で、暴れる鬼を毘沙門天が鎮めるという「鬼追い式」があります。

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