トランプの発言には、相変わらず軽さがあります。
率直に言えば、1990年代に私が相手にしていた「
だからこそ、日本側の受け方が問われます。
あの記者会見の場で、正面から議論を挑む必要はありません。
だからこそ、なおさら期待してしまいます。
私が期待したのは、もう少し違う種類の反応でした。
たとえば、大阪のおばちゃんのグルーブ感です。
正面衝突ではなく、かといって受け流すのでもない。一瞬の「間」を取り、軽くツッコミを入れるような、
音楽で言えば、ジェームス・
「それはまた後で二人で話しましょうか」(we'll talk later, pass the peas !)
その一言で十分です。
それだけで場の空気は変わります。
相手の発言を否定せず、しかしそのまま受け入れるわけでもない。
主導権をほんのわずかに引き寄せることができます。
これは論理というより、身体感覚に近いものです。
そして実は、国際交渉の現場では非常に有効な技術でもあります。
この話は単なるコミュニケーションの技術論ではありません。
もっと根の深い問題につながっています。
それは、「自分の国をどう理解しているか」という問題です。
以下は、25年前に私が書いた文章です。
汚名は晴らす方がいい
~ ハル回顧録 (2001年 中公文庫)を読んで
私が一番の問題と思うのは、
ニューヨークに住んでいると、
「真珠湾が奇襲だったのか?」、「
これだけで十分なのです。
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ここで私が言いたかったことはシンプルです。
相手と争う必要はありません。
しかし、自分の立場を理解しないまま沈黙するのは、
外交の場でも同じです。
トランプの発言に対して、強く反論する必要はありません。
しかし、何も返さないのではなく、「間」で返すべきです。
その一瞬の余白の中に、自国の歴史認識と自信がにじみます。
大阪のおばちゃんのグルーブ感とは、単なる軽口ではありません。
「私は分かっています」というサインです。
沈黙でもなく、対立でもなく。
そのあいだにあるリズムをどう使うか。
そこに、日本の外交の一つの可能性があるように思います。


















