2019年3月30日土曜日

従業員の承認欲求とは?

40年来の友人が愛媛のみかんをおくってくれました。
非常感謝了!

フォーブスの日本語版に以下の記事が掲載されていました。

(抜粋)

従業員が辞める第一の理由、36%が「承認不足」と回答

上記の表題は、私が最近目にしたマネジメント調査で判明した主な結果の一つだ。詳しく説明すると、従業員の36%が強い承認欲求を持っており、自分が認められているかどうかが「転職を強く考えるようになる一番の理由」となると考えているのだ。

この調査は、従業員エンゲージメント企業アチーバーズ(Achievers)が2017年12月に実施したもの。この調査結果はシンプルながらも、深い意味を持っている。承認は、基本であるものの現実にはうまく対処されていないことが多いマネジメント機能の一つだ。簡単であるはずなのに、実際には簡単にはいかないことが多い。

(抜粋おわり)

英文は読んでないので分かりませんが、ここで言っている「承認」って英語の recognition を訳したものだと想像します。だとしたら「承認」というよりも「ご褒美」の方が適当かもしれません。アメリカ人の多くのビジネスパーソンは短期的なご褒美がないと一生懸命働かない。しかし、大金がかかっていると寝る間も惜しんで働く傾向にあります。

恐らく、アメリカでも余裕があった古き良き時代は、部下の理解に時間を割き、部下のためにロジカルな目標(ストレッチし過ぎない)を設定する。そしてその目標を管理し、部下に対して目標達成への責任を持たせ、よくできた場合は褒めてあげ、ご褒美をあげることだったのだろうと思います。それを recognize といったのでしょう。しかし、今や部下の成長が自分のモチベーションになるようなマネジメントは少なくなった。日本にはそもそもこういったことを認識(recognize)しているマネジメントは少ない。自分の仕事ではなく人事部の仕事と思っているか?

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2019年3月28日木曜日

Born In The U.S.A.

ブルース・スプリングスティーン  『BORN IN THE USA』(1984年)

「我々のアメリカはロクでもない国だけど思いっきり愛そうぜ!」という歌です。黄色い人間である私はそう解釈するのです(歌詞の中に黄色い人間を殺すために外国に送られるとあります)。

Got in a little hometown jam
So they put a rifle in my hand
Sent me off to a foreign land
To go and kill the yellow man


自分の国を愛してる人は自国に対して批判的なものです。アメリカ人だって中国人だって日本人だって。この歌も多くの人がベトナム反戦歌と認識しています。しかし、スプリングスティーンは酷いアメリカだけど愛そうぜと歌っている。そして、こういった自分の生まれた国に対する感情は万国共通であるべきです。自国に対して愛情を感じることに関して互いに寛容になれる。要するに、相手に対するリスペクトであり、それが本当の保守ということです。

(以下、ウィキペディアより抜粋)

歌詞のテーマ

同曲はひとつに、ベトナム戦争を体験したスプリングスティーンの仲間たちに捧げたものであり、その仲間の数名は生きて帰ってこなかった。それはまた、戦争から帰還したベトナム帰還兵が直面した困難に抗議している。曲の物語は、主人公の低い地位の出身、軍への入隊、そして不満のある帰国をたどっている。苦悶の間奏はさらに衝撃を与えて、主人公の(文字通りの、または比喩としての)兄弟(または仲間)の悲運を描写している。

I had a brother at Khe Sanh
Fighting off them Viet Cong
They're still there, he's all gone
He had a woman he loved in Saigon
I got a picture of him in her arms now


歌詞に登場するケサンの戦いは、北ベトナム軍との戦いであり、歌詞で聞かれるようにベトコンではない。最終的にアメリカ軍はケサンの包囲を壊したが、たったの2ヶ月後には前哨基地から撤退した。このことでケサンは、ベトナム戦争における無益の象徴のひとつになった。

(抜粋 おわり)

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2019年3月25日月曜日

日本の教育は世界に通用するか?

昭和のフォークはなかなかいいものです。日本独特の情緒がある。
でも日本人以外には分かり難い、、、、。

「他人を尊ぶ日本の教育を世界に」という記事が日経新聞にでていた(3月21日)。

(記事の抜粋)

国内外で日本語教育を手がける学校も急速に増えているが、営利優先で、当座の言葉の障壁を取り除くうわべの教育にとどまっている。日本の短期的な利益を求めるのではなく、関係国、世界の持続的な成長のために何をなすべきかという長期的な視点による教育が必要だと感じる。外国人との共生は目先の対症療法に終わらせてはならない。日本ならではの貢献の道を考えるべきだ。


(抜粋おわり)

主張はもっともなのだが、へそまがりの爺さまとしては少しコメントしたくなる。確かに他国と比較すると、日本には利他の精神はあるかも知れない。しかし、自立しない親たちが子供を育て、長年自虐的な教育を続けてきた負の遺産は大きい。結果、国も国民も自立していないのだ。アジア各国が50年前のように日本にリーダーシップを期待しているというような自惚れはやめるべきである。誰かが何とかしてくれると考える相互依存の高齢化社会の日本はロールモデルにはならない。

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2019年3月9日土曜日

サイレンに反応するチャーリー

救急車のサイレンに反応するチャーリー(井の頭通り)

チャーリーには彼の「仁義」があり(愛)、遠吠えは犬仲間からのコミュニケーションに応答しようとするチャーリーなりの「礼」なのです。

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2019年3月3日日曜日

「正統性」の主張

 
 

私が大阪人であるという「正統性(legitimacy)」をお好み焼きで証明できたでしょうか?

国家の正統性(legitimacy)が問われるようになってきています。

政治的用語としての正統性とは「政治的支配がもつところの正当な支配としてのその妥当性のことをいう」(世界大百科事典 第2版 )とあります。つまり、その政府が国を治めることがなぜ正当なのかという、歴史による理由付けです。政治的支配はむきだしの暴力や強制だけによっては,その安定性を確保することはできないし、他の国に対する憎悪を正統性の元とするのはおかしいということです。

日本人は日本や日本人の正統性を確認すべきです。2600年以上の一貫した歴史があるのだから。未来志向だけじゃなく日本の歴史や過去の偉人と対話してみる必要があるのです。日本の正統性はどこにあるかを国民が確認してから外に対しては堂々とやればいいのです。

遺憾だとか、未来志向を声高に叫ぶのはもうやめましょう。

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