2017年1月31日火曜日

メロスはなぜ走ったか?

玄関の梅 ~ 梅の花言葉は高潔だそうです

『走れメロス』(1940 太宰治)

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。

「commitment(コミットメント)」はどう訳すのがいいのか? 一般的には「確約」とか「約束」だと理解されています。ibgでは「覚悟」と意訳してきました。

最近の世の中の出来事を見ていると、「覚悟」の問題と同様に「信義」が希薄になってきたのではないかと感じます。 「信義」とは、大辞泉によると、“真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。 「信義に厚い」「信義を重んじる」”とあります。

契約社会の理想は、紙で契約書を取り交わさなくても、人が約束を守る精神があれば全てがうまく行くというものです。 しかし、現実はそうじゃない。 約束も守られない、非常に自分勝手で腹黒い世界に変化して来ています。

『走れメロス』を読んで感じることですが、約束の本質は自分の信義の問題なのです。 自分の気持ちにコミットするということが重要ということであり、コミットメントとは、覚悟と同様に信義の意味もあるのだろうと感じます。

メロスはなぜ走ったか? 世界中で信義を重んじるメロスのような人がいなくなった!

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2017年1月24日火曜日

寛容さ

湯島 ~ 本郷から上野へと議論しながら散歩しました

先輩であり友人でもあるYさんが亡くなりました。

同じ会社にいた1984年頃からなので、Yさんとの付き合いはもう30年以上になります。 1990年頃、ドイツに駐在していたYさん一家がニューヨークの私の家に遊びに来てくれたこともあります。

私は年下のくせにYさんに対して常にダメ出しばかりしていたようです。
ところが、Yさんは、意見の異なる私の言い分をいつも寛容に受け入れてくれました。

電話でさえ、ちょっとしたことで私はつっかかっていた。 それが、一気に会話を息苦しいものにし、電話を切ったあとはいつも自己嫌悪に陥っていたのです。

なぜYさんの話にもっと耳を傾けることが出来なかったのか。 Yさんとの長年の付き合いは、自分の不寛容さという欠点を教えてくれるものだったのです。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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2017年1月20日金曜日

ibg 談話室の紹介


ibg はJR三鷹駅から徒歩4分のところに 『ibg 談話室』を設けました。 世代を問わず、多くの人に雑談に参加してもらいたいと思っています。

1.     現状の 課題

    社会性の無さ(空気が読めない)。
    コミュニケーション能力の欠如(発信・受信)、外国語の問題ではない。
    独善性・思い込みによるところが多い(自分のルールに拘る)。

2.     自分自身を理解していない人が多い(「知己知彼、百戦百勝」の知己が足りない)。

3.     他者と会話(雑談)をすることにより、自分のことを知る。一人と話をして自分の全部が解るのではなく、自分のある一面(ごく一部)を知る。多くの人と継続的に話をすることにより、自分の色んな面を知っていく。それらが徐々に統合され一つのアイデンティティとして自分を理解する。

4.    より多くの人と雑談をすることにより自分を発見してもらいたい。それは多様性(diversity)の本質でもある。

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2017年1月17日火曜日

あれから22年 ~ 阪神・淡路大震災

6年前に書いたものを再掲します。


1月17日、阪神・淡路大震災から16年、毎年この時期になると『方丈記』です。

「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し」(有名な冒頭の部分)。

16年前の1月17日早朝、私は東京のホテルにいました。前日の夜、ニューヨークから東京に飛んで来たのです。1週間の予定で東京・大阪、そしてロサンゼルスへの出張の初日です。夜中から起きていたので、朝5時のニュースが始まる前からテレビをつけていました。大きな地震があったことを、臨時ニュースが伝えました。気になったのですが、そのまま仕事に向かい、夜になって八重洲の居酒屋で友人のOさんと飲んでいました。店の壁に備え付けのTVを見ると、「死傷者が数百名の大惨事」を伝える報道になっていました。しかし、この時点で、5000人以上の人が亡くなる大規模の災害になるとは、誰も想像だにしなかったのです。

大阪の会議はキャンセルされ、数日後、関西空港からユナイテッド航空のロサンゼルス行きの便に乗りました。神戸から船で関西空港に避難してくる人たちが、空港の彼方此方にうずくまっていました。ロサンゼルス便はボーイング747で、私の席はジャンボの2階席。キャビンアテンダントが、「好きなところに座ってもいいわよ!」と言います。なんと、2階席の乗客は私一人だったのです。席についてシートベルトを締めて私の頭に浮かんだのが、『方丈記』の冒頭の部分でした。疲れていた私は『方丈記』を考えながら離陸前に寝てしまい、気がついたらロサンゼルス到着の1時間前でした。

白状しますが、『方丈記』なんて、冒頭の部分以外は全く知りませんでした。方丈(一丈四方)の庵に引きこもったネクラな鴨長明が、人生のはかないこと(無常)を、切々と綴ったものくらいにしか考えていませんでした。しかし、16年前の阪神大震災から毎年一月に『方丈記』をパラパラとめくるようになり、徐々に書かれている内容が分かってきました。

鴨長明は、「いつまでも一つのことに拘る心(執心)を持ってはならない」と言っています。最後の章では、方丈の庵にさえ「閑居の気味」(閑静な住いの趣)と執着した自分を痛切に否定しているのです。様々な天災に遭い、無常を自覚し、方丈の庵の生活に入ってさえ自分の心の修行の足りないことを責めています。ストイックなまでに、人間とは何かを考えたのかも知れませんね。

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2017年1月11日水曜日

レジリエンス ~ 竹のような弾力性

薬師寺の竹林

2017年、世界はますます「無常」になり、小林秀雄が言った「動物的状態」になる可能性が高いのです。 無常とは、生きている世界はこの先どうなるかわからないということです。 はっきりと言いましょう。 日本のこれまでの僥倖は終わったと認識すべきです。 要するに、これからの世界、理想や願望だけでは生き残れないということなのです。

日本や日本人はもっと現実的になり、世界とつき合って行く(ソーシャライズする)必要があります。 だったら、どうすればいいのか? どんな状況においても対応できるレジリエンス(弾力性)を強化するしかない。 解釈を拒絶して動じない「常なるもの」、つまり、自分の信じるものをしっかり意識し、それを頼りにした上で、レジリエンスを強化するのです。 竹のようにしなやかに。

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2017年1月3日火曜日

人生を語らず

吉田拓郎 『今はまだ人生を語らず』 (1974年)

吉田拓郎はデビュー曲 『イメージの詩』(1970年)から知っているのですが、一枚もレコードやCDを買ったことがありません。 全く知らない曲もあるし、ここ数年の曲は一曲も分からないのです。 でも、なぜか気になって半世紀近く聞いていることになります。 印象に残る曲が何曲もあるからでしょうね。『人生を語らず』もそんな一曲です。

教えられたものに別れを告げて、届かないものを身近に感じて~ 越えて行けそこを、越えて行けそれを、、、 (『人生を語らず』より) 。


この曲を聴くと、「人間到る処青山あり」が頭に浮かびます。 

私には、どこで野垂れ死にしたっていいじゃないか、お墓は到る処にあると頭の中で直結して、「人間到る処青山あり」が頭に浮かぶのです。 青山ってお墓のことだって知ってました?

男兒立志出郷關(男児志を立て郷関を出ず)
學若無成不復還(学若し成る無くんば復た還らず)
埋骨何期墳墓地(骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん)
人間到処有青山(人間到る処青山有り)

男たるもの志しを立てて故郷を出たからには、
学問を成就できなかったとしても、二度とは帰ってこない
どうして故郷の地に骨を埋めることを望もうか
世の中、至るところに死に場所などあるものだ


(幕末の僧 月性の詩)

吉田拓郎は43年前の26歳の時にこの曲を書いたのですね。 やはり、ただものではない?

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