2017年12月31日日曜日

自由とは?

近所の扶桑通り

コンサルティング・ビジネスでは、プロジェクト(仕事)のことをエンゲージメント(engagement)といいます。 コンサルティングの仕事は一人ではできません。音楽で言えば、ジャズやブルースのジャム・セッションみたいなものです。「他者との関わりのあり方」の優劣が成果の全てです。

サルトルは「人は拘束(アンガジュマン)されている」って言ったのですが、このアンガジュマンは英語だとengagementのことです。サルトルの真意はよく分かりませんが、私の理解は「人は一人では生きられない」です。

要するに、「主体的に自分から参加する責任がある」と言っているのだろうと思います。大企業でガバナンスと言われる監視の下、言われたことだけに忙殺されるのは、本来の参加ではなくengagementを放棄しているような気がします。つまり、人が人生を生きることの責任回避です。ちょっと言い過ぎかもしれませんね、、、。

「今(若い時)は何者でもない」というのが、サルトルのいう“ただ単に存在するだけ”、所謂「実存主義」で、人生とは実存から本質(“何者”か)に変身していくことです。人にはそういった責任がある。

サルトルは人間は自由だから自由でないと言っているのかも知れません。生きるも死ぬも、その人の自由、だから人間は自由。でも、不安や不条理の中で、孤独に苛まれる、したがって自由ではない。しかし、主体的に自分の人生を生きろ、、、と。

今年は印象的な一年でした。

サルトルなんて、高校生の時、授業をサボって喫茶店で「カッコええな、、」と思ったのですが、まさか、今になってまた考えるなんて思ってなかった。

よいお年を!

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2017年12月22日金曜日

冬至

玄関の水仙

仏壇に水仙活けし冬至哉    正岡子規

昔の日本の家には「仏壇」がありました。熱心な宗教の信者でなくても、一日のうちに亡くなった人や「死」を考える機会があったのです。ところが、仏壇のある家は少なくなりました。今の日本は、多くの人が人間は死なないというVR(仮想現実)の世界に生きているかのようです。

キリスト教やイスラム教徒のように、一日の中でお祈りをする機会のない日本では、「死」を考える瞬間がないのです。せめて、冬至には水仙でも活け、素直に手を合わすことがあってもいいのではないかと思います。

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2017年12月13日水曜日

マイナス ワン


マイナスワンとは、バンド全体の音から、ある特定の一つの音を消去した録音をいいます。バンドの曲を個人的に一人で練習したい場合、例えば、リードギターを練習したいならば、リードギターの音だけを抜いた録音です。

今回は音楽のマイナスワンの話ではありません。BLT サンドイッチ(bacon, lettuce, tomato)の話です。

私は BLT マイナスワン、マイナス L の BT サンドイッチ にします。しかし、プラス Jalapeno(ハラペーニョ)です。レタスが嫌いな訳ではありせんが、BLTの場合、L は無い方がいいのです。

日本ではカリカリになるベーコンがなかなか見つからないのですが、よーく探したら近くのスーパーにありました。パンも家でバゲットが焼けるようになったので、焼きたてです。


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2017年12月10日日曜日

違うだろー!


「違うだろぉぉぉっ!!」
フランスの哲学者サルトルを調べています。

「ち・が・う・だ・ろ・ 違うだろー!」がきっかけです
私の中での今年の流行語大賞です。今年起こった事に対して私も怒鳴りたい。

サルトルは良い部分もあるし、やはり左翼的に感じるところもあります。しかし、「人間は主体的に自らを生きよ(投企)」、「人間には設計図はない(実存と本質)」、「社会への参加(アンガージュマン)」 等々、 今の日本人にとって、とってもいいことを言っているように思います。

サルトルの頭で今の日本を考えてみると、全てが「違うだろー!」になってしまうのです。

私が左翼のブルースマンだった十代の頃(左翼というよりも反体制でしたね)、サルトルに共感しました。恐らく、「人間は何者でもない」というサルトルの言葉は、将来どういう人間になるか暗中模索の若者の心に響いたのだろうと思います。

1970年代、サルトルに熱狂した日本の若者が、どれほとサルトルを理解してたかは分かりません。勿論、少し世代が下(高校生)の私は分かっていたふりをしていただけです。バカ騒ぎしてた当時の大学生の中には真剣に日本の戦後は「違うだろー!」と考えてた学生もいたのだろうと思います。

あの頃から50年近くたち、今の世界でも若者は実存するのですが、サルトルに共感する人は少なくなったと思います。話題になりませんからね。ソクラテスやプラトンまで戻らなくても、サルトルは現代を生きた哲学者なので、少しは分かり易いと思います。 

サルトルは晩年「人の運命は人の手中にある」と言いました。第二次世界大戦を境として戦前と戦後、2つの人生を生きたサルトルを振り返るのは、今の日本人にとって決して無駄ではないと思います。日本人の運命は日本人の手中にあるべきだから。

蛇足ですが、備忘録として書いておきます。太宰治は敗戦後3年間だけ生きました。戦前戦中と戦後では太宰はまったく2人の人格のように感じるのです。そのあたりはサルトルと共通項があるのかと思っています。

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2017年12月3日日曜日

タイのマカダミアナッツ

マカダミアナッツ クッキー

タイ在住の仲間がタイ土産にマカダミアナッツを持ってきてくれました。ハワイでなく、タイのマカダミアナッツです。 ネットで調べると、タイ王室のメー・ファー・ルアン財団が、麻薬撲滅やタイ北部山岳地帯に暮らす人々の生活向上を目指し、1988年に立ち上げた「ドイトゥン開発プロジェクト」の一環だということがわかりました。

タイ王室にとって日本の皇室は特別な存在であり続けています。

昭和39年、当時皇太子だった今上陛下がタイをご訪問されました。当時のタイ国民は蛋白質不足に陥っていました。陛下は魚の養殖試験場を訪れになり、タイ国王ラーマ9世とも会談され、ティラピアを育ててみてはどうかとご提案されます。

タイから戻られた陛下は赤坂御用池で育てられたティラピアを50匹、翌年の春にタイへ寄贈されました。ラーマ9世は宮殿の池でそれらを飼育します。ティラピアはタイを代表する魚にまで浸透し、華僑により仁魚という漢字がつけられ、タイ語でもプラー・ニンと呼ばれて親しまれています。「仁魚」の「仁」は陛下の明仁の名からとったもので、「プラー・ニン」の「ニン」もやはり仁の字から来ています。プラーとはタイ語で魚のことです。

世界には27の王室が存在しています。現存する王室で最も長い歴史を持つのは日本皇室です。日本人はあまり意識しないようですが、世界では日本の皇室は大変尊敬されているのです。

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