12月8日がやって来ます。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(日本時間)。
毎年この日を迎えるたびに、私は自然とジョンのこと、そしてビートルズのことを深く思い返してしまいます。季節の空気とともに胸によみがえるのは、ジョンの「イマジン」であり、ポールの「レット・イット・ビー」です。表現のスタイルも、宗教観も、人生の歩みも異なる二人でしたが、彼らが向かおうとした「心の平和」という方向性には、やはり共通するものがあったのだろうと感じます。
とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。『Get Back』でなければならなかった理由
ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。
その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。
とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。『Get Back』でなければならなかった理由
ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。
その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。
日本文化がジョンにもたらした視座
ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。
ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。
もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。
ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。
ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。
もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。
二元論を超える視点 ― ジョンが見つめた「一体化」
「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。
近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。
ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。
「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。
近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。
ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。
「共同主観」をつくれるか ― 日本社会への課題
ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。
とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。
ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。
ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。
とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。
ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。
ポストコロナの世界 ― 忘却ではなく、教訓へ
新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。
欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。
真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。
だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。
新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。
欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。
真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。
だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。
ジョンが遺した「想像力」という武器
ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。
ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。
12月8日を迎えるたび、私は思います。
もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。
ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。
***
ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。
ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。
12月8日を迎えるたび、私は思います。
もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。
ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。
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