2025年12月15日月曜日

橿原の風土と国際感覚 ~ 高市早苗という政治家の多面性 

 
橿原神宮のイメージ画像

橿原の風土と国際感覚


――高市早苗という政治家の多面性

大阪を離れて半世紀近くが経とうとする今、故郷である奈良県橿原市に思いを馳せるとき、ふと一人の政治家の姿が浮かび上がってきます。日本の建国の地ともいえる橿原。大和三山を借景に持つこの特別な土地で、人格形成期である10代を過ごした高市早苗氏です。

私はこれまでニューヨークや上海に住み、国際都市の空気や、理屈だけでは割り切れない現実感覚を肌で知ってきました。一方で、本籍はいまも奈良県橿原市八木町に置いています。そうした立場から高市氏を見ていると、彼女の政治家としての個性は、単純なイデオロギーや党派性では捉えきれない、多面的なものに映ります。

彼女の姿は、時に「大阪のおばちゃん」を思わせる率直さを帯びながら、同時にニューヨーカーや上海人のような、ドライで合理的な国際感覚をも併せ持っているように感じられます。その併存する二つの顔は、偶然ではなく、彼女が歩んできた土地と経験の積み重ねから生まれたものではないでしょうか。

いわゆる「大阪のおばちゃん」的な感覚とは、物事を包み隠さず語り、時にユーモアを交えながら本質を突く、関西特有のコミュニケーション能力です。回りくどさを嫌い、腹を割って話すその姿勢は、東京中心の政治文化の中では異質に映ることもあるでしょう。しかし同時に、それは人の体温を感じさせる強みでもあります。

一方で、高市氏のシャープで合理的な判断力には、国際都市で生きるビジネスパーソンの気配があります。データや事実を重視し、感情論に流されにくい姿勢は、競争が常態化したニューヨークや上海の都市感覚と通底しています。私自身がそうした都市で働き暮らしてきた経験から見ても、その感覚には作り物ではないリアリティがあります。

この一見相反する二つの側面をつなぐ鍵が、神戸という土地です。

高市早苗氏の若き日々は、神戸・六甲の地で育まれました。奈良の実家から、親の経済的援助を受けずに神戸大学へ通い、学費も生活費もアルバイトで賄う――いわゆる苦学生(?)としての日々です。この経験が、彼女の性格形成に決定的な影響を与えたことは想像に難くありません。

神戸は、大阪の商業的な活気とも、奈良や京都の内向きな伝統とも異なる、開明的で国際色豊かな港町です。異なる文化や価値観が日常的に交差するこの街で、高市氏は自立心とともに、物事を多角的に捉える視野を身につけたのでしょう。「学費は出さない」という逆境は、彼女に甘えを許さず、強い意志と現実的な経済観念を刻み込みました。神戸六甲での四年間は、単なる学生生活ではなく、政治家としての原点となる時間だったに違いありません。

そして、その土台のさらに奥底に流れているのが、橿原という土地の記憶です。

橿原市は、日本初の本格的な都とされる藤原京が置かれ、神武天皇即位の地と伝えられる橿原神宮を擁する、「日本の起源」とも言うべき場所です。こうした歴史を日常の風景として育つことは、国家を長い時間軸で捉える感覚や、日本人としてのアイデンティティを、静かに、しかし確実に育てます。

大和三山に囲まれた橿原の風土は、派手さこそありませんが、地に足の着いた、ぶれにくい信念を育むには最適の環境です。高市氏の政策論の根底にある歴史観や国家観は、こうした土地の空気の中で自然に形成されたものではないでしょうか。

つまり高市早苗という政治家は、関西的な率直さと、国際都市的な合理性を併せ持ちながら、その深層には橿原が育んだ時間感覚と国家観が流れている――私はそう考えています。

私は決して彼女の熱心な支持者でもなければ、自民党支持者でもありません。ただ、日本が敗戦後に形作られた体制を、惰性のまま温存するのではなく、現実に即したかたちで少しずつ修正していく必要があるとは考えています。その文脈において、高市氏には一定の役割を果たしてもらいたい、という距離感のある期待を抱いています。

人の体温を感じさせる率直さと、AIやデジタル技術にも通じる論理的でぶれない正確さ。その二つが同居する彼女のキャラクターは、良くも悪くも、現代日本の政治家像の一つを体現しています。長年故郷を離れてきた者として、同じルーツを持つ政治家の存在は、日本の未来を考える上で、実に示唆に富んだ存在だと感じています。

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