2025年12月24日水曜日

人生というプロジェクトを、どう見通すか

 

人生というプロジェクトを、どう見通すか

――高齢化社会に必要な視点としてのプロジェクトマネジメント――

「プロジェクトが泥沼化する」という言葉を、私たちはよく耳にします。
気がつけば当初の目的が見えなくなり、責任の所在も曖昧になり、誰も全体像を説明できない。そんな状態です。そして私は、プロジェクト管理という行為そのものが、日本人には実はあまり向いていないのではないか、と感じることがあります。

私は30代半ばから後半にかけて、プロジェクトマネジャーという仕事をしていました。正直に言えば、面白くて仕方がなかった。当時は、今のようなパソコンのプロジェクト管理ツールなど存在しません。ガントチャートは物差しと鉛筆で引くものでした。線を引き、消し、引き直す。その一つひとつが、プロジェクトの思考そのものだったように思います。

ステータスミーティングでのファシリテーションも嫌いではありませんでした。年上の、しかもクライアント企業の幹部が並ぶ会議の司会を任される。今思えば、ずいぶん生意気な若造だったのでしょうが、当時の私はそれをエキサイティングな仕事だと感じ、嬉々として引き受けていました。若気の至りですね……。今思い起こすと赤面ものです。

しかし、その経験を振り返ると、プロジェクトマネジメントの本質は「管理」ではなく、「見通す力」だったと強く感じます。先を考え、全体を俯瞰し、最悪の事態を想定しながら、関係者を不安に陥れないように進めていく。その営みは、実は人生そのものと驚くほど似ています。

人間が不安になる最大の原因は、「情報不足」にあります。場合によっては、概念の欠落と言ってもいいでしょう。自分がよく知らないこと、これまで経験したことのないことに直面すると、人は誰でも不安になります。だからこそ、正しい概念を常日頃から収集しておくことが大切です。

最近では、老後の不安を口にする人が増えていますが、その多くは、年金制度や日本の医療の仕組みについてほとんど知識を持っていませんし、老後の大まかな生活プランも描いていません。何も知らず、情報も持たないから、漠然とした不安だけが膨らんでいくのです。

これは、プロジェクトでもまったく同じです。

最悪の事態を想定するためには、日々プロジェクト関係者ときめの細かいコミュニケーションを重ね、さまざまな情報をできる限り集め、起こり得る問題を洗い出し、その発生確率を冷静に検討する必要があります。

詳細までは分からなくても、「どの程度のインパクトなのか」が見えていれば、人は過度に緊張せず、落ち着いて対処できるのです。

人生も同様です。

自分の人生を一つのプロジェクトとして捉えるなら、私たちは皆、自分自身の人生のプロジェクトマネジャーです。そのためには、情熱とビジョン、つまり「志」が前提として必要になります。

“What is your life for?” と自分に問い続けることです。

ここで思い出すのが、論語の「君子不器(くんしふき)」という言葉です。
私はこの「器」を、英語で言えば function(機能)だと解釈しています。縦割りの機能、専門分野のことです。君子たるもの、一つの機能に閉じこもるな。プロセスとして、全体として考えよ――そう言っているように思えるのです。

プロジェクト管理とは、まさに幅広く考え、先を読み、統合し、横断的に判断する行為です。プロジェクトも、企業も、政府も、そして個人の人生も、本質的には同じ構造を持っています。

世の中の仕事を乱暴に二つに分けると、一つは、決められた枠の中で定められたルールに従い、数字を並べていく仕事。もう一つは、曖昧模糊とした状況に対して、自ら枠を設定していく仕事です。前者の代表例は会計士や税理士でしょう。後者の代表格が、資格もライセンスも存在しないコンサルタントです。コンサルタントも若い頃は専門分野に特化しますが、年齢を重ねるにつれて、複数の分野や人、組織をまとめる役割を求められるようになります。

スペシャリストからゼネラリストへ。

「君子不器」とは、そのシフトを促す言葉なのだと思います。欧米では、マネジメントとは「スペシャリストとしての経験を持つゼネラリスト」が担うものです。

そして、マネジメントに欠かせないのが「気配り」です。

気遣いは今の感情への反応であり、時に自分のためのものでもあります。一方で、気配りは未来に向けた行動であり、相手に不安を感じさせないためのものです。相手に気遣いさせないように、こちらが先回りして動く。それが本当の意味での気配りなのだと思います。

リーダーやプロジェクトマネジャーは、メンバーを不安に陥れない責任を負っています。それは組織運営の技術であり、ピープル・マネジメントそのものです。明るく振る舞うこと、会話の後に相手が少し元気になること。それも立派なマネジメントです。

高齢化が進む日本社会において、私たちは「人生をどう生き切るか」という問いに直面しています。もしかすると、今こそ必要なのは、人生を一つのプロジェクトとして捉え、主体的にマネジメントする視点なのかもしれません。
  • 抽象度を上げて全体を俯瞰すること。
  • 最悪に備え、情報を集め、概念を蓄積すること。
  • そして、君子不器の姿勢を忘れないこと。
プロジェクトマネジメントは、単なる仕事の技術ではありません。
それは、生き方の技術なのだと、今の私は思っています。

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