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2026年2月5日木曜日

信頼関係の構築とは何か ――AI時代にこそ問われる、人と人との「空中ブランコ」

AI時代にこそ問われる、人と人との「空中ブランコ」


信頼関係の構築は、リーダーシップ、教育、組織運営、そして日常の人間関係に至るまで、あらゆる場面で根幹となるテーマです。私は16年前のブログで、日本のリーダーシップの欠陥として「信頼関係を構築できないこと」を指摘しました。当時、ワシントンポスト紙は、日本の首相が官僚機構と円滑な協力関係を築けず、危機に際して臨機応変な対応ができていない「loopyな総理」と批判していました。論調には少しだけ違和感を覚えつつも、「信頼関係の欠如」という指摘自体は的を射ていたと思います。

上のスライドは、さらに古いもので、30年近く前、チームビルディングを説明するために作成したものです。そこでは、信頼関係を「暗闇の中での空中ブランコ(Trapeze)」にたとえています。空中ブランコは、相手が確実に受け止めてくれると信じられなければ、決して手を離して飛ぶことはできません。

ここで重要なのは、「信頼するとは、相手の能力(Capability)と意志・覚悟(Commitment)を確認すること」だという点です。どちらか一方が欠けていては、信頼関係は成立しません。高いスキルがあっても、受け取る覚悟がなければ飛べない。逆に、受け取る気持ちがあっても、技量が伴わなければ危険すぎて飛べない。信頼とは、感情ではなく、極めて現実的で、命がけの判断なのです。

一般に、信頼関係はテクニックで築けるものではありません。言行一致、一貫性、誠実な謝罪、相手への関心といった、地味で時間のかかる行動の積み重ねによってのみ育まれます。約束を守ること、曖昧にしないこと、相手がいない場所でも誠実であること。いわば「信頼残高」を日々少しずつ積み上げていく作業です。

この点で、私は江戸時代の寺子屋に大きな示唆を感じています。寺子屋は、教師と生徒という関係以上に、師匠と弟子の信頼関係で成り立っていました。知識の効率的な伝達よりも、人と人との関係性、徳育を重視していた。コンピュータが人格を形成しないのと同じで、信頼はデジタルでは代替できません。

ビジネスにおいても同様です。合理性だけで動く組織は、一見強そうに見えても、予測不能な危機には脆い。有機体(Organism)としての組織、つまり人と人との信頼関係があってこそ、危機を乗り越えられます。M&Aが難しいのも、ここに理由があります。Organic growth(自律的成長)とは、単なる規模の拡大ではなく、その組織が本来持つ「稼ぐ力」「結束力」が内側から育っているかどうか、という問いでもあります。

個人の信頼関係構築の基本は、驚くほど単純です。時間を守る、約束を守る、嘘をつかない。これを愚直に、長年続けること。若い頃の私はスキルも実績もありませんでしたが、「絶対に時間に遅れない」ことだけは自分に課していました。早く着くことで生まれる余裕や静けさが、結果として自分の誇りになっていったのです。それしか取り柄がなかった、と言ってもいいでしょう。

そして今、AIがAIを騙す「フェイク everywhere」の時代に入りました。情報は溢れ、もっともらしい言葉や画像はいくらでも生成されます。だからこそ最後に問われるのは、「この人は信用できるのか」という、極めてアナログな感覚です。画面の向こうではなく、現実の行動、積み重ね、履歴が試される時代なのです。

信頼とは、「橋をかけること」だとも言えます。その橋は一夜にして完成しません。時間をかけ、何度も補修しながら、少しずつ強くしていくものです。この比喩は、空中ブランコのイメージともどこかで重なっています。飛ぶ者と受け止める者。その間に架かる、目には見えない一本の橋です。

サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)」は、単なる友情の歌を超えた、信頼関係の本質を描いた楽曲だと思います。歌の中で繰り返される “I will lay me down”(私は身を横たえる)という言葉は、信頼関係に不可欠な「脆弱性」を象徴しています。自分が先に橋となり、相手が渡れるように身を差し出す。その覚悟があって初めて、信頼は動き出します。

また、信頼が試されるのは平時ではなく、困難の只中においてです。

“When you're weary, feeling small / When tears are in your eyes”

相手が弱り切っているときに、なお変わらずそこに居続けられるか。その一貫性こそが、「何度も補修されながら強くなっていく橋」を支える土台になります。

AIやSNSが生み出すデジタルな繋がりは、一瞬で築けます。しかしそれは、橋というよりも、風が吹けば崩れる「ハリボテ」に近いのかもしれません。時間はコストではなく投資です。一夜にして完成しないからこそ、その橋には重みと価値が宿ります。

信頼とは、相手を信じることそのものではありません。相手が自分を信じられるように、自分がどう在るか。その姿勢を、時間をかけて示し続けることです。

空中ブランコも、橋も、そして信頼関係も、原理は同じです。飛ぶ前に、受け止める覚悟があるか。そして、明日もその場所に立ち続けているか。

***

2026年1月14日水曜日

カレーライスの夜に――遠藤賢司の誕生日

 
細野晴臣(ベース)、鈴木茂(ギター)、松本隆(ドラム)
結成したばかりのはっぴいえんどのメンバーが演奏に参加している

遠藤賢司の代表曲の一つに「カレーライス」(1971年)という曲があります。この歌ほど、時代の空気や変化を表現した曲は、他にはありません。

1970年、三島由紀夫が自決しました。国家だの精神だの、やたらと重たい言葉が世の中を飛び交っていた頃です。ところが若者たちの現実はというと、狭いアパートでカレーを食べ、「肉はないけどジャガイモが入っている!」などウキウキしている。遠藤賢司の「カレーライス」は、そのどうしようもない落差を、真正面から歌った。

外では誰かが腹を切っているのに、こちらはカレーを食べている。冷たい話に聞こえるかもしれませんが、これは無関心ではありません。歌にしたのですから。大きな理想や物語が崩れ去ったあと、信じられるものが「自分の手の届く日常」しか残らなかった、というだけの話ではないでしょうか?

全共闘世代が挫折し、サルトルやカミュの言う「反抗」も、だんだんと居場所を失っていきました。若者は実存主義を語らなくなった。いわば「祭りの後の静けさ」。遠藤賢司は、その後始末を引き受ける世代だったのだと思います。燃え尽きたあとのバリケードの後を、じっと見つめていた人です。

当時、私は高校に入ったばかりでした。大阪の府立高校の校門にはバリケードがまだありました。しかし、空気が変わったのを肌で感じました。「カレーライス」の翌年には、吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットし、音楽は反抗よりも生活や恋を歌い始めます。政治の季節が終わり、生活の季節が始まったのです。

ただし、遠藤賢司はどちらにも乗りませんでした。彼は自分の音楽を「純音楽」と呼びました。流行にも政治にも寄らず、ただ自分の魂が震えた分だけ音にする。だからこそ、50年以上経った今も、「カレーライス」を聴く人が絶えないのでしょう。

1月13日は遠藤賢司さんの誕生日です。亡くなってから今年は10回忌。

夜中にカレーライスを作って食べました。玉ねぎを牛脂で炒めてガラムマサラと一緒のレトルトカレーに投入しました。大きな理想が崩れても、人は腹が減り、鍋をかき混ぜる。その静かな肯定を、エンケンは歌っていたのだと思います。決して虚無的ではない。虚無的だったら遠藤賢司は死ぬまで歌い続けなかったと思います。2026年の日本のほうが虚無的です。

今夜もどこかで、誰かがカレーを食べながら「カレーライス」を思い出しているはずです。エンケンはきっと空の上で、「ワッショイ!」(エンケン後期の歌)と笑いながら、その匂いを嗅いでいるのではないでしょうか。

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2026年1月9日金曜日

新しいサキソフォン

 
右手の中指でF#キーを押しています


昨年のブログで、修理に出した古いサキソフォンをきっかけに、私のサックス生活が始まったことを書きました。その続きです。

一年ほど吹いてみて、さすがに楽器の世代差を感じるようになりました。思わぬ音が出るたびに自分の未熟さを棚に上げ、楽器のせいにしたくなる日々です。そこで、長い逡巡の末、新しいサキソフォンを購入する決断をしました。

選んだのはヤマハのアルトサックス。仕上げはアンラッカーです。
理由は単純で、「使い込むことで変わっていく楽器」を、人生の後半で持ってみたかったからです。

ただし、ここで一抹の不安が生じました。

アンラッカーの渋い経年変化が出るのが先か、それとも自分の健康寿命が先か。まさかサキソフォンの酸化と競争することになるとは思いませんでした。

機能的にはハイF♯キーも付いており、理屈の上では以前より吹きやすいはずです。ところが現実は甘くなく、期待するほど音は言うことを聞いてくれません。新しい楽器が来たからといって、腕前まで新品になるわけではないようです。

それでも不思議なもので、1ミリでも前に進んだ気がすると、それだけでうれしい。誰に評価されるわけでもない自己満足ですが、今の自分にはそれで十分だと感じています。私は元々承認欲求は強くはありません。

クリスマス前に届く予定の新しい相棒は、結局、年も押し迫った29日に手に入りました。

今日も相変わらずピーヒャラピーヒャラと音を外しています。
それでも吹き続けていれば、楽器も自分も、少しずつ変わっていくはずです。そう信じて、しばらくはこの根競べを楽しもうと思っています。


A New Saxophone

Not long ago, I wrote about how my life with the saxophone began—sparked by an old horn I sent out for repairs. This is the sequel.

After about a year of playing, I could no longer ignore the generation gap between the instruments. Every time an unexpected note jumped out, I conveniently blamed the sax, quietly shelving the fact that I’m still a beginner. Eventually, after a long stretch of hesitation, I made the decision: I’d buy a new saxophone.

I chose a Yamaha alto, finished in unlacquered brass. The reason was simple. In the later half of life, I wanted to own an instrument that changes as you use it—one that ages along with you.

That’s when a small anxiety crept in.

Which would come first: the deep, weathered patina of an unlacquered sax, or the end of my own healthy years? I never imagined I’d be racing a chemical process—oxidation—at this stage of life.

On paper, the horn should be easier to play. It even has a high F-sharp key. In theory, things should be smoother than before. Reality, of course, had other plans. The sound doesn’t always obey. A new instrument doesn’t magically upgrade the player.

Still, there’s something strangely satisfying about feeling even a millimeter of progress. No applause, no audience—just quiet self-approval. These days, that feels like enough.
The new partner I was expecting before Christmas finally arrived on the 29th, just as the year was closing in on itself.

Today, as always, I’m still missing notes, making that familiar squeal and squawk.

But if I keep playing, I believe both the instrument and I will change—slowly, unevenly, but surely. For now, I’m content to enjoy this small, stubborn race.

(Photo: pressing the high F-sharp key)

一把新的萨克斯

不久前,我写过一篇文章,讲述自己是如何与萨克斯结缘的——起因是一把送去维修的老乐器。这篇文章,可以算是那段故事的续篇。

大约吹了一年之后,我再也无法忽视乐器之间的“代沟”。每当有一个不该出现的音符突然蹦出来,我总会很顺手地把责任推给萨克斯,悄悄把“自己仍是初学者”这个事实搁置一旁。犹豫了很长一段时间后,我终于下定决心:买一把新的萨克斯。

我选择了一把雅马哈的中音萨克斯,未经上漆的黄铜表面。理由很简单。人生的后半程里,我想拥有一件会随着使用而变化的乐器——一件能够与我一同老去的东西。

就在这时,一丝小小的不安浮现出来。

究竟哪一个会先到来:无漆萨克斯那种深沉、风化般的包浆,还是我自己健康岁月的终点?我从未想过,在这个人生阶段,竟然会和一种化学过程——氧化——展开赛跑。

从理论上说,这把乐器应该更容易吹奏。它甚至配备了高音F♯键。按理说,一切都该比以前顺畅。但现实当然另有安排。声音并不总是听话。一把新乐器,并不会自动升级演奏者。

即便如此,哪怕只是感觉到一毫米的进步,也会带来一种奇妙的满足感。没有掌声,没有观众,只有对自己的默默认可。如今,这样就已经足够了。

我原本期待在圣诞节前到来的这位新搭档,终于在12月29日抵达——正好赶在这一年即将收尾的时候。

今天也和往常一样,我依旧会吹错音,发出那种熟悉的尖叫和怪响。

但我相信,只要继续吹下去,乐器和我都会改变——缓慢、不均匀,却是确定无疑的。此刻,我很满足于享受这场小小而固执的赛跑。

(照片:按下高音F♯键的瞬间)


***

2025年12月18日木曜日

1ミリの進歩――ブルースハープとサキソフォンのあいだで

 

10ホールのブルースハープちゅうもんをやね、
中学高校の頃から、ずーっと持っとんねん。半世紀以上やで、半世紀。

せやけどな、上手なったか言われたら、笑わしたらアカン。
そない立派なもんちゃうわ。

去年の秋からや。
アルトサックスちゅう、またややこしいモン始めてな、
一年ほど経って、久しぶりにハーモニカ吹いてみたんや。

……その時や。

「なんやこれ」
「前より、音が分かる気ぃすんで」

ほんの一ミリや。
せやけどな、その一ミリが、やたら重たい。

サックスとブルースハープ?
見た目は似ても似つかんわな。
片やピカピカ、片やポケットに突っ込む鉄クズや。
けどな、吹いたら分かる。
こいつら、根っこは一緒や。

まずな、息や。
息が全部や。
腹で息せんかったら、どないもならん。
浅い息やったら音フラフラやし、力入れたらすぐバレる。
押すんとちゃう。支えるんや。
流すんや、流す。

「力入れんな!」
「息止めるな!」
あれな、ハーモニカでも、そのまんま通用する話や。

誰かにエラそうに言われたわけやあらへん。
せやけどな、吹いてたら分かってくるんや。

「あ、これ力入れたらアカンな」
「ここで息止めたら、音が死ぬわ」

そういうことがな、
音そのもんから、じわじわ返ってくる。

それがな、ハーモニカ吹くときにも、
そのまんま通用する話やった。

それからな、息の加減そのもんが、表現や。
ブルースハープのベンドも、サックスの音程の揺れもな、
指ちゃうで。息や。

ちょっと圧変えただけで、
ちょっと角度ズラしただけで、
音がな、ニヤッと笑いよる。
生き物や、あれは。

正解?
そんなもん、あるかいな。
あるんはな、身体が覚えた感覚だけや。

それとな、決定的なんがこれや。
この二つの楽器、歌いや。

リトル・ウォルターはんの演奏、思い出してみ。
吹いとるんとちゃう。
しゃべっとる。
歌っとる。

音符並べてるんやない。
間ぁ取って、
ちょっと黙って、
言いよどんで、
腹立ったら、叫ぶ。

楽器やのうて、
喉の続きやな、ありゃ。

到達点?
そんなん言われたら、困るわ。

せやけどな、
サックス一年が、
ハーモニカを一ミリだけ前に押してくれた。

一ミリやで。
けどな、ワイには十分や。

音楽ちゅうのはな、階段ちゃうねん。
上がったり下がったりするもんやない。
循環的な解釈や。歴史みたいなもんやな。

遠回りして、
別の楽器通って、
ようやく昔の自分のとこ戻ってくる。

そん時な、
同じ場所立っとるはずやのに、
景色がちょっとだけ違う。

……その一ミリや。

それがあるさかい、
ワイは、まだ吹いとるんやろな。

***

2025年12月14日日曜日

2番ドローに追いつけないまま


ブルースは完成せえへん。
せやから五十年、

2番ドローの途中に
居場所があった。

ブルースハープ(10穴のハーモニカ)っちゅうモンはな、まず 2番ドロー(吸音) をモノにせんことには始まらんのや。

ベンドっちゅう技は、音をグッと下げて、あのブルージーな“泣き”を出すための、いわば 魂の呼吸 や。せやけどな、そいつを自由に操ったら天下取れる。

なんでや言うたら、リトル・ウォルターちゅう男、あいつはもう 2番ベンドの化けモン やったからや。10穴しかないハープでもやな、ひとつの穴で3つの音、それに無限のニュアンスや。

デジタルちゃうで。全部、口と腹ん中と心ん中で作る“生(なま)の音”や。これがアナログのええところなんや。

ほんでな、『Juke』や。

ウォルターはんの全米No.1のあの曲や。あれの3コーラス目聴いてみい。2番ベンドを“散歩するみたいに”ヒョコヒョコと行ったり来たりしよるんや。通常吸い→半音落とし→全音落とし、この3つを、シャッフルに乗せて気持ちよ〜く揺らすんや。

あんなん、並の人間ができる芸やあらへんで。ワイはな、50年やってもまだでけへんのよ。

🎵 🎵 🎵 🎵 🎵

2番ドロー・ベンドのカラクリ

2番ドローは普通吸うたらCのハープで「ソ」っちゅう音が出るんやけどな、ベンド入れたら 最大全音下げて「ファ」まで潜れる んや。その間の「ファ#」? もちろん出せる。出せんとブルースにならんわ。あれはな、口ん中の空間いじって、ふたつのリードを同時に共鳴させるワザや。高いほうのリードだけやなく、低いほうのリードも鳴らして、無理やり音程を沈める。ほんで初めて、あの“泣き声”が出よるんや。

***

2025年12月11日木曜日

ハーモニカと人生後半の幸福について

 
Juke 2nd 12 Bar ”2nd hole bend"

久しぶりにリトル・ウォルターの『Juke』を吹いてみました。何十年経っても、この曲を前にすると、気持ちが17歳にもどってしまいます。私にとって『Juke』という曲は、人生の長い旅(?)の途中に時おり姿を現して、「おい、まだやってんのか?」と笑いかけてくる古い友人のような存在なのです。

ウォルターとの“邂逅”

私がリトル・ウォルターに出会ったのは、まだ10代の後半、大阪ミナミの街を彷徨していた頃でした。心斎橋の阪根楽器というレコード屋で、たまたま流れてきた彼のブルースハープの音に、心をすっかり持っていかれ、「黒人のブルース音楽」に引きずり込まれたのです。

すぐに10穴のブルースハープを手に入れて、意気揚々と吹いてみるのですが、まあ、出てくるのは自分でも笑ってしまうほどのフォークソング調の頼りない音でした。吸っても吹いても、どうひっくり返しても、あの“ウォルターの黒い音”はどこにも転がっていません。「特別なハーモニカでも使っているんじゃないか?」と本気で思ったほどです。

当時は何の参考資料もなく、もちろんYouTubeの解説動画なんて夢のまた夢。手探りでふーふー吸っては吹き、吸っては吹き……。今思えば、よく集合住宅の近所から苦情が来なかったなと不思議なくらいです。

特に『Juke』の12バー(小節)の2サイクル目。あの1〜8バーは、10代の私はもちろん、50代、60代になっても、まともに「分かった」と言えるレベルに届きません。半世紀たった今でも、あの部分は私にとって“永遠の宿題”のようなものです。

『Juke』という奇跡の曲

リトル・ウォルターの『Juke』という曲は、1952年に発表された、ブルースハーモニカの歴史を塗り替えた名曲です。ハーモニカだけでR&Bチャート1位を取ってしまうなんて、今でいうと大谷翔平レベルの快挙です。

彼はアンプリファイド・ハーモニカ――つまりハーモニカをマイクにくっつけて、増幅した“電気ハープ”の先駆者で、まるでアルトサックスのような、鋭く、それでいて温かく震える音色を作りました。あの不安定なユラユラする音を初めて聴いたときの感動は、半世紀経った今でも色褪せません。

ウォルターの革新性は、テクニックだけではなく、それを軽々と、まるで道端を鼻歌まじりで歩くように吹いてしまうところにあります。こちらは必死に息を吸っては吹いているのに、ウォルターは「Hey, man. Take it easy」とでも言うような余裕のある音を響かせる。この温度差がまた、彼に惹かれる理由なのです。

半世紀たっても“敵わない相手”がいる幸せ

私には音楽の才能はありません。これは、長年周囲からも念押しされ、そして自分でも納得している事実です。しかし、才能がないからといって、やめてしまったら、それこそ人生はつまらなくなってしまいます。

『Juke』に挑むと、いつも「ああでもない、こうでもない」と悩みながらも、どこか楽しい。ウォルターの音を探して彷徨いつつ、見つからないまま今日まで来てしまいましたが、最近ようやく「見つからないのもまた楽しさの一部なのでは?」と感じるようになりました。

50代以降になって分かったのは、「敵わない相手」がいてくれることのありがたさです。人生の後半で、まだ越えられない壁がポツンと残っているというのは、なんだか嬉しいものです。壁があるからこそ、人は前に進める。ウォルターは、私にとってそんな存在です。

「ないもの」ではなく「いまあるもの」に気づく

人はどうしても「自分にないもの」に目を向けがちです。若い頃の私は、まさにその典型でした。ウォルターのような音が出ない。でも彼のように吹きたい。どうしてできないんだ、、、、。

しかし、半世紀かけて分かったことがあります。
人生は、ないものを数えても豊かにはならない。今あるものを数えてこそ豊かになる。

才能はなくてもいい。うまくなくてもいい。むしろ下手なほうが、長く楽しめるのかもしれません。もし若い頃から上手に吹けてしまっていたら、私はきっと今ほどハーモニカを続けていなかったと思います。

この感覚は、和田秀樹先生の新刊『医師しか知らない 死の直前の後悔』にある多くのエピソードにもつながっているように思います。和田先生は、長年高齢者医療に携わる中で、人が人生の最後に何を後悔するのかを丁寧に綴っています。

 「もっと家族を大切にすればよかった」
 「もっと旅行すればよかった」
 「もっと仲間と交流しておけばよかった」

これらは、すべて“今あるものを大切にする”ということの裏返しです。人は、失ってからようやく気づく。けれども、本来は、生きているうちに気づいたほうがいいに決まっています。

高齢化社会の日本で、「幸福」をどう育てるか

日本は世界でもトップクラスの高齢化社会です。否が応でも、「老後の幸福」というテーマに向き合わざるを得ません。ただ、ここで大事だと思うのは、「国がどうするか」ではなく、「自分がどう生きるか」です。

そして、人生後半の幸福の本質は、とてもシンプルなものだと思うのです。
  • 自分の好きなことをゆっくり続けられること
  • 心を許せる仲間がいること
  • 何度でも読める本が一冊でもあること
  • 今日のご飯が美味しいと思えること
  • そして、明日の自分が、今日よりほんの少しだけ機嫌よくいられること
この「今日より明日を少しだけ良くする」という感覚は、ハーモニカの練習そのものと似ているように思います。昨日より、ちょっとだけ良い音が出せた。今日は昨日より少し長く吹けた。それくらいのペースで十分なのです。

高齢者が幸せになるためには、特別な才能も、高価な趣味も必要ありません。
“今あるもの”を丁寧に味わう力。それだけで人生は十分に豊かになる。
私はそう信じています。

『Juke』が教えてくれたこと

久しぶりに『Juke』を吹いてみて、あらためて思いました。

10代の頃にリトル・ウォルターと出会えたのは、私にとって間違いなく幸運でした。半世紀かけても攻略できない曲がいまだに存在するというのは、考えようによっては、とても贅沢なことです。

人生の後半では、「人より劣っているところ」よりも、「自分だけの幸せ」を一つずつ増やしていくことのほうが大切なのだと思います。ウォルターの音は一生出せないかもしれません。でも、下手なりに吹き続けて、時おり「あ、今日はちょっとだけマシだな」と思える瞬間、それが楽しくてたまらない!

人生もまた同じではないでしょうか。
完璧を目指す必要はありません。
昨日より今日、今日より明日を、少しだけ良くしていく。
その積み重ねが、人の幸福をそっと育てていくのだと思います。

そして私は、これからもウォルターと対話しながら、『Juke』の2サイクル目に挑み続けるつもりです。70代になっても、80代になっても、たとえ吹けなくても、その時間そのものが、きっと私の人生を豊かにしてくれるはずです。

***

2025年12月4日木曜日

ジョン・レノンへの想い ~ 12月8日を迎えて


12月8日がやって来ます。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(日本時間)。

毎年この日を迎えるたびに、私は自然とジョンのこと、そしてビートルズのことを深く思い返してしまいます。季節の空気とともに胸によみがえるのは、ジョンの「イマジン」であり、ポールの「レット・イット・ビー」です。表現のスタイルも、宗教観も、人生の歩みも異なる二人でしたが、彼らが向かおうとした「心の平和」という方向性には、やはり共通するものがあったのだろうと感じます。

とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。

『Get Back』でなければならなかった理由

ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。

その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。

日本文化がジョンにもたらした視座

ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。

ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。

もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。

二元論を超える視点 ― ジョンが見つめた「一体化」

「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。

近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。

ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。

「共同主観」をつくれるか ― 日本社会への課題

ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。

とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。

ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。

ポストコロナの世界 ― 忘却ではなく、教訓へ

新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。

欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。

真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。

だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。

ジョンが遺した「想像力」という武器

ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。

ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。

12月8日を迎えるたび、私は思います。

もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。

ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。

***

2025年11月30日日曜日

古希ファンク:アンラッカーか、それとも健康寿命か?

 

60代も後半になってサキソフォンを始めたのですから、これはもう立派な人生の冒険です。しかも私のサックス人生、スタート地点からして少しばかり変わっています。

きっかけは、息子が小学生のころ吹いていたサキソフォンを処分しようとしたことでした。27年前、ニューヨークのホワイトプレインズにあるサムアッシュで800ドルで買った初心者モデルです。それを昨年、山野楽器を通してヤマハに修理を依頼したのですが、3~4か月後、蘇ったのかどうかは分かりませんが、とにかく戻ってきました。修理費は98,000円。800ドルのサックスを二度目に買ったような気分です。

そして思ったのです。「これは修理費の元を取らねばいけない」と。そこから私のサキソフォン修行が始まりました。私の場合、動機はいつでも不純です。

一年が経ちました。修理したとはいえ、サキソフォンにも2025年型と1998年型のジェネレーションギャップがありまして、なにかと手がかかります。昔のサックスにはハイF♯キーがないとか、タンポがくっつきやすいとか、ただでさえ下手くそな私をさらに追い込んできます。思わぬ音が突然鳴るたび、私の心のタンポもくっついてしまうのです。

そこで私は一年間考え続けました。そしてついに決断しました。新しいサキソフォンを買うことにしたのです。しかしここで新たな試練です。この3〜5年でサックスの価格がほぼ倍に跳ね上がっているではありませんか。「弘法筆を選ばず」という言葉が脳裏をかすめました。しかし、決断力があるところを家人にも示さねばならない。 
  
問題はどの仕上げ(フィニッシュ)を買うかです。一般的なゴールドラッカーか、経年変化を楽しむアンラッカーか。ここで、古希直前の私の脳に新たな懸念が芽生えます。

「アンラッカーの渋い経年劣化が出るまで、自分の健康寿命はもつのだろうか?」

サックスの変化と私の健康寿命の競争です。人生というのは、まさかサキソフォンの酸化という化学反応と競争することになるとは思いませんでした。ちなみにアンラッカーはメーカーからの取り寄せです。クリスマスまでに届くかもしれません。指折り数えて待っている時点で、もう立派なサックス愛好家です。

サキソフォンにも性格があります

サックスのラッカー仕上げとアンラッカー仕上げには、それぞれ性格があります。

ラッカー仕上げは塗膜で保護されていて、光沢があり、扱いやすいです。吹奏楽色が強い標準です。一方、アンラッカー仕上げは塗膜がなく、金属そのまま。吹けば吹くほど酸化して渋くなり、ヴィンテージ風に育っていく。「使い込んだ革靴」のような存在……と言われています。

新品の時点ではどちらもピカピカのゴールドです。問題はその後です。アンラッカーは空気や手の油、湿気とすぐ仲良くなります。数ヶ月から数年で変色し、独特の風合いになります。一方ラッカーはきちんと手入れすれば新品の輝きを保ち続けます。

つまり、

ラッカー:長く若々しいままの美しさ
アンラッカー:年月を重ねた深み(が出てくると思われる)

そんな違いがあります。

メンテナンスも異なります。ラッカーは比較的気楽です。アンラッカーはこまめなお手入れが必要です。その分、育てる楽しみがあります。まるで吹奏楽団の中に、自由奔放な変わり者が座っているようなものです。

ラッカー派か? アンラッカー派か?

一般的な扱いやすさや外観ならラッカー仕上げ。金属の鳴りや経年変化を楽しみたいならアンラッカーです。私の場合は、人生の残り時間と楽器の変化のスピードを比べるという、なんとも哲学的な選択になりました。

でも、こうして悩んだり迷ったりする時間こそが、サキソフォンという楽器の魅力でもあるのだと思っています。楽器は単なる道具ではなく、人生の相棒です。

大切なのは毎日吹くこと。下手でもいい。突然変な音が鳴ってもいい。修理費の元を取るために始めたサキソフォンですが、気づけば私の生活のリズムと呼吸を整えてくれる存在になりました。

そして、クリスマスに届くであろう新しい相棒を思い浮かべながら、今日も私は音を外しながら練習を続けています。

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2025年11月21日金曜日

サキソフォンは私を試している


吉祥寺のスタジオでサックスを小一時間ほど吹いてきました──とはいえ、“一時間”というのは正しくなくて、実際は15分吹いて、15分ぐったり休憩。結局、まともに音が出せているのは30分ほどです。

いま取り組んでいるのは、「立って吹く」という、ごく当たり前のようでいて実は奥の深い動作。サックス初心者の私が追いかけているのは、50〜60年代のジャズやファンクが持っていたあのトーンと佇まい。でも、昔の巨匠たちのように、ホーンを身体から少し離して構え、背筋を伸ばして立つ──あれはもう別世界です。すぐ疲れるし、半分くらいはサックスがピーピー文句を言い返してくる。自分の理想までは、まだ長い道のり。精進あるのみ。そして、高齢者の私に“上達の余白”がどれほど残っているのかと、、、。

日本のプレイヤーは、クラシックや吹奏楽の出身が多いこともあって、姿勢はどうしても安定と効率が優先される──ホーンを体に寄せて、音も動きもきっちり制御するようなスタイルです。

でも、アメリカのジャズやファンクのレジェンドたちはまったく違った。彼らが追っていたのは「自由」と「表現」、そしてビートに乗ったグルーブ感。ホーンは身体からふわっと離れ、大きな両手で鷲づかみにされ、まるでエネルギーの延長みたいに揺れていた。

それが、私が追いかけているサックスのスタイルです。いまのところは、そのスタイルのほうに追いかけ回されている気すらしますが……。

Yesterday, I spent about an hour practicing sax at a studio in Kichijoji — though “an hour” is generous. Fifteen minutes of blowing, fifteen minutes of cooling down. In the end, I’ve got about thirty solid minutes in me.
Lately, I’ve been studying what it means to stand and play. What I’m aiming for is that ’50s–’60s jazz and funk sax vibe. But standing tall, holding the horn away from the body — the way the old masters did — is a whole different game. It’s tiring, and half the time the horn squeals back at me. I’m nowhere near where I want to be. The woodshedding continues.
Japanese players often come from more classical or academic backgrounds, so their posture leans toward stability and efficiency — the horn tucked close, everything controlled.
But the American jazz and funk legends? They chased freedom. Expression. Movement. Their horns floated off their bodies like extensions of raw energy. That’s the style I’m chasing — even if, for now, it’s chasing me right back.

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2025年11月16日日曜日

スプリングスティーンを聴きながら走ったハイウェイ

 

Route 1&9 ── ブルース・スプリングスティーンと、私の“明日なき暴走”


1989年から数年間、私は毎週末、ニュージャージーの Route 1&9 を南へ下っていました。邦銀のデータセンター構築プロジェクトのためで、現場は Jersey City。ニューヨーク州ウエストチェスターに住んでいた私は、Tappan Zee Bridge を渡り、ハドソン川を左手に眺めながら、Route 1&9 を延々と南下するのがルーティンでした。

その長い道のりのあいだ、車内に流れていたのは決まってブルース・スプリングスティーンでした。

スプリングスティーンにとって Route 1&9 は、単なる道路ではありません。「Born to Run」や「The Promise」に登場するように、彼の若さ、焦燥、そして希望が渦巻く象徴的なラインであり、Freehold や Asbury Park といった原風景を結びつける“彼の道”そのものです。私はその道を毎週末、自分の人生の通路として走っていたのです。

Jersey City に近づくと、信号で止まるたびに街娼が近づいてくることもありました。彼女たちの口癖は “Wanna go out?”。私はいつも “I am already out.” と返したものです。薄い霧に包まれたハドソンの向こうにニューヨークの摩天楼が立ち上がる。

そんな週末の早朝、車内で「Born to Run」を聴くと、胸の奥がざわつき、若い頃の自分が何かへ向かって走り出す感覚がよみがえってきました。

スプリングスティーンの代表曲「Born to Run」は、恋人同士が自分たちの存在と真正面から向き合い、人生に意味を求め、山椒魚の岩屋ではなく、“自分たちの居場所”を探そうとする物語です。この曲が普遍的なのは、そこで投げかけられる問いが、私たちが誰もが一度は心の奥で向き合うものだからです。

社会人になり四国へ移った頃、私は毎日のように『Born to Run』を聴いていました。人生はどこへ向かうのか。そもそも何を求めて走っているのか。スプリングスティーンの声は、そんな自問をやめさせてはくれませんでした。

“Highway 9” は、彼の故郷 Freehold を貫く US Route 9 のことです。労働者階級の閉塞感から抜け出す道であり、より良い未来へと続くタイムトンネルのような道路でもあります。若いうちにこの希望のない場所から抜け出さなければ、人生は無駄になり、生きる目的を見失ってしまう——そんな切迫した危機感がこの曲にはあります。主人公たちは、この「罠」から逃れるために、自由を求めてハイウェイを暴走しようとするのです。

Born to Run に出てくる Highway 9 は、ニュージャージー北部では Route 1 と合流し、1&9 として猥雑な街を貫いていきます。私が走っていたのは、この重複区間(ワン・アンド・ナイン)でした。スプリングスティーンにとっての Route 9 が彼を故郷から解き放ったように、四国の仕事や生活から抜け出そうともがいていた自分を思い出し、彼のハイウェイと奇妙な一体感を覚えていたのでした。

Route 1&9 は、今でも私のアメリカ生活の記憶の背骨のような存在です。ハドソン川、対岸に浮かぶマンハッタンのスカイライン。そして車内に響くスプリングスティーンの声。

“Is there really something out there for me?”

Route 1&9 の景色とスプリングスティーンの歌声は、今でも私の胸の中でひとつの風景として続いています。

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2025年11月7日金曜日

サキソフォン一年生 ― 60代の迷いと発見

 

サキソフォン一年生

60代も後半になって始めたサキソフォン。
気がつけば、もう一年が経ちました。

始める前は、まさかここまでハマるとは思ってもみませんでした。
この歳になって、新しい発見がこんなにあるとは驚きです。

練習の「理想形」と「現実」

サックスの練習は、音色・スケール(音階)・レパートリーの三本柱を、1日30分以上続けるのが理想だそうです。音色練習とオーバートーンで自分のサウンドを作り、スケールで指を鍛え、学んだことを曲や即興に応用する。まるで吹奏楽部の教科書のようなプロセスです。

さて、私はというと――これがなかなか王道とはいきません。

音色練習の途中で「あ、この音、何かに似てるな」と思えば、気づけばYouTubeでメイシオ・パーカーやデビッド・サンボーンを聴き漁り、退屈なスケール練習なんかほっぽり出して、いつのまにかカッコいいフレーズの耳コピ大会になっている始末です。

「聞く」から「聴く」へ

それでも、この一年で確実に変わったことがあります。
それは、音楽の聴き方です。

これまで私は音楽を「聞いて」きました。
しかし、サキソフォンを始めて気づいたのです。
私は“聴いて”いなかった、と。

一音一音に意識を向けて聴くと、音楽が立体的に感じられます。
楽器を演奏するだけでなく、音楽そのものに「体が関わる」感覚です。
サキソフォンは、ただ吹くものではなく、体と一体になって音を出すもの。
お腹の底からベルの先まで、自分が一本の楽器になったような気がします。

古い楽器と新しい迷い

ちなみに、私のアルトサックスは四半世紀前に息子が学校で使っていた入門機です。オーバーホールしたとはいえ、あちこちにガタがきています。

もちろん、上達の遅さを楽器のせいにはしません。
……しませんが、クリスマスを前に、新しいサックスを買おうかどうか、悩んでいます。

迷う理由はいくつかあります。

「熱しやすく冷めやすい」自分の性格、そして残りの人生でどれだけ上達できるのか。投資すべきか、見送るべきか。

でもまあ、こうしてグチャグチャ考えている時点で、もう半分買う気になっているんですよね。これまでの人生のパターンからして――たぶん、もうすぐポチッとしているでしょう。

今後の展望

まだまだ初心者の域は出ませんが、
音楽の楽しみが何倍にも広がった一年でした。

「聞く」から「聴く」へ。
人生の後半で、こんな変化があるとは思いませんでした。

次の一年は、音のひとつひとつに、もう少し“余裕”と“遊び心”を込めていきたいと思います。
    
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2025年10月20日月曜日

アナログの魂、デジタルへの反抗

ジミ・ヘンドリックス

2025年10月1日水曜日

若者への提言 ~ 井伏鱒二の山椒魚にならないために

 

楽譜を書くのも楽しみの一つ


私が長く働いたアメリカと日本を比べて痛感するのは、社会のルールそのものが大きく違うということです。経営者の役割も、社員の在り方も、税や年金の仕組みも異なります。二十年アメリカで納税をした私が最後に思ったのは、「もうアメリカで税金は納めたくない」ということでした。問題だらけの日本ですが、日本には日本のルールがある。いまは、「もう日本で税金なんか納めたくない(怒!)」です。

組織にはその組織のエコノミーがあり、その本質を理解したうえで結果を出す。それが第一歩なのです。

もちろん、ルールが旧態依然として変更が必要な場合もあります。しかし成果を出して周囲に認めさせてからでなければ、ルールを動かす力にはなりません。転職してきたばかりの人が「この会社の仕組みはおかしい」と訴えても、耳を貸す人はいないでしょう。日本は転職そのものが難しい社会ですから、なおさらです。結果として、成長の機会がアメリカより圧倒的に少なくなっているのです。

同じような人材が、変わらない組織の中で長く働き、気心の知れた仲間と「あうんの呼吸」で仕事を回す。表面上は快適ですが、それはまさに井伏鱒二の『山椒魚』の世界です。成長のために広い世界へ出られるはずなのに、自ら小さな穴に閉じこもっている。その状態を「コンフォートゾーン」と呼ぶならば、日本社会全体がそこに安住してしまっているのです。世間をしらない、世襲を繰り返す政治家が多数を占める日本の政治も同じですね。

しかし今や、そのコンフォートゾーン自体が壊れ始めています。サファリパークで安全に「ジャングルごっこ」をしていられた時代は終わりました。フェンスは破られ、外敵は潜入し、決まった時間に餌も出てこない。もはや守られた環境ではなく、リアルなジャングルで生き延びるしかありません。

未来を明るくできるのは、やはり若い世代です。私はもう十分に歳を重ねましたが、去年からアルトサックスに挑戦しています。ジェームス・ブラウンを支えた名サックス奏者メイシオ・パーカーに、一ミリでも近づきたいと日々練習を続けています(一年経っても進歩はありませんが、まだまだ気持ちは前向きです)。

いまの日本は、もはや安全なサファリパークではなくなりつつあります。フェンスは壊れ、外敵は入り込み、餌も約束通りに出てこない。ならばフェンスを立て直すのか、それともジャングルで生きる力をつけるのか。選ぶのは、これからの世代です。

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2025年9月17日水曜日

ロバート・レッドフォードの死とアメリカの本質


The Entertainer - 今年正月の録音です


コンマンの国から日本への警鐘

ロバート・レッドフォードが亡くなりました。

アメリカン・ニューシネマの代表作『明日に向かって撃て!』(1969年)や『スティング』(1973年)は、私が14歳前後の人格形成期に大きな影響を与えた作品です。少し後年になりますが、『大統領の陰謀』(1976年)も何度も観て、レッドフォードが電話で話す英語を必死にコピーしたことを思い出します。

ここでレッドフォードの映画史的な功績については評論家に任せたいと思います。私が触れたいのは『スティング』という映画と、そこに描かれた「アメリカの本質」です。

コンゲームはアメリカ社会の鏡

『スティング』が大ヒットした理由は、アメリカ人が心の底で「自分たちの社会はコンゲームの上に成り立っている」と理解しているからだと思います。

コンゲーム(confidence game)の“con”は「信頼」を意味します。コンマンとは、一瞬で信頼を勝ち取り、偽物を売りつける詐欺師のことです。アメリカ社会は、こうしたコンマンの物語を痛快に楽しみます。詐欺師が詐欺師を出し抜く、そのカタルシスがたまらないのです。
 
日本で言えば石川五右衛門に近いでしょうか。権力者をやっつける義賊だからこそ、人々は喝采します。アメリカの場合、それは「反知性主義」と呼ばれます。知性や権威そのものを否定するのではなく、知性と権力が癒着し、代々大金持ちが世襲していく構造に対する反感なのです。

だからこそ、トランプのような人物が現れても、アメリカ社会では「成り上がりもの」として否定されません。むしろ「一発逆転」の物語に拍手を送ります。ユーモアと話術さえあれば、どんな悪党でもヒーローになれるのがアメリカの伝統なのです。

自己啓発と「ポジティブ産業」

アメリカ人にとって宗教すら自己啓発の道具になっています。テレビ伝道も、多くの宗教家も、神学というよりは「ライフコーチ」であり、「ポジティブ産業」に近いのです。自己啓発本がアメリカで売れ続けるのは、社会そのものが「成功への道具」として宗教や思想を利用する土壌を持っているからだと思います。

出版不況の日本でも、自己啓発本が売れています。日本の読書嗜好も次第にアメリカ的になりつつあるのかもしれません。しかし、それは「con manを速成する手段」でもあることを忘れてはならないと思います。振り込め詐欺だけが詐欺ではありません。ポジティブ産業に酔ってしまえば、頭を冷やすことは難しいのです。

ニーチェは「一人ぼっちになって迷路を進むこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと」が意志の力であり、人間にとって大切だと説きました。福沢諭吉も、小林秀雄も、坂口安吾も、同じことを別の言葉で語っています。要は、自立して考える力なのです。

日本への警鐘

アメリカは中世を経ずに誕生した国であり、建国以来わずか250年の歴史しか持ちません。その成り立ちは「コンマンの国」だと言えるでしょう。自己啓発本、テレビ伝道、トランプ現象――すべては「信頼を売る詐欺」の延長線上にあります。

一方、日本には2600年の歴史があります。中世も近世も経験し、正統性を積み重ねてきた社会です。にもかかわらず、戦後80年でアメリカに隷従し、その文化を無批判に取り入れてきました。

今の日本が生き残るためには、アメリカの模倣ではなく、アメリカに負けない知性を持つことだと思います。歴史の厚みからくる正統性の強さを自覚しなければならないのです。

ロバート・レッドフォードの死は、一時代の終焉を告げるニュースであると同時に、日本にとって「次の時代をどう生き抜くか」を考える契機でもあるのです。

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2025年9月6日土曜日

年寄りのサックス手習い

 

息子が25年以上前に学校で習っていたサキソフォンを、昨年の4月に修理に出しました。数か月かかって修理は終わりましたが、修理費は購入価格($800)を上回ってしまいました。息子はもうサックスを吹かないようですので、仕方なく自分がやるしかないかと思い、去年の9月から手を付け始めました。

あれからもうすぐ1年になります。YouTubeを師匠にして、ひとりで高齢者の手習いを続けていますが、進歩しているのかどうか、正直よくわかりません。学ぶことに遅すぎるということはない――これは教訓として正しいと思います。しかし現実は厳しいです。高齢者は独善的で、つい傲慢になってしまいますし、耳も遠くなり、16ビートのリズムについていくのは本当に大変です。特にファンキーなサックスは16分休符が命ですが、私の場合、16分休符が8分休符になったり、場合によっては4分休符になったりしてしまいます。

ですので、学ぶ意欲を持ち続けることは大切ですが、若い人とジャムセッションをするなんて、とても無理です。それでも独りで練習し、少しずつでも音が出せる喜びは、年寄りの手習いならではのささやかな楽しみです。苦労は多いですが、挑戦し続ける気持ちは、やはり捨てるわけにはいきません。

An Old Man’s Saxophone Practice

My son, over 25 years ago, learned to play the saxophone at school. Last April, I sent it for repairs. It took several months, and the repair cost ended up exceeding the original purchase price. Since my son no longer plays the saxophone, I had no choice but to take it up myself. I started last September, and almost a year has passed. Using YouTube as my teacher, I continue my solo practice as an elderly beginner, but to be honest, I’m not sure how much progress I’ve made.

It is true that it’s never too late to learn. However, reality is harsh. Older people tend to be self-opinionated and a bit arrogant. Our ears don’t work as well, and keeping up with 16-beat rhythms is really difficult. Especially for a funky saxophone, the sixteenth-note rests are essential, but in my case, they often turn into eighth-note rests, or sometimes even quarter-note rests.

So, while it’s important to maintain the desire to learn, joining a jam session with younger players is absolutely impossible. Still, practicing alone and gradually getting a sound out brings a quiet joy that only comes with being an elderly beginner. The struggles are many, but the spirit to keep challenging myself is something I simply cannot abandon.

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2025年8月20日水曜日

沈黙というサウンド――60年代アメリカと現代日本

  沈黙のサウンド
        
「Sound of Silence」が発表された1960年代、アメリカはベトナム戦争、公民権運動、ケネディ暗殺など、社会の裂け目が大きく口を開けた時代でした。サイモン&ガーファンクルの歌は、沈黙の中に漂う不安、誰も口に出さない危うさを照射していました。しかし、この歌が社会批判の象徴となったにもかかわらず、70年代以降のアメリカは没落の道を歩み始めます。経済的繁栄と裏腹に、政治的分断とモラルの崩壊は進み、ついにはトランプの台頭に至りました。これはアメリカの宿命と言えるかもしれません。  

この歴史の流れは、現代の日本社会に重なって見えるのです。表向きの繁栄や安定を装いながら、実際には深刻な少子高齢化、経済停滞、政治の無能化が進行しています。ところが、人々は声を上げず、ただ沈黙のなかに身を沈めている。まるで「沈黙というSOUND」が、日本社会全体を包み込んでいるようです。

忘却の早さもまた、日本の特徴です。昭和の15年戦争、阪神淡路大震災、オウム事件、東日本大震災、そしてコロナ禍――これら大事件の記憶はすぐにかき消され、教訓は生かされません。あたかも「沈黙」が新しい常識であるかのように。

賢者は話すべきことがあっても口を開かない。愚者の話だけが声高にメディアを覆いつくす。

「Sound of Silence」は、単なる時代の歌ではありません。60年代のアメリカにおける社会批判であると同時に、現代の私たち日本人への警鐘でもあるのです。沈黙に甘んじれば、やがて「沈黙」は癌のように拡がり、社会を蝕む。

私が危惧するのは、この国が再び「声を失う社会」へと沈んでいくことです。アメリカの轍を日本がなぞらぬためには、過去を忘れず、沈黙を破る勇気を取り戻さねばなりません。

しかし現実にはどうでしょうか。国民が声を上げるどころか、与党の中枢にすら「声を持たない者たち」が居座り、沈黙を美徳と勘違いしたような政治が横行しています。その結果として生まれたのは、歴史に刻まれるべき史上最低のリーダーたちと、リテラシーのない国民なのです。これこそが、日本社会の「沈黙というサウンド」が鳴り響かせた最も皮肉な結末ではないでしょうか。

サウンド・オブ・サイレンス(翻訳 三鷹の隠居)

真っ暗闇という僕の親友、また話に来たよ。
眠っている間に種が蒔かれたんだ。
それは幻(VISION)のように忍び込み、
「沈黙というSOUND」のなかで芽を出していた。

僕は細い路地をひとり歩いていた。
街灯の光の下、冷たいもやにコートの襟を立てて。
ネオンの閃光が夜を切り裂いたとき、
僕は「沈黙というSOUND」に触れた気がした。

裸電球に照らされ、
一万人、いやもっと多くの人々が言葉をなくしたまま喋り、
疑いもなく聞き入っていた。
理解されることのない言葉を、壁に勝手に刻んでいた。
けれど誰も「沈黙というSOUND」を破ろうとはしなかった。

馬鹿だな。
何も学んでいない。沈黙は癌のように増殖していくんだ。
僕の言葉は、きっと君に届くこともあるだろう。
だけど、それは雨粒が深い井戸に落ちて、
ただ静かにエコーするだけ。

そして人々は、ネオンの偶像に祈りを捧げていた。
お告げは、地下鉄の壁や安アパートの廊下に刻まれていた。
そう、沈黙のSOUNDのなかでみんなが囁いていたんだ。

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2025年8月15日金曜日

海ゆかばと靖国の静けさ

 


日本の夏、とくに終戦記念日である八月十五日が好きではありません。


若いころから何度も口にしてきたことです。今年も例外ではありませんが、今年はとりわけ『海ゆかば』の旋律とともに、亡き父のことを思い出しています。

父は十数年前、83歳で亡くなりました。70歳で脳出血を発症し、亡くなるまで左半身麻痺の高齢者として生きました。私も来年は古希を迎えます。そのせいか、今年の夏は父の姿がことさら胸に浮かびます。そして、この国の政治家の発言や行動に、あらためてあきれ果てています。こんな人たちが日本という国家を動かしているのかと思うと、全く無責任だと感じます。メディアも同じです。私はテレビを見ませんが、YouTubeで断片的にコメンテーターの発言を耳にしたり、ネットで「識者」と呼ばれる人たちの言葉に触れたりします。しかし、その多くは非常にお粗末な認識にすぎません。40〜50年前も同じような気持ちで八月が嫌いでしたが、今の日本の状況はそれ以上にひどいと感じます。

父は戦争に行きませんでした。樺太西海岸の泊居(トマリオル)という小さな町で生まれ幼少期を過ごしました。父の父、私の祖父は奈良出身の営林署(宮内省林野局)の役人で国有林の管理が仕事だったみたいです。祖母は根室の人でした。小学校三年のとき、祖父の転勤で泊居から樺太庁の所在地である豊原市に移り住みます。暮らし向きはよく、父は読書好きな普通の少年だったようです。しかし戦局が悪化し、祖父の判断で故郷の奈良へ戻ることになります。この判断は絶妙なタイミングで、祖父の世界を読む目と判断力の確かさを物語っています。

終戦の年、父は15歳で、学徒動員により愛知の軍事工場に入り、ゼロ戦に搭載する20ミリ機関砲を作っていました。祖父も父も固定観念に縛られず、祖父は明治生まれでありながら自分で料理をし、茶碗を洗う人でした。奈良の立派な家系に生まれながら世界の森を渡り歩き、父もまた、自分の基準(物差し)で生きる人でした。若いころは会社で生意気だといじめられ、出世やお金とは縁がありませんでしたが、本を読み、絵や書、水墨画を楽しみ、車を愛しました。

70歳で倒れたあとも、76歳で妻を亡くしてからも、父は障害を抱えながら独りで前向きに暮らしました。戦争体験については多くを語りませんでしたが、何度か『海ゆかば』を口ずさむ姿を見ています。大伴家持が西暦783年に詠んだこの歌は、国のためではなく、愛する人のために命を捧げる鎮魂の歌です。人が生きるには理由が必要であり、人間は自らの生きる価値を見つけなければならないのだと感じます。

奈良中学(現・県立奈良高校)の時、父は勤労動員で豊橋の幸田へ行かされました。団塊世代のように戦争を知らないのではなく、少年期を戦争のただ中で過ごしたことが、単なる反戦ではないリベラルな思想の土台になったのだと思います。加えて、両親の自由な考え方も影響したのでしょう。

そんなことを思い出しながら、終戦の日のニュースを見ました。石破首相は靖国参拝を見送り、私費で玉串料を奉納すると言います。ほかの閣僚も「適切に判断する」と言葉を濁し、理由は語りませんでした。そもそも総理大臣が一個人として昭和の戦争を総括するなど、なんという傲慢な思い上がりでしょうか。私は、国のリーダーが靖国を無視することを理解できません。参拝は戦争を賛美する儀式ではありません。そこに眠るのは、名もなき兵士や、愛する人のために命を落とした人々です。他国への忖度であれ国内への配慮であれ、理由はどうあれ、国の礎を築いた人々への敬意すら示せないのなら、政治家としての資格は問われるべきだと思います。それを公言できないのが今の日本です。

靖国に行けとは言いません。しかし、せめて『海ゆかば』の静かな旋律を聴きながら、哀悼の意を表することがなぜできないのでしょうか。今年の八月十五日も、九段の空にその歌が流れることを、私は心から願っています。

そしてその旋律が、かつて命を賭した者たちの魂に、静かに届くことを信じています。

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2025年8月13日水曜日

サックス11か月、まさかの初歩ミス発覚!

 27年前に息子のために買ったサキソフォン

当時、800ドルでした。


サックスを始めて11か月。これまで「なんだか楽器がぐらぐらして安定しないなあ…」とずっと思っていました。持ち方が悪いのか、それともサックスを構える位置に問題があるのかと思っていたら、まさか原因は自分の口にあったとは。

実は、吹奏楽出身の人たちと、私が目指す黒人ジャズやファンキー系サックスプレーヤーでは、口元の形が違うことは早くから分かっていました(ありがとうYouTube)。でも、口の中まで見せてくれる動画はない。まるで料理番組で「ここで味を整えます」の一言で終わらせるようなもので、肝心なところが素人にはわからない。

アンブシュア(マウスピースをくわえる形や筋肉の使い方)については、教則本にもネットにも「音色や音程、演奏の安定性が向上します」とは書いてあるけれど、どうやら一番大事なことが抜け落ちていたようです。

私の致命的ミス、それは――上の歯をマウスピースから浮かせて吹いていたこと。

「え?そんなの普通じゃないの?」と思ったあなた。違うんです。正解は、上の歯をしっかりマウスピースに当てて固定すること。そうすれば楽器はぐらつかず、口角も自然に締まる。

このことに気づいた瞬間、「なんだ、今までの私は水漏れ配管みたいな音を出してたのか…」と心の中で頭を抱えました。次からは、安定感のある音を出せるはず。あとは腕前がそれに追いつくのを待つだけ――人生の第四コーナーにいる自分に、まだ間にあうか?

Sax at Eleven Months — and the Rookie Mistake That Had Me Playing Like a Leaky Faucet
  
I’ve been at the saxophone for just under a year now, and for all that time one question haunted me: Why does this horn feel like it’s trying to wriggle out of my hands? I blamed my grip. I blamed my posture. I even blamed gravity. But the truth was far closer to my face — inside my mouth, in fact.

Early on, I spotted a difference between the neat, disciplined embouchures of concert-band players and the looser, swagger-infused style of the Black jazz and funk saxophonists I admire. (Thanks, YouTube.) Trouble is, YouTube never shows you what’s going on inside the mouth. It’s like a cooking show that cuts to the next scene after, “And now we season to taste.” Great — but what taste, exactly?

Method books and websites talk plenty about embouchure — that magical blend of mouth shape and muscle control that shapes your tone, intonation, and stability. But apparently, they’ve all been skipping over the one thing that could have saved me months of frustration.

Here it is: I’d been playing with my top teeth hovering above the mouthpiece. Floating. Not touching. Not anchoring.

If you just muttered, “Wait, isn’t that fine?” — nope. The pros rest their top teeth firmly on the mouthpiece, locking it in place like a tripod’s center pole. Do that, and suddenly the horn stops wiggling, the corners of your mouth pull in naturally, and the whole setup feels solid.

When I finally discovered this, I nearly dropped the horn. So all this time, I’ve been sounding like a busted water pipe? No wonder I couldn’t keep things steady.
Now, with this one fix, my tone’s got a fighting chance. All I need is for my chops to catch up. But here I am in life’s fourth quarter, racing the clock and hoping the music will still let me play overtime.

***

2025年7月24日木曜日

「ヘイ・ジュード」と英語と、わたし

 

久しぶりにビートルズを聴きました。 80代になったポール・マッカートニーが『ヘイ・ジュード』を歌う映像を観たのです。声は少しかすれても、あの「Hey Jude」のフレーズが流れ出すと、不思議なもので、 時間が逆回転したようで、遠い記憶が胸に押し寄せてきました 。

たぶん、ビートルズの曲の中で一番好きなのがこの『ヘイ・ジュード』です。最初に出会ったのは、小学校の高学年。ちょうどグループサウンズから卒業し、“本場”の音楽――ビートルズやローリング・ストーンズ――に惹かれ始めた頃でした。『ヘイ・ジュード』のシングル盤を手に入れて、レコードが擦り切れるんじゃないかと思うくらい、何度も何度も聴きました。

そしてある日、ふと思ったのです。「この歌は、いったい何を言ってるんだろう?」

田舎の小学生では当然わからない。でも、どうしても意味が知りたくて、近所で英語を教えている先生を見つけて、個人レッスンに通い始めました。この先生は専業主婦だったのですが、イギリスで生活をしていたそうです。学校の勉強とはまったく関係なく、「ビートルズの歌詞が知りたい」という一点の思いだけで動いていたのです。おかげで、英語との最初の出会いはずっとワクワクするものでしたし、中学3年間の英語はほとんど勉強する必要がなかった。

振り返ってみれば、英語なんてものは「勉強する対象」ではなく、「好きなものを深く知るための道具」だったのだと思います。目的はいつも、歌詞の向こうにある彼らの気持ちや、背景の風景を想像することにありました。辞書を片手に、歌詞カードをにらみながら、「ペニーレインって、お金の”雨”が降るという歌なのか?」などと真剣に考えていたのも、今となっては良い思い出です(実際には、ポールの育った町の地名でしたが)。ちなみに、私が最初に買ったビートルズのLPが『マジカル・ミステリー・ツアー』で、B面3曲目がその『ペニーレイン』でした。A面とB面をひっくり返すのも、あの頃の儀式のひとつでした。

ビートルズの歌詞は難解です。時代背景やイギリスの空気を知らないと、文脈を誤解してしまう。でも、その謎を解きたくて辞書を引き、意味を考える。そうやって英語と向き合う時間が、私にとっての「勉強」だったように思います。

中でも、『ヘイ・ジュード』は、やはり特別な一曲です。後に、ポールがこの曲をジョン・レノンの息子ジュリアン(ジュード)を励ますために書いたと知りましたが、私は社会人になってから、プレゼンテーションの枕などでよくこの曲の一節を引用していました。少し皮肉を込めて、「これは日本のサラリーマンを励ます歌なんですよ」と言いながら。

特に、こんな一節――

So let it out and let it in, hey jude, begin,
(万物は流転なんだ、一歩前へ出ろよ)
You’re waiting for someone to perform with.
(誰かが助けてくれるなんて、待ってるんじゃない)
And don’t you know that it’s just you, hey jude, you’ll do,
(自分だけなんだぞ、自分でやるんだ)
The movement you need is on your shoulder.
(その一歩は、お前の肩にかかってるんだ)

「誰かがやってくれるのを待ってる場合か」「その一歩は、自分の肩にかかってるんだぞ」――そんなふうに、ポールが目の前で語りかけてくれているように響いたのです。私が込めたメッセージは、「自分の人生は、自分がプロデュースする」――ただそれだけでした。誰かに流されてばかりじゃ、What is the life for? なのです。 

英語は道具です。でも、良い道具には「物語」が宿ります。興味を持つきっかけは、何だっていい。私の場合は、レコードから流れてきた『ヘイ・ジュード』が、すべての始まりでした。

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2025年6月27日金曜日

レイラを弾きながら思う事

久しぶりにギターを手に取りました。およそ二か月ぶりでしょうか。何を弾こうかと迷った末、やはり選んだのはクラプトンでした。気がつけば、再会の曲はいつも彼のものになっている気がします。

クラプトンほどの大御所でも、いまなお毎日ギターを弾くのだそうです。しかも、ステージで演奏する曲は毎日必ず練習するという。「忘れるから」と彼は語る。才能と経験を重ねた巨匠でさえ、なお“忘れる”ことを恐れ、日々ギターに向き合う。その姿勢に、クラプトンに可愛さを感じます。

継続することの重みは、年を重ねてますます深く感じるようになりました。この曲——「レイラ」を初めて聴いたのは、中学生のころでした。もう50年以上も前のことです。あの衝動的なギターリフと、どうしようもないほど切ない歌声。若い頃にはただ「カッコいい」と思ったその曲が、今では痛いほど心に響くのです。

クラプトンは、自分自身を自虐的に唄う。まるで、太宰治を読んでいるかのような気分になります。どこか似ているのです。自己否定と孤独を抱えながら、それでも生きようとする人間の姿が。

文学と音楽、ジャンルは違えど、私は彼らの根っこに、「ダメな男」という意味で、共鳴しているのかもしれません。ひょっとすると、私はクラプトンのファンなのですね。いまさらながら、そんな気がしています。


What Comes to Mind While Playing “Layla”
I picked up my guitar for the first time in a while—about two months, I think. As I sat wondering what to play, I found myself turning, once again, to Eric Clapton. Somehow, whenever I return to the guitar after a break, it's always his music that marks the reunion.
Clapton, despite being a legend, still practices the guitar every single day. He says he plays the songs he performs on stage daily—because otherwise, he might forget them. Even a master with decades of talent and experience fears forgetting, and so he keeps facing the instrument, day in and day out. There’s something endearing about that—a kind of humble honesty.
As I grow older, the weight of persistence—of simply continuing—feels deeper than ever.
I first heard this song—“Layla”—when I was in junior high school. That was more than fifty years ago. The raw, impulsive guitar riff, and that achingly desperate voice—when I was young, I just thought it was cool. But now, the song cuts deeper, hits harder. It aches in a way it didn’t back then.
Clapton sings about himself with a kind of self-mockery, a wounded honesty. It reminds me of reading Osamu Dazai. There’s a resemblance between them: men carrying self-loathing and loneliness, yet still struggling to live.
Music and literature are different mediums, but I feel a strange affinity with both. Perhaps what I recognize in them—what resonates—is the figure of the “flawed man.” The broken, but still breathing.
Maybe, after all this time, I’ve always been a Clapton fan. And only now do I truly realize it.

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