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2026年3月12日木曜日

「際」を生きるということ ―― 福沢諭吉 と「迷子になる勇気」

 

私の人生に大きな影響を与えた日本人の一人が、

福沢諭吉です。

福沢の人生を眺めていると、あることに気づきます。どこかで聞いたこともあります。彼は、ある意味で 「際(きわ)」に立って生きた人でした。

福沢諭吉が生きた「際」

福沢の人生を並べてみると、すべてが境界の上にあります。
  • 武士の時代 → 明治国家
  • 漢学 → 蘭学 → 英学
  • 封建社会 → 市民社会
  • 日本 → 西洋
彼の人生は、常に世界の変わり目 にありました。

福沢自身が書いていますが、蘭学を学ぶために長崎へ行ったとき、彼は気づきます。世界はオランダ語ではなく、英語で動いている。

そこで彼は迷わず方向を変えます。大胆な意思決定です。

つまり福沢は、最初から確信を持っていた人ではありません。
むしろ 現実を見て、方向を変え続けた人でした。

「迷子になる勇気」

私は『迷子になる勇気』という本を書きました。
後から考えてみると、この感覚は福沢の思想にかなり近いのではないかと思います。

福沢の有名な言葉があります。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

これは単なる平等論ではありません。

本当の意味は
自分で考えろということです。

そして自分で考えるためには、ときには既存の道を外れる必要があります。

つまり、『迷子になる勇気』です。

日本思想の面白さ

ここで少し面白いことがあります。

西洋の思想は、多くの場合
体系(システム) を作ります。

しかし日本の思想は、むしろ

境界に立つ人から生まれることが多い。
例えば
  • 空海
  • 本居宣長
  • 福沢諭吉
  • 夏目漱石
  • 新渡戸稲造
  • 小林秀雄
この人たちは皆、どちらの世界にも完全には属していません。
だからこそ、世界の矛盾が見えたのだと思います。

私もずいぶん迷子になってきました

自分の人生を振り返ると、
私もまた境界の上を歩いてきたように思います。

言い換えれば、
私もずいぶん迷子になってきました。

仕事や生活の場としては
  • 日本(地方都市と東京)
  • 中国
  • アメリカ
三つの世界を経験しました。

しかも、アメリカのITやコンサルティング会社という
大きな組織の中でです。

これはある意味で
文化の境界線でした。

さらに考えると、私は
  • 技術
  • ビジネス
  • 歴史
  • 思想
そうした分野の境界にも立ってきたと思っています。

境界に立つ人には、一つの特徴があります。

違和感を感じることです。

そしてもう一つあります。

境界に立つ人は、どこにも完全には属さないため、少し孤独になります
授業をサボって喫茶店にいる時のように。

その結果、人は次のどれかを始めます。
  • 研究する
  • 思想を作る
  • 書く
福沢は『学問のすゝめ』を書きました。

私はそんな立派なことができる人間ではありません。
研究ができるほど忍耐力もありません。

ただ、自分の人生で経験してきたこと、考えてきたことを、
忘れてしまう前に少しずつ書き残しているだけです。

小さな檸檬

私が好きな短編があります。

梶井基次郎の『檸檬』です。

この作品もまた、境界の文学です。
  • 都市と個人
  • 近代と感覚
  • 憂鬱と解放
その境界に主人公は立っています。
そして彼は世界を変えようとはしません。

ただ、檸檬という小さな爆弾を置いて立ち去る。

文章を書くこと

私が文章を書き続けている理由も、
たぶんそれに近いのだと思います。

世界を変えることはできません。
あと10年以内に死んでしまう確率が高い。

しかし、日本の歴史や社会、教育や主体性について、
読んだ人が 少しだけ違う角度から考える きっかけになればいい。

それで十分です。

それはきっと、
小さな檸檬だからです。

私の愛車である
黄色のコペンのように。

***

2026年2月27日金曜日

抽象度を上げて見るということ――阿Qと生成AIのあいだ

阿Qという精神は、過去の物語なのだろうか。


生成AIが急速に普及するなかで、日本でもさまざまな議論が交わされています。仕事はどう変わるのか、教育はどう対応すべきか、規制は必要か。いずれも重要な問いです。しかし、それらの多くは「どう使うか」という運用の次元にとどまっているようにも感じます。そこには鋭い指摘もありますが、人間そのものへの問いは、まだ十分に立ち上がっていないのではないでしょうか。

ここで必要なのは、抽象度を一段上げて見る姿勢です。生成AIを単なる便利な技術ではなく、「思考を外部化できる装置」として捉えるとき、問題は効率や制度ではなく、人間の主体のあり方へと移ります。

百年前、『阿Q正伝』を書いた魯迅は、敗北を合理化する精神の構造を描きました。阿Qは打ちのめされても「精神的勝利法」によって自分は負けていないと言い換えます。魯迅が問うたのは社会制度ではなく、現実を直視できない精神の型でした。

一方、日本の近代を生きた芥川龍之介は「ぼんやりした不安」と書き残しました。さらにさかのぼれば、夏目漱石は日本の近代化を「上ッ滑り」と表現しています。明治は「和魂洋才」を掲げましたが、結果として西洋の制度や技術を取り入れながら、それを支える思索の訓練を十分に育てられなかったのではないでしょうか。

私は、日本の教育のなかで、小学生の作文が高校生の小論文へ、さらに論文へと発展していく体系的な訓練が、本当に制度として根づいてきたのか疑問に思っています。受験制度は知識の処理能力を測ることには長けていますが、抽象度を上げて物事を捉える力をどこまで育ててきたでしょうか。

生成AIは、その弱点を静かに照らします。要約も構成も、ある程度は外部に委ねることができます。すると「考えた」という感覚だけが残り、本当に思索したのかどうかが曖昧になります。ここで思い出されるのが、パスカルの「人間は考える葦である」という言葉です。人間は弱い存在でありながら、考えることによって尊厳を持つ。もしその思考を外部化し続けるならば、その尊厳はどこに位置づけられるのでしょうか。

抽象度を上げて見るということは、具体的な利害を越えて、人間の条件そのものを問う訓練です。それは一朝一夕には身につきません。しかしその訓練がなければ、私たちは阿Qのように、現実を言い換えて安心するだけの存在になってしまうかもしれません。

生成AI時代において、私たちは本当に考えているのか。それとも、考えたと感じているだけなのか。和魂洋才が果たせなかった課題を、今あらためて引き受ける必要があるのではないかと思います。抽象度を上げる意識そのものが、主体を守るための静かな条件になるのだと感じています。

***

2026年2月1日日曜日

自信という土台 ―― 人はどうすれば自信を身につけられるのか

 
試練に向き合い、助けを得ながら行動し続けることで、
人は少しずつ自信という土台を築いていく。

最近、日本の自殺者数が再び増加傾向にあると聞きます。詳しい統計を確認したわけではありませんが、私の記憶では、日本の自殺は先進諸国のなかでも高い水準にありながら、十数年前からようやく減少傾向に転じていたはずです。にもかかわらず、ここにきて再び増えているとすれば、それは単なる景気や一時的な社会不安の問題ではなく、もっと深いところで「生きるための土台」が揺らいでいるのではないか、そんな気がしてなりません。

私はその土台の一つが「自信」だと思っています。

自信と言うと、実績や能力、資格や肩書きを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、若い時に必要なのは、そんな立派な裏付けのある自信ではありません。「根拠なんて無くてもいい」自信です。むしろ、そうした小さな、危うい自信こそが、後に本物の自信へと育っていくのだと思うのです。

昭和50年に出版された新書『日本の自殺』(文春新書)は、当時すでに、日本社会の内部からの崩壊を鋭く指摘していました。スペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を引きながら、著者たちは、日本人が「甘やかされた坊ちゃん」になりつつあることに警鐘を鳴らします。バブル崩壊後の長期低迷は、その警告が現実のものになった姿だったのでしょう。資産インフレであろうが、長期デフレであろうが、問題の本質は変わっていません。

『日本の自殺』は、マス・コミュニケーションによる間接経験の氾濫が、人間の思考力や判断力、情緒性を衰弱させ、社会の自壊作用を強めると述べています。「人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界を妨げられる」という指摘は、SNSと情報過多の時代を生きる私たちに、そのまま当てはまるのではないでしょうか。

そして昨今、AI、なかでも生成AIの急速な普及によって、この傾向にはさらに加速度がかかると感じています。文章を書き、要約し、判断材料らしきものまで即座に提示してくれる技術は、便利である一方で、人間が自分の頭で考え、試行錯誤し、迷いながら結論に至るプロセスを省略してしまう危険性を孕んでいます。

間接経験が、もはやマス・メディアだけでなく「思考そのもの」にまで入り込んできたとも言えるでしょう。

自分の頭で考え、自分の足で立つ感覚を失ったとき、人は自信を失います。そして自信を失った人間は、生きる意味さえ見失いかねない。『日本の自殺』が半世紀近く前に鳴らした警鐘は、AI時代を迎えたいま、むしろいっそう切実な響きをもって私たちに迫っているように思われます。

私にとって、そのことを強く意識させてくれたのが、夏目漱石の「私の個人主義」でした。漱石は「自己本位」という四字を手にしたことで、「ここに立って、この道からこう行かなければならない」と初めて確かな足場を得たと言います。この自己本位とは、自分勝手になることではありません。自分の軸を持つこと、自分の見識と判断力を信じることです。

日本では「自己実現」という言葉がよく使われますが、私には、その意味がどうにも腑に落ちません。漱石の言う自己本位、すなわち自信を持つこと、自分の立脚点を自覚することの方が、はるかに実践的で、生きる力につながる概念だと思います。

自信は、与えられるものではありません。アメリカの市井の哲学者エリック・ホッファーは、「独立自尊の個人は慢性的に不安定な存在であり、自信と自尊心は日々新たに生成しなければならない」と述べています。今日の達成は、明日への挑戦にすぎない。立ち止まれば、どんな高みにいても不安に襲われる。これは、私自身の経験とも完全に一致します。

私は料理を作るのが好きです。下手の横好きの典型ですが、それでも台所に立つ時間は嫌いではありません。うまくいかないことの方が多く、失敗も少なくない。家人に罵倒されます。それでも、手を動かし、やり直し、次は少し良くなるかもしれないと考える。その積み重ねが、私にとっての小さな自信になっていきます(と信じています)。一回目はまあまあでしたが、二回目の蕎麦打ちで大失敗したとき、私は文字通り落ち込みました。しかし、三回目に挑戦し、成功したことで、自信は五割ほど回復しました。失った自信は、立ち止まっていては回復しない。成功するまでやり直すことでしか取り戻せないのです。これは蕎麦打ちに限らず、人生そのものにも言えることだと思います。

サルトルは「アンガジュマン(engagement)」を説きました。

人は世界から距離を取って眺めているだけではだめで、そこに関与し、引き受け、責任を持って行動しなければならない。自信とは、そのアンガジュマンの積み重ねの中でしか生まれません。実は、コンサル業界で、プロジェクトのことを engagement 、つまり、アンガジュマンと呼びます。

思想の世界で語られてきたアンガジュマンは、実務の現場でも、生き方としても、同じ重みを持っているのです。

教育も、子育ても、そして国家のあり方も同じです。過保護に守られ、試練を奪われた社会では、自信は育ちません。挑戦し、失敗し、それでも前に進む経験こそが、人を強くします。禅宗の大家である鈴木大拙が言うように、民主主義には「自主の精神、独創の思想、いかなる責任をも辞せぬという自信と覚悟」が不可欠なのです。

自信を持つとは、何かを信じることでもあります。

宗教でなくてもいい。伝統でも、文化でも、自分なりの価値でもいい。日本の祭祀や神道が示すように、外からの思想を受け入れつつ包み込み、新たに創造してきた柔軟さは、日本人が本来持っていた強さでした。

もっと信じていい。
もっと自信を持っていい。

若い時の小さな自信は、やがて本物になります。そして、その自信こそが、生きることを引き受ける力となり、絶望から人を遠ざける最後の砦になるのだと、私は思っています。

***

2026年1月18日日曜日

子どもに“自由”を教えられていますか? ――人生の自由度ランキングを読んで、親として考えたこと

人生の自由度ランキングと、日本人の「自由」

先日、あるビジネス誌に「人生の自由度ランキング」という記事が掲載されていました。世界価値観調査をもとに、「自分の人生をどの程度自由に動かせると思っているか」という問いへの回答を国別に比較したものです。結果は、日本が世界で下から3番目。レバノン、ギリシャに次ぐ低さだそうです。

https://diamond.jp/articles/-/380018

この数字を見て、「やはり日本は不自由な国なのだ」と絶望する人もいるかもしれません。一方で、記事の筆者は慎重です。この調査は社会制度としての自由度を測っているのではなく、日本人の人生態度、つまり慎重さや期待値の低さを反映しているにすぎない、と説明しています。人生が自由だと感じていなくても、日本人は比較的幸福であり、「不自由でもあまり嘆かない国民性」があるのだ、というわけです。

なるほど、統計の読み方としては誠実だと思います。ただ、私はこの記事を読みながら、どうしても引っかかるものが残りました。

私は、アメリカ企業で働き、アメリカで20年ほど家族とともに暮らしました。子どももアメリカで育てています。また、中国で働いた経験もあります。ですから、ここで述べることは、全くの想像や伝聞ではありません。もちろん、私の見解が正しいと主張するつもりもありませんが、少なくとも実体験に裏打ちされた感覚ではあります。

高校一年のとき、夏目漱石の『私の個人主義』を読みました。それが直接のきっかけだったかどうかは分かりませんが、私はその頃から「自由と責任」という言葉について、妙に考えるようになりました。もっとも、学校の勉強とは一線を画し、正直に言えば、授業をサボって喫茶店に行くための言い訳に使っていた面もあったと思います。学校をサボって大阪ミナミの喫茶店にいると、不安になる。その不安を打ち消すために、哲学的なことを考えている「つもり」になっていた、というのが実態でしょう。

それでも、漱石の言葉はいまも頭のどこかに残っています。漱石は講演の中で、次のように述べています。

「自己本位といふ事は、利己主義といふ意味ではない。
他人の自由を認めた上で、はじめて成立つものである。」


この一文は、私にとって長いあいだ、自由を考える際の基準のようなものになっています。

ビジネス誌の記事が扱っている「自由」は、「人生を自由に動かせると感じているか」という主観的な感覚です。しかし、私がアメリカで感じた自由は、それとは少し異なるものでした。自由とは、選択肢が多いこと以上に、「選んだ結果について自分で引き受けること」を求められるものだったからです。転職も、異動も、教育も、失敗も、基本的には自己責任です。自由である分、常に緊張があり、安心はありません。

一方、日本では、人生を「自由に動かせるとは思っていない」人が多いにもかかわらず、幸福度はそれなりに高い。これは美徳とも言えますが、別の見方をすれば、「自由を行使しなくても回ってしまう社会」にうまく適応してきた結果とも言えるのではないでしょうか。

自由を感じないことと、自由がないことは、本来は別の問題です。

健全な迷子と、不健全な迷子
――自由とは、正解を与えられない状態に耐え、考え続ける力でもある

しかし、自由を使わずに済む状態が長く続けば、やがて自由そのものを求めなくなります。漱石が警告したのは、自由を奪われることよりも、「自由を扱えなくなること」だったのではないか、私はそう思います。

人生の自由度ランキングは、日本社会を断罪するためのものではありません。ただ、「自由をどう感じるか」ではなく、「自由をどう使い、どこまで責任を引き受けてきたか」を、私たち一人ひとりが考え直すきっかけにはなるはずです。数字そのものよりも、その数字を前にして何を考えるのかが、いま問われているのだと思います。

***

2026年1月3日土曜日

「義」は生きているか――令和に問う『武士道』の現在地

 

静と動――武士道が伝えてきた『義』の二つの表情
  

2026年年初に「義」を考える

――新保祐司・新渡戸稲造・アメリカ人の視点から――

私は新聞を読まなくなって何十年も経ちますが、元旦の新聞だけは別です。各紙の論調を一望すると、その年の日本がどこに立っているのかが、うっすらと見えてくるからです。

2026年元旦、産経新聞の「正論」で、文芸評論家・新保祐司氏が「義」を正面から論じていました。年末からたまたま武士道やヤクザ、さらにはアメリカ人の言う「義務」や「責任」について考えていた私にとって、この論考は不思議な符合を感じさせるものでした。

新保祐司氏のいう「義の国」

新保氏は、日本が内憂外患の危機に直面するいま、必要なのは制度改革や対症療法ではなく、「義」を時代思潮の基調に据えることだと述べています。そして令和を「第2の明治」と捉え、明治の精神の核心こそが「義」であったと指摘します。

新保氏が引くのは、札幌農学校に学んだ内村鑑三と新渡戸稲造です。内村の『後世への最大遺物』が説く「勇ましい高尚なる生涯」、新渡戸の『武士道』が最初に掲げる徳目「義」。それらはいずれも、損得や空気ではなく、正しいと信じる道を実践する生き方を意味しています。

新保氏の文章で印象的なのは、「昨年は『勇ましい高尚なる生涯』とは対極的な出処進退を随分見せられた。もうたくさんである」という一節です。これは、近年の日本の政治や組織に蔓延する、責任回避や保身、責任転嫁への強い違和感を代弁しているように感じました。

新渡戸稲造『武士道』とは何か

新渡戸稲造の『武士道』は、明治33年に英文で出版されました。序文には有名なエピソードがあります。

ベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳教育をするのか」と問われ、新渡戸は自分に善悪の観念を植え付けたのが「武士道」だったことに気づいた、と述べています。

アメリカやヨーロッパでは、宗教が道徳の基盤です。ニューヨークでは、ユダヤ教の祝祭日を考慮したスクールカレンダーが組まれ、子どもは宗教や民族意識の中で育ちます。一方、日本人の日常生活では宗教心はほとんど表に出てきません。新渡戸はそこを否定するのではなく、「宗教に代替する精神的基盤としての武士道」を提示しました。それが「The Soul of Japan」「The Yamato Spirit」です。

『武士道』は全17章からなり、3章から11章で徳目が体系的に論じられます。最初に置かれているのが「義(Rectitude or Justice)」です。義とは、単なる正しさではなく、「敢為堅忍」、すなわち実行力と忍耐力を伴った決断の力だと説明されます。義のない勇気は無謀であり、義のない礼は猿芝居であり、義を欠けば名誉も忠義も成り立たない。これらの徳目は相互に結合した一つの体系なのです。

私自身、この本は夏目漱石の『私の個人主義』と並ぶ座右の銘です。英語は難しいですが、三年間の中学英語は『武士道』一冊で十分だと本気で思っています。「The feeling of distress(惻隠の情)」などの表現を、外国人との会話でさらっと使えたら、それだけで日本人としての背骨が伝わるはずです。余談ですが、私は『武士道』は、新渡戸がクエーカー教徒であるアメリカ人の奥様に書いたラブレターのように感じます。

アメリカ人の考える「義」

興味深いのは、「義」は決して日本人だけの専売特許ではないことです。アメリカで仕事をしていた頃、私の周囲には海軍や海兵隊の将校出身者が何人もいました。彼らに共通していたのは、強い「sense of obligation」、つまり義務感でした。

日系人初の米太平洋艦隊司令官、ハリー・ハリス提督は、日本人の母から「義理(duty)」を叩き込まれたと語っています。「国民は国家が必要とするときに奉仕する」という感覚は、アメリカではごく自然なものです。義務と責任が対になっている社会だからです。

ルース・ベネディクトは『菊と刀』で「義理は日本人特有の範疇だ」と述べましたが、私は必ずしもそうは思いません。中国人にも、アメリカ人にも義を重んじる人はいます。問題は、現代社会において、正義の道理を勇気をもって実行する人が極端に少なくなったことです。

スペインの哲学者オルテガが「我は我と我が状況である」と言い、エリック・ホッファーが群衆心理の中で描いたように、人は環境と人間関係によって形づくられます。義を欠いたネットワークに身を置けば、義は育たないのです。 

「武士道」は生きているか

新渡戸稲造は『武士道』の終盤で問いかけます。
Is Bushido Still Alive?

吉田松陰の

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」を英語で紹介しながら、武士道とは状況に流されず、覚悟をもって行動する精神だと示しました。

いまの日本で、「やむにやまれぬ」という言葉が、どれほどの重みをもって使われているでしょうか。権力を守るために仲間を裏切り、責任を国民に転嫁する姿は、「The Soul of Japan」とは正反対です。

新保祐司氏が期待するように、厳しい国際環境が日本人の皮膚に「搔痕」を与え、その下から「一人の武士」が現れるのかどうか。その答えは、私たち一人ひとりが「義」を自分の問題として引き受けるかどうかにかかっています。

もし『武士道』を読んだことがなければ、ぜひ一度手に取ってみてください。そこには、今の日本に最も欠けている背骨が、静かに、しかし揺るぎなく書かれています。

***

2025年12月10日水曜日

個人主義の不在:漱石の警告と日本社会のいま ~ 考える自由より、従う安心を選ぶ国民へ

 

私の個人主義と、いまの日本という舞台について

高校生の頃に夏目漱石の「私の個人主義」を読んだとき、私は大きな衝撃を受けました。漱石が大正三年、学習院の学生に向けて語ったあの講演は、百年以上前のものとはとても思えないほど現代的で、そして鋭いものでした。「修養を積まない個人に、自由を扱う資格はない」「自由の背後には義務がある」という漱石の言葉は、私自身の人格形成に強く刻まれました。

半世紀以上経った今でも、私の考えはほとんど変わっていません。変わらないどころか、最近の日本社会のあり様を見ていると、むしろ漱石の言葉の重さは増す一方です。政治家も、メディアも、そして私たち国民も、「自由」と「責任」の関係性をどこかで取り違えているのではないかと感じるからです。

「自由」と「自分勝手」が混同されている国

そもそも日本では、「自由」と聞くと、どこか悪いことのように思われている節があります。子どもの頃から「勝手なことをしてはいけません」と言われ続け、そのまま大人になった私たちは、「自由=わがまま」という誤った等式を知らぬうちに心の中につくりあげてしまったのではないでしょうか。

自由とは、本来、互いの自由を尊重し合うためのルールを引き受け、責任を背負う覚悟をもつことです。しかし、日本では「責任」という言葉が出てきた瞬間、多くの人がスッと後ずさりする。責任を取る覚悟がないから、自由に近づくことすら避けてしまう。ある意味、非常に合理的です。面倒ごとを避けたい人にとって、「自由を放棄する」という選択は、責任も一緒に手放せる便利な方法なのです。

その結果、「個人の自由」よりも「空気を読む」という、世界でもかなり特殊な社会的ルールだけが異様に発達しました。自由よりも空気の方が強い社会。漱石が見たら、苦笑いしながら筆を走らせそうです。

政治家たちの「自由」はなぜか経費で育つ

こうした「自由と責任の不均衡」は、日本の政治の世界ではより露骨に現れています。政治資金収支報告書に並ぶ、社会通念上どう考えても首を傾げる支出の数々。遊興費、高額な備品購入、そして“何に使ったのかよくわからない”謎の項目。まるで、自由とは「公金を自由に使う権利」だと勘違いしたまま成長してしまった大人たちが、国会という舞台で演じているかのようです。

しかも驚くべきことに、これらは政治家個人の倫理観の問題であるにもかかわらず、「政治資金パーティーの仕組みが悪い」「法律が十分ではない」といった、責任転嫁のための舞台装置まで完備されています。責任を取るべき立場の人ほど、責任の所在を曖昧にする術だけは抜群に長けている。その姿は、漱石が説いた「修養ある個人」とは対極です。

 世襲議員が幅を利かせ、社会経験が乏しいまま政治家になれる仕組みも、この国の「個人主義の欠落」を象徴しているように思います。漱石が「権力を扱う価値のある人とは、修養を積んだ人だ」と語ったことを、ぜひ議員宿舎の枕元に貼っておきたいくらいです。

メディアは「国益」よりも「クリック数」を追う

政治家と並んで、もうひとつの大きな問題はメディアです。ジャーナリズム精神はどこへ行ったのか、まるで国全体を視聴率で運営しているのではないかと思う瞬間が増えています。

事実よりも数字、検証よりもスキャンダル、国益よりも炎上。結果として、政治家はますますパフォーマンスに走り、有権者は刺激ばかりを求めてしまう。社会全体が「考える力」を奪われ、責任をもたないまま「自由に批判するだけの存在」になってしまいました。

これでは、漱石が説いた「変化に対応できる個人主義」など育つはずがありません。変化に対応するどころか、変化を伝える側が率先して扇情的な情報で社会をかき回しているのですから。

責任を放棄した社会の行き着く先

こうして政治家、メディア、国民の三者がそれぞれの場で「責任」を回避し、「自由」を誤って運用していけば、社会はどうなるでしょうか。

 政治家は修養より集金力を磨き、
 メディアは探求心より煽り文句を磨き、
 国民は判断力より空気読みを磨く。

日本社会には、「自由なはずなのに責任を誰も取らない」という、奇妙な無責任のアンサンブルが完成します。現在の日本は、残念ながらそのハーモニーがあまりに“美しく”響いてしまっているように思えてなりません。

いま必要なのは、漱石と諭吉のあいだにあるもの

漱石は「自由には義務が伴う」と言いました。福沢諭吉は「人望とは実学を含む修養によって生まれる」と説きました。二人が共通して語ったのは、「個人の成長が社会の成長の前提である」という思想です。
  • 自由を主張するなら、その自由が他者と共存するための責任を引き受けること。
  • 社会を批判するなら、その社会を構成する一員として自分の役割を考えること。
  • 人望を求めるなら、人と交わり、苦労し、考え続けること。
これらは、百年前の日本にも、今の日本にも等しく必要な姿勢です。

政治家の不祥事やメディアの扇動に目を奪われがちな現代ですが、本当の問題はもっと深いところにあります。それは、「私たち一人ひとりが自由と責任の関係を理解しているか」という問いです。

 自由を望むなら、責任から逃げないこと。
 責任を果たすなら、自由を他者と分かち合うこと。


その積み重ねこそが、健全な民主主義を支える土台になるのだと、私は今でも信じています。

***

2025年12月6日土曜日

日本の教育を問い直す──「ロボットの大量生産」を越えて


はじめに

私は日本の教育について、「不足か過剰か」という議論ではなく、「質そのものに根本的な問題がある」と感じてきました。これは教育の専門家としてではなく、長く日本の外で暮らし、改めて日本という国家の姿を外側から眺めてきた者としての違和感に基づくものです。2009年にアメリカから帰国した直後に抱いた思いは、いま読み返しても変わっていません。日本は、個性ある子どもたちを社会に開かれた人間へと育てるのではなく、受験という狭い門を通すために均質化し、結果として「ロボットの大量生産」のような教育を続けているように見えるのです。

教育の「権利と義務」は誰のものか

義務教育は、本来「子どもに教育を受けさせる義務が国民・保護者にあり、国家にはその教育を施す権利がある」という構造になっています。では国家は、正しくその権利を行使しているのでしょうか。国家の役割は、自国民を自国民として育てること、つまり国家観・歴史観を共有しうる人間を育てることにあるはずです。しかし、日本の義務教育はこの最も根本的な部分を放棄しているように感じます。

歴史教育はその象徴でしょう。多くの学者が優れた見解を述べているにもかかわらず、その成果は教科書に十分反映されていません。歴史が歴史として教えられていない、意図的な空白がある――そう感じられる部分さえあります。自分の国の歴史を曖昧にし、誇りを持てない教育を続ければ、子どもたちが自尊心や帰属意識を育むのは難しくなります。海外に出れば、パスポートを手にし、国名で呼ばれ、自国の歴史に関する問いを向けられる。それなのに、日本人は自国の歴史に対してあまりにも無防備です。

私のアメリカ人の友人Rは、海軍の士官学校で学んだ歴史を語ります。日本海海戦、ミッドウェイ、山本五十六の戦略。彼との酒席では真珠湾攻撃をめぐる議論が何度も出ますが、そうした応酬ができるのは、お互いの国の歴史を前提として理解しているからです。歴史とは「正確さ」を競うものではなく、タイムマシンがない以上、各国が国策として示す“物語”でもあります。日本がその物語を持たず、子どもに伝えないことは、国家としての怠慢だと思います。 

日本に欠けているのは「概念」を育てる教育

あるビジネス雑誌には「人は概念によって世界を知覚する」と書かれていました。私もまったく同感です。概念は思考の土台であり、言葉よりも前に存在します。概念が貧困であると、議論の前提となるレベルセッティングができず、他者とのコミュニケーションが難しくなります。

日本の教育は、知識の量については豊富かもしれません。しかし、その知識を概念として整理し、世界観や価値観を構築する訓練には欠けています。外国語力以前に、日本語での抽象思考の力が弱い。だから変化に直面したときに、対応力が鈍くなるのです。

「日本人は変化への適応力が弱い」と言われるのも、過剰に環境へ迎合する一方で、自分の信念や観を形づくっていないからでしょう。明治維新以降、日本は西欧近代に、敗戦後はアメリカ的価値観に過剰適応してきました。夏目漱石がロンドンで苦しんだときから、日本人は劣等感と優越感の間で揺れ動き続けています。三百万人以上が亡くなった戦争の原因すら、国家として総括をせず、そのまま記憶喪失のように現代に至っている。この土台の弱さこそ、教育の質の問題です。

子どもたちが確固たる信念を持つには、日々概念を集め、自分の「観」を作っていかねばなりません。世界観、社会観、死生観……それらは読書や日記、思索を通じてしか育たないものです。本来、教育とはその基盤を整える営みであるはずです。 

個性を押しつぶす社会と、居場所のない才能

村八分(1969-1973)というバンドの存在は、教育の欠陥を象徴する例として語ることができます。彼らは時代の文脈を越えた表現をしていたにもかかわらず、日本社会の中に居場所を見つけることができなかった。ギフティッドの子どもが学校に適応できず、「問題児」とされてしまう構図とよく似ています。

欧米にも閉鎖的な共同体は存在しますが、同時にそれを跳ね返す「個人の自立」も育てています。日本は個人主義が弱いのに、共同体の規範は強い。そのため、周囲と異なる者は排除されやすく、しかも本人が跳ね返す力を持たされていないのです。これは教育の失敗と言うほかありません。

村八分の時代から半世紀が経ちましたが、地方の村八分は今も姿を変えて存続し、地方都市は過疎化し、依存心が強まる一方で住民自治は弱体化している。倫理的主体としての市民を育てない教育の帰結でしょう。 

必要なのは「ロボットではない人間」を育てる教育

日本の教育は、入試という細い門に向かって子どもたちを押し流し、均質化し、個性を削り取っていきます。保護者は疑問を抱きながらも、企業が学歴ブランドで採用する現実があるため、子どもをレールに乗せざるを得ません。学校で足りない部分は塾で補い、習い事で広げる。その構造自体が、教育の本質を見失っています。

教育とは本来、強みを育て、弱みを否定しない営みです。ところが現在の日本では、強みは矯正され、弱みは排除され、結果として「平均的な優等生」は生産されても、多様で自立した市民は育ちません。このままでは、日本は世界の多様性とダイナミズムに取り残されてしまいます。

同性愛やLGBTに関する国会議論が小学校の学級会レベルに見えるのも、抽象度の低い議論しかできない教育の帰結でしょう。個人の尊厳や自己決定という概念の土台が共有されていないから、社会的議論が深まらないのです。 

おわりに

私はこれは単なる高齢者の思い上がりではないと信じています。しかし、そう感じてしまうこと自体が、この国の教育が「自分の意見を堂々と言う力」を奪ってきた証左でもあるのかもしれません。

今こそ、ロボットを量産する教育から、個性と概念を育てる教育へ転換すべきです。国家としての物語を教え、世界と渡り合える市民を育て、倫理的主体としての個人を大切にする。そのための教育の質を問い直すことが、日本の再生に不可欠だと私は考えています。

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2025年7月10日木曜日

「文化」と「文明」のあいだで ── 今、教養とは何かを問う

 1980年代初期に北京の内部書店で購入した日本語版『毛主席語録』(初版)。




前書きは、毛沢東暗殺に失敗し謎の死を遂げた林彪です。



「文化」と「文明」のあいだで  ──  今、教養とは何かを問う

教養ある中国人とは誰か?

平川祐弘さんは「権威に盲従しない人」と言います(産経正論2025年7月8日)。なるほど、それは実に納得のいく定義です。だとすれば、日本における「教養ある知識人」とは誰のことを指すのでしょうか。

AIが急速に一般化し、「知識」へのアクセスがかつてないほど容易になった今こそ、本当の意味で問われるべきは「文化と文明」のバランス感覚だと思います。科学技術が文明を前に進める一方で、それをどう使うのかという価値判断は、つねに文化に根ざした教養に依拠せざるをえません。

私は、来年古希を迎えます。思い返せば、私の思考の支柱になってきたのは、学校でも教師でも教科書でもありませんでした。むしろ、明治から昭和初期にかけての知識人──いわゆる「文豪たち」の言葉でした。福沢諭吉、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治……。彼らが直面していたのはまさに「文化と文明の相克」という現代的なテーマだったのです。

平川さんの記事でも指摘されていたように、かつての日本では「教養」とは漢籍に通じることを意味し、それに代わって西洋古典が読まれるようになってからも、文学や思想の素養は知識人の証でした。けれど今では、教養の中身そのものが曖昧になり、英語すら手段としてしか扱われず、学ぶべき「日本の近代古典」すら忘れられつつあるように思います。

一方、中国では『四書五経』が国民的古典としての地位を失い、かつて毛沢東の語録がそれに取って代わるかに見えた時期がありました。だが結局、『毛沢東語録』は読まれる古典にはなりきれず、現代の中国においても「敬意をもって読むべき本」が不在のままです。皮肉にも、教養ある中国人とは「語録を読まない人」と定義される時代になっているというのです。

日本においても、教養は形骸化しつつあります。全集を揃える家庭は減り、本棚の存在感はスマートフォンの画面に取って代わられました。それでも、私たちは「本を読む民族」から完全に堕ちてしまったわけではないと信じたいのです。

難解な古典に無理に立ち返らなくとも、たとえば明治の知識人の書いたものに立ち戻ることは可能です。彼らは「日本」という国家が急激に近代化するさなかで、何を守り、何を捨て、何を受け入れるかを懸命に考え、悩み、書き残しました。その営みこそ、現代を生きる私たちにとっての「教養」の原点になるはずです。

AIの時代だからこそ、人間の軸を持たなければならない。平川さんの言葉を借りれば、明治の古典を「カリキュラムの核」に据えること。それはノスタルジーではなく、未来への選択なのです。


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2023年12月25日月曜日

上滑りから崖からの転落へ

 
朝の散歩

今年は「大正時代」にこだわった一年でした。それは色んな意味で令和の今とあまりにも似ていると思ったからです。

夏目漱石は明治の文明開化を「上滑り」と言いました。それを大正時代に受け継いだのが芥川龍之介や梶井基次郎でした。芥川の遺作である『或阿呆の一生』(1927年)と梶井基次郎の『檸檬』(1925年)には「上滑り」に対する反抗が見られます。2作とも洋書が並ぶ書店が舞台設定にあります。

「上滑り」は軍国主義が入り込んできて昭和の戦争で破綻しました。敗戦後の70数年、日本はアメリカ化により「上滑り」がとうとう「崖からの転落」になっています。それは敗戦直後の太宰治の作品や坂口安吾の『堕落論』からも予想できます(安吾はまだまだ堕ち足りないと言っていますが、、、)。

梶井基次郎の『檸檬』


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2023年8月7日月曜日

夏目漱石とクラプトン

夏目漱石 『道楽と職業』(明治44年8月

漱石によると、職業は人の為のもので、芸術や哲学・科学などは自分本位の仕事だそうです。 漱石にとって文学は道楽であり職業でした。 それは「己のためにする結果、すなわち自然なる芸術的心述の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して」成り立つところに意味があるという漱石の働く事・生きる事に関する基本姿勢なのです。根底にあるのは漱石がイギリス留学中に手に入れた「自己本位」です。

ibgを起業した頃に漱石の『道楽と職業』を何度も読み返し考えました。道楽であり職業に他人を巻き込んでいいものか? と。人の気に入っただけの報酬で17年目に突入することができたので何とかバランスが取れていると考えるべきか? どうなのでしょう?

エリック・クラプトンと漱石の『道楽と職業』

『Old Love』は、クラプトンがパティ・ボイド(元ジョージ・ハリソンの妻)との別れを唄った曲です。パティ・ボイドとの婚姻期間中も何度も浮気して子供もつくったのに、、、。あくまでも自分や自分の音楽を一番愛しているクラプトンなのです。

己のためにする結果に世界中の多くの人が気に入った。その報酬が莫大なものになって、自分が物質的に成り立つレベルどころじゃなくて、世界的な大金持ちになっちゃった。

土日に肩こりになりながら一生懸命練習したのですが、このソロは難しい。クラプトンの集大成みたいなものです。速いしフレット上を動き回るし、同じスピードで弾くのは大変です。


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2022年4月22日金曜日

日本の現状は?

 
チャーリーは助手席を確保。しかし運転席がいいらしい。

夏目漱石や永井荷風が戦った日本の「世間」(自分の所属する地域や組織の権威) の壁はいまだに崩されていない。日本人は世間との関係の中で常にバランスをとりながら生きています(悪い面ばかりじゃないが、、、)。日本の「世間」は非常に曖昧なものであり、日本の個人はその微妙な関係の中で自己形成するしかない。

漱石はイギリスで自己本位を手に入れて強くなった(『私の個人主義』)。ところが、アメリカとフランスで暮らした永井荷風は諦めて自分の世界に閉じこもった(『断腸亭日乗』)。もし漱石が長生きしていたなら荷風のようになっていたかもしれない。。

恐らく50年くらい前までの日本人は、自分で「世間」をどうすることもできないので、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を読んで憂さ晴らしをしたのでしょう。ところが、今の日本では過去の遺産も忘れさり、坊っちゃんはコミュ障(害)と言われているようです。

そもそも国家意識が希薄だから(根本的には個人=individualと社会= society が出来上がっていないから)、日本人はこれほど惨憺たる状態でも平気なのでしょう。ここまでお粗末な「全て」の犯人は誰なのでしょうね?

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2021年8月28日土曜日

自分の変化を楽しむ

 

1968年のツェッペリンの録音は昔のままです。50年ちょっとが経ちました。私はどう変わったか、、、え? 何も進歩がない!!!


自分の変化を楽しむのは大事です。

15歳の時に漱石の『吾輩は猫である』を初めて読む。25歳の時にまた読む。35歳で読む。45歳、55歳で読む。同じ本を読んでも感じることは違っているはずです。自分の感じ方は違っているのです。

そうやって幸せを感じることができる人は強い。
幸せは他人との比較じゃないから。

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2021年8月13日金曜日

今だから漱石の『私の個人主義』!


夏目漱石の学習院大学での講演録『私の個人主義』は、漱石の幸福論でもあります。漱石は留学先の英国で自己本位を手に入れて強くなりました。私はたいして中味はないし形式も守ったわけではありませんが、十代の頃に漱石の『私の個人主義』(写真)を手に入れたために、高齢者の仲間入りをするまで牢屋に入ることもなく幸せに暮らすことができました。

パンデミックの今でこそ全ての若い人に読んでもらいたいと思います。

2009年にブログにUPしたものを少し修正しました。最初に公開した後に、東日本大震災が発生しました。そして今回の新型コロナウィルスによるパンデミックです。明治維新や昭和の敗戦に匹敵するような大転換点だと思います。さてコロナ後の日本は塞翁が馬となすことができるか?

民主主義国家の個人と社会

民主主義国家では、個人(in-dividual)が自由に意見を表明でき、さらにそれが集まると社会(society)が形成されます。ただ自由に意見を言うといっても、それが自分勝手な要望ばかりでは困ります。西欧では何百年もかけて試行錯誤しながら個人を基盤とする社会を形成してきました。日本では自由というのは少しばかり悪いことのようなニュアンスでとられている感があります。それは、「自由」と「自分勝手」や「我がまま」がゴチャまぜになっているからでしょう。そして、個人がベースに社会が形成されるのではなく、世間の中に個人があり、個人は世間に合わせて調整を強いられる。調整できない人は村八分となります。

他者への依存が基本の日本社会(世間)  

ビジネスの世界でも「イニシアチブ」や「リーダーシップ」は、はっきりしたビジョンがないと、個人の利益誘導ととられても仕方ありません。「個人が勝手なことをやりみんなの和を乱す」と考えられているのかも知れません。 それとも、日本人は「自由でいることの責任の重さ」を十分理解していて「自由じゃないこと(他者への依存)」を選んでいるのかもしれません。

漱石が言いたかったこと

夏目漱石の「私の個人主義」は、漱石がこれから社会に出ていく学習院の学生に対して大正三年に行った講演です。明治の文豪は本当に偉大ですね。 漱石はスピイチの中で「ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もないし、権力を使う価値もないし、また金力を使う価値もない」と言っています。「自由とその背後にある義務という観念が必要なこと」にも言及しています。漱石がこれから社会に出ていく学習院の学生に対し語ったこれらのことは、そっくりそのまま現代の日本人に対しても適応できるのではないでしょうか?

個人主義とは?

漱石は大正時代に「日本の国の変化の中で大切なのは、変化に対応できる個人主義だ」と言っています。今の日本は、漱石の時代とは違って、国家と自分の関係を考えるにはあまりにも平和すぎるのかも知れません。 自由とは責任を伴うものです。日本人は、自分から自由を捨てることで責任も放棄してしまったのでしょうか?お互いの自由を尊重しあい、ルール至上主義でなく、社会の基本(個人)をもう一度考えることから始めたらどうかと思います。そうでなければ、多様性も人権も非常に薄っぺらな議論に終わってしまいます。

個人主義を手に入れるには?

福沢諭吉の「学問のすすめ」の最終編である十七編は、人望に関することです。諭吉は「人間交際」(ソーシャル)が大事で、人望を得るには実学を含む様々な修養を積めと言っているかのようです。私は、夏目漱石が言う自由であることに必要な倫理観も、人との関わりを通して身につくものだと思います。もっと人や社会と関わりを持ち、そうした経験から自然と倫理観を持てるようになれるといい。パンデミックの時、若い人たちの覚醒を望みます。

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2016年11月29日火曜日

精神の近代化

そろそろ4歳、でもあくまでも利己的個人主義のチャーリー

政府主導の働き方改革の意見交換が活発になっているようです。

大前提として、世界と日本の歴史の流れ、その中で日本の特異性を頭に入れておいたほうがいいと思いました。

世界史の流れはご存知の通り、ルネッサンス・・・・➡ 宗教革命・フランス革命 ➡ 近代国家の成立です。 一方、日本は戦国時代 ➡ 安土桃山 ➡ 200年以上続いた江戸時代 ➡ 開国・明治維新です。

ルネッサンス以降の欧州近代精神のポイントは以下の3つです。
  • Humanism(人間主義)
  • Rationalism(合理主義)
  • Personalism(人格主義)
夏目漱石(『三四郎』、『私の個人主義』)や森鴎外(『青年』)など明治の文豪は、日本の近代化に対し問題提起しました。 明治の文豪たちは鹿鳴館の上滑りの大騒ぎを見て、精神の近代化が文明に追いついていないことを憂いたのでしょう。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で「文明は手段で文化は目的だ」と言っています。

近代精神の中でも重要な意味を持っているのが Personalism です。 自分自身を目的とする自律的能動的な主体として自分を考えるのです。 カントのいう人格自律の信念です(利己主義でなく利他的個人主義)。 この信念の不徹底な社会は、どんなに表面的な文明が進んだとしても、それは近代社会とは言えません。

惰性的な50代にならないためには、2040代に理想をもって日々の仕事を理想に結びつけて乗り切るしかないでしょう。 明治維新から150年が経ちましたが、多くの日本人は、自己の人格に自律と自由を確信できていないのだろうと思います。 

ヨーロッパの近代化を振り返り、日本の近代化の特異性を検証してみては如何でしょう?

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2015年8月5日水曜日

学生諸君、安保を語る前に夏目漱石の『坊ちゃん』を読もう!

ツイッターやfacebook で集まった渋谷の高校生デモ(毎日新聞)

夏目漱石の『坊ちゃん』は卑怯なことが大嫌いな人間です。

初めて教壇に立った時に以下のように言っています(第三章)。

「先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯な人間ではない。臆病な男でもないが、惜しい事に胆力が欠けている」。

『坊ちゃん』に出てくる数学教師の山嵐は会津出身です。会津藩の「什の掟」の四番目は「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」です。紆余曲折を経て、坊ちゃんは山嵐と親友になります。それは、卑怯や臆病を嫌う共通項があったからです。赤シャツや野だいこという卑怯で臆病な人間に立ち向かったのです。

物語の最初のほう(第一章)に坊ちゃんが兄と将棋をして、兄が卑怯な持ち駒をしたことを書いています。坊ちゃんは、勝敗よりも正々堂々としていることを重んじたのです。

「兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した」。

国会議事堂前でデモをやっている団塊世代の人たちや、渋谷に集まった高校生たちは、夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだことがあるのでしょうか? 本来、日本人の美徳って、勝っても負けても正々堂々としていることであり、困っている人がいれば助けるというものじゃなかったですか? (世界の中で日本という島国だけが平和で有り続けるなんてないということです)。

夏休みで暇だということは分かります。でも、戦争のことを何一つ真剣に調べることもせず、炎天下でよく分からないスローガンを声高に叫ぶより、クーラーの効いた図書館で夏目漱石でも読んでみては如何でしょう。

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2015年7月25日土曜日

今だから夏目漱石 ~ 語学養成法


明治44年、夏目漱石が英語教育に関する提案を行ったのをご存知でしょうか? 漱石の提案は、イギリスでノイローゼや胃潰瘍になるまで苦しんだ経験の賜物ですから非常に重みがあります。経験の積み重ねから何かが生まれる「眼高手低」というです。

漱石は、「有機的統一のある言語を、会話とか、文法とか、読解とかいうふうに、細かな科目に分けて教えるのはよくない。学生各自が互いに連絡のつくように教え込んでいかなければならぬ」と言っています。漱石は文学者だからなのか、語学だけでなく、職業や日々の生活まで有機的な統一のある人間を中心に考えていたようです。英語を細かな科目別に指導するという方法は、100年経った今でも同じです。要するに、大学受験がゴールである限り、教える側、採点する側の都合が優先されているのです。 

何も英語教育だけでなく、医学や全ての教育に云えることですね。 今の日本の基礎になってしまっている、、、、、。

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『語学養成法』(明治44年)

目次

1.      語学の力の有った原因
2.      語学の力の衰えた原因
3.      改良の効果如何
4.      改良の三要点
5.      教師の養成
6.      教師の試験
7.      教科書の問題
8.      時間の利用

漱石が7章で提案している教科書の問題は、学校や受験とは関係なく子供たちが自分で対応できることなので、学校の英語の点数がどうあろうと是非とも実践して欲しいと思います。

7.教科書の問題

教科書は大いに考ふべき問題である。

今の中学生はいろいろな書物を読んで、知らないでもいいような字を覚えるかわり、必要な字を覚えていない。まことにばかぱかしい話である。普通イギリス人はどれほどの単語を知っているかというに、きわめて僅少のものである。日本の中学生は、かれらの知らぬ字をかえって知っている。ひっきょう教科書がよく整理されていないからである。

そこで、文部省では中学の英語教科書を作る必要がある。

その教科書は一年から五年に通じて、普通の英国人がわかる文字と事項とを、まんべんなく割り振って排列するようにする。すなわち、かれらの一般に知っている文字と事がらには、五年中どこかで出会うが、そのかわりむずかしいジョンソンの『ラセラス』に出てくるような字はまったく省いて、生徒に無用な能力を費やさせないようにしてやる。そういう教科書を作るには、どうしたらよいかというに、わたしは外国の新聞を基礎にするのがいちばんよいように思う。

『ロンドン・タイムス』でも『デイリー・メール』でも、一月一日から一二月三十一日まで通読すれば、いかなる文字といかなる事がらがいかに多く繰り返されて社会に起こるかがよくわかる。それでだいたいの統計を取れば、どの字と、どの事がらと、どの句が比較的いちばん必要であるかがわかる。わかったところを組織だてて教科書に編入する。中には三百六十五日のうち、何百ぺんとなく繰り返されるもの名あるに相違ないから、そんなものには重きをおいて、教科書中にも幾度も繰り返しておくと同時に、年にいっぺんとか、半年に一度ぐらいしか見あたらないものは、まったく省くことにする。そうすると、二三年たつうちに、かなり経済的に英語を短い時間内で教えるできる教科書が、科学的な、秩序立った系統の下に編成される訳である。

こうしてこしらえた教科書をそのままに放り出しておかずに、外国新聞を基礎として、時勢の変化に伴って起こる言語文字の推移に注意して、十年に一度くらい宛改訂するつもりで永久事業としたら、生徒は大変な利益を得ることであろう。無論この事業は前に云った試験管の平生の仕事の一とするのである。顧問として適当な西洋人を雇うのも一法である。

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2015年5月24日日曜日

福岡市平和台陸上競技場

この競技場には懐かしい思い出があります。 45年ほど前、この国旗掲揚台(写真下)で、友達のS君の靴を賑賑しく掲揚し、国語のY先生から全校生徒の前で直立不動の姿勢をとらされビンタをくらいました。 私は最高のユーモアの精神を見せたと今でも誇りに思っているのですが。

当時、福岡の城南中学は運動会をこの陸上競技場で開催していました(私は小学校から中学3年1学期まで福岡に住んでいました)。 昼休みは芝生の観客席で全校生徒がお弁当を食べるのです。 その時に事件は起こったのです。 S君の靴を掲揚して全校生徒の拍手喝采をあび私は大満足。 ところが、先生は激怒、その中でも日頃から一番厳しく生徒から恐れられていたのがY先生で、えらい剣幕で怒られました。 

Y先生には「夏目漱石なみのユーモアのセンスだろ?」と言いたかったのですが、、、、。 やはり、神聖な国旗掲揚台に汚靴を掲揚すべきではないですね。 ごめんなさい。


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2015年4月23日木曜日

智に働けば角が立つ


智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい

(夏目漱石 『草枕』 1906年)

智に働く(偏差値)教育ばかりやってきたから、今の日本は、あっちこっちで角が立つのでしょう。 極端な感情にメディアが棹をさして国民は流されている。 意思のある若者は協調性がないとはじかれる。 要するに、「智」「情」「意」のバランスが悪すぎる。

「住みにくい所」って、いま自分がいる所や組織ですね。 自分の国でもあります。 「智」「情」「意」のバランスをとることが、すなわち、人生で、人生とはそういうものだと思います。 夫婦関係だって親子関係だって、自分は自分で妻や子供といえども自分じゃない。 バランスをとるようにマネージすることを楽しむのが、人生を上手に生きるコツかも知れません。 もちろん、自分自身の中にも「智」「情」「意」の葛藤があって、バランスをとらなければならないと思います。


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2014年4月18日金曜日

日本は普請中

串カツ田中 荻窪店

久しぶりに先輩と荻窪の串カツ屋で一杯。 私の年になると、先輩と話す機会は貴重なのです。 私が夏目漱石の『中味と形式』の話をしたら、森鴎外の『普請中』で返されました。

時は日露戦争後、場所は銀座の洋食屋。

ドイツ留学時代の愛人が訪ねてきた、主人公が「これからどうするのだ」と聞くと、「アメリカへ行くの。日本は駄目だって、ウラヂオで聞いてきたのだから、当てにはしなくってよ。」との返事。すると主人公は、日本はまだ普請中で、進んでいないから、アメリカ行きを勧める。

森鴎外『普請中』 1910年 より。

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2014年2月11日火曜日

「建国記念の日」と「紀元節」

2014年は皇紀2674年

「建国記念日」と「建国記念の日」。 こんなところにも、今の日本の偽善性を垣間見る思いがします。 「建国記念日」が反対され法令が国会を通過しなかったため、「建国記念の日」として法令が定められました。1966年のことです。

丁寧で相手との距離を考えた言葉を使うと、人は上品な心持ちになります。 そして、相手との距離感を勘違いし下品な発言をした場合、心持ちは下等になります。

日本人は、日本語という国語の枠の中で生活し日々考えているわけで、質の高い日本語をいっぱい収集して引出しにしまっておくと生活が豊かになるでしょう。

「の」があるかないか、、、国家との距離感が随分と違いますね。


『紀元節』 夏目漱石 (全文) 

南向きの部屋であった。明るい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。

先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。

すると、後から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓テーブルの傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。

「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。

記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない(
1909年

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