2025年12月30日火曜日

「いい子」ほど危ない――日本の教育が生む見えない自己破壊

静かに座る「いい子」の背中に、私たちは何を背負わせてきたのだろうか。


2025.12.27 18:00
なぜ人は「上手くいき始めた瞬間」自らそれを壊すのか?
心理学者が教える4つの理由と対策

https://forbesjapan.com/articles/detail/87719


アメリカは育て、日本は壊す?
自尊心から見た日米教育の決定的な違い

Mark Travers の「自己破壊(self-sabotage)」記事の要約

Forbesに寄稿した心理学者マーク・トラヴァースは、人が自らの成功や成長を妨げてしまう「自己破壊(self-sabotage)」の心理構造を分析しています。

彼によれば、自己破壊の背景には不安定な self-esteem(自尊心)があります。失敗したときに「自分の価値そのものが否定される」と感じてしまう人ほど、無意識に挑戦を避けたり、直前で手を抜いたりする。失敗そのものよりも、「傷つくこと」から逃げるための防衛反応だ、というわけです。

ここで重要なのは、self-esteem が「行動を支える心理的エンジン」として位置づけられている点です。self-esteem が安定していれば、失敗は経験として受け止められますが、不安定であれば成功すら脅威になります。自己破壊とは、怠惰や弱さではなく、脆い自己価値を守ろうとする必死の行動なのです。

日本における「自己破壊」は見えにくい

一見すると、個人主義の強いアメリカの方が自己破壊は起きやすく、日本のような集団主義社会では起きにくいようにも思えます。しかし実際には、日本では「別の形」で自己破壊が起きています。

日本では、成功や挑戦が「和を乱す」「目立つ」「迷惑をかける」ものとして無意識に回避されがちです。その結果、チャンスを前にして黙って身を引く、問題を抱えても助けを求めない、あるいは心身を壊すまで我慢する、といった形で自己破壊が表出します。

これは個人の内面の問題というより、集団への過剰な同調圧力が生む構造的な自己破壊だと言えるでしょう。

自尊心はどう違うのか――USと日本

ここで日米の self-esteem 観の違いが浮かび上がります。アメリカにおける self-esteem は、「失敗しても自分の価値は揺るがない」という前提です。結果や他人の評価から距離を取るための心理的基盤として、教育の中核に置かれています。

一方、日本語の「自尊心」は、しばしばプライドや虚勢と混同され、「強すぎると鼻につくもの」「控えるべきもの」として扱われがちです。そのため、教育の中で正面から語られることがほとんどありません。

このズレが、日本では自尊心が育ちにくく、同時に自己否定や集団依存が温存される一因になっています。

謙虚さと自己肯定感は両立できる

日本では「謙虚さ」と「自己肯定感」は対立概念だと誤解されがちですが、本来は両立可能です。鍵となるのは、比較によらない自尊心、そしてセルフ・コンパッション(自分への思いやり)です。

謙虚さとは本来、自己卑下ではなく「他者から学ぶ姿勢」です。「自分は完璧ではないが、存在としての価値はある」と受け止められる人は、他者を尊重しつつ、自分の能力も正しく認識できます。これは傲慢さとは正反対の、成熟した自尊心です。

集団への配慮か、集団への依存か

日本社会の問題は、「配慮」という美名の下で、実際には集団への依存が強化されている点にあります。組織に属していなければ自分を定義できない。組織の存続が公共よりも優先される。これは官僚主義や大企業だけでなく、学校教育にも色濃く見られます。

自立した「個」が確立されていない社会では、「公共」もまた育ちません。結果として、責任は曖昧になり、組織全体が変化を恐れて自己破壊的な選択を繰り返す。これは個人の self-sabotage が、集団レベルに拡大した姿とも言えます。

教育の再定義が必要な理由

とりわけ学校教育は、社会から最も隔絶された業界の一つです。教師の多くが特定の世界しか知らず、その内側の論理で「教育」を完結させてしまう。そこに教育を丸投げすることには、明確な限界があります。

これからの教育に必要なのは、知識伝達ではなく、「自立した個」を育てることです。自尊心を、競争や比較ではなく、人格の基盤として再定義すること。学校を組織防衛の場から、社会とつながる公共空間へと開くこと。それなしに、日本社会が自己破壊の連鎖から抜け出すことは難しいでしょう。

自己破壊(Self-sabotage)は個人の弱さではありません。それを生み出す社会構造と、育てそこねた自尊心の問題なのです。

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