2017年3月22日水曜日

映画『太陽の蓋』(2016年作品)

映画『太陽の蓋』(2016年7月)

左側の人も右側の人も、3.11を上手に思い出すには良い映画だと思いました。「事実にもとづいたフィクションです」なんて某国営放送局みたいなこと言わないで「ノンフィクションです」にすればいい。

今年も3.11は過ぎてしまいました。魚市場だとか小学校の問題でマスは大騒ぎ、国際情勢に疎いだけじゃなく、6年前の大災害さえ忘れてしまったのでしょうか? 安全と安心の相克が議論になっていますが、宗教に頼らない日本人は心の問題をどう解決していくのでしょう?

世は無常だから必ず失敗する。
人は愚かだから戦争もするし失敗もするのです。

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2017年3月21日火曜日

ロックンロールの創始者 ~ チャック・ベリー

video


世界中のギター小僧がコピーしたフレーズ。

チャック・ベリーはこれだけでノーベル賞ものです。 何十年ぶりかでやってみました。

ロックンロール作った チャック・ベリーさん死去
3月19日 12時43分 NHK

「ジョニー・B・グッド」など世界的なヒット曲で知られるアメリカの歌手でロックンロールを作り上げ、その後の音楽界に大きな影響を与えたチャック・ベリーさんが中西部ミズーリ州の自宅で亡くなりました。90歳でした。

チャック・ベリーさんは、1926年にアメリカのミズーリ州に生まれ、バンドのギタリストとして活動したあと、1955年にデビューしました。R&Bなどの影響を受けたベリーさんは、ギターで繰り返し奏でられるリフと呼ばれるフレーズが印象的な「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や「ジョニー・B・グッド」などをヒットさせ、エルビス・プレスリーやバディ・ホリーとともにロックンロールを作り上げたとされています。

その後、ビートルズが曲をカバーしたほか、ビーチ・ボーイズがベリーさんの「スウィート・リトル・シックスティーン」をもとにした「サーフィン・U.S.A.」を大ヒットさせるなど、1960年代以降の音楽界にも大きな影響を及ぼし、1986年にはロックの殿堂入りを果たしています。

2017年3月16日木曜日

自動運転は必要か?

ナンバープレートとバンパーの取り換えとなりました

自宅の駐車場に停めてある私の車にぶつけた人がいる! 

郵便受けにメモが入っていて電話すると、バックしていてアクセルとブレーキを踏み間違えたそうです。「高齢者の運転だ!」と思ったら、私よりも若かった!? 加害者の車はテールランプが割れたそうです。

私は車の自動運転に必ずしも賛成ではありませんが、高齢者にはテクノロジーによるサポートは重要だと思います。 他人事じゃないもんね!

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2017年3月10日金曜日

近代化の超克 ~ 日本はいつ欧米を克服するか?

朝の散歩 ~ 玉川上水
少々堅い話題です。 

来年は明治元年から150年。日本の近代化そのものを見直す良い機会だと思います。

明治維新から1975年(昭和50年)頃までの日本には、近代や日本の近代化、近代国家や国民について大いに考え悩んだ知識人や文学者が多くいました。福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、芥川龍之介、小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存、戦艦大和の生き残り士官だった吉田満たちです。

彼らは日本を考え、欧米を克服することに悩みました。2017年になった今、日本はどこまで立ち戻って考えねばならないか?。1945年8月15日でないことだけは確かです。私の団塊世代に対する違和感は、彼らの多くの人たちが昭和の戦争の終わり、つまり、1945年8月15日を起点に現代を考えていることです。

これからの日本は、65歳よりも若い世代(ポスト団塊世代)が日本の「近代化の超克」をどれだけ深く考えているかにかかっているでしょう。

以下のことを頭にいれておくと、ほんの少しだけですが、難解な古典や戦中派の文章が分かり易くなります。
  • 西欧の近代化
  • アメリカの近代化
  • 日本の近代化
  • 日本以外のアジアの近代化
それぞれ歴史的背景が違うので、一つ一つを大まかに理解しておく必要があります。それは、「近代」とは今の社会(現代)の常識の基礎となっているからです。明治から大正、戦前の昭和、そして戦後1960年代までの日本の知識人たちは、批評家なり小説家なり、それぞれの立場から「日本の近代化」というものを真剣に考えたのだろうと思います。戦争を体験したために考えざるを得なかったのかも知れません。

ヨーロッパでは、近代以前はカトリック教会が社会および知識の中心だったものが、16世紀以降、教会とは切り離れ、国家・国境の中で、それぞれの国が独自の統治を行う近代国家が形成されていきます。防衛を政府にアウトソースして自分の命と財産を守ったのです(国民と国家の契約)。

知識の面では、真理は宗教、つまり、キリストの教えの中にあったものが、ニュートンの万有引力の発見やダーウィンの進化論を経ながら近代科学が成立していきました。 それは、必ずしもキリスト教とは相容れない真理のあり方だったのです。

日本に近代がもたらされたのは、アメリカの軍人ペリー提督が来航し、圧倒的な武力を背景に恫喝し開国を迫ったところから始まります。日本は植民地化の恐怖に怯え(宗教の恐ろしさは知っていたし、阿片戦争も知っていた)、明治維新を行い、そこから、猛烈な勢いで近代化を達成していきます(文明開化)。

日清、日露、第一次世界大戦を経て日本は列強の仲間入りをします。朝鮮半島、中国大陸への侵攻を開始し、日中戦争を経て対英米戦争へと突入していくことになります。成り上がりの日本は、世界情勢、つまり、世界の腹黒さを冷静に読めなかったからです。

近代が21世紀の今になって大きな壁に突き当たっているということは、世界のリーダーたちは感じています。とくに冷戦後、資本主義は暴走し利己主義と拝金主義が蔓延し、格差は許容範囲を超え、環境も破壊されていきました。誰も止められない(デモクラシー、リベラリズム、キャピタリズムの限界と言われている)。アメリカはベトナム戦争以後、1950年代1960年代の格差のない平和な白人の世界ではなくなった(中産階級の崩壊、移民の増加、WASPからジューイッシュへ権力の移行)。

日本は、近代というものを、ただ単に輸入したカタカナ語(借り物)としてではなく、それをどう日本人が咀嚼し、その結果として新たな世界観を見つけるのか? そして、そういったことの重要性は昭和の戦争前も今も変わっていないのです。否、むしろ戦前よりも強まっている。アメリカによる占領政策(教育とメディアによる洗脳)に端を発したとは言え、自己欺瞞に70年間も浪費してしまったのですから。

日本人は他国の文化を意識しながら日本の価値基準で行動すればいいのです。迎合する必要はないということになるのですが、問題はその「日本的価値」がもう自明ではなくなっていることです。日本人のアイデンティティーとは何かを問い直そうという声すら聞こえなくなった。

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2017年3月2日木曜日

卓上七輪で焼き鳥


家中の火災報知器をオフにして、かつ、窓を全開にして、卓上シチリンで焼き鳥をやってみました。「卓上」という響きにも「シチリン」という言葉にもワクワク感があります。 

火災報知器をオフにしたところまではリスク管理ができていて上出来だったのですが、炭やスターターに火をつけるのを卓上でやったために、部屋の中がPM2.5 500レベルの視界になってしまいました。 冷静に判断すると、火がおこるまではシチリンを外に出しておくべきでした。Lesson learned でした。









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2017年2月20日月曜日

木犀肉(ムーシーポーク)



友人が中国東北地方特産の木耳(きくらげ)を持ってきてくれました。さっそく木犀肉(ムーシーポーク)を作ってみました。本場のきくらげで作ると木犀肉も本物の味に近くなるものですね。非常感謝了!


北京市の西郊に木犀地という地名のところがあります。

中国の国家統計局・国家計画委員会のデータセンターはこの木犀地にあり、1980年代の前半は頻繁に足を運びました。当時、ビルの横に小さな河が流れ金木犀が咲いていました。釣りをする人がいたり、橋のたもとには餃子の屋台が出て、統計局の人たちと一緒に餃子を買いに行ったものでした。2001年、15年ぶりに北京を訪れたときには、高層ビルが林立し高速道路も走り、舗装されていない金木犀の咲く川沿いの道は影も形もなくなっていました。

木犀肉の木犀(ムーシー)は金木犀の花。「卵の黄色が金木犀の花の黄色と同じことから、きくらげ・ほうれん草・豚肉・卵の炒め物を木犀肉というんだよ」と、統計局の中国人に教えてもらいました。

明治維新からの日本の近代化には大いに問題があったのでしょう。しかし、1980年代後半から今に至る中国の現代化は更に大きな矛盾と問題をかかえています。「文化は、物が変化する様には決して変わって行くものではない、人間が成長する様に発展して行くものだ」と言ったのは小林秀雄ですが、果たして、近代から現代の中国には小林秀雄のような人生を語る思想家は存在するのでしょうか?

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2017年2月13日月曜日

芥川龍之介の猿蟹合戦

兵庫県香住港から松葉ガニが送られてきました。

日本の民話である『猿蟹合戦』をパロディにしたのが芥川龍之介です。  

とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。


『猿蟹合戦』 芥川龍之介 大正12年2月

もとの民話では、ずる賢い猿が柿の実をだましとって善良な蟹を殺害するのですが、蟹の子供が蜂、臼、栗の助けをかりて猿をボコボコにやっつけて殺してしまうという結末でした。

芥川龍之介は、私憤による殺人は大罪だ。罰するのは国家だけという法治の考えを強調したのか、仇討ちをした子供の蟹を度重なる裁判の結果死刑に処す後日譚を書きました。

蟹の猿を殺したのは私憤の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己の無知と軽率とから猿に利益を占められたのを忌々しがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。

封建時代のモラルに支配された精神を近代国家のものへと自ら変えていく時代をパロディにしたのでしょう。 民主主義は昭和の戦争後にアメリカ占領軍が持ち込んだものではなく、日本には大正時代からあったのです。

焼きガニも食べました。焼きガニのほうが旨かった!