2014年1月31日金曜日

信じること、自信を持つこと

山焼き直後の若草山三重目(山頂)です

自信をもつことは何かを信じることでもあります。 根拠なんか無くてもいいのです。 キリスト教やイスラム、そしてユダヤ教のような宗教でなくても、何か崇高なものを信ずるということは自信につながります。

若草山の山焼きは、春日大社、東大寺、興福寺の神仏が習合し、先人の鎮魂や世界の平安を祈る儀式だと言われています。 もう何世紀も続いている行事です。 近い将来、近隣諸国から「歴史を書き換える意図があるから止めるべきだ」とクレームが来るかもしれませんね。

2014年になる今の若草山から見下ろす東大寺の景観や鹿を1000年以上前の人たちも望んだのでしょう。

日本の祭祀は神代以来つづいてきたものです。 日本人の宗教性の原点なのです。 これが日本固有の信仰であり、この信仰を「神道」と呼びます。 神様は日本全国に無数に存在します。 
必ずしも人間の恰好をした神様ではありません。 新しい神様もいれば古い神様もいる。 八百万(やおよろず)の神様というわけです。

神道は、大和朝廷の祭儀に大陸伝来の思想が影響を与えながら確立されたそうです。 つまり、神道は日本固有の思想でありながら、けっして日本独自の思想に凝り固まってはいません。 外国の思想を受け入れる“寛容さ”を持ち合わせているのです。 受け入れるだけにとどまらず、包み込んで新たに創造する柔軟性を持っているのです。 キリスト教やイスラム教のような原理主義的なものとは真逆なのが日本人が信じる信仰なのです。

もっと信じて、そして自信をもったらいい。

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2014年1月30日木曜日

もっと余裕があっていい

50数年ぶりに訪れた明日香村 石舞台古墳(7世紀初頭)

生活や仕事に余裕がない、寛容さがなかったり、ユーモア精神のないぎすぎすとした状況が至る所に見うけられます。 学校では要領の良さを求められ、会社では時間的経済的プレッシャーを感じながら効率を追求されるからです。本来そうあってはならないジャーナリズムの世界でもそうです。 娯楽であるはずのTVドラマ制作においても然りです。

日本は優秀な人ほど余裕がない。 それは、教育や社会が余裕や無駄を悪いことだと刷り込むからです。ところが、余裕や無駄はコミュニケーションの緩衝剤になる。 人でも国家でも、それぞれのやり方や生き方があり、「バカの壁」は存在しますから、緩衝剤の存在は不可欠なのです。 知識があり英語ができても、余裕がないとコミュニケーションは上手くいきません。 欧米では底の浅い人だと思われてしまうからです。

無駄と思われることがコミュニケーションを促進することがあります。 余裕があってはじめて相手の立場をセンス(感知)することができます。 そして、状況に応じてレスポンス(反応)することが可能になるのです。

子供の頃からの習慣づけが必要でしょう。 親の役割って大事ですね。

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2014年1月29日水曜日

若草山から大仏殿を望む


和辻哲郎のように月の光で見たのではないですが、夕方に若草山から大仏殿を望みました。 ふんわりと浮かんでいました。

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古寺巡礼

和辻哲郎

門の壇上に立って大仏殿を望んだときには、また新しい驚きに襲われた。大仏殿の屋根は空と同じ蒼い色で、ただこころもち錆がある。それが朧ろに、空に融け入るように、ふうわりと浮かんでいる。幸いにもあの醜い正面の明かり取りは中門の陰になって見えなかった。

見えるのはただ異常に高く感ぜられる屋根の上部のみであった。ひどく寸のつまっている大棟も、この夜は気にならず、むしろその両端の鴟尾の、ほのかに、実にほのかに、淡い金色を放っているのが、拝みたいほどありがたく感じられた。

その蒼と金との、互いに融け去っても行きそうな淡い諧調は、月の光が作り出したものである。しかし月光の力をかりるにもせよ、とにかくこれほどの印象を与え得る大仏殿は、やはり偉大なところがあるのだと思わずにいられなかった。その偉大性の根本は、空間的な大きさであるかも知れない。が、空間的な大きさもまた芸術品にとって有力な契機となり得るであろう。少なくともそこに現われた多量の人力は、一種の強さを印象せずにはいないであろう (1919年)。

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2014年1月27日月曜日

こらっ、 チャーリー !


腕時計の革バンドを噛みち切って食べたい要求はわかる。 お前は1歳の犬だから。 そして、噛みきる能力もある。 見事に先っぽが無くなっている。 何よりも、枕の下に隠しておいたのを見つけ出した嗅覚はさすがに犬だ。

ただし、ご主人様の大事にしている時計の革バンドを噛みきったらどうなるかという責任と覚悟にかける。

つまり、チャーリー、お前の自由はご主人様には逆らえないという制限のもとにあるという宿命を理解していないのだ。










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2014年1月24日金曜日

正々堂々と逃げない人 ~ 東京都知事選挙

東京都知事選挙 期日前投票に行ってきました

東京のように規模が大きくコスモポリタンの都市になると、住人一人一人の自治精神が乏しくなり荒廃するものです。 これは、多くの大都市が辿る運命のようです。 第七代東京市長(大正9~12年)であった後藤新平は、東京都がまだ東京市であった時に、この事に対する警鐘を鳴らしています。

関東大震災から東京を蘇らせた後藤新平は、市長時代、「自治は市民一人一人が市長であるべきだ。 自治は市民の中にあってよそにはない」と言っています。 都市、特に東京のような大都市の計画というものは、健全なる自治の精神を離れてはいけない、すなわち、上から下へのガバナンス(行政)と市民パワーのバランスが大事だと言っています。 人は一人では生きられませんから。

「選挙を棄権するのも国民の権利だ!」なんて胸を張ってはダメですよ。 治安の悪くなった荒んだ大都会で怯えながら暮らす毎日にしないため、危機的状況に陥っても正々堂々と逃げない人を選びましょう

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2014年1月22日水曜日

お好み焼きでご飯


大阪は南で生まれた私も、大阪を出て35年たつと、夕べのお好み焼きの残りをおかずにご飯を食べるのはちょっとシンドイ。

大阪の街を隅々まで歩き回った織田作之助は、大阪の食をギョーサン書いていますが、お好み焼きについて書いてないように思います。 オダサクにとってお好み焼きは下手もの料理ではないのか?

『夫婦善哉』

柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ホンマ)にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭(ショウベンタンゴテイ)」の関東煮(カントダキ)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手(ゲテ)もの料理ばかりであった。


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2014年1月18日土曜日

日本人の意識の底

新装版として7年前に講談社文庫から出版されました

お金や権力は永遠に続くものじゃないのですね。 でも、「精神」は脈々と受け継がれていくものです。 リーダーという立場の人は、その「精神」を受け継ぐ気概がないといけません。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する人たちと違って、日本が受け継ぐべき「精神」は、宗教というよりも、多分に美意識のような、宗教に代わるべきものです。

私は、外国人と靖国や神風特攻の話題になるときに、海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談『日本歴史を点検する』(1969年)を参考にして説明したものでした。 海外で仕事をする場合、こういった話題は、原爆や真珠湾と同様に必ずと言っていいほど出てきます。 もし、出てこなかったら、あなたの外国人との付き合いは、ごく表面的なレベルにとどまっているということでしょう。

一神教の宗教を信じる人たちと同じで、日本の「精神」も日本人が譲れないものです。 つまり、双方の間にはバカの壁が存在します。 分かり合おうとか説得しようなんて思わずに、「日本人の意識の底とはこういったものだ」と説明すればいいのです。

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2014年1月14日火曜日

大阪の憂鬱


荻窪の大阪に行ってきました。 以前から気になっていた串カツ屋さんです。 中央線のすぐ横なので、これまでは車窓から行列ができる様子を眺めているだけでした。 

大阪を書くということには私なりの青春の回顧があった。 しかし、私はいま回顧談をもとめられているわけではない」。 文学不毛の地と言われる大阪が生んだ織田作之助 『大阪の憂鬱』(1946年)の一節です。 ついでに申しますと、織田作之助は私の卒業した高校の先輩です。 

荻窪の大阪は、大阪伝統の串カツといっても、私がお酒を飲み始めた頃に通った阪急梅田の立ち飲みの串カツ屋とは違って、随分と上品でした。

やしきたかじんの訃報を聞いたこともあり、大阪が気になっていたのです。 たかじんを失った大阪は、織田作之助の言葉を借りると、ますますあわれに痩せ方が目立って行くのでしょうか? それとも、あわれな悪あがきをするのか?










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2014年1月13日月曜日

成人の日


おい、チャーリー!  

ご主人様は、反抗の時期をもたないままに成人になった人間を信用しない。 反抗しながら自分を見つめて、そして、成熟した大人の犬になるのだぞ。

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2014年1月12日日曜日

ミートボール

昔、イタリア人の主婦から伝授されたミートボールで作ったスパゲッティ。   


翌日は、ミートボール・ヒーロー(サンドイッチ)になります。










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2014年1月11日土曜日

自分の物差し


「自分の物差し」は、本人の美意識、つまり、自分だけの美学だから、東洋経済にも日経ビジネスにもダイヤモンドのようなビジネス雑誌にも載っていないのです。 理想は、自分だけのものであって、他人の理想や、本に書いてあるものとは違います。 


今日より明日はよくなる、より裕福になると、死ぬまで考え続けるのは間違っていますね。 失敗することもあるし、後退することもある。 しかし、そういった時でも精神的に強くあること(mentally tough)が大事だと思います。 それには、根拠がなくても自信や自尊心がないとダメです。 要するに、自分の美学を信じることです。

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2014年1月8日水曜日

たかじんの美学

「芸人はテレビに出ている以外のところでも芸人らしくしろ」。 自分の美学を最後まで貫いた、やしきたかじんの言葉です。 

仕事って、その人の人生そのものなのです。 つまり、24時間365日、自分の美意識で生きるべきなのです。 ワーク・ライフ・バランスなんてバカなこと言うなよ!

たかじん R.I.P.

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〝浪花の視聴率男〟やしきたかじんさん死去 食道がんで休養中

2014.1.7 22:51 有名人の訃報
やしきたかじんさん
やしきたかじんさん
 歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが3日、死去した。64歳。葬儀は近親者で行った。昨年3月、食道がんの治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。
「橋下知事」生みの親
 やしきさんは、京都を拠点にシンガーソングライターとして活動を開始し、昭和51年に「ゆめいらんかね」などで本格デビュー。59年の「あんた」、61年の「やっぱ好きやねん」がヒット、脚光を浴びた。
 また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから〝浪花の視聴率男〟の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。
 一方で、民間団体「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた支援活動に携わったほか、テレビ番組への出演を通じて親交があった橋下徹大阪市長の政界進出を後押ししたことでも知られた。
 やしきさんは、平成24年1月に食道がんと診断を受け、同月末からすべての芸能活動を休止。4月に内視鏡手術を受けた後、昨年3月に芸能活動を再開したが、5月に体調不良を訴え、再び休養し治療にあたっていた。

2014年1月7日火曜日

富山ブラック


今年最初のラーメンは、家で作った「富山ブラック」、富山黒醤油ラーメンです。 見た目にはグロテスクでショッパそうですが、実際は少しお酢の味がして旨みがあるのです。 ネットで調べると、大量の粗挽き黒胡椒をかけて食べるとのことなので、真似をしてみました。 麺は太めです。  

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2014年1月5日日曜日

家族


正月三が日の三日目、有楽町駅横の火災で電車が大幅に乱れました。 私は、「ダイヤが復旧した」というニュースを聞いてから出かけたのですが、復旧したというのは通常に戻ったことではなく、電車は間引き運転、年初から自分の読みの甘さに苦笑いです。

電車の中、私の前の3人掛けの椅子に小学校低学年の女の子と両親が座っていました。 「痛風で足が痛いオジサンを座らせてね!」と全身全霊(body & soul)をもって訴え続けたのですが、完全に無視されました。 父親は携帯のテレビ・ゲーム、お母さんは少女マンガ、子供はコミック漫画を片手に父親のゲームに横から口を出しています。 しばらくすると父親のゲームは母親にわたり、父と娘はそれぞれがマンガに没頭です。

ほのぼのとした家族だと言うよりも、私には非常に醜くうつりました。 家庭というのは最も基本的な社会的訓練をうける場所だと思います。 もし、この両親が今を幸福に感じているのであれば、子供は非常に利己的な大人に育っていくでしょうね。  

追) 席を譲られていたら、私は勿論やせ我慢をもって丁寧にご辞退申し上げる所存でございました。     

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2014年1月3日金曜日

黒豆のしわ


黒豆の皺はないほうがいいのか、それともあったほうがいいのか?

料理家先生のレシピを見る限り、皺を寄せない炊き方について書かれているようです。 しかし、私は、少し皺がある黒豆のほうが好きですね。 黒豆と言えば、お節料理に欠かせない食材ですが、お節料理に黒豆を食べ出したのは室町時代にこんにゃくと炊き合わせて「座禅豆」と呼ばれていたものが起源と言われています。

お節料理に黒豆を食べるようになった理由は、江戸時代から「黒は邪気を払う」、「黒は健康を意味し、マメに達者で皺のよるまで長生きを」と祈願し食べるようになったそうです。 キリスト教徒でもイスラム教徒でもなく、小さな島国の農耕民族である日本人にとって、労働はペナルティ(懲罰)ではなく喜びです。 「真っ黒になってマメに今年一年元気で働けるように、皺のよるまで働けるように」という願いが込められているのでしょう。

 
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2014年1月1日水曜日

Happy New Year 2014


元旦の早朝、関西から東京に向けて新名神、東名を走りました。

「元日に対して調子を合せた文章を書こうとするのは、丁度文部大臣が新しい材料のないのに拘らず、あらゆる卒業式に臨んで祝詞を読むと一般である」(夏目漱石 『元日』 1909年)。


節操なく付和雷同せず、偏屈な隠居で行きましょう!  

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