2019年10月28日月曜日

小中高で何を教えるべきか、何を学ぶべきか?

https://www.youtube.com/watch?v=LJAsBkC9kas&t=10s

今回のショートビデオで述べていることは、そのまま学校教育の議論にも繋がります。

①幼稚園で動物(禽獣の域)から社会生活を行う人間へ脱皮する術を教え、
②術をベースに様々な教科(学問)を知識として積み上げる。
③それから学生は自分自身で教わった術や吸収した知識で自分の人生観、死生観 などの「~~観」を自己形成していく(全体を見渡す広い展望)。
今の日本は①がちゃんと出来ていない(家庭でも幼稚園でも)。②は受験システムの下、些末なことまで多くを詰め込みすぎる。③の哲学的な部分は日本の教育システムの最も弱いところです。③は自分で考え悩むしかないのですが考え悩む自由(時間)がない。

本来教師の役割と責任は学生の観の自己形成(③)を背後から援助することだったはずです。決められたテスト範囲で時間内で答えが出せ、且つ、ミスをしないで100点をとる教育だけで大人になる。定年が近づくと「生きるとは?」「死ぬとは?」「友達とは?」「愛とは?」、即ち「~~観」で悩み始めることになるのです。

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2019年10月16日水曜日

小林秀雄を思い出した ~ 無常という事

亡き祖父が設計施工した家のリフォームで露わになった屋根裏の「梁」

「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか」 (小林秀雄『無常という事』昭和17年)。

平成の30年間の日本は目の前のお金やモノ(即ちこれが「無常」ですね)に振り回されてしまった時代でした。「常なるもの」をおおかた見失って思い出す事もしなくなった。

高校の教科書に載っていた小林秀雄の『無常という事』、半世紀近くが経ちやっとこさ半分くらい解った気がします。縦割りの組織を統合する事さえ困難な今の日本に、過去と現在を総合して自己を知るなんてどうあがいても出来ないでしょうね。

小学校から始まる教科ごとの授業と偏差値だけを物差しとする受験システムが、物事を総合的に考える能力をすっかり奪ってしまったのでしょう。それが政治や経済にも悪影響を及ぼしている。家屋の「梁」のように全体を考えて支えるリーダーが育たない。

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2019年10月9日水曜日

日本の年金はおかしくないか?


USの社会保障局から公的年金に関する通知が来ました。USの full retirement age は 66才です(年金は62才から前倒しで受け取れます)。「年金だけじゃ老後の40%しかカバーできないので自分で考えなさいよ」と但し書きがあります。

私は 1989年から現在に至るまで負担しています。掛け金(収入)に見合った給付額になっています。USの年金は自己責任(自助)の尊重がベースになっています。

日本の年金って一度ゼロリセットしたほうがいいと思います。

日本の年金は働き方や高齢化・少子化の問題もあるでしょうが、年金の定義や考え方が根本的におかしい。年金は保険なんだから給付の原資は保険者の掛け金から出すべきで、税金を当てるのはおかしいと思います。へんだと思っている人はいっぱいいても誰も変えられないのでしょうね。日本の場合何事においても責任の所在や責任の取り方(roles and responsibilities)が不明確なのは一つの原因です。人生100年時代かどうかは個人的には大いに疑問ですが(健康年齢のほうが重要)、個人は公的年金を補助的なものととらえ、それだけに頼らない自分の役割と責任を考える必要があるのではないでしょうか?

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