2016年3月27日日曜日

自発性のない循環的変化

今朝の武蔵野簡易裁判所の桜

ちょっとややこしいタイトルですね、、、。

今年も桜が咲き始めました。 ご存じの通り四季は循環的変化です。

在原業平(ありわらのなりひら)の頃の日本人は、四季のような循環的変化不可逆的変化である人生を十分に承知して、後悔することなく日々を生きていたのかも知れません。 
 
今の日本人はどうでしょうか? 毎日を忙しくするルールや道具を求め、更にルールの詳細化に邁進しているような気がします。 それは、信念や志のない自分をごまかしているだけのようでもあります。 国も会社も家庭もVISION(理想のイメージ)なんてない。 だから戦略がない、つまり、やるべき事とやってはいけない事の区別がつけられない。 実行計画は目的を見失い手段に固執する。 結果、循環的変化の中で、アメとムチで縛り付けるしかなくなっているようです(自発性のない循環的変化)。 

VISIONなんて実現可能でなくてもいいのです。 北極星のように輝いているものです。 本当にやりたい事があれば、試行錯誤を繰り返し、錯誤の幅が広がったり狭まったりすることを楽しめばいい。 それが生きるということじゃありませんか。

春はいいですよ。 一歩前に踏み出すにはちょうどいい。

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2016年3月22日火曜日

三鷹のウナギ


太宰治の短編『メリイクリスマス』の舞台となったのは、三鷹駅前のさくら通りにあった鰻屋台『若松屋』です。 三鷹の下連雀に住んでいた太宰は、午後3時過ぎには大抵が若松屋でコップ酒を飲んでいたそうです。 その後、若松屋は国分寺に移り、何度か代替わりして『若松屋』という屋号を復活させて商売を続けているようです。

連休は三鷹の持ち帰り専門の鰻店『豊駒』で鰻の大串を買ってきて鰻丼にして食べました。

『メリイクリスマス』 1947年 太宰治

母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。 

私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。母は、うなぎが好きであった。私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。
  
「いらっしゃいまし。」

客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。

「大串がよござんすか、小串が?
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」

その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪をあおぐ。

「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」

こんどは私も少し笑って言った。若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」 と言って笑い、鉢巻
の結び目のところあたりへ片手をやった。

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2016年3月20日日曜日

会社でも子育てでも要求されることは同じ

日本の「お弁当」には情緒への訴えかけがある

大企業の部長さんたちとのディスカッションで感じたことを話します。

一部上場でない ibg のような零細コンサルティング会社でも同じことです。 これから起業を考えている若い人にとってもポイントとなる事です。 また、学校教育にも家庭での子育てにもあてはまります。 要するに、会社の幹部も、学校の先生も、子育て中の親御さんも、「明確なVISIONを持つリーダーたれ」という話です。 VISIONがなければ戦略もないし、実行計画も有り得ない。 VISIONなき子育ては、子供たちの情緒に訴えかけることなく、アメとムチの支配になってしまうということです。

今の日本には管理職やマネジャーの役割を勘違いしている人が多い。 組織には、日々の性急な事柄を監督する「優秀な係長」的な日本型管理職の役割も必要なのですが、全員がそうであってはいけない。 組織の長期間にわたって続く慢性的な問題を処理する「リーダー」が必要なのです。 それが、管理職とかマネジャーとか言われる人の本来の仕事であるわけです。

これまでの日本の教育は(恐らく今も)、優秀な係長を育成することに邁進して来ました。 実はそういった教育が大いに役に立ったのは昭和30年代まででしょう(戦後復興期≒高度成長期)。 教育も時代の変化に合わせて修正すべきです。 長年続いた仕組みを変えることは大変なことです。 しかし、マネージする(管理する)とは一体どういったことなのか? 企業の役職についている人たちだけでなく、教育においても、学校の先生や親御さんたちが考えるべきことだと思います。










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2016年3月10日木曜日

映画 『愛と青春の旅だち』(1982年)


クライアントと管理職の役割の議論をしていたら、映画『愛と青春の旅立ち』(1982年)を思い出し、早朝から観てしまいました。 原題は『an Officer and a Gentleman』です。 封切り時、渋谷の映画館で観ました。 当時、田舎の閉塞感からの脱出、東京での新しい生活のため、渋谷の不動産屋でアパートを探している最中でした。

あれから30数年が経ちました。

この映画は、今の日本社会にとって非常に示唆に富むタイトルと内容です。 オフィサーは軍隊だと士官、会社だと取締役です。

Uniform Code of Military Justice (アメリカの軍法)の中に、「conduct unbecoming an officer and a gentleman」という懲罰条項があり、映画のタイトルはここから来ているのです。士官なのに士官たるべき思考や行動をしなかったり、紳士たるべき振る舞いをしないと軍法会議にかけられて罰せられます。

それにしても、日本のこの映画のタイトルと宣伝文句はすごいですねぇ、、、。

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2016年3月3日木曜日

将棋から何を学ぶか?

激辛バッファロー・ウィング@home


4つの力とは以下の4つです。

・ 論理的思考力を養う
・ 3手先を読む習慣を付ける
・ 大局観を持つ
・ 「投了」をする(礼にはじまり礼におわる)

将棋は胆力が勝負だと思います。私は将棋をしないからなのか「胆力」が全くありません。今更どうにもなりませんので努力はしません。 しかし、ビジネスで一番重要なことは、この「胆力」です。 若い頃から分かっていたのですが、どうにもなりませんでした。 

どんな状況でも諦めないで最後まで逆転を狙う、つまり、簡単に投了しない。それが勝負師であり、ビジネスでも一番重要なことだと思います。 記事にある4つの力の一つが「投了」だったので、少しばかり違和感を感じました。

将棋はチェスや象棋(中国将棋)と違って、いっぺん取られた駒が死駒にならない。 だから、「センス&レスポンド」で相手の体制(互いの持ち駒)によって、自分の体制をどうにでも変えるフレキシビリティが必要です。 チェスや象棋をうまく造りかえて、ワンランク上の将棋というゲームにした日本人なのに、今の日本社会の余裕の無さを見ていると、そういったことが活かされていなくて残念です。 

テクノロジーの進歩により何事も簡単に手に入るようになったからですかね? 胆力も必要ないし、造りかえる力も必要もない、、、。

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