
https://president.jp/articles/-/105582
「絵本」でも「小説」でもない…「読めるけど分からない子」の" 理解力"を伸ばす本の種類読んだ先から「何の話だっけ?」 となるのは理解できていない証拠
PRESIDENT Online 2025年12月5日
船津 洋(言語学者)
こうした子どもは読解力が低いにもかかわらず気づかれず、そのまま学年が上がるため、学校や塾は「理解」ではなく「記憶」に頼った指導へと偏りやすくなる。
研究によると、読書量は語彙力向上に効果があるものの、理解力(読解力)の向上には読書ジャンルが重要であり、特に説明文の読書が効果的だという。一方で、絵本や小説は語彙力には良いが、理解力には直接つながりにくい。
また、未就学児への絵本の読み聞かせは、後の語彙力・読解力を高めることが多くの研究で示されている。脳の基本構造は遺伝の影響を受けるが、環境による刺激(読み聞かせ・言語体験)によって回路が発達していくためである。
PRESIDENT Online 2025年12月5日
船津 洋(言語学者)
記事の要約
多くの子どもは「文字を読めている」ように見えても、実際には内容を理解していないことがある。これは、「文字を音に変換する力(音韻符号化)」はあるが、「内容を頭の中でイメージ化する力(心内表象化)」が弱いことによって起こる。「読める=理解している」と思い込む親や教師が多く、この問題が見過ごされやすい。こうした子どもは読解力が低いにもかかわらず気づかれず、そのまま学年が上がるため、学校や塾は「理解」ではなく「記憶」に頼った指導へと偏りやすくなる。
研究によると、読書量は語彙力向上に効果があるものの、理解力(読解力)の向上には読書ジャンルが重要であり、特に説明文の読書が効果的だという。一方で、絵本や小説は語彙力には良いが、理解力には直接つながりにくい。
また、未就学児への絵本の読み聞かせは、後の語彙力・読解力を高めることが多くの研究で示されている。脳の基本構造は遺伝の影響を受けるが、環境による刺激(読み聞かせ・言語体験)によって回路が発達していくためである。
☆ ☆ ☆
この記事が指摘するように、「読めるけれど理解できない」という子どもが増えているという問題意識には同意します。文字を音に変換できても、内容を頭の中でイメージし、理解する「心内表象化」が欠落している──その構造は非常に重要な指摘です。人間の生成AI化かもしれません(思考なき文章作成)。
ただし、私は読解力の育成には、説明文を読む以前に、二つの要素が不可欠だと考えています。学者ではない一個人の意見ではありますが、長年の経験から確信していることです。
第一に、親が読書を好きであること。
家庭の中で自然に本が開かれ、言葉が交わされる環境こそ、子どもの語彙力と理解力の土台になります。読書は強制されて身につくものではなく、「空気のように本がある環境」が最も効果を発揮します。
第二に、「読む」と同時に、自分で書くことが大切であること。
読むだけでは理解は深まりません。読んだものを言葉にし、絵や文章として表現しようとすると、自分の中に蓄えた語彙・知識・体験が総動員されます。逆にいえば、書こうとして初めて、読んでいない・理解していないことに気づくものです。
したがって、読解力を育てるには「書く力」の訓練が不可欠です。しかし日本の教育では、小学校の作文をそのまま延長して、論理的な文章=論文へと発展させる訓練が欠落しています。これこそが、大人になっても日本語を書くことが苦手な社会人が多い原因だと思います。
また、読解力の問題は「聴く力」にも通じます。「聞く」と「聴く」が違うように、読み方にも浅く追うだけの読みと、内容に深く踏み込む読みがあります。
私は半世紀以上ロックやブルースに親しみ、ギターやハーモニカを続けてきましたが、長い間「聞いていただけ」で、本質的に「聴いて」いませんでした。だからこそ、どれほど触れても上達しなかったのだと気づきました。プロになる人は必ず「聴く」ことを実践しています。これは読解力と全く同じ構造です。何度も何度も繰り返し「聴く」、能動的、且つ循環的に聴くということです。
記事が示す「読めても理解できない」という課題に対して、私は、読む・書く・聴くという三つの行為が相互に補い合う教育こそ、これから必要だと感じます。
さらに付け加えるなら、読める=理解していると思い込む親や教師が多い背景には、彼ら自身が子どもたちの言葉を“正しく聴いていない”という問題もあるのではないでしょうか。単に耳に入っているだけで(受動的に聞いているだけで)、能動的に聴いていないことが、子どもの理解の深さを見誤らせている──私はそう感じます。
記事が示す「読めても理解できない」という課題に対して、私は、読む・書く・聴くという三つの行為が相互に補い合う教育こそ、これから必要だと感じます。
さらに付け加えるなら、読める=理解していると思い込む親や教師が多い背景には、彼ら自身が子どもたちの言葉を“正しく聴いていない”という問題もあるのではないでしょうか。単に耳に入っているだけで(受動的に聞いているだけで)、能動的に聴いていないことが、子どもの理解の深さを見誤らせている──私はそう感じます。
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