2019年11月23日土曜日

日本の将来に必要な「知」とは?

チャーリーはドイツ製のドッグフードをやめて
卵焼きや豆腐を食べるようになって復調しました。

30年後の日本を見てみたいけど、残念ながら自分が生きてる可能性はほぼないですね。日本は力(核や軍事力)を持たない弱小国です。自然科学の「知」だけでなく、生き残りをかけて、国際情勢、経済、文化に対する深い知識・知恵や洞察力を身につけないといけないでしょう。

英語や記述式問題じゃなくて、教育において「知育の知とは何ぞや?」ということを考えるべきでしょう。偏差値や点数で序列をつくる教育って何のためにやっているのでしょうか、、、。

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2019年11月10日日曜日

続々 教育について

この夏は体調が悪く病院通いの連続だったチャーリー

日本政府が本当に議論すべきなのは英語教育だけでなく、明治5年からやってる官吏養成教育の是非ですね。かつては年功序列に代表される序列というものが人を支配する手段として非常に有効でした。テストの点数や偏差値も序列です。しかし、我々の住む世界は大きく変わったし変わり続けています。

人材育成も世の中の変化に対応していかなければいけません。これまでは、教えられたことを決められた時間内で言われた通りに実行できる能力の高い人を社会や企業が求めてきました。ところが世界はマスプロダクションからオーダーメイド的な価値に重きを置くように変化してきています。テストの点数による序列だけでは多種多様な人が交錯するクロスボーダーの環境では対応ができないでしょう。

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2019年11月9日土曜日

続 教育について

今年も秋の味覚 ~ 栗と零余子

学校や受験だけが教育の場じゃないのです。要するに「教育≠学校教育」ということを理解していない。官僚型社会人育成プログラム(受験システムのことです)は教育と言えるのか?

世界で軽蔑されない大人になるには、自分で「metaphysical」(形而上的)な修行を積む必要があり、それらは授業をサボって喫茶店で身につくかもしれないのです。

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2019年11月8日金曜日

教育について

本を読む時は濃い鉛筆を持って印をつけながら読むのがいい

教育の機会や教育そのものが多様化しています。オプションは有り過ぎるほどあるわけです。だから、文部省をお上とする上意下達の教育システムでなく、現場に適したプログラムにしたがって自律的な学習を目指すべきだと思います。前提は教員にも自由な時間があることです。

物差しが偏差値だけだと教員もサラリーマン化し学生も自分で考えなくていい。今の受験システムは「教育」とは程遠く官僚型人間の大量生産になってしまいます。いくらイノベーションだ多様化だ生産性だ働き方改革だと声高に叫んでも笑止千万です。

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