2025年12月8日月曜日

心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

 
(ネットで見つけた画像)

'Life being stressful is not an illness' - GPs on mental health over-diagnosis

https://www.bbc.com/news/articles/cx2pvxdn9v4o?fbclid=IwY2xjawOigTFleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEe2SP-bOiOsBmZNoB2BgWia8-z9zRjYH_z00Uu3aXzl0pi-6d9slgpjWCJWG4_aem_JTWUg3nmf1oAAgkkTO1dAQ


心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

英国BBCが報じた、全国の家庭医(GP:General Practitioner)を対象とした大規模調査は、現代の医療が抱える構造的な課題を象徴的に示していました。GPとは、本来「general=総合的に」そして「practitioner=実務に携わる医師」を意味し、地域住民のあらゆる健康問題の“最初の相談窓口”となる存在です。専門医とは異なり、身体・生活・心の問題を切り分けずに把握するという姿勢が職能の原点にあります。

しかし英国のGPたちは、いま、その本来の役割を果たしきれなくなっていると感じています。調査では、「生活がストレスフルなのは病気ではない」という意見がある一方、失恋や悲嘆といった“正常な体験”にまで診断名が付く風潮を憂える声がありました。過剰なラベリングによって、本当に治療が必要な人へのリソースが削られているという指摘は重いものです。

コロナ以降、若年層のレジリエンス(回復力)が弱まったという見方がある一方で、専門サービスの不足から医師側が診断を渋る傾向もあると議論は割れています。ただ共通しているのは、ほとんどのGPが以前よりもメンタルヘルス対応に多くの時間を費やし、生活困難が心の不調に直結している現実に向き合わざるを得なくなっているという事実です。心理療法が受けられず、やむなく薬を処方せざるを得ない例も多く、NHS(英国の国民保健サービス)が急増する精神的支援ニーズに追いついていない現実が浮かび上がっています。

ジェネラル・プラクティショナーという言葉を深く考える

ここで改めて、general practitioner という言葉そのものを考えてみたいと思います。日本では「ジェネラル」も「プラクティショナー」も、概念として十分に理解されぬまま使われているように思います。これは医療に限らず、コンサルティングなどの専門職にも共通する日本独自の問題ではないでしょうか。

GPに求められるのは、目の前の患者の体質や病歴、生活環境を把握し、身体と心を切り離さず「全体像を理解する」能力です(原子でなく分子)。そこには医学に加えて臨床心理学的な洞察が不可欠であり、患者の言葉の背後にある不安や状況を読み取ることが求められます。これはコンサルティングビジネスでいえば、最初に状況を読み解く“パートナー”の仕事に近い役割です。

また practitioner(プラクティショナー)という語の背景には、practice=経験の積み重ねを通じて形づくられる実践という意味があります。アメリカの社会哲学者であるエリック・ホッファーが語ったとされる「人生はボートを漕ぐようなもの」という比喩は、この考えをよく表しています。

背後に広がる川面――つまり過去の経験や慣行――だけを頼りに、左右の岸に気を配りながら、見えない未来へ向けて静かに進んでいく。その姿は、医療者が日々の診療の中で積み重ねる「プラクティス」と地続きのものです。

私は、このgeneral と practitioner の二つの語が示す洞察――“全体を見る力”と“経験を重ねる実践”――こそ、医療だけではなく、私たちの仕事や人生にとっても大切な視点だと考えています。

日本との共通点・相違点

英国と同じく、日本でも生活困難が心身に影響し、“普通の困難”と“医療的支援が必要な状態”の境界が曖昧になりつつあります。しかし、日本との大きな違いは、GPという役割に対する歴史的な理解です。

かつて日本の「町のお医者さん」は、まさに general practitioner 的な存在でした。患者本人だけでなく、親の世代から体質や生活環境まで把握し、身体と心を包括して診る姿勢が自然に根づいていました。医師は“家族の歴史を知る相談者”として地域に存在し、その信頼関係のなかで心の不調も自然と扱われていたのです。

ところが現在の日本では、大病院を中心に医療がシステム化され、プロセス管理が重視されるあまり、医師が患者よりもコンピュータ画面を見る時間のほうが長くなっています。一般外来は流れ作業化し、担当医も固定されず、生活背景や心理的要因を丁寧に扱う余白が急速に失われつつあります。

英国でGPが「心の問題は専門外だ」と感じ始めている状況と、不思議なほど共通する兆しが日本にも現れています。身体と心を一体で扱うという、本来のgeneral practitioner の視点が後退しているのではないか――それが私の懸念です。

医療の原点をもう一度考えるとき

心の不調は、生活、身体、そして社会構造の交差点で生まれます。英国のGPが直面している問題は、少し時期をずらして日本にも押し寄せつつあり、効率化が進むほど「患者の全体像を丁寧に診る」という医療の原点が失われる危険があります。

いま私たちが問うべきは、「どの診療科が担当するのか」という分断ではありません。誰が、どのような視点で、患者の全体を支えるのか。

日英の医療現場が示している課題は、医師と患者の関係そのものを見つめ直す契機になるはずです。そしてその鍵は、general practitioner という言葉に込められた、「全体を見る力」と「実践の積み重ね」という、極めて人間的な営みにあるのだと思います。

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