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2021年8月30日月曜日

最後の収穫

 

夏野菜 最後の収穫

最後の収穫は茄子とピーマン。トマト、バジル、インゲンは根っこから引き抜きました。マルチ(mulching)と言われるシートをかけているのは秋・冬野菜に参加する次のグループのための準備です。

残暑は厳しいですが、夏も終わり何となく寂寥たる風景です。今年の秋・冬野菜は抽選に参加しませんでした。去年の8月末からちょうど一年、「なんちゃって農業」でしたがコロナ禍の中大変楽しむことができました。

小学校の教科の勉強なんて全部やめちゃって農業研修にすればいいのにと感じました。小学校で教わる勉強なんて中学生になってやればいい。小学校の教科を英語で教えようではないかといった議論があるようですが、何をかいわんやです。一生英語なんて使わなくても立派な仕事や人生はいっぱいあるのです。

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2021年8月15日日曜日

トマトのパスタ

食材がいいと料理人は私でも大丈夫。本当に美味しく出来上がります。トマトは半分は炒めて焦がして潰します。あとの半分は完成直前に投入します。






 

2021年7月30日金曜日

コロナ体験でわかった日本の課題

夏野菜もそろそろ終盤です。3度でなく5~6度は収穫できた三度豆(インゲン)も終了しました。トウモロコシも終了です。あとは主力がトマトで、茄子とピーマンは順調に実がなっています。夏野菜もやってみて色々と勉強になりました。

コロナ体験でわかった日本の弱点と課題は簡単には解決しない。

多くはコロナ禍以前からの問題であり、問題の根は深く、明治維新以降の日本の近代化に立ち返って考える必要があります。政府や金融機関だけのせいじゃない。自己の変革なくして社会の変革などあり得ないのです。

近視眼的な手段の連続では決して解決しない。

個人(individual)が自立せず西欧のような近代社会(society)が成立しないのであれば(宗教の関係もあり日本では成立しないと思う)、「世間」を見直すしかない。「世間」をここまでボロボロにした主な原因は教育と、大衆をミスリードするメディアでしょう。だとすると、解決へのスタートポイントは明白です。時間はかかるが。

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2021年7月14日水曜日

選択の連続が人を成長させる


収穫のタイミングまで選択の連続である野菜作り

選択の連続が人を鍛え成長させる

止まったり回避しちゃ成長はないし、最終的には幸せにならないと思う。一つ一つの選択に個性だとか自由だとか責任とかが絡んでくる。責任感のない事件や事故が頻繁に起こるようになったのは、なんとなく人任せで主体的に自分で選択して実行してないから責任という感覚に結びつかないんじゃないか? 流行りのダイバーシティにしても、一人一人が違っていて個性があって、色んな意見があって議論するから意味がある。一人一人の意思決定のプロセスが異なるから個性の違いがでてくる。最終的にダイバーシティのパワーとなる。

日本の教育は「考えないこと」を教えている

日本の現行教育は子供たちを枠にはめる事だけを教える。文科省や学校が決めた枠です。「framed=枠をはめられる」 ってワナにはめられるという意味です(Bob Dylan「I shall be released」)。そうだとすると、日本の子供たちは考えないまま大人になって行く。「そういうもんだ」と思えば何も考えなくていいし、自分で判断する必要がなくなる。「なんとなく幸せ~~~」。

人の脳ってよくできている

入力があって計算(思考や教訓)があって出力がある。日本の教育は入力の部分を子供たちに任せずに、枠のなかで「こういうもんだ」を教える。ところが、そもそも脳の働きって学習機能です。経験を積めば積むほど、成功や失敗を繰り返せば繰り返すほど、賢くなる。それは言い換えれば、「自分の枠が出来てくる」ということです。人が作った枠じゃなくて、自分の枠です。つまり、枠ははめられるのじゃなく自ら作る。学習とか勉強ってそういうことじゃないかな?「羹に懲りて膾を吹く」じゃないけど、経験して賢くなる。脳機能を考えるとそれが学びでしょう。

教育とは?

美味しいものを食べたり、感動する映画や絵を観たり、様々な種類の音楽を聴いたりして脳に入力(インプット)していく。子供はインプットを繰り返すことによって自分の入力能力である五感を鍛えていく。インプットは選択し(オプション)でもある。自分で選択を繰り返し試行錯誤し、錯誤の幅を狭めていく。それをサポートするのが教育なんじゃないかな? そして、それは親の役割でもある。


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2021年7月6日火曜日

人生に通じる枝豆の収穫

どの野菜も収穫時期(ピーク時を特定する)を見極めるのは非常に難しい。今回の夏野菜の目的は「自分で作った枝豆とトウモロコシでビールを飲むぞ!」ですので、枝豆に対しては他ならぬ情熱と真剣味が増します。

莢(さや)の状態を見極める

枝豆は大豆を未成熟の状態で収穫するので(最初に発見した人は凄い)、収穫の適期は非常に限られた日数です。早すぎると実の育ちが悪く、遅れると黄色くなって風味や味が損なわれていきます。莢が膨らみ始めたらタイミングを逃さないように常に状態を見ている必要があります。臨床的だということです。

全体の8割程度が適期になれば収穫をする

株についている莢の全部が同じタイミングで収穫の時期を迎えることはありません。全体の7~8割の莢の状態がパンパンに張ってきたら収穫です。全ての莢が平等に大きくなるのを待っていては収穫の適期を逃します。数日から一週間が勝負です。

教育や会社経営、そして子育てを含む人生全般に通じるものがありますね。

本日の収穫

インゲン(三度豆)は5度目の収穫


トウモロコシは錦糸(ヒゲ)が茶色く枯れ実が固く充実したら収穫。


トマトは赤くなると鳥や虫に食われる

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2021年7月5日月曜日

個性を伸ばすには?

夏野菜の収穫

個性を伸ばすことが人間の幸福や人としての成長につながります。どうも日本の教育、否、現行の受験システムは真逆の方向に突き進んでいるように思います。








どうやって個性を伸ばすかは、自分で選択することを繰り返すということです。だから親や学校として子供に対してできることは、子供にできる限り多くの選択肢(オプション)を提示してあげることではないかと思うのです。自分の人生設計を他人に委ねない。自分で選択しながら試行錯誤を繰り返す。そして、錯誤の幅を狭める。そうやって子供たちは大人になっていく。

自分に関する様々な選択を他者に任せるのは、生きることを放棄することを意味します。なぜならば、自分の成長にも幸福にも繋がらないからです。日本では皆んなが皆んなの意見に従う。だから多くの人が自分の成長にも幸福にもつながらない大きなデフレスパイラルの大渦に飲み込まれている。


多数派の専制を打ち破るには、変わった人間(異分子)をたくさん作ることです。人は一人一人異なる。全ての人に当てはまるものはない(it is OK to be different)。世間の慣習に当てはめることばかりやっていると個性は育ちません。成長しないし幸福にもならない。個性的な人間になることによって多数派の専制を打ち砕く。

昨今スローガンのようにあちらこちらで叫ばれる多様性(ダイバーシティ)って、本来は個人の自由や個性を尊重することにあるのです。

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2021年6月26日土曜日

三度豆(さんどまめ)

インゲンの別名は三度豆(サンドマメ)。三度収穫できるから三度豆。我が家のインゲンの最初の収穫は41個。あと2度収穫できるのか? インゲンがこれほど美味しいとは!
 









2021年6月14日月曜日

茄子とピーマンの収穫

リーフレタスのあとは、茄子とピーマンの収穫です。








トマト
ピーマン
インゲン

トウモロコシと枝豆
枝豆

トウモロシのお花

ランチはハムエッグマフィン with ハラペーニョ&サラミ

小麦の刈り取り

授業風景

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2021年6月3日木曜日

夏野菜、最初の収穫はリーフレタス

夏野菜最初の収穫はリーフレタス

朝刈り取ってランチに食べました。柔らかくてスーパーで買ったレタスとは別物でした。心配したトウモロコシも大丈夫そうです。枝豆、トマト、茄子、ピーマンは順調です(だと思う)。


インゲン

トウモロコシと枝豆

トマト

ピーマン

茄子

トマト