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2026年2月3日火曜日

子育ては一生続く。でも、干渉は一生いらない

子育てを考えるとき、私はいつも「起業」との共通点を思い浮かべます。

どちらも、成果は枝葉や果実として目に見える形で現れますが、本当に重要なのは、目に見えない「土壌」と「根」です。どんな養分や水分を、どの程度与えるのか。そして、どこで手を止め、成長を待つのか。その判断ひとつで、木の育ち方は大きく変わります。


子育てと起業に共通するのは、「育てる」ことではなく「育つ環境を整える」ことです。過度な養分や水分は、かえって根を弱らせてしまいます。

私の愛犬チャーリーは、正直に言って躾に失敗しました。

かわいい、かわいいと可愛がりすぎ、必要な距離を取らなかった結果です。叱るべき場面でも感情を優先し、こちらの都合よりも「まあいいか」を選び続けた。そのツケは、すべて飼い主である私に返ってきています。

一方で、息子はまったく逆でした。

親としては自由に育てたつもりですが、結果としては少々自立しすぎたきらいがあります。頼られることも少なく、拍子抜けするほどです。犬と息子を並べて考えるのは妙な話ですが、関わり方ひとつで、ここまで結果が違うのかと考えさせられました。

子育ては、おそらく自分が死ぬまで続くのだと思います。ただしそれは、死ぬまで子どもに干渉し続けるという意味ではありません。むしろ逆で、親がどう生きるか、その姿そのものが、子どもにとって最大の教材になるのではないでしょうか。

人間も動物です。情愛そのものに大きな違いはありません。しかし福沢諭吉は、人間と動物の違いを「相手に対する敬意」だと言いました。情愛だけでなく、敬意をもって相手を見ること。そこに、人間の教育の本質があるのだと思います。

情愛や敬意を欠いた子育てが続けば、社会正義は機能しなくなり、卑怯者ばかりが量産されてしまいます。私は息子が納税者になったとき、「これで親の務めは終わった」と正直ほっとしました。しかし福沢は容赦なく言います。子を生み、養い、教え、一人前の人間として社会に送り出して初めて、親の名に恥じないのだと。

シリコンバレーのパロアルトの飲茶レストランで、さまざまな訛りの英語が飛び交う光景を目にしたことがあります。インド訛り、中国訛り、韓国訛り、あらゆる英語が飛び交っていました。そこに、日本語訛りの英語はほとんど見当たりませんでした。日本人がいないわけではない。しかし選手層が薄く、存在感が出ないのです。

日本という社会は、テーマパークのようです。サファリパークと言ってもいい。安全で、親切で、居心地はいい。しかし、その中で過保護に育った人間は、ジャングルのような現実世界では目立ちません。世界には多様な「優秀さ」があるという事実を、親自身がまず理解しておく必要があると思います。

論語にある「切磋琢磨」という言葉も、私は少し違った意味で受け取っています。学ぶ側の努力というより、教える側への戒めではないか。素材を見極め、無理に削らず、的確に磨く。料理で言えば、素材に合った調理法です。流行の教育論や、誰かの成功体験を、そのまま我が子に当てはめる危うさを、親はもっと自覚すべきでしょう。

日光東照宮の三猿の彫刻を思い出してください。
子育てとは人生全体を見通す営みなのだと教えています。子育て、成長、挫折、友情、旅立ち。人生は順番通りには進みませんし、挫折は何度も訪れます。親ができるのは、転ばせないことではなく、転んだときに立ち上がる力を信じることではないでしょうか。

子育てにおける最大の敵は、「知らないこと」ではありません。「知ろうとしないこと」です。事勿れ主義は、親にとっては楽ですが、子どもも同じように育ってしまいます。独立自尊の個人とは、不安定で壊れやすい存在です。だからこそ、自信と自尊心を日々更新し続ける必要があります。その覚悟を、親自身が生き方で示すしかありません。

福沢諭吉は、まず身体を鍛えよと言いました。

獣のような身体をつくり、後で人の心を養えと。健康を管理できない人間は、社会人としても自立できません。子育てとは、知識を詰め込むことではなく、生き抜くための土台を整えることなのだと思います。

子育ては、起業とよく似ています。

種を蒔き、土壌を整え、あとは自然の力に任せる。根を育て、枝葉や果実は、その子自身のものです。親ができるのは、環境を整え、過度に手を出さないことだけです。

チャーリーを見て苦笑し、息子の背中を見て少し寂しくなる。その両方を引き受けながら、私は自分に問いかけざるを得ない。

子どもに何をしたかではなく、自分はどう生きているのか。子育ては一生続く。でも、干渉は一生いらないのだと。
 
福沢諭吉の言葉

福沢諭吉は、130年以上前に、すでに子育ての本質を言い切っていました。

天下の橐駝(たくだ=植木屋)は能く樹木の根を養うてその生力を盛んにし、枝葉花実はその自然の発生に任して各その美を呈せしむるのみ。教育の橐駝、果たしてここに見る所あるや否や。

(福沢諭吉『教育の方向如何』明治十九年)

***

2026年2月1日日曜日

自信という土台 ―― 人はどうすれば自信を身につけられるのか

 
試練に向き合い、助けを得ながら行動し続けることで、
人は少しずつ自信という土台を築いていく。

最近、日本の自殺者数が再び増加傾向にあると聞きます。詳しい統計を確認したわけではありませんが、私の記憶では、日本の自殺は先進諸国のなかでも高い水準にありながら、十数年前からようやく減少傾向に転じていたはずです。にもかかわらず、ここにきて再び増えているとすれば、それは単なる景気や一時的な社会不安の問題ではなく、もっと深いところで「生きるための土台」が揺らいでいるのではないか、そんな気がしてなりません。

私はその土台の一つが「自信」だと思っています。

自信と言うと、実績や能力、資格や肩書きを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、若い時に必要なのは、そんな立派な裏付けのある自信ではありません。「根拠なんて無くてもいい」自信です。むしろ、そうした小さな、危うい自信こそが、後に本物の自信へと育っていくのだと思うのです。

昭和50年に出版された新書『日本の自殺』(文春新書)は、当時すでに、日本社会の内部からの崩壊を鋭く指摘していました。スペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を引きながら、著者たちは、日本人が「甘やかされた坊ちゃん」になりつつあることに警鐘を鳴らします。バブル崩壊後の長期低迷は、その警告が現実のものになった姿だったのでしょう。資産インフレであろうが、長期デフレであろうが、問題の本質は変わっていません。

『日本の自殺』は、マス・コミュニケーションによる間接経験の氾濫が、人間の思考力や判断力、情緒性を衰弱させ、社会の自壊作用を強めると述べています。「人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界を妨げられる」という指摘は、SNSと情報過多の時代を生きる私たちに、そのまま当てはまるのではないでしょうか。

そして昨今、AI、なかでも生成AIの急速な普及によって、この傾向にはさらに加速度がかかると感じています。文章を書き、要約し、判断材料らしきものまで即座に提示してくれる技術は、便利である一方で、人間が自分の頭で考え、試行錯誤し、迷いながら結論に至るプロセスを省略してしまう危険性を孕んでいます。

間接経験が、もはやマス・メディアだけでなく「思考そのもの」にまで入り込んできたとも言えるでしょう。

自分の頭で考え、自分の足で立つ感覚を失ったとき、人は自信を失います。そして自信を失った人間は、生きる意味さえ見失いかねない。『日本の自殺』が半世紀近く前に鳴らした警鐘は、AI時代を迎えたいま、むしろいっそう切実な響きをもって私たちに迫っているように思われます。

私にとって、そのことを強く意識させてくれたのが、夏目漱石の「私の個人主義」でした。漱石は「自己本位」という四字を手にしたことで、「ここに立って、この道からこう行かなければならない」と初めて確かな足場を得たと言います。この自己本位とは、自分勝手になることではありません。自分の軸を持つこと、自分の見識と判断力を信じることです。

日本では「自己実現」という言葉がよく使われますが、私には、その意味がどうにも腑に落ちません。漱石の言う自己本位、すなわち自信を持つこと、自分の立脚点を自覚することの方が、はるかに実践的で、生きる力につながる概念だと思います。

自信は、与えられるものではありません。アメリカの市井の哲学者エリック・ホッファーは、「独立自尊の個人は慢性的に不安定な存在であり、自信と自尊心は日々新たに生成しなければならない」と述べています。今日の達成は、明日への挑戦にすぎない。立ち止まれば、どんな高みにいても不安に襲われる。これは、私自身の経験とも完全に一致します。

私は料理を作るのが好きです。下手の横好きの典型ですが、それでも台所に立つ時間は嫌いではありません。うまくいかないことの方が多く、失敗も少なくない。家人に罵倒されます。それでも、手を動かし、やり直し、次は少し良くなるかもしれないと考える。その積み重ねが、私にとっての小さな自信になっていきます(と信じています)。一回目はまあまあでしたが、二回目の蕎麦打ちで大失敗したとき、私は文字通り落ち込みました。しかし、三回目に挑戦し、成功したことで、自信は五割ほど回復しました。失った自信は、立ち止まっていては回復しない。成功するまでやり直すことでしか取り戻せないのです。これは蕎麦打ちに限らず、人生そのものにも言えることだと思います。

サルトルは「アンガジュマン(engagement)」を説きました。

人は世界から距離を取って眺めているだけではだめで、そこに関与し、引き受け、責任を持って行動しなければならない。自信とは、そのアンガジュマンの積み重ねの中でしか生まれません。実は、コンサル業界で、プロジェクトのことを engagement 、つまり、アンガジュマンと呼びます。

思想の世界で語られてきたアンガジュマンは、実務の現場でも、生き方としても、同じ重みを持っているのです。

教育も、子育ても、そして国家のあり方も同じです。過保護に守られ、試練を奪われた社会では、自信は育ちません。挑戦し、失敗し、それでも前に進む経験こそが、人を強くします。禅宗の大家である鈴木大拙が言うように、民主主義には「自主の精神、独創の思想、いかなる責任をも辞せぬという自信と覚悟」が不可欠なのです。

自信を持つとは、何かを信じることでもあります。

宗教でなくてもいい。伝統でも、文化でも、自分なりの価値でもいい。日本の祭祀や神道が示すように、外からの思想を受け入れつつ包み込み、新たに創造してきた柔軟さは、日本人が本来持っていた強さでした。

もっと信じていい。
もっと自信を持っていい。

若い時の小さな自信は、やがて本物になります。そして、その自信こそが、生きることを引き受ける力となり、絶望から人を遠ざける最後の砦になるのだと、私は思っています。

***

2026年1月28日水曜日

きんぴら


この年になりますとね、晩ごはんの献立いうもんが、
だんだん決まってきます。

わたしにとって、きんぴらごぼういうもんは、
「まあ、あったら箸のびるな」いう副菜やおまへん。
これはもう――思想ですわ。人生観ちゅうてもええ。
もっと言うたら、老後の指針みたいなもんです。

細う細う切ったごぼうに、牛肉の旨味がじわぁっと絡んで、醤油はちょっと濃いめ。
最後に、古式醤油なんかチョロっとたらすと、よろしおまんな。
鷹の爪が、これがまた赤うて勇ましい。
それをな、うっかり噛まんように避けながら、
口に運んだ瞬間ですわ。

……ああ。これや。完成してますなぁ。

きんぴらは、えらいもんです。最初から前に出てきよらん。
「わしを食え、食え」と主張せん。けど、後から効いてくる。
じわぁーっと、噛むほどに。食感がええですな。

これがまた、不思議なもんでしてな。
これがもう、人生の後半戦そっくりですわ。

若い頃はね、ステーキやの、鶏の唐揚げやの言うて、騒ぎます。
トロもそうやけど脂がのっているんがええ思うてた。
ところが、人生半ばも過ぎますと、
「今日のきんぴら、ええ出来やなぁ」
こんなこと言う自分がおる。

人はこうして、知らん間に成熟していくんですなぁ。

そもそも「きんぴら」いう名前からして、只者やおまへん。
坂田金平。金太郎はんの息子さんやそうで、怪力無双の豪傑です。
ごぼうの歯ごたえと、唐辛子の辛さを「強さ」に見立てた江戸の人の感覚、
これは大したもんです。

今は健康食品やらサプリやら、山ほどありますけど、
ごぼう一本で「強うなれ」言うてた昔のほうが、よっぽど核心突いてますわ。

戦争中の話になりますけどな、
自分らも食うもんあらへん時代に、
捕虜に木の根を食わせた言うて、虐待やと責められ、処刑された兵隊さんもいたと聞きます。木の根言うたら、今やったら健康食ですわなぁ。

木の根……つまり、ごぼうですわ。
なにをかいわんや、ですな。

さて、関西と関東の話もしておきまひょ。
関東のきんぴらは、ごぼうと人参だけ。
余計なもん入れへん。
武士みたいなもんですな。
潔い。

ところが関西は、牛肉入れよります。
これは文化です。
出汁と牛肉を愛してやまん土地柄ですさかい。
豊かで、現実的。

わたしはと言いますと、
濃いめの味付けに牛肉入り、しかもごぼうは極細。
関東の理屈と、関西の欲望を、ちゃっかり両取りしてます。
人生も料理も、ハイブリッドが一番ですわ


「最後の晩餐、何食べたい?」
こう聞かれたら、迷いません。
きんぴらごぼうでええ。
いや、「で」やない。
「が」です。

イエス・キリストはんの最後の晩餐は、えらい厳粛やったそうですが、
もしわたしの幕引きが許されるなら、

白いご飯に、
ちょい濃いめのきんぴら、
大粒の納豆、
きゅうりとなすの漬物。
味噌汁は、じゃがいも・玉ねぎ・わかめの三種入り。

これで十分。
静かに箸を伸ばして、
「ああ、いろいろあったなぁ」
そう振り返れたら、それでええ。

正岡子規はんも、病床で食べ物のことばっかり書いてはりました。
「糸瓜食いて痰のつまりし仏かな」
死ぬ間際まで、食うこと考えてた。
悲しいようで、どこか可笑しい。
生きるいうのは、食べたいと思うことやと、
子規はんは教えてくれてる気ぃしますな。

歳取ると、先のこと考える時間が増えますなぁ。
財産や墓の話も大事ですけど、
そこに「食」を入れてもええんと違いますか。

最後まで、何を「うまい」と思えるか。
それが、生きる意欲そのもんです


きんぴらのごぼうを噛みしめて、
牛肉の旨味を感じて、
「ああ、うまいなぁ」
そう思えてるうちは、人生、まだ終わってまへん。

きんぴらごぼういうもんは、
噛まんと、味がわかりません。

人生も、どうやら同じようでしてな。

おあとがよろしいようで。

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2026年1月20日火曜日

国語教育、本当に“考える力”を育てていますか? ――共通テスト現代国語から考える

点数にならない思考の痕跡

今年の大学共通テストの現代国語を見て、正直なところ、複雑な気持ちになりました。

出題された桜井あすみ氏の「贈与としての美術・ABR」は、限られた抜粋からでも、きわめて示唆的な文章だと感じました。美術とは、意味を一方的に伝達するものではなく、他者との関係の中で「贈与」として成立する営みである、という主張には、私は全面的に同意します。これは美術論にとどまらず、深層心理学で言うコンステレーション、すなわち関係性の中で意味が立ち上がるという考え方にも通じるものだと思います。

ところが、その文章を素材として作られた設問を見たとき、私は強い違和感を覚えました。文章の思想の深さと、設問の性質との間に、あまりにも大きなギャップがあるのです。もちろん、全国一斉試験である以上、採点の公平性や効率性が最優先されるのは理解できます。しかし、その結果として、著者が本当に語ろうとしている核心部分――関係性の中で意味が生成されるという動的な思考――は、ほとんど切り落とされてしまっているように見えました。

私は共通一次試験以前の世代で、センター試験も共通テストも経験していません。したがって、これはあくまで外野からの、しかも無責任な高齢者の感想にすぎません。それでも、昨日あらためてYouTubeで予備校の現代国語講座をいくつか見て、違和感は確信に近いものになりました。そこでは、文章をどう読むかよりも、どう「処理」すれば7〜8割の点数を短期間で取れるか、というテクニックが前面に出ていました。効率的ではありますが、高校の国語教育や、出題者が掲げているはずの理念とは、どうも別の方向を向いているように感じました。

整理すると、高校の授業、受験準備(塾・予備校)、試験問題、大学での4年間、そして社会人生活の間には、いくつもの断絶があります。高校で学んだ内容は、受験の段階で「点数」に変換され、管理しやすい形に加工されます。そして入試が終わった瞬間、その多くは泡沫のように消えていく。これは、ある意味で日本文化らしいとも言えますが、あまりに惜しい話です。さらに言えば、授業設計と現場の教師の間にもギャップがあり、現代国語と歴史など他教科との統合、いわば「梁」が存在しないため、知は柱のまま、やがて一本一本倒れていきます。

高校の現代国語の教科書と、予備校の国語講座を比べてみて、決定的な違いにも気づきました。高校国語は、本来、視野を広げ、価値観の多様性を学ぶためのものだったはずです。一方、入試問題で求められるのは、思考の幅を狭め、型にはめ、正解を一つに収束させるスキルです。自由な思考は、序列化しにくく、管理しにくいからです。

こう考えると、現行の受験制度は、高校国語教育の目的を事実上否定しているようにも見えます。皮肉なことに、いまのAI時代に本当に必要とされている「考える力」や「統合的な知」は、高校国語が本来目指していた方向にこそあります。それを受験が真逆の方向に引っ張っている。この矛盾を、学校も塾も、ある程度わかっていながら、システムを変えない。どこか、見て見ぬふりをしているようにも感じます。無責任だとは思いませんか?

拙宅の近くには、教育評論家の有名人が住んでいます。つかまえて聞いてみたい気もしますが、たぶん武蔵野警察に通報されるでしょう。冗談はさておき、日本の教育問題は、それほど根が深いのだと思います。そしてAIの時代だからこそ、点数化できない思考や、人と人、人とモノとの関わりの中で、少しずつ育っていく理解や気づきを、もう一度大切にする必要があるのではないでしょうか。
 
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2026年1月19日月曜日

なぜ教育は、劣等感を手放せない人を育ててしまうのか ――「理想との距離」では測れないもの

最近、劣等感について「理想の自分と今の自分のギャップが劣等感だ」と説明する文章を目にしました。アドラー心理学に基づく整理であり、劣等感を前向きな成長のエネルギーとして捉え直そうとする姿勢には、一理あると思います。劣等感それ自体は悪ではなく、解釈と行動次第で人生を前に進める力にも、足かせにもなる。事実は一つでも、解釈は無限である、という指摘も納得できます。

ただ、私はこの説明にどうしても引っかかりを覚えます。劣等感を「理想の自分」と「今の自分」の差として一般化してしまうと、見落とされるものがあると感じるからです。


比較しない人生と、「自分の軸」

私はこれまでの人生で、特別に優れた能力を持っていたわけでもなく、運動ができたわけでも、芸術的才能に恵まれていたわけでもありません。容姿もごく普通です。それでも致命的な失敗をせず、高齢者になるまでやって来られた理由を考えると、自分は劣等感も優越感も、人より弱かったのではないかと思うのです。

その理由は単純です。他者と比較して生きてこなかったからです。

中高生の頃の自我の成立に、他者の影響が比較的少なかったのかも知れません。十代の半ばには、すでに自分なりの価値観や人生観、死生観のようなものがありました。それは完成された思想ではありませんが、「自分はこう生きる」という軸のようなものです。通信簿のコメントには、「協調性がない」と共に、「競争心に欠ける」と書かれていました。

この軸があったため、他人の成功や評価を自分の尺度に持ち込まずに済んだ。結果として、「理想の自分」と「今の自分」を常に見比べる必要もなかったのだと思います。

劣等感と優越感は、同じ根から生える

劣等感が厄介なのは、それが個人のマインドを支配してしまうときです。劣等感は、往々にして他者との比較から生まれます。比較が始まると、人は自分の内側ではなく、外側の序列に価値判断を委ねるようになります。

そしてこの構造は、劣等感と優越感を同時に生み出します。どちらも同じ根から生えている感情です。

政治家でトップに上り詰める人たちを見ていると、この「劣等感と優越感の混合物」、つまりコンプレックスに強く支配されている人が少なくありません。総理大臣という地位にまで執着する背景には、理念や使命感よりも、内面の欠落感や承認欲求が透けて見えることがあります。

これは決して珍しい話ではありません。

国家と教育に埋め込まれた「比較の構造」

日本社会全体を見渡しても、この構造は繰り返されています。明治以降、日本は西欧に対する劣等感と優越感の間で揺れ動き、敗戦後はそれがアメリカに置き換わりました。夏目漱石がロンドンで精神を病んだ時代から、ほとんど変わっていません。

国家としての総括や学習を怠り、三百万人以上が亡くなった戦争の原因すら曖昧なまま、記憶喪失のように現代に至っている。この土台の弱さが、個人のコンプレックスを増幅させているように思えます。

福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、envy を「怨望」と訳し、これを人間にとって最も害のある徳の欠如だと述べました。他人と幸福の水準を比較し、自分のほうが不幸だと感じたとき、自分を高めるのではなく、他人を引きずり下ろそうとする心。それが怨望です。これは劣等感が歪んだ形で固定化した状態と言えるでしょう。

教育の問題も、ここに直結しています。日本の教育は知識量を重視する一方で、概念を育てる訓練が不足しています。概念とは、世界をどう捉えるかという思考の枠組みです。

これが育たないと、自分の価値観や判断基準を内側に持てず、外部の評価や序列に過剰に適応するしかなくなります。その結果、劣等感と優越感の間をメトロノームのように揺れ続ける人間が量産されてしまう。


同じ条件を与えること(平等)と、同じ結果に到達できるよう条件を調整すること(公平)は、似ているようで本質的に異なる。この図は、教育を点数や順位で比較する仕組みにしてしまうと、子ども一人ひとりの違いや背景が見えなくなり、上位には優越感を、下位には劣等感を同時に生み出してしまうことを象徴的に示している


「未熟さ」を生きるという態度

私はこれまで、「自分は未熟である」という前提で生きてきました。しかし、それは劣等感ではありません。未熟であるという事実を受け入れたうえで、そこに可能性を見るという態度です。

未熟さにコンプレックスを感じる必要はないと思う。未熟であるということは、まだ余白があるということです。楽しめばいいのです。死ぬまで。

劣等感を「理想とのギャップ」として捉える発想は、成長を促す場合もあるでしょう。しかし、それ以前に必要なのは、他者との比較から距離を取り、自分なりの世界観や価値観を持つことです。

劣等感をどう使うか以前に、劣等感に支配されない構造をどう作るか。そこにこそ、教育と個人の生き方の本質的な課題があると、私は考えています。

少し、大げさですかね?

AIという鏡の前で、人間は何を問われているのか

ここで、AIの存在を考えてみる必要があります。AIは、人間よりも速く、正確に、そして大量に「正解らしきもの(ハルシネーション)」を提示します。知識量、処理速度、網羅性――そうした指標で見れば、多くの分野で人間はすでにAIに劣っています。

この事実だけを切り取れば、AIは新たな「比較対象」となり、人間の劣等感を刺激する存在に見えるかもしれません。

しかし、ここでも問題は能力差そのものではなく、「比較の構造」にあります。AIは序列を気にせず、承認も欲しがらず、劣等感も優越感も持ちません。ただ与えられた条件のもとで応答する存在です。

人間がAIに対して劣等感を覚えるとすれば、それはAIとの比較によって、自らを序列の中に置こうとする発想から生じています。

むしろAIの登場は、人間に問いを突きつけています。
「あなたは、何を基準に自分の価値を測っているのか」と。

他者との比較、社会的評価、数値化された成果――そうした外部基準に依存してきた生き方は、AIの前では容易に崩れます。だからこそ、これからの時代に重要になるのは、AIに勝つことでも、AIを恐れることでもありません。比較から自由になり、自分なりの世界観や価値基準を持つことです。

劣等感とは克服すべき欠陥ではなく、自分が何者であり、どこへ向かおうとしているのかを静かに問い返してくる、内なる羅針盤なのかもしれません。

AIという鏡の前に立たされた今こそ、人間はようやく、比較ではなく思想によって生きることを求められているのだと思います。

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2026年1月18日日曜日

子どもに“自由”を教えられていますか? ――人生の自由度ランキングを読んで、親として考えたこと

人生の自由度ランキングと、日本人の「自由」

先日、あるビジネス誌に「人生の自由度ランキング」という記事が掲載されていました。世界価値観調査をもとに、「自分の人生をどの程度自由に動かせると思っているか」という問いへの回答を国別に比較したものです。結果は、日本が世界で下から3番目。レバノン、ギリシャに次ぐ低さだそうです。

https://diamond.jp/articles/-/380018

この数字を見て、「やはり日本は不自由な国なのだ」と絶望する人もいるかもしれません。一方で、記事の筆者は慎重です。この調査は社会制度としての自由度を測っているのではなく、日本人の人生態度、つまり慎重さや期待値の低さを反映しているにすぎない、と説明しています。人生が自由だと感じていなくても、日本人は比較的幸福であり、「不自由でもあまり嘆かない国民性」があるのだ、というわけです。

なるほど、統計の読み方としては誠実だと思います。ただ、私はこの記事を読みながら、どうしても引っかかるものが残りました。

私は、アメリカ企業で働き、アメリカで20年ほど家族とともに暮らしました。子どももアメリカで育てています。また、中国で働いた経験もあります。ですから、ここで述べることは、全くの想像や伝聞ではありません。もちろん、私の見解が正しいと主張するつもりもありませんが、少なくとも実体験に裏打ちされた感覚ではあります。

高校一年のとき、夏目漱石の『私の個人主義』を読みました。それが直接のきっかけだったかどうかは分かりませんが、私はその頃から「自由と責任」という言葉について、妙に考えるようになりました。もっとも、学校の勉強とは一線を画し、正直に言えば、授業をサボって喫茶店に行くための言い訳に使っていた面もあったと思います。学校をサボって大阪ミナミの喫茶店にいると、不安になる。その不安を打ち消すために、哲学的なことを考えている「つもり」になっていた、というのが実態でしょう。

それでも、漱石の言葉はいまも頭のどこかに残っています。漱石は講演の中で、次のように述べています。

「自己本位といふ事は、利己主義といふ意味ではない。
他人の自由を認めた上で、はじめて成立つものである。」


この一文は、私にとって長いあいだ、自由を考える際の基準のようなものになっています。

ビジネス誌の記事が扱っている「自由」は、「人生を自由に動かせると感じているか」という主観的な感覚です。しかし、私がアメリカで感じた自由は、それとは少し異なるものでした。自由とは、選択肢が多いこと以上に、「選んだ結果について自分で引き受けること」を求められるものだったからです。転職も、異動も、教育も、失敗も、基本的には自己責任です。自由である分、常に緊張があり、安心はありません。

一方、日本では、人生を「自由に動かせるとは思っていない」人が多いにもかかわらず、幸福度はそれなりに高い。これは美徳とも言えますが、別の見方をすれば、「自由を行使しなくても回ってしまう社会」にうまく適応してきた結果とも言えるのではないでしょうか。

自由を感じないことと、自由がないことは、本来は別の問題です。

健全な迷子と、不健全な迷子
――自由とは、正解を与えられない状態に耐え、考え続ける力でもある

しかし、自由を使わずに済む状態が長く続けば、やがて自由そのものを求めなくなります。漱石が警告したのは、自由を奪われることよりも、「自由を扱えなくなること」だったのではないか、私はそう思います。

人生の自由度ランキングは、日本社会を断罪するためのものではありません。ただ、「自由をどう感じるか」ではなく、「自由をどう使い、どこまで責任を引き受けてきたか」を、私たち一人ひとりが考え直すきっかけにはなるはずです。数字そのものよりも、その数字を前にして何を考えるのかが、いま問われているのだと思います。

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2026年1月15日木曜日

寛容さという、いちばん難しい技術

 
20年ほど前、ニューヨーク郊外タリータウンにて。
いま思えば、このときも、Yさんは変わらぬ距離感で隣に立っていました。


寛容さという、いちばん難しい技術
――Yさんの十回忌に寄せて

先輩であり、友人でもあったYさんが亡くなって、今年で十回忌を迎えます。同じ会社にいたのは1983年ごろからですから、付き合いは三十年以上になります。1990年ごろ、ドイツ駐在中だったYさんご一家が、ニューヨークの私の家に遊びに来てくれたこともありました。

振り返ってみると、いちばん強く思い出されるのは、Yさんとの散歩です。
私たちは何度も、お茶の水の聖橋で待ち合わせました。そこから湯島へ、谷中へ、時には上野まで、特に行き先を決めるでもなく、さまざまな話をしながら歩きました。仕事の話、技術の話、時事の話、ときには取り留めのない雑談。歩く速度も、会話の間も、いつも不思議と心地よかった。

途中で、Yさん行きつけの蕎麦屋に立ち寄り、ヘギ蕎麦を食べるのも楽しみの一つでした。向かい合って蕎麦をすすりながら交わす、とりとめのない会話が、なぜかとても心地よかったのです。

Yさんと最後に話したのは、亡くなる数日前の電話でした。

会話の内容は、ほとんど覚えていません。
ただ、そのときの自分の態度だけが、妙に鮮明に残っています。私は年下のくせに、Yさんに対していつもダメ出しをしていました。電話口でも、些細なことでつっかかる。すると空気は一気に重くなり、電話を切ったあと、決まって自己嫌悪に陥っていました。最後の電話も、結局そんな感じでした。

それでもYさんは、私の話を遮ることなく、最後まで聞いてくれました。
意見が違っても、声を荒らげることも、表情を変えることもない。ただ、受け止めてくれる。今思えば、あれは「我慢」ではなく、「寛容」だったのだと思います。なぜ、あのときもっとYさんの話に耳を傾けられなかったのか。聖橋から谷中まで、あれほど一緒に歩いた時間がありながら、その意味を十分に受け取れていなかった気がします。

Yさんは、ITのスペシャリストでした。
企業の現場で技術を磨き続け、晩年には農林水産省のCIO補佐官として、行政の中枢にも関わっていました。理屈に厳しく、技術や制度には妥協しない。その一方で、人に対しては驚くほど柔らかかった。その両立こそが、Yさんの本質だったように思います。

今はAIの時代です。

10年が経ち、生成AIが当たり前のように使われる時代になりました。
フィジカルAIやロボットの話題も現実味を帯びてきています。こうした変化を前に、寛容さとは何か、人間はAIとどう向き合うべきか――そうしたことを、Yさんともう一度、歩きながら議論してみたかったと思います。
けれども、それはもう叶いません。

AIは間違える、信用できない、といった声も多く聞かれます。しかし、異なる仕組みで考える存在を、私たちはどれほど理解しようとしているでしょうか。思えば私は、生きている人間であるYさんに対してさえ、理解する前に裁いていたのかもしれません。今になって思えば、ずいぶん傲慢でした。

社会は、異質な存在や新参者に対する一定の寛容さによって成り立ってきました。それは甘さではなく、責任であり、強さでもあります。排除ではなく、筋を通す。その姿勢を、Yさんは言葉ではなく、態度で示していました。

高齢者になって振り返ってみると、自分の最大の欠点は「寛容さが足りないこと」だったと痛感します。年を重ねるほど、それは簡単には身につかないものだと分かってきました。

けれども、聖橋から湯島へ、谷中へと一緒に歩いたあの時間と、Yさん、あなたの変わらない態度は、十年経った今も、私に問いを投げ続けています。寛容さという、いちばん古くて、いちばん難しい技術を、私はまだ学び続けているのだと思います。

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2026年1月14日水曜日

カレーライスの夜に――遠藤賢司の誕生日

 
細野晴臣(ベース)、鈴木茂(ギター)、松本隆(ドラム)
結成したばかりのはっぴいえんどのメンバーが演奏に参加している

遠藤賢司の代表曲の一つに「カレーライス」(1971年)という曲があります。この歌ほど、時代の空気や変化を表現した曲は、他にはありません。

1970年、三島由紀夫が自決しました。国家だの精神だの、やたらと重たい言葉が世の中を飛び交っていた頃です。ところが若者たちの現実はというと、狭いアパートでカレーを食べ、「肉はないけどジャガイモが入っている!」などウキウキしている。遠藤賢司の「カレーライス」は、そのどうしようもない落差を、真正面から歌った。

外では誰かが腹を切っているのに、こちらはカレーを食べている。冷たい話に聞こえるかもしれませんが、これは無関心ではありません。歌にしたのですから。大きな理想や物語が崩れ去ったあと、信じられるものが「自分の手の届く日常」しか残らなかった、というだけの話ではないでしょうか?

全共闘世代が挫折し、サルトルやカミュの言う「反抗」も、だんだんと居場所を失っていきました。若者は実存主義を語らなくなった。いわば「祭りの後の静けさ」。遠藤賢司は、その後始末を引き受ける世代だったのだと思います。燃え尽きたあとのバリケードの後を、じっと見つめていた人です。

当時、私は高校に入ったばかりでした。大阪の府立高校の校門にはバリケードがまだありました。しかし、空気が変わったのを肌で感じました。「カレーライス」の翌年には、吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットし、音楽は反抗よりも生活や恋を歌い始めます。政治の季節が終わり、生活の季節が始まったのです。

ただし、遠藤賢司はどちらにも乗りませんでした。彼は自分の音楽を「純音楽」と呼びました。流行にも政治にも寄らず、ただ自分の魂が震えた分だけ音にする。だからこそ、50年以上経った今も、「カレーライス」を聴く人が絶えないのでしょう。

1月13日は遠藤賢司さんの誕生日です。亡くなってから今年は10回忌。

夜中にカレーライスを作って食べました。玉ねぎを牛脂で炒めてガラムマサラと一緒のレトルトカレーに投入しました。大きな理想が崩れても、人は腹が減り、鍋をかき混ぜる。その静かな肯定を、エンケンは歌っていたのだと思います。決して虚無的ではない。虚無的だったら遠藤賢司は死ぬまで歌い続けなかったと思います。2026年の日本のほうが虚無的です。

今夜もどこかで、誰かがカレーを食べながら「カレーライス」を思い出しているはずです。エンケンはきっと空の上で、「ワッショイ!」(エンケン後期の歌)と笑いながら、その匂いを嗅いでいるのではないでしょうか。

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2026年1月4日日曜日

森林が語る文明の寿命 ――アメリカのベネズエラ攻撃と、子どもたちに残す未来

 
多くの日本人は森林にもベネズエラにも関心がない


森とともに生きるという選択

人類の文明は、森とともに始まりました。

木は燃やせば大きな熱を生み、加工しやすく、身近にあります。調理、暖房、住居、道具――文明の基礎の多くは森林に支えられてきました。人類が世界各地へ広がることができたのも、森という存在があったからです。一方で、文明の発展は常に森林の伐採と背中合わせでした。

国連食糧農業機関(FAO)によれば、過去35年で世界の森林は日本の国土の5倍以上失われています。特に南米、アフリカ、東南アジアの熱帯雨林の減少は深刻です。1万年前と比べれば、世界の森林はすでに3分の2にまで減ったという推計もあります。これは「最近の環境問題」ではありません。

人類は古代から、合理的な判断として木を切ってきました。燃料効率が良く、石より軽く、生活に不可欠な資源だったからです。文明の繁栄と森林破壊は、最初から表裏一体だったのです。

環境考古学という学問

気候や地理条件などの環境が、人間の文明にどのような影響を与えてきたかを探る分野です。ある教授は「森を切り開くと文明は衰退する」と語っていました。ローマ帝国は森林を失い、土地が荒廃し、多神教的な世界観から一神教へと移行する中で、多様性を失い、やがて衰亡したという指摘です。私はこの見方を、かなり信じています。この視点は、森林が単なる資源ではなく、文明の思想や世界観そのものを支えていることを示しています。

私自身、宗教というよりも、「森や木や石や水に命が宿る」と感じる日本的な感覚に惹かれてきました。自然の循環や繰り返しを尊ぶ心は、経済効率だけでは測れない価値を持っていると思います。こうした思いの背景には、森を生涯の仕事とした祖父の存在があります。

祖父は明治33年生まれで、奈良の営林署から南樺太へ赴任し、1920年代から戦前・戦後を通じて日本の森林事業に人生を捧げました。極寒の山野を歩き、林道を拓き、木を育て、森と共存する知恵を現場で体現した人でした。国立国会図書館のデジタルアーカイブには、祖父の名前が林野庁の職員記録として残っています。

もっとも、私にとっての祖父は、学歴や業績よりも、日常の姿が強く印象に残っています。声を荒げることなく、淡々と暮らしながら、山と森への情熱を静かに燃やし続けていたのだと想像します。祖父は、私が中学生の頃に亡くなりました。

「木育」という言葉

子どもたちが木製玩具などを通じて木や森に親しむ教育です。意義は大きいと思いますが、祖父のように実際に森を歩き、木と格闘しながら学んだ経験と比べると、どこか物足りなさも感じます。森の匂い、木肌の感触、木陰を抜ける風――現場に立って初めて育まれる畏敬の念があるのではないでしょうか。

皮肉なことに、その木育発祥の地である北海道では、再生可能エネルギーの名の下に森林伐採が進んでいます。風力発電やメガソーラーは脱炭素という大義を掲げていますが、森を切り開いて設置される事例も少なくありません。釧路湿原周辺で進む開発計画は、生態系や景観との衝突を引き起こしています。森を犠牲にして未来を守れるのか。その問いは重くのしかかります。

アメリカのベネズエラ攻撃との共通性

この構図は、ここ数日メディアが報道するベネズエラ情勢とも共通しています。

「麻薬対策」「移民問題」という説明が前面に出されながら、実際の統計や専門家の分析はそれと噛み合っていません。アメリカの主張を「主張」として距離を取り、構造や根拠を検証しようとするのか。それとも、その主張を前提として報道するのか。日本の報道は、もっともらしい理由が単語として羅列されるだけで、そこにジャーナリズム精神は感じられません。

森林問題も同じです。

環境保護や持続可能性という言葉はあふれていますが、私たちの文明が「成長し続けること」を前提としている限り、森は切られ続けます。文明は資源を使うことで発展しますが、資源を使い尽くす文明は長く続きません。これは思想ではなく、歴史が繰り返し示してきた事実です。

自然を征服するのではなく、人と自然が一体となること。それは環境考古学が示唆する文明の条件であり、祖父が生涯を通じて体現していた姿勢でもあります。森は文明の礎であり、私たちが未来へ引き継ぐべき原点です。

森が語っているのは、環境問題ではなく、文明の寿命そのものなのかもしれません。その声に耳を傾けるかどうかが、私たちの選択なのだと思います。

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2025年12月31日水曜日

子どもが巣立ったあと、なぜ心が落ち着かないのか ――40代・50代が感じる正体不明の焦りについて

人がいないダイニングテーブル
~ 不在は喪失ではなく静けさ ~

「このままで人生、終わっていいのか」

年末が近づくと、こうした言葉が胸に浮かぶ中年世代が増えているといいます。

子育てが一段落し、家庭内での役割が急に軽くなる。仕事は続いているものの、新鮮さも成長実感も乏しい。予定表は空白が目立ち、SNSを開けば、誰かの成功談や自己啓発の言葉が流れてくる。そんな中で、自分だけが取り残されているような感覚に襲われる――。これが、いわゆる「空の巣症候群」(empty nest syndrome)と呼ばれる状態です。

この症状は年末に強まります。周囲が帰省や忘年会、仕事納めで忙しそうにしている一方、自分には特に予定がない。その「静けさ」が、不安を増幅させるのだそうです。そして、MBTI診断のような性格分類に飛びつき、「自分は主人公タイプだ」と一瞬の高揚を得ながらも、現実との落差に虚しさを覚える。結果として、「何者かになりたい症候群」が静かに広がっていくそうです。

しかし私は、この「空の巣症候群」を、単なる喪失や不幸としてだけ捉えてしまうのは、少しもったいない気がしています。なぜなら、その不安の正体は「子どもが巣立ったこと」そのものではなく、それ以前から積み重なってきた問題だからです。

問題の本質は「空」ではなく「未完」

40代、50代になっても自己が確立されていない。自律できず、克己もできないまま、還暦を迎えてしまう人が少なくない――多くの人が感じているこの実感は、決して個人的な感想ではなく、社会全体の構造的な問題です。

多くの人は、人生の節目節目で訪れる試練から、無意識のうちに逃げてきました。逃げるというか、世間の波に流されてきた。受験では「正解」を選ぶことが重視され、仕事では「空気を読む」ことが評価される。失敗しないこと、波風を立てないことが最優先される中で、自分の意志で決断し、引き受け、耐え抜く経験が極端に少ないまま大人になっていきます。

その結果、「親」という役割に自分を預けることで、ようやく人生が安定する。子育ては確かに大変ですが、同時に「自分が何者かを考えなくて済む」時間でもあります。ところが、子どもが独立した瞬間、その仮面が外れる。そこで初めて突きつけられるのが、「自分は空っぽなのではないか」という感覚なのです。

つまり、空の巣症候群とは、巣が空になったことへの悲しみではなく、巣立ち以前から自己が育ってこなかったことへの遅すぎる気づきだと言えるでしょう。

なぜ自己啓発に走るのか

この不安に直面したとき、多くの人が自己啓発本やスピリチュアル、副業情報に惹かれていきます。それは怠惰だからでも、浅はかだからでもありません。「このまま終わりたくない」という切実な叫びがあるからです。

しかし、そこで提示される多くのメッセージは、「簡単に変われる」「今日から主人公になれる」といった、耳触りの良いものばかりです。本来、自己の確立や自律、克己とは、長い時間と痛みを伴う試練の積み重ねによってしか得られないものです。それを飛ばして結果だけを欲しがれば、失望するのは当然でしょう。

しかも、その姿を子どもは見ています。試練から逃げ、安易な答えを求める親の背中を見て育った子どもは、同じように育っていく。空の巣症候群は、個人の問題であると同時に、世代を超えて再生産される問題なのです。

空の巣症候群へのポジティブな反論

では、どうすればいいのでしょうか。

私は、「空の巣」を敗北や喪失として捉える必要はないと考えています。むしろそれは、人生で初めて与えられた「自分自身の課題に正面から向き合う時間」なのです。

大切なのは、「何者かになろう」としないことです。主人公になろうとするから苦しくなる。肩書きや成功を求めるから疲弊する。そうではなく、小さな責任を、自分の意志で引き受けることから始めればいいのです。

毎週決まった曜日に通う場所をつくる。頼まれごとをひとつ、途中で投げ出さずにやり遂げる。結果が評価されなくても、自分で決めたことを続ける。そうした些細な行為の中にこそ、自己は静かに立ち上がってきます。

試練とは、何か特別な挑戦ではありません。「逃げられる状況で、あえて逃げないこと」。「誰も見ていなくても、手を抜かないこと」。その積み重ねが、自律と克己を生みます。

空になった巣から、ようやく始まるもの

子どもが巣立ったあとに残る静けさは、確かに不安を呼びます。しかしその静けさは、人生の終わりを告げる鐘ではありません。むしろ、「これまで先送りしてきた自分自身と向き合え」という、最後の呼びかけなのかもしれません。

空の巣症候群とは、人生の失敗ではありません。試練を避け続けてきた人に、ようやく訪れた“本番”なのです。

このままで人生を終えていいのか。その問いを感じられること自体が、まだ終わっていない証拠です。答えは、自己啓発本の中にはありません。日常の中で、自分に課す小さな試練の中にこそあります

空になった巣から、ようやく人生が始まる。


良いお年をお迎えください!


2025年12月30日火曜日

「いい子」ほど危ない――日本の教育が生む見えない自己破壊

静かに座る「いい子」の背中に、私たちは何を背負わせてきたのだろうか。


2025.12.27 18:00
なぜ人は「上手くいき始めた瞬間」自らそれを壊すのか?
心理学者が教える4つの理由と対策

https://forbesjapan.com/articles/detail/87719


アメリカは育て、日本は壊す?
自尊心から見た日米教育の決定的な違い

Mark Travers の「自己破壊(self-sabotage)」記事の要約

Forbesに寄稿した心理学者マーク・トラヴァースは、人が自らの成功や成長を妨げてしまう「自己破壊(self-sabotage)」の心理構造を分析しています。

彼によれば、自己破壊の背景には不安定な self-esteem(自尊心)があります。失敗したときに「自分の価値そのものが否定される」と感じてしまう人ほど、無意識に挑戦を避けたり、直前で手を抜いたりする。失敗そのものよりも、「傷つくこと」から逃げるための防衛反応だ、というわけです。

ここで重要なのは、self-esteem が「行動を支える心理的エンジン」として位置づけられている点です。self-esteem が安定していれば、失敗は経験として受け止められますが、不安定であれば成功すら脅威になります。自己破壊とは、怠惰や弱さではなく、脆い自己価値を守ろうとする必死の行動なのです。

日本における「自己破壊」は見えにくい

一見すると、個人主義の強いアメリカの方が自己破壊は起きやすく、日本のような集団主義社会では起きにくいようにも思えます。しかし実際には、日本では「別の形」で自己破壊が起きています。

日本では、成功や挑戦が「和を乱す」「目立つ」「迷惑をかける」ものとして無意識に回避されがちです。その結果、チャンスを前にして黙って身を引く、問題を抱えても助けを求めない、あるいは心身を壊すまで我慢する、といった形で自己破壊が表出します。

これは個人の内面の問題というより、集団への過剰な同調圧力が生む構造的な自己破壊だと言えるでしょう。

自尊心はどう違うのか――USと日本

ここで日米の self-esteem 観の違いが浮かび上がります。アメリカにおける self-esteem は、「失敗しても自分の価値は揺るがない」という前提です。結果や他人の評価から距離を取るための心理的基盤として、教育の中核に置かれています。

一方、日本語の「自尊心」は、しばしばプライドや虚勢と混同され、「強すぎると鼻につくもの」「控えるべきもの」として扱われがちです。そのため、教育の中で正面から語られることがほとんどありません。

このズレが、日本では自尊心が育ちにくく、同時に自己否定や集団依存が温存される一因になっています。

謙虚さと自己肯定感は両立できる

日本では「謙虚さ」と「自己肯定感」は対立概念だと誤解されがちですが、本来は両立可能です。鍵となるのは、比較によらない自尊心、そしてセルフ・コンパッション(自分への思いやり)です。

謙虚さとは本来、自己卑下ではなく「他者から学ぶ姿勢」です。「自分は完璧ではないが、存在としての価値はある」と受け止められる人は、他者を尊重しつつ、自分の能力も正しく認識できます。これは傲慢さとは正反対の、成熟した自尊心です。

集団への配慮か、集団への依存か

日本社会の問題は、「配慮」という美名の下で、実際には集団への依存が強化されている点にあります。組織に属していなければ自分を定義できない。組織の存続が公共よりも優先される。これは官僚主義や大企業だけでなく、学校教育にも色濃く見られます。

自立した「個」が確立されていない社会では、「公共」もまた育ちません。結果として、責任は曖昧になり、組織全体が変化を恐れて自己破壊的な選択を繰り返す。これは個人の self-sabotage が、集団レベルに拡大した姿とも言えます。

教育の再定義が必要な理由

とりわけ学校教育は、社会から最も隔絶された業界の一つです。教師の多くが特定の世界しか知らず、その内側の論理で「教育」を完結させてしまう。そこに教育を丸投げすることには、明確な限界があります。

これからの教育に必要なのは、知識伝達ではなく、「自立した個」を育てることです。自尊心を、競争や比較ではなく、人格の基盤として再定義すること。学校を組織防衛の場から、社会とつながる公共空間へと開くこと。それなしに、日本社会が自己破壊の連鎖から抜け出すことは難しいでしょう。

自己破壊(Self-sabotage)は個人の弱さではありません。それを生み出す社会構造と、育てそこねた自尊心の問題なのです。

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2025年12月28日日曜日

若者は従順になったのではない ― 時代がそうさせた ―

 早朝の豆腐屋@三鷹通り

まだ街が目を覚ます前に、黙々と今日の仕事が始まっている。
変化は派手ではないが、確かに時代は、こういう場所から動いていく。

The American family isn't collapsing, it's adapting to reality | Opinion

This is the shift that unsettles older generations: a vision of the American dream untethered from property or possessions, rooted instead in lived experience and personal autonomy.

Andrew Sciallo
Opinion contributor
Dec. 23, 2025Updated Dec. 24, 2025, 8:09 a.m. ET

https://www.usatoday.com/story/opinion/voices/2025/12/23/no-contact-family-estrangement-holidays-economy/87884305007/

変わりゆく時代の中で、若者は何を引き受けているのか

――10年前の大晦日の日記と、アメリカの若者たち――

10年前の大晦日、私は日記にこう書きました。
「自分はまだ運転席で運転手をやっている」。

世間が年末の慌ただしさに包まれるなかでも、自分の人生のハンドルは自分で握っている。その実感だけは失っていない、という意味でした。いま振り返ると、なかなかに傲慢な爺様です。

あの日記をいま読み返すと、不思議な既視感があります。
当時私は、日本人の課題として「社会性」「コミュニケーション」「独善性(こだわり)」の三つを挙げていました。大人になっても他者との関係に不器用で、母国語でさえ意思疎通が十分にできず、自分の安心できるルールに固執してしまう――そうした傾向は、社会に出れば自然に矯正されるどころか、日本の閉鎖的な組織の中で、むしろ増幅されていくのではないか、という危惧でした。

そして日記の最後に、私はこう書いています。
「主体的に、能動的に行動する。自分の人生だから」。

あれから10年。
世界はコロナのパンデミックを経て、経済環境はさらに厳しさを増しました。日本社会はますます余裕を失い、個人にかかる負荷は静かに、しかし確実に重くなっています。そんな中で目にしたのが、USA TODAY に掲載されていた、アメリカの若者と家族をめぐるオピニオン記事でした。

この記事は、「アメリカの家族は崩壊しているのではない。現実に適応しているのだ」と語ります。若者たちは、結婚や持ち家、子どもを持つことを軽んじているのではありません。そもそも、それを選べる経済条件が失われているのだ、という指摘です。

住宅、医療、教育、老後まで含めた生涯コストは、500万ドルを超えるとも言われています。日本円にすれば、いまのレートで7億円以上。生活を成り立たせるだけで精一杯、という感覚は決して大げさではありません。

仕事は不安定で、生活は「働く、寝る、また働く」の繰り返し。
ニューヨークでは、仕事仲間と過ごす時間が人間関係の中心になり、「あなたは誰か」より先に「何をしているのか」が問われます。仕事がアイデンティティを規定しながら、その仕事に満足している人は少ない――そんな矛盾した現実が描かれていました。

その結果、アメリカの若者のあいだでは、「物を持つこと」よりも、「経験すること」「自分の時間と心を守ること」に価値を置く動きが広がっています。家族との距離をあえて取る選択、いわゆる no contact も、わがままではなく自己防衛として語られるようになりました。アメリカの家族観は、音を立てて形を変えつつあります。

この話は、決してアメリカだけのものではありません。
日本の若者もまた、同じ経済的圧力の中にいます。ただし、日本ではそれがあまり言葉になりません。

日本の若者は「従順」「大人しい」と言われがちです。しかしそれは、性格の問題というより、合理的な判断の結果ではないでしょうか。賃金は伸びず、失敗のリスクは大きく、異議を唱えても状況が変わらない社会において、「目立たず、波風を立てず、生き延びる」ことは、むしろ賢明な戦略です。

アメリカでは、旧来のアメリカンドリームが若者を見放した、という言葉が使われます。日本では、その同じ現実が「仕方がない」「そういうものだ」という空気の中で、静かに受け入れられていきます。表現の違いはあっても、起きていることはよく似ています。

10年前の日記で私が危惧した「主体性の欠如」は、個人の性格や世代の問題というより、時代の構造が生み出したものなのかもしれません。若者が従順に見えるのは、従わなければならない圧力が強すぎるからです。

それでも、あの日記の最後に書いた言葉は、いまも色褪せません。少なくとも私は、いまもそれを信じています。

「自分の人生だから、自分で考える」。

アメリカの若者たちは、混乱の中でそれを言葉にし始めています。日本の若者たちは、まだ多くを語らず、静かに適応しています。

人は、自分の知っている言葉の範囲内でしか考えられません。言葉の豊かさがなければ、他者とつながることもできません。

時代が厳しくなるほど、「誰かに運転を任せる人生」は成り立たなくなります。山椒魚のように、自分の岩屋に閉じこもり、思考を生成AIにゆだねる――それは、時代の状況に逆行した動きです。

若者には、従順になってほしくありません。同時に、無理に声を荒げる必要もありません。

自分はどこに立ち、何を引き受けるのか。自由と責任を考える、と言い換えてもいいでしょう。その問いを手放さないこと――それこそが、この時代における本当の自立なのだと思います。

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2025年12月25日木曜日

生活に浸透するAIと、その光と影

 

リチャード・ギア主演のミュージカル『シカゴ』(2002年)


生活に浸透するAIと、その光と影

――日本社会に潜む「目的と手段の逆転」という危険――

私が「AI(人工知能)」という言葉を初めて知ったのは、1988年、コンピュータ会社に勤めていた頃でした。隣の席にいた同僚のOさんが、AI製品の日本語化を担当していたのです。当時の私は、「図書館で使うような、少し高度な検索ツールなのだろう」くらいにしか考えていませんでした。

それから40年近くが経ち、AIは検索どころか、文章を書き、絵を描き、声を生成し、映像すら作る存在になりました。便利になった一方で、AIは今や「毒にも薬にもなる」存在になっています。しかも厄介なことに、フェイクを見抜くためにAIが使われ、同時にフェイクを作るためにもAIが使われる、「フェイクとフェイクの闘い」の時代に突入しています。

この変化に、ルール作りはまったく追いついていません。各国はAIの規制や標準化を巡って主導権争いを始めています。技術そのものではなく、「どの価値観で、どのルールを世界に押し付けるか」という戦いです。これは軍事や通商と同じく、国家戦略そのものです。 

AIは現代版「辣腕弁護士」になり得る

私はこの状況を考えるとき、ミュージカル映画『シカゴ』を思い出します。
辣腕弁護士ビリーが、記者会見でメディアを完全に操るあの場面です。

Understandable, understandable
Yes, it's perfectly understandable
Comprehensible, comprehensible
Not a bit reprehensible
It's so defensible!


論理は整い、感情にも訴え、疑う余地すら与えない。1920年代のシカゴでは、殺人を犯しても、金と腕のある弁護士がいれば、メディアも陪審員も味方につけ、無罪を勝ち取ることができました。

これを現代に置き換えてみてください。

言葉を操るのが人間の弁護士ではなく、AIだったらどうでしょう。原告も被告もAIが生成した証拠、AIが作った証言、AIが編集した映像や音声――。正義と虚偽の境界は、さらに曖昧になります。questionable(疑わしい)ものが、AIの力で defensible(正当)に見えてしまうのです。

だからこそ、今の世界で最も重要なのは「自己防衛」の意識です。情報を鵜呑みにしない、自分の頭で考えるという、ごく基本的な姿勢が、これまで以上に求められています。

日本特有の危険性――目的と手段の逆転

ここで、日本社会特有の危険性を指摘しておきたいと思います。それは「目的と手段の逆転」です。

AIはあくまで手段、ツールです。しかし日本では、いつの間にか「AIを使うこと」自体が目的化しがちです。
これは、仕事や教育でも繰り返されてきた問題です。

私は以前、「仕事が金銭を得るための手段と化したら人生はつまらなくなる」と書きましたが、教育も同じです。新渡戸稲造は1907年の講演『教育家の教育』で、教育を「飯を食うための手段」にしてしまった人間を厳しく批判しました。免状や肩書きがあっても、志がなければ教育家ではない、と。

AIも同じです。

「AIを導入すること」「AIを使っていること」が目的になった瞬間、そこに「志」や「観(価値観)」は消えます。何のために使うのか、誰のためなのかという問いが抜け落ちてしまうのです。 

Be Assertive――AI時代にこそ必要な姿勢

もう一つ、日本人にとって重要なのが「be assertive」という姿勢です。
アリストテレスは中庸(Golden Mean)の重要性を説きました。理性的であるとは、極端に走らないことです。

アメリカの小学校では、子どもたちに「Be Assertive!」と教えます。これは攻撃的になれという意味ではありません。人の話をよく聞き、自分の意見を持ち、それをきちんと表明しなさい、という意味です。

一方、日本人はリザーブド(控えめ)すぎる。相手に合わせ、空気を読み、自分の意見を言わない。その結果、何を考えているのか分からないと言われます。AIが生成した「もっともらしい意見」に流されやすい土壌が、ここにあります。

AI時代には、アグレッシブでもなく、リザーブドでもない、アサーティブな態度が不可欠です。AIの答えを参考にしつつ、「私はこう考える」と言えるかどうか。それが人間の役割です。 

日本のメディアは毒にはなるが、薬になっていない

残念ながら、日本のメディアはこの点で大きな問題を抱えています。

福澤諭吉は、文明とは「智徳と人間交際を高めること」だと言いました。智はインテリジェンス、つまり手段やツール。徳はモラルです。そして人間交際は、コミュニケーションであり、外交の基礎でもあります。

今の日本は、「どこへ行きたいのか(目的)」が曖昧なまま、手段やツールばかりを追い求めています。AIもその一つです。メディアは不安や対立を煽り、思考を深める材料を提供していません。毒にはなっても、薬になっていないのです。 

AIとどう向き合うべきか 

AIは間違いなく、私たちの生活に深く浸透していきます。避けることはできません。

だからこそ重要なのは、

・AIを目的化しないこと
・情報を鵜呑みにしないこと
・自分の意見を持ち、表明すること
・智と徳のバランスを意識すること

AIは強力な道具です。しかし、道具に使われるか、道具を使いこなすかは、人間次第です。

辣腕弁護士ビリーのように、言葉や論理で現実をねじ曲げる存在が、AIという形で現れた今、日本社会にはこれまで以上に「理性」と「志」が求められているのだと思います。

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2025年12月24日水曜日

人生というプロジェクトを、どう見通すか

 

人生というプロジェクトを、どう見通すか

――高齢化社会に必要な視点としてのプロジェクトマネジメント――

「プロジェクトが泥沼化する」という言葉を、私たちはよく耳にします。
気がつけば当初の目的が見えなくなり、責任の所在も曖昧になり、誰も全体像を説明できない。そんな状態です。そして私は、プロジェクト管理という行為そのものが、日本人には実はあまり向いていないのではないか、と感じることがあります。

私は30代半ばから後半にかけて、プロジェクトマネジャーという仕事をしていました。正直に言えば、面白くて仕方がなかった。当時は、今のようなパソコンのプロジェクト管理ツールなど存在しません。ガントチャートは物差しと鉛筆で引くものでした。線を引き、消し、引き直す。その一つひとつが、プロジェクトの思考そのものだったように思います。

ステータスミーティングでのファシリテーションも嫌いではありませんでした。年上の、しかもクライアント企業の幹部が並ぶ会議の司会を任される。今思えば、ずいぶん生意気な若造だったのでしょうが、当時の私はそれをエキサイティングな仕事だと感じ、嬉々として引き受けていました。若気の至りですね……。今思い起こすと赤面ものです。

しかし、その経験を振り返ると、プロジェクトマネジメントの本質は「管理」ではなく、「見通す力」だったと強く感じます。先を考え、全体を俯瞰し、最悪の事態を想定しながら、関係者を不安に陥れないように進めていく。その営みは、実は人生そのものと驚くほど似ています。

人間が不安になる最大の原因は、「情報不足」にあります。場合によっては、概念の欠落と言ってもいいでしょう。自分がよく知らないこと、これまで経験したことのないことに直面すると、人は誰でも不安になります。だからこそ、正しい概念を常日頃から収集しておくことが大切です。

最近では、老後の不安を口にする人が増えていますが、その多くは、年金制度や日本の医療の仕組みについてほとんど知識を持っていませんし、老後の大まかな生活プランも描いていません。何も知らず、情報も持たないから、漠然とした不安だけが膨らんでいくのです。

これは、プロジェクトでもまったく同じです。

最悪の事態を想定するためには、日々プロジェクト関係者ときめの細かいコミュニケーションを重ね、さまざまな情報をできる限り集め、起こり得る問題を洗い出し、その発生確率を冷静に検討する必要があります。

詳細までは分からなくても、「どの程度のインパクトなのか」が見えていれば、人は過度に緊張せず、落ち着いて対処できるのです。

人生も同様です。

自分の人生を一つのプロジェクトとして捉えるなら、私たちは皆、自分自身の人生のプロジェクトマネジャーです。そのためには、情熱とビジョン、つまり「志」が前提として必要になります。

“What is your life for?” と自分に問い続けることです。

ここで思い出すのが、論語の「君子不器(くんしふき)」という言葉です。
私はこの「器」を、英語で言えば function(機能)だと解釈しています。縦割りの機能、専門分野のことです。君子たるもの、一つの機能に閉じこもるな。プロセスとして、全体として考えよ――そう言っているように思えるのです。

プロジェクト管理とは、まさに幅広く考え、先を読み、統合し、横断的に判断する行為です。プロジェクトも、企業も、政府も、そして個人の人生も、本質的には同じ構造を持っています。

世の中の仕事を乱暴に二つに分けると、一つは、決められた枠の中で定められたルールに従い、数字を並べていく仕事。もう一つは、曖昧模糊とした状況に対して、自ら枠を設定していく仕事です。前者の代表例は会計士や税理士でしょう。後者の代表格が、資格もライセンスも存在しないコンサルタントです。コンサルタントも若い頃は専門分野に特化しますが、年齢を重ねるにつれて、複数の分野や人、組織をまとめる役割を求められるようになります。

スペシャリストからゼネラリストへ。

「君子不器」とは、そのシフトを促す言葉なのだと思います。欧米では、マネジメントとは「スペシャリストとしての経験を持つゼネラリスト」が担うものです。

そして、マネジメントに欠かせないのが「気配り」です。

気遣いは今の感情への反応であり、時に自分のためのものでもあります。一方で、気配りは未来に向けた行動であり、相手に不安を感じさせないためのものです。相手に気遣いさせないように、こちらが先回りして動く。それが本当の意味での気配りなのだと思います。

リーダーやプロジェクトマネジャーは、メンバーを不安に陥れない責任を負っています。それは組織運営の技術であり、ピープル・マネジメントそのものです。明るく振る舞うこと、会話の後に相手が少し元気になること。それも立派なマネジメントです。

高齢化が進む日本社会において、私たちは「人生をどう生き切るか」という問いに直面しています。もしかすると、今こそ必要なのは、人生を一つのプロジェクトとして捉え、主体的にマネジメントする視点なのかもしれません。
  • 抽象度を上げて全体を俯瞰すること。
  • 最悪に備え、情報を集め、概念を蓄積すること。
  • そして、君子不器の姿勢を忘れないこと。
プロジェクトマネジメントは、単なる仕事の技術ではありません。
それは、生き方の技術なのだと、今の私は思っています。

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2025年12月22日月曜日

前に出る大阪、凛として立つ神戸――高市早苗と北川景子から考える都市の在り方

 
ChatGPT作成のイラスト


大阪と神戸――高市早苗と北川景子

高市早苗さんと北川景子さん。このお二人を並べたとき、私は直感的に「大阪」と「神戸」という二つの街を思い浮かべます。高市さんは奈良のご出身ですが、その語り口や立ち居振る舞いには、どこか「大阪のおばちゃん」を思わせる直截さと図太さがあります。

一方、北川景子さんからは、はっきりと神戸、とりわけ阪急沿線から北の山手の空気を感じます。控えめで洗練され、前に出過ぎない。しかし、自分の輪郭は崩さない。その佇まいは、神戸という街が長年培ってきた美意識そのものです。

この二人を対比すると、大阪と神戸の違いが、非常に分かりやすく浮かび上がってきます。

前に出る大阪、距離を保つ神戸

大阪は基本的に「前に出る街」です。遠慮よりも実利、建前よりも本音。笑いとツッコミで一気に距離を詰め、場の主導権を握る力があります。時にはどぎつく、押しが強い。しかし、それは生き抜くために磨かれてきた社会的スキルでもあります。

大阪のおばちゃん、という言葉は揶揄として使われがちですが、実際には非常に高度な能力の塊です。相手の懐に踏み込みながら、同時に相手を見極める。損得に敏感で、理屈よりも現実を優先する。高市さんに感じるのは、まさにこの「腹で判断する大阪的合理性」です。

大阪は、よそ者を受け入れる街でもありますが、それは迎合ではありません。「入ってくるなら、こちらのルールでやれ」という強さがある。だからこそ異物も呑み込み、笑いに変え、時には排除する。その雑多さと生命力が、大阪の本質だと言えるでしょう。

一方の神戸は、同じ関西でありながら、どこか一線を引いています。神戸の人は、自分たちが関西であることを否定しませんが、「一緒にされたくない」という感覚も確かにあります。大阪、京都、奈良とは少し違う場所に立っている、そんな距離感です。

神戸は港町として、早くから外国文化と接してきました。しかし、過剰に迎合することなく、それを自分たちの生活圏の中で静かに選別してきた歴史があります。北川景子さんの佇まいに感じるのは、前に出て空気を支配するのではなく、一定の距離を保ちながら相手に「察させる」力です。主張は控えめでも、流されない。これは大阪的な強さとは別種の、静かな強度だと思います。

大阪の現状――失われつつある「日常の顔」

大阪ミナミの生まれの私は、九州福岡時代の10年を経て、10代後半を大阪ミナミで過ごしました。上本町六丁目の府立高校に通い、心斎橋や宗右衛門町が学区でした。千日前の寿司屋の娘や相生橋筋の喫茶店の息子が同級生にいる、そんな環境です。あの頃の心斎橋は、商売の街であり、生活の延長線上にある街でした。

しかし、今の心斎橋を歩く気にはなれません。外国人観光客ばかりで、街が「誰のものなのか」分からなくなっている。ドラッグストアと土産物屋が並び、かつての日常の顔は見えにくくなりました。正直に言えば、「もう手遅れかもしれない」と感じる部分もあります。

ただし、文化が完全に消えたわけではありません。大阪には今も「表」と「裏」があります。観光地として消費される場所と、地元民が日常を営む場所。その住み分けが、大阪文化をかろうじて支えています。この図太さもまた、大阪らしさの一部です。

大都市のたどる運命――NYと東京の経験から

私は海外生活が長く、特にニューヨークには約20年住みました。1980年代後半から2009年までのNYは、劇的に変わりました。WASPが実権を握っていた時代からユダヤ系へ、そして新たな移民層へと、街の構成も人種も大きく入れ替わった。資本主義の論理だけが強烈に働く、リベラルでコスモポリタンの都市です。

東京も、20〜30年遅れで同じ道をたどっているように見えます。均一化された街並み、世界共通のブランド、観光客を優先する都市設計。これは、世界中の大都市がたどる運命なのかもしれません。

それでも、大阪と神戸に期待する理由

だからこそ私は、大阪や神戸には文化を失ってほしくないと思っています。「外国勢力を跳ね返してほしい」と言うと、過激に聞こえるかもしれません。しかし、これは排外主義ではありません。「取捨選択」の話です。

大阪には、非効率な人情と厚かましさがあります。安さや便利さよりも、「馴染み」や「面白さ」を優先する感覚は、グローバル資本が最も苦手とするものです。神戸には、選別眼と自立した美学があります。流行に流されず、「自分に合うもの」を見極める力は、均質化への抵抗になります。

大阪的なたくましさと、神戸的な自律。そして日本の原点である奈良や京都、これらが共存している関西は、本来、異物に対して非常に強いはずです。何でもかんでも「グローバル」「多様性」と言って飲み込むのではなく、笑い飛ばし、値踏みし、時には突き返す。その力こそが、関西の文化的免疫力です。

高市早苗という大阪的な強さと、北川景子という神戸的な凛とした佇まい。この対照は、単なる個人差ではありません。関西という土地が持つ多層性そのものです。

世界中の大都市が似た運命をたどる中で、大阪と神戸には、最後まで「自分たちの街」を自分たちの手で守り抜く存在であってほしいと、強く願っています。

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2025年12月20日土曜日

被害から始まる平等、責任から始まる平等

 

“Men Are People, Women Are People”: Fukuzawa Yukichi’s Unfinished Revolution

James (Jim) H.
Associate Director of Georgia Tech Center for International Business Education and Research
December 18, 2025
論文の要約

本稿は福沢諭吉を、単なる先進的思想家や時代遅れの人物としてではなく、近代化の過程で日本社会が抱えた道徳的矛盾を直視した思想家として再評価しています。福沢諭吉が問題にしたのは法制度上の不平等ではなく、家庭内や日常生活において男性だけが道徳的規律を免除されてきた構造でした。

彼は「男も人間、女も人間」と明言し、平等とは同一化ではなく、道徳的責任を男女に等しく課すことだと考えました。『日本男子論』では、日本の男女問題の根源は女性の地位ではなく男性の私的行動にあると断じ、一夫多妻や妾制度を男性の特権として批判した。福沢諭吉にとって平等とは女性を引き上げることではなく、男性が自らの特権を引き受け直すことを意味していました。

福沢諭吉再考 ~ 私の感想

福沢諭吉のこの考え方は、実は現代の日本社会にもそのまま当てはまるのではないかと思いました(Unfinished Revolution)。日本では法律や制度の上では男女平等がかなり進みましたが、家庭や職場の日常に目を向けると、「空気」や「暗黙の役割分担」の中に、形を変えた不平等が残っているように感じます。

たとえば、育児や介護、職場での気配りや感情面のフォローといった、いわゆる「見えにくい労働」は、今でも女性に多く委ねられがちです。一方で男性は、「手伝う側」「サポートする側」にとどまっている場面も少なくないのではないでしょうか。福沢が鋭く指摘したのは、こうした不平等が法律や理念の問題というよりも、日々の振る舞いや生活習慣の中で繰り返し作られている、という点でした。

彼にとって平等とは、スローガンを掲げることではありませんでした。私生活の中で自分を律し、責任を引き受けること――とくに男性が、自分に与えられてきた無自覚な特権と向き合うことが不可欠だと考えていたのです。現代の日本が本当に問われているのも、女性を「支援する」姿勢そのものではなく、男性が自らの立ち位置を見直す覚悟なのではないか、そんなことを考えさせられました。

ここからは少し言いにくい点ですが、男性の私だからこそ、あえて書いておきたいことがあります。女性の側もまた、知らず知らずのうちに「被害者である立場」に安住してしまっている部分はないでしょうか。福沢諭吉が示したような、「責任をどう引き受けるか」という男女平等の視点は、日本のフェミニズムの議論の中で、十分に参照されてきたのか疑問に感じます。

とくに、日本でフェミニズムを牽引してきた知識人――たとえば上野千鶴子氏のような存在が、福沢の議論、つまり「不平等の根源を女性の被害ではなく、男性の道徳的な甘さや私的行動に見た視点」を、どこまで真剣に受け止めてきたのかは、検証されるべき問いだと思います。

日本のフェミニズムの議論には、被害者意識を出発点とする構造が強く見られるように感じます。それは抑圧を可視化するという点では大きな意味がありますが、その枠組みが固定化してしまうと、「男性=加害者、女性=被害者」という単純な対立から思考が始まり、そこで終わってしまう危うさもはらんでいます。

福沢諭吉が最も警戒していたのは、まさにそうした「道徳的な免罪符」が再生産されることでした。彼の平等論は、被害の正当性を競う思想ではありません。むしろ男性に対して、自分の特権を自覚し、日常生活の中で自制と責任を引き受けるよう、厳しく求めるものでした。しかもそれは、今から150年も前の明治時代に提示された考え方です。

福沢にとって平等とは、声高に権利を主張することではなく、行為と責任が一致しているかどうか、つまり「知っていることを実際に行う」こと――知行合一によってしか成立しないものでした。もし日本のフェミニズムが、制度批判や言葉の闘争に重心を置くあまり、日常の行動規範や私的領域での倫理の改革に十分踏み込めなかったのだとすれば、それは結果として、日本独自に変質したフェミニズムを生んでしまった可能性もあるのではないでしょうか。

福沢諭吉の思想は、女性を救済する物語ではありません。男性に重い責任を背負わせる思想です。その厳しさゆえに、現代のフェミニズム論は彼の問いを正面から引き受けてこなかったのかもしれません。しかし、日本のフェミニズムが次の段階へ進むためには、「被害から始まる思考(被害者意識)」ではなく、「責任から始まる思考」へと転換する必要があるように思います。

その問いを、福沢諭吉はすでに150年前に、私たちに突きつけていたのです。

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2025年12月14日日曜日

2番ドローに追いつけないまま


ブルースは完成せえへん。
せやから五十年、

2番ドローの途中に
居場所があった。

ブルースハープ(10穴のハーモニカ)っちゅうモンはな、まず 2番ドロー(吸音) をモノにせんことには始まらんのや。

ベンドっちゅう技は、音をグッと下げて、あのブルージーな“泣き”を出すための、いわば 魂の呼吸 や。せやけどな、そいつを自由に操ったら天下取れる。

なんでや言うたら、リトル・ウォルターちゅう男、あいつはもう 2番ベンドの化けモン やったからや。10穴しかないハープでもやな、ひとつの穴で3つの音、それに無限のニュアンスや。

デジタルちゃうで。全部、口と腹ん中と心ん中で作る“生(なま)の音”や。これがアナログのええところなんや。

ほんでな、『Juke』や。

ウォルターはんの全米No.1のあの曲や。あれの3コーラス目聴いてみい。2番ベンドを“散歩するみたいに”ヒョコヒョコと行ったり来たりしよるんや。通常吸い→半音落とし→全音落とし、この3つを、シャッフルに乗せて気持ちよ〜く揺らすんや。

あんなん、並の人間ができる芸やあらへんで。ワイはな、50年やってもまだでけへんのよ。

🎵 🎵 🎵 🎵 🎵

2番ドロー・ベンドのカラクリ

2番ドローは普通吸うたらCのハープで「ソ」っちゅう音が出るんやけどな、ベンド入れたら 最大全音下げて「ファ」まで潜れる んや。その間の「ファ#」? もちろん出せる。出せんとブルースにならんわ。あれはな、口ん中の空間いじって、ふたつのリードを同時に共鳴させるワザや。高いほうのリードだけやなく、低いほうのリードも鳴らして、無理やり音程を沈める。ほんで初めて、あの“泣き声”が出よるんや。

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2025年12月12日金曜日

哲学のない世界で上手に迷子になるために

 
薬師寺(亡き父の撮影)

哲学のない世界で上手に迷子になるために

――考えること・悩むこと・無知を自覚することのすすめ――

私たちはよく「哲学」と聞くと、ギリシャの白い石柱の下でひげを触りながら思索にふける老人の姿を思い浮かべます。しかし、私が哲学と言っているのは、そんな高尚なものではありません。哲学とは、実はもっと泥臭くて、もっと生活感のある営みです。考えること、悩むこと、そしてなにより――自分は無知であると自覚し続けること。これだけで、もう立派な哲学者なのです。

なぜそんなことが大事なのか?それは逆を考えればすぐにわかります。愚か者というのは哲学ができない人のことだからです。

哲学ができない人、つまり考えない人、悩まない人、無知を自覚しない人。他者の言葉をそのまま飲み込み、自分の足で立たず、他人の判断に乗っかって生きていく人。

こういう人が権力の座につくと、世界はだいたい不幸になります。歴史を見れば枚挙にいとまがありません。私が敬愛する水戸の黄門様も言っていました。

「こんな大変な時だからリーダーの足をひっぱるな」という人がいますが、いやいや、そもそも足を引っ張られるようなリーダーを選んだのは誰なんでしょうか。哲学をしなかった国民が、哲学をしない政治家を生み出したのだとしたら、それは悲劇ではなく必然です。

日本人は「無駄と余裕」が嫌いである

私は昔から日本人は「無駄」や「余裕」が大嫌いだと感じています。しかも困ったことに、それが文化レベルで染み込んでいる。会社で意味のない結論のでない会議を午後5時から延々とやるような無駄をやる割には「無駄は敵だ!」とばかりに余裕を叩き潰す。

完璧主義はさらに拍車をかける悪癖です。アメリカや中国なんて欠点だらけですよ。問題だらけの中から、“まあいいか”と前に進んでしまう。強引さもある。しかし日本は違う。

 問題が100%解決しない限り前に進まない。
 しかも誰かが少しでも余裕を見せたら、袋叩きです。

それでは新しい発想や魅力が生まれるはずがありません。私はずっと「無駄とか余裕から魅力が生まれる」と言い続けていますが、日本ではなかなか受け入れられません。そりゃあ長年日本を離れていたくもなるというものです。

ところで政治の世界で「仕分け」という言葉が持てはやされた時期がありますが、私は最初、「簿記の話?」と本気で思いました。政治の世界でまでコストカットとは、もはや笑うしかありません。アカウンティングとファイナンスのバランスが悪すぎる。 

人間とは矛盾そのもの

ソクラテスのギリシャ哲学からヘーゲル、マルクス、毛沢東まで、多くの思想家たちが「矛盾」を語ってきました。なぜ人間はこんなにも矛盾だらけなのでしょう。

 私は思うのです。
 人間は生まれてから死ぬまで、矛盾との戦いだからだ。

生きるということそのものが、自分の中にある無数の葛藤を引き受ける作業です。だから人間の作る政治や外交なんて、矛盾や葛藤の塊で当然なのです。「遺憾だ!」と列島の中だけで叫んでみたところで、矛盾は一ミリも減りません。

矛盾を解決する力こそ哲学であり、考える力なのです。

失敗を記憶するという智慧

リーダーに求められるものは、世界的な視野、歴史と文学への素養、そして責任感。この三つが揃わないと国はまともに運営できません。凡人が運命に逆らって国家権力を握ると、だいたい独裁になります。これは歴史が証明しています。

スペインの哲学者オルテガは言います。
 「人間の真の宝とは、積み重ねられた失敗である

人類は何千年という時間をかけて、失敗という名の宝石をため込んできました。そこから学ばないなら、もはや人間とは呼べません。

ニーチェもこう言いました。
 「超人とは、“もっとも記憶力の良い”人間である
 失敗を覚え、そこから学び、自分を更新し続ける者こそ強い。

日本では、歴史の失敗と向き合うことを避ける人が多い気がします。宗教の原理主義や独裁政治のせいではなく、単に無関心(虚無)と勉強不足でしょう。

「なんとなく信じてしまう」人々が大量生産される社会では、哲学は育ちません。問い続けることです。

日本の近代化の「精神的不徹底」

世界史の歩みは、ルネサンス、宗教改革、フランス革命を経て近代国家へと至ります。その中核は三つの精神です。
  • Humanism(人間主義)
  • Rationalism(合理主義)
  • Personalism(人格主義)
特に重要なのはこのPersonalismです。自分を自律的な主体として捉える態度。これが欠けている社会は、どんなに文明が進んでいても「近代」とは呼べません。

明治の文豪たち――漱石や鴎外――が明治政府の「上滑りの文明化」を批判したのは、この精神的近代化の遅れを感じていたからでしょう。鹿鳴館のドレスと燕尾服の下には、まだ「自律した個人」が育っていなかったのです。

150年経った今も、日本社会全体が自律した人格を確信できているかと言えば、どうにも怪しい。働き方改革の議論にしても、歴史の文脈を共有しないまま「効率」「生産性」と叫んでいるだけに見えます。

自律とは、迷路の中を歩く覚悟である

ニーチェは、「一人で迷路を歩く勇気こそ意志の力だ」と言いました。見える範囲だけでなく、遠くを見渡す目。新しい音楽を聴き分ける耳。そして、孤独に耐える力。これが哲学であり、自律の証です。

サルトルもまた、「実存が本質に先行する」と述べました。人間は、生まれた瞬間には何者でもありません。経験し、学び、出会い、失敗し、悩む。その積み重ねによって、自分の本質を形づくっていくのです。

つまり、自分の人生を自分の決断で生きるしかないということです。誰かの言葉を借りて生きているうちは、いつまでも「他者の人生」を生き続けるだけです。

いま、世界は「哲学のない世界」に突入している

SNSのタイムラインは瞬間的な反応の洪水で、人々は“考える前にクリックする”生活に慣れ切ってしまったようです。悩む時間を「非効率」と呼び、無知を自覚することを「恥」と思う世の中。生成AIは、さらにそういった状況を加速させる。

そんな社会で、哲学はますます軽視されます。考えない国民が増え、考えない政治家が選ばれ、そして考えない世界ができあがる。

私は今の世界が、まさにその段階に入ってしまったのではないかと思っています。

だからこそ、哲学なのです

哲学とは、別に難しい言葉や学術書を読むことではありません。

 考えること。
 悩むこと。
 無知を自覚すること。

それだけで、人は愚か者にならずに済みます。

日本のように「無駄と余裕を嫌う社会」でも、個人レベルで哲学することはできます。むしろ、哲学とは個人の営み以外の何ものでもありません。社会がどうであれ、自分が考え続けるかどうかは自分で決められるのです。

人類の歴史は、失敗の積み重ねでできています。 ならば私たちも、悩み、失敗し、考え続け、生きるしかありません。

迷路の中を進む一人の旅人として。
そして、自分の人生に責任を持つために。

以上が、極めて凡人である、私の考える「哲学」なのです。

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2025年12月4日木曜日

ジョン・レノンへの想い ~ 12月8日を迎えて


12月8日がやって来ます。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(日本時間)。

毎年この日を迎えるたびに、私は自然とジョンのこと、そしてビートルズのことを深く思い返してしまいます。季節の空気とともに胸によみがえるのは、ジョンの「イマジン」であり、ポールの「レット・イット・ビー」です。表現のスタイルも、宗教観も、人生の歩みも異なる二人でしたが、彼らが向かおうとした「心の平和」という方向性には、やはり共通するものがあったのだろうと感じます。

とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。

『Get Back』でなければならなかった理由

ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。

その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。

日本文化がジョンにもたらした視座

ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。

ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。

もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。

二元論を超える視点 ― ジョンが見つめた「一体化」

「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。

近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。

ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。

「共同主観」をつくれるか ― 日本社会への課題

ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。

とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。

ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。

ポストコロナの世界 ― 忘却ではなく、教訓へ

新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。

欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。

真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。

だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。

ジョンが遺した「想像力」という武器

ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。

ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。

12月8日を迎えるたび、私は思います。

もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。

ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。

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2025年12月2日火曜日

承認なんていらん、老後は自分のもんや!

 
old man playing sax

「老後のハウツー本」が売れる国で、ほんまに必要なんはハウツーか?