2013年4月29日月曜日

選択の自由

自分で選択する自由があって、悩みながら選択する。 厳しい選択することによって強くなるし、自分の人生を方向づけて行くのだと思います。 周りの人は、その人の選択をみてリーダーシップを感じることだってあります。 自分で選択しない人生であれば、プログラムされたロボットや、調教された動物のような一生を送るだけだと思いませんか?

だから、子供や若い人たちにオプションを提示することは重要だと思うのです。 特に、学校教育が率先して選択の自由を奪っちゃいけない。


被写体とその場の状況を考えて、一瞬にして絞りとシャッタースピードを選択する。 魂を入れないと写真は撮れないと今更ながら思うのです。 父の遺品のライカ M3。
   
***

2013年4月24日水曜日

人の価値を関西で考えると

司馬さんは対談集がいい(1975年第十一刷)

「人の価値って死ぬまでわからん」て言わはるけど、本人は死ぬわけやから、結局、オノレでオノレの価値は分かりまへん。 そやろ?

国でも会社でも「人の価値」が問われとるようやね。 コモディティ化した世界では、「人そのものの価値が大事や」ちゅうことでっしゃろけど、死ぬまで分からんならどうすればええん? わいもよーしらんけど、悩みながらひたすら今日を生きるしかないんやろね。

日本って国は、明治維新から今にいたるまで日本なんや。 要するになあ、内弁慶な幼児性は変わりまへん。 せるふえすちーむ(自尊心)ちゅーもんが乏しいだけに、異質なもんや他人への羨望は激しいねたみを伴うんが特徴や。 福沢諭吉はんが『学問のすすめ』で言わはった「怨望」や。 つまりやで、劣等意識の表れちゅうことや。 わかりまっか?

どうしようもおまへん。 「働きかた」や「生き方」なんて、そう簡単に変わるもんちゃう。 せやけどアンタ、国や企業の生き残りを考えた場合、「人」はどう生きて、どうやって価値を上げていくかを真剣に考えるべきやと思うんや。 いつまでも便乗しとったらあきまへん。 はようオストリッチ・ポリシーから脱却せなアカン。 オストリッチ・ポリシー? ダチョウはな、危険が迫ると頭を砂に隠してじっとしとるやろ? 現実逃避の自己欺瞞ちゅうことや。

追)文章は司馬さんとは関係ありません。 司馬さんに聞いてみたかったことでした。

***

2013年4月22日月曜日

上達しない理由

10年以上使っているピック

私のギターが上手くならない理由を分析してみましょう。

端的に言いますと、目標設定とトラッキング(振り返り)ができていないこと、ギター奏法の全体をよく理解していないことです。 もちろん、練習しない、弾きこまないということも原因の一つですが、PDCA、つまり、Plan(計画・目標設定)、Do(実行)、Check(検証)Action(改善行動)のサイクルが回っていない事です。   

私は、ただ何となくギターを弾きます。 弾かない時は、何週間もギターに触らない。 これまで、何年も弾かないことだってありました。 リズムだって無茶苦茶です(メトロノームなんて使わない)。 ジャンルだって、好きなジャンルのギターのほんの一部分を知っているだけです。 目的なんてありませんから、具体的な練習目標を短期的に立てるなんてできません。

私のギターが上手くならない状況って、多くの日本企業にも共通する課題だとは思いませんか?
  
***

2013年4月20日土曜日

奴隷型のリーダー

実家の本棚に大昔に読んだ本がありました

「日露戦争後の日本の不幸は、学校制度がリーダー養成向きにならず、学歴主義が幅をきかせすぎ、このサーバント適合型の人々がリーダーを占めたところにある。その器ではない人間が、青年将校などの甘えとつけ上がりを導きも抑えも出来ず、日本は崩壊に導かれていったのである。今日も姿は変われ本質的に同じことが行われている」 会田雄次 『日本人材論 - 指導者の条件』 (昭和51年)。

会田さんの指摘は、今の日本の大企業でも当てはまる場合が多いと思います。 40年近くたった今の日本でもですよ! 

戦後の高度成長期は、サーバント適合型の人々、つまり、言われたことを従順に、問題を起こすことなく実行する管理職たちで、企業を成長させることができました。 しかし、低成長で先が見えない世界情勢の中では、こういったタイプのリーダーたち(会田さんの表現を借りると全員が係長タイプ)ではサバイブは難しいでしょう。 なぜならば、状況が変化する中で、彼らの多くは、臨機応変に考える創造力も、高い志もないからです。    

更によくない事は、会田さんの時代から40年もの間、教育も政治も劣化し続けていることです。 「HOW TO」だけに価値を見出す青年将校たちは、今の大企業のいたるところに巣くっています。 彼らは蛸壺の中で歳を重ねます。 そして、DNAは受け継がれる。 リーダーの器でない彼らのつけ上がりを、抑え付けることができないところなど、日本の大企業は、今でも会田さんがいた日本帝国陸軍そのものじゃないですか。

***

2013年4月18日木曜日

忠誠の宣誓 (The Pledge of Allegiance)

今から20年程前、家族でワシントンDCへ遊びに行った時のことです。 ワシントン・モニュメントの前で、息子が突然立ち止まりました。 胸に手をあて、星条旗に向かい、何か言いはじめたのです。 「なんだ、なんだ、一体どうしたんだ?」。 それは、「The Pledge of Allegiance (忠誠の宣誓)」でした。   

I pledge allegiance to the flag of the United State of America and to the Republic for which it stands, one nation under God, indivisible with liberty and justice for all. 「私はアメリカ合衆国の国旗に忠誠を誓い、国に対し忠誠を誓う、神のもと一つの国であり、すべての人にとって自由と正義を与え、分かつことの出来ないものである」。

アメリカ人は、子供の時、神の名の下にアメリカという祖国に忠誠を誓います。 小学校の時から何かイベントがあるたびに、この「The Pledge of Allegiance (忠誠の宣誓)」を宣誓するのです。 子供たちは、自分の国アメリカが素晴らしい国であると思いはじめ、国歌「スター・スパングルド・バナー」を斉唱します。そして、アメリカは自由で豊かで美しいと、「America the Beautiful」 を歌います。 

日本人の場合、「忠誠」の対象は何でしょうか?        

日本という国家? 信じる宗教? 家族や友達? それとも、自分が働く会社ですか? 日本人は、「I pledge allegiance to 」の 「to」 の先(対象)が希薄ですね。 「国家、または、天皇陛下だ」と言いにくいのであれば、少なくとも、自分の決断や心(情緒)に対して忠誠を誓うべきではないでしょうか? 「to」 の先が、「わか~んなぁ~い」なんて言わないでくださいね。       

さて、愛犬チャーリーの「忠誠」の対象は? (@ 東名浜名湖SA)

***

2013年4月16日火曜日

陽はまた昇る

今朝、若草山から昇る朝日(奈良)

自分の心の中にあるものに忠誠を誓う。それは、自分の生きるポリシーに忠実であり、政治的にも経済的にも何が起こっても「ぶれない」ということでしょう。 周りが大いに苦労させられることがあるかも知れませんが、そういった生き方って、日本人が最も苦手とするところだと思います。         

***

2013年4月7日日曜日

生き甲斐といふ事


福田恆存評論集の第八巻は「教育の普及は浮薄の普及なり」です。

19の評論が収録されているのですが、「生き甲斐といふ事」、「續・生き甲斐といふ事」は、本当に鋭い評論だと思います。 

「生き甲斐とは生ける標であり、生ける証であり、また、生の充実感である。それが今日何處にも無いばかりか、それを探し求める手掛りすら何處にも見付からぬといふ事に、人々は漸く気付きはじめた様である」と問題提起し、

「人々は、それを制度で解決できると単純に思いこんでいる」と展開し、「何よりも必要な事は、人から何と言はれようと、もっと自分を大事にする事だ、自分の本當の聲に耳を傾けることだ。空虚感とか疎外感とか、現在の病状を手っ取り早く説明する言葉が氾濫し過ぎる、そういふものに足を掬われぬ様にしなければならぬ」(昭和46年)。

福田恆存評論集は、5年前に麗澤大学出版会から復刻されています。 

***

2013年4月6日土曜日

甘えの構造


チャーリー、もっともっと甘えろ!

「甘えるんじゃない!」って英語で表現するのは難しいですね。 以前にも書きましたが、coddleが一番近いと思います。 アメリカ共和党の人たちは、「オバマさんは国民をcoddleしている」と批判しています。 そういえば、「日本社会は甘えの構造だ」という意見が流行った時代もありました。

私はチャーリーの自立を考えている訳ではありません。 チャーリーは野生に帰るわけではありませんので、自立しなくても生きていける。 だから、どんどんcoddleしてもかまわないのですcoddleすることが、飼い主の自己満足ですから。 でも、これは子育てに当てはめてはダメですよ。 チャーリーはあくまで愛玩動物の子犬ですから。

***

2013年4月4日木曜日

パエリア

パエリアだって、家で食べると安全で美味い!

今、最も大事なことは、自分が食べているものが何であるかとか、日々の行動を一つ一つ点検することです。 何気なく見過ごしていても、騙されていることだってあるのです。 それほど、日本も安全じゃなくなったということでしょう。 

知識人や文化人といった人たちがテレビでコメントをする。 彼らはタレントなのですから、専門家ではない。 自分の生存のためなら何でも言うでしょう。 通常、ネガティブなことを言っていれば、専門家らしくも聞こえます。 要するに、利己的な人たちです。 危ない、危ない。 

***