2011年3月31日木曜日

ニューズウィークの表紙

Apocalypse Now : Tsunamis. Earthquakes. Nuclear Meltdowns. Revolutions. Economies on the Brink. What the #@%! Is Next?

ニューズウィーク誌の表紙です。刺激的ですね。 津波、地震、原発メルトダウン、革命、崖っぷちの経済、次は#@%! (一体全体なんだ!)だそうです。

『Apocalypse Now』 と言うのは、1979年に公開されたフランシス・コッポラ監督のアメリカ映画『地獄の黙示録』の原題です。ベトナム戦争の暴力や狂気を描いた作品ですが、「Apocalypse」とは「この世の終わり」という意味です。 日本に対して同情的だった欧米のメディアが今週は辛辣になってきました。

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2011年3月30日水曜日

卒業は始まり ~ コメンスメント


卒業式は「Commencement」と言います。日本では「Graduation」と教わりますね。commence は「新たに始める」って意味です。いいですねぇ。新しい旅立ちの卒業式にぴったりです。


早く Because the past is just a good bye って言いたいですね。


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2011年3月29日火曜日

復興には自分の「物差し」が必要

1979年3月にスリーマイル島の原発事故が起こりました。 事故直後から全米で反核運動が活発になりました。あっちこっちで「No Nukes」というプラカードを持ってデモ集会が起こったのです。 同じ年の夏に「No Nukes コンサート」 が開催されました。 CSN&Yのグラハム・ナッシュらが音頭をとったものです。

以下は、グラハム・ナッシュ作の 『Teach Your Children』 です。 映画『小さな恋のメロディ』(1971年) で使われたので、みなさんもご存じでしょう。 おそらく反戦歌なのでしょうが、今の日本人に対して非常に示唆に富むメッセージ・ソングです。

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

生きるということは、自分の「code」、つまり、自分の「物差し(yardstick)」をもたなければダメだと言っています。「物差し」は、自分自身の未来への羅針盤みたいなものです。自分の物差しにしたがって生きるということです。

日本が未来に向かって復興する上で一番重要なことは、一人ひとりが自分の「物差し」をもって、為政者に対して無知蒙昧や事なかれ主義であってはならないということだと思います。

日本人の謙虚さは、外国人にとって卑屈な態度や行動だと思える場合があります。そういった日本人の謙虚さは、他人を救ったり難局を打破することではないと思われるのです。

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2011年3月28日月曜日

新宿でセネカを語る


写真は、昨日の日曜日、お昼頃の新宿南口です。

「私も私なりに一生懸命やっています。国民のみなさんも一生懸命がんばってください」。 先週の国のリーダーからのメッセージ(要約)ですが、この記者会見を聞いて啞然としたのは、さすがに私だけではないでしょう。

こういった状況でも「心の平静」を保つ日本人。日本人は気づいていないかも知れませんが、欧米メディアは、ストイックと同義でジャポニック(Japonic)を論じあうほど驚いています。

昨日は先輩で友人のYさんとランチをしたのですが、Yさんはストア派哲学者であるセネカの話をしていました。教養人ですねぇ。

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2011年3月27日日曜日

奴隷解放が必要な日本

被災者たちは前を向いて何とか乗り越えようとしています。「限りなき悲哀」としか言いようがありません。世界も見つめています。一部に悪意を感じる報道もありますが、多くは日本に対して同情的なものです。

しかし、一体全体、日本の政府はどうなっているのでしょう?

自分達の無策無能を隠すことばかりやっているように思えます。東京電力の発言は大企業の化けの皮が剥がれたように聞こえます。

私は無責任な批判をしているのではありません。国民は一人ひとりが蒙昧であってはいけないのです。国民に自立する精神が稀薄であれば、魯迅が『阿Q正伝』で批判した20世紀初期の封建中国と一緒じゃないですか。「革命!革命!」と叫んでいたら何かいい事が起こるんじゃないかと、革命の意味も分からずに行進していたら、阿Qは最後には処刑されてしまいました。

この国にリーダーがいるなんて幻想を抱いてはいけません。使命感や情熱がないと、今回のような未曾有の大災害からは立ち直れません。

では、なぜ今の日本には優れた政治家やリーダーがいないのでしょう?

それは、日本が長い間、独立国家として機能していなかったからです。独立国家ではなく、「国ごっこ」だったので、政治家の責任も「ごっこ」レベルでよかった。ペーパームーンの世界(Make-believe)です。

結局、現政権は政権交代をスローガンとして政権を取っただけ。国民にとって最大不幸なのは、こういった政権の時に、地震・津波・原発という3つが外圧として同時にやってきたことです。スキルの欠如に加えて、哲学や覚悟も必要なのに、やっていることは責任の転嫁だけじゃないですか。

被災しなかった多くの国民にできることは、事なかれ主義に陥らず、自分の運命は自分でよく考えることだと思います。 阿Qのような奴隷根性こそ、日本から一掃すべきではないか? 奴隷解放を次のスローガンとしますか?

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2011年3月26日土曜日

黙って見守るか、それとも、、、、

スマイルズの『自助論』(Self-Help)は、明治維新直後に中村正直の翻訳により『西国立志編』として日本に紹介されました。 星新一のお父様である星一は、この本を読んで世界にジャンプしようと決意しました(星新一『明治・父・アメリカ』)。

『西国立志編』から

一国の価値は、つまるところ、それを構成している個人の価値にほかならない(ジョン・スチュワート・ミル)

「天は自ら助くるものを助く」という格言のなかには、限りない人間の体験の結果がおさまっている。自助の精神こそ、個人の発達の根本であり、その結果が国家の活力の源泉となるのである。外部からの助けは、人を弱くさせる。 政治は国民の個性の反映である。
人びとの水準が高まらない限り、国はよくならない。政府や指導者にたよってはならない。自立する精神が最も大切である

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「外部からの助けは、人を弱くする」のはもっともです。しかし、福島第一原発に関しては、外部からの助けを入れた方がいいと思います。海外のエキスパートから原子炉のライフサイクルマネジメントの支援を受けることは重要です。そして、彼らを危機管理チームの中に取り込んで問題解決の当事者にし、世界の原発コミュニティとコミュニケーションを確立することは更に重要なことだと思います。

私は、政治家でもないし、原発の専門家でもないし、被災者でもない。 安易にコメントすることは傲慢ですか?

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2011年3月25日金曜日

「黄色い雨」 騒動















雨に混じって沈殿したスギ花粉でした。

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2011年3月24日木曜日

想像力が豊かであること

昨日の京都駅

危機的状況をマネージするには(crisis management)、ユーモアのセンスがあるスケールの大きい人物が不可欠です。アナウンサーのような官房長官の説明を聞いていると、危機管理マニュアルにそって忠実に発言していることがわかります。「仮定の質問には答えられません」なんて最たるものですね。しかし、このマニュアル通りというのがくせ者なのです。これも日本の偏差値教育の集大成でしょうか?

危機的状況の対応は、「想像力が豊かであること」が大事です。なぜならば、危機的状況って、殆どの場合が想定外だからです。マニュアルの記述は、想定されていることに対する説明です。マニュアルは、製品や制度を設計した人の知識や過去の経験から想定して作成するのですから、常に作成者の想定範囲内にしか通用しないのです。つまり、想定外の事象には対応できないのです。想像力が豊かであるということは、文学的な才能が必要です。そして、哲学的な素養も不可欠だと思います。

全閣僚が集まった朝の閣僚会議の模様がニュースで流れていました。一人ひとりの大臣、副大臣の顔ぶれを思い浮かべて下さい。誰が平成の後藤新平になるでしょうか?

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2011年3月22日火曜日

平成の後藤新平は誰か?

星新一『明治の人物誌』で紹介している10人の中に後藤新平がいます。

某放送局では悪者扱いされたようですが、後藤新平は立派な人です。医者としてキャリアをスタートし、日清戦争後の台湾総督府長官、満鉄の初代総裁、国政では逓信大臣、内務大臣、外務大臣を担当し、その後、第七代の東京市長になります。新渡戸稲造をアメリカから呼び戻して台湾に連れて行き、星新一の父親である星一を台湾や大陸の活動に登用しました。

そして、忘れてならないのは、関東大震災の震災復興計画の立案者であり復興プロジェクトのリーダーだったことです。先の大戦でアメリカに焼け野原にされちゃいましたが、今の東京のフレームワークを設計したのは後藤新平なのです(関東大震災の死者・行方不明者は14万2800人)。

何が凄いか? 以下は後藤新平の名言です。

金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。

後藤新平のことは是非とも学校で教えてほしいですね。そうだ! 星新一の『明治の人物誌』を中学校の歴史の教科書にすればいいんだ。日本の近代化がよく分かります。

政府は、20日、東日本巨大地震の被災地復興などに取り組む「復興庁」を創設する方向で検討に入ったそうですが、平成の後藤新平は一体誰になるのでしょうか?

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2011年3月21日月曜日

新幹線の中から

映画『渚にて』

新幹線の中で映画『渚にて』(On The Beach)をみました。1959年のアメリカ映画です。久しぶりです。

1964年、第三次世界大戦が勃発。 核爆弾による戦闘で地球上は放射能に汚染されてしまい、北半球は壊滅状態となります。放射能で死滅したはずの町からモールス信号を受信。調査のため、グレゴリー・ペック演ずるタワーズ艦長の原子力潜水艦が探索に向かいます。風に揺れるコーラの瓶が、休むことなくモールス信号を送信するシーンは、子ども心にも大変ショックだったことを覚えています。

映画のラストは、、、「今ならまだ間に合う」。

新幹線の中から富士山を撮影

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2011年3月20日日曜日

リーダーの欠陥

「日本のリーダーの欠陥が危機感を深める」 (Dearth of Candor From Japan’s Leadership)

17日のニューヨーク・タイムズの記事です。 日本の首相が臨機応変な対応ができず、官僚機構との円滑な協力関係も構築できないため、国家的な危機的状況に陥っている、と指摘しています(NY Timesはいつも日本に批判的ですが、、、)。


ほぼ1年前、去年の3月24日のブログに載せたスライドです。 リーダーの条件として一番大切なのは、この信頼関係の構築です。 信頼関係の構築は、暗闇のなかでの「空中ブランコ(Trapeze)」のようなものです。 「信頼するとは、相手のスキル(技量)とコミットメント(確約)を確認すること」です。 スキルとコミットメントの片方が欠けていては、信頼関係は成り立ちません。 つまり、空中ブランコのパートナーにスキルがあっても、受け取ってくれるコミットメントを確認するまで飛べません。また、受け取る意思はあっても、受け取るスキルがないと危なくて飛べないのです。

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2011年3月16日水曜日

生きていることの悩み

生きることは悩みの連続、心の修行は難しい、、、。

『方丈記』の中に以下の一節があります。

「権勢家というものは、あくまで物をほしがる心が強く、孤独で保護者もない者は、周囲の人々から軽んぜられる。財産があると、それを失うかも知れない恐れが多く、貧しいとなると、財産ある人を憎いと思う気持がはなはだしい。他人に依存すれば、わが身は他人の所有物となる。他人を大切に庇護すれば、わが心はそのために生ずる恩や愛情に使役される。世間に順応すれば自分の存在が苦痛になる。その反対に、順応しなければ、気ちがいじみたことをしているようだ。 どんな場所をわがものとし、どのような行動をしたなら、しばらくでも、この一身を住まわせ、ちょっとの間でも、心を安定させることができるのか 」。

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2011年3月15日火曜日

ブラジリアン・シンドローム?

炉心溶解がアメリカで発生すると、影響が地球の反対側の中国にまで及ぶので、原発事故の炉心溶解をチャイナ・シンドロームと言います。 日本の場合、反対側はブラジル。ブラジリアン・シンドロームですか? ブラジリアン、、、と言えば、ギターや高級家具の材料であるブラジリアン・ローズウッド(ハカランダ)だけにして欲しいですね。

1979年、ペンシルバニア州スリーマイル島で原発事故が起こった時、私はマサチューセッツ州ボストンにいました。 約400マイル(640キロ)の距離ですが、大騒ぎになっていました。

さて、今回の大災害。

アメリカにいる友人や息子からfacebookやe-mailで、「生きてるか~?」の問い合わせがいっぱい来ています。 日本人じゃないと、東北と東京の位置関係なんて分からないですからね。特に、「Fukushima」が東京からどれほど離れているかなんて知りません。 世界は日本の危機的情況をマネージする能力に注目しています。

日本人は冷静で有能です。 特に、東北の人には日本人の原点を見る気がします。 しかし、政府が無策無能だと取り返しがつかなくなります。 人災で天災を増幅するのだけは避けて欲しいものです。

息子からアメリカの地震報道に関して聞いたことを紹介します。
  1. アメリカの報道は基本的にポジティブ:
    - most prepared country (耐震設計の建築、レスキュー隊員のレベルの高さ等)。
    - 日本でなければ、この程度の被災状況では収まらなかった。 http://www.nytimes.com/2011/03/12/world/asia/12codes.html
  2. 原発のことに関しては、少々Sensationalになってる。「チェルノブイリに匹敵する」的な報道もある。アメリカでも原子力に関してのディベートが白熱してきている(原発反対派の逆襲)。
  3. TwitterやFacebookには希に、「これはPearl HarborをやったJapに対するカルマだ」のようなコメントが見られる。でも基本的にはPray4Japanってタグで、お見舞いの言葉を書いている。
    http://blogs.villagevoice.com/runninscared/2011/03/facebook_imbeci.php
    http://prayforjapan.jp/tweet.html
  4. マンハッタンでも日本人のグループが募金活動をしてる。

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2011年3月14日月曜日

夕べ、帰国しました

夕べ、上海から帰ってきました。6時間近く飛行機が遅れました。私の搭乗した日本の航空会社は慇懃無礼でしたね。 1995年の阪神大震災後、「がんばれ、ニッポン!」という思いから、この航空会社を使っているんですがね。 慇懃(丁寧)だけど「礼」が無い今の日本の政治家と同じです。ある意味、今の日本を象徴するかのようです(そういえば、「ある意味、、、」って総理の口癖ですね)。

今回のような未曾有の大災害は、恐怖や疲労、そして不安に呵まれて軽信的な精神状態を作り出すと思います。自己を正当化する権力者の独善性も強くなると思います。

注意して自己防衛につとめましょう。

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2011年3月10日木曜日

コミュニケーション力を養うには?

中国語、英語、絵
(上海 華山病院のトイレ)

コミュニケーション能力を養うってどういうことでしょうか? 英語の早期教育? それとも、2つ目の外国語として中国語を勉強しますか?

私のおすすめは、漫画(ポンチ絵)です。簡単な漫画を画くスキルがあれば、どこの国の人とでもコミュニケーションできますビジュアル化するスキルは本質を見抜く力です。これほど強力なスキルはありません。本質をつく絵が画ければ、あとは相手の画像理解能力によってコミュニケーションは広がって行きます。

10年ほど前、ハーレムの高校で一日ボランティア教師をやったことがあります。ティーン・エイジャーとのコミュニケーションなんて、何語でやったって難しいものです。私を救ったのは、鉄腕アトムやエイトマンや鉄人28号の漫画です。漫画をホワイトボードに画くことによってアイスブレイク(ice-break)できました。後はいつもの通り。無理矢理ブルースやロックの話に持ち込んで、楽しく一日を過ごしました。

最近、気の利いた諷刺画を見なくなりました。 ジャーナリズムの世界も、コミュニケーション能力の低下ってことですかね?

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2011年3月8日火曜日

人生でもっとも効果的なことは?


フェルナンデス DIGI-ZO ULT。 ゾーさんギターのハイエンド。10年近く前に購入したものです。米国DigiTech社製のエフェクター内蔵で、15Wスピーカーやリズムマシーンまで付いています。優れものギターです。

The best part of the art of living is to know how to grow old gracefully.

人生でもっとも効果的なことは、優雅に年をとる方法を知ることだ。
~ エリック・ホッファー

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2011年3月6日日曜日

日本人比較幸福論

明治時代にアメリカに渡った 星 一 (星新一のお父様)のことが書かれています

私は30年以上「日本人比較幸福論」を唱えています(大袈裟ですねぇ、単に勝手に考えているだけです)。

日本では「他人と比較して自分がどうだから、、、」と言ったことが「幸せ」のベースになっています。幸福感は自主的で絶対的なものではないのが日本人社会の特徴だと思うのです。まわりと比較して、自分は「まだいい」とか「まだましだ」とかいって幸せになる。これが私が言うところの「日本人比較幸福論」です。

ビジネス上でもよく似たことが起こります。

名刺交換した時から双方の間に優劣ができます。会社の大きい方が小さい方に対し強気にでるのが常です。会社の名前だけでなく、名刺に書いてある職位も重要です。会社によって職位の呼称などはそれぞれ異なっているのに、、、であります。買う側は、売る側に対し通常は強い態度に出ます。価格交渉に入ってもこの関係は崩れません。売り手は「思い通りの値で売ることができた」、買い手は「思い通りの値で安く買えた」と言う、つまり、双方が「自分が勝った」と思う「WIN-WIN PROPOSITION」でビジネスが成立することはごく稀なのです。

尤も、社会に出る前の学生の人気投票で会社の番付ができ、「一流企業」というイメージができるのがニッポンの現状です。こういった情況は早晩変わらざるを得ないのだろうと思っていました。しかし、残念ながら20、30年たった今でもあまり変わっていません。

中国人はどうでしょうか?

中国人は他人と比較して幸福感を得るのではなく、自分の所有するモノを比較して幸せを感じる人たちです。極めて主観的です。不動産を買うとします(中国で土地は買えませんが)。一旦不動産を買うと、より良い条件の物件に買い換えることを考え出します。自分の所有するモノの価値が少しでも上がれば限りない幸福を感じるのです。不動産が異常に高騰した上海の物件価格で、北海道で条件のいい広大な土地が買えるのであれば、北海道の土地を購入します。勿論、優しく安全な日本で老後を暮らそうという考えもあるようですが。「サザエの殻」なんて考えていない、つまり、国境を越えたダイナミズムは、日本人とは比較になりません。そして、見逃せないのは、比較する物差しは自分独自のものを持っていて自己決定するということです。

日本で自分の物差しを持った場合、小中学生であれば協調性がないと言われ、会社だと生意気なやつだと上司に嫌われませんか?

誤解を与えるといけないので、最後に、、、。 私は自分自身の物差しを持っているつもりですが、サザエの殻は大事だと思っています。殻があって世界の中でうまくやっていけるダイナミズムが正しいと思います。殻がないと世界は崩壊しますからね。

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2011年3月3日木曜日

歴史の学習は明治から始めよう


マンハッタン島の東側がイーストリバー、車で北上する場合はFDRドライブを走ります。FDRドライブのFDRとは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領のことです(セオドア・ルーズベルトではありません)。この人種偏見の権化のようなルーズベルト大統領、われわれ日本人にとって印象はよろしくないのですが、アメリカの義務教育を受けると、ニューディール政策をはじめ、リーダーシップのお手本という良いイメージが刷り込まれます。

星新一が『明治の人物誌』(1978年初版)で伊藤博文を取り上げています。その中に以下の記述があります。

アメリカの小学校の歴史の授業では、とても全部は教えきれないので、古いほうを容赦なく切り捨て、最近ではフランクリン・D・ルーズベルトあたりに重点を置いて教えているという。そこへゆくと日本では、国民性のためか、そもそものはじまりから教えなければ、気がすまない。大化改新だの大宝律令などは、少なくとも名前だけはだれの頭にも残っている。しかし、しだいに暗記しきれなくなり、うんざりしかかった時に明治維新となる。それに、大陸への進出から終戦に至るあいだのことは、反省すべきことがらで、思い出したくないというムードがある。そのため、伊藤博文なる人物については、紙幣で毎日のように顔を見ていながら、きわめて印象の薄い人物となっている。

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明治の偉人を一人あげろと言われれば、迷わず伊藤博文です。この人の生涯を振り返れば、日本がどうやって今の日本になったか、日中、日露、日朝、日米などの外交は勿論のこと、政党政治、日本における憲法の難しさ等々様々なことが明らかになります。また、日本の過去から現在をありのままに見るだけでなく、将来を考える上でも大変参考になるものです。

「平成の開国」を連呼する人たちには、伊藤博文の生涯を振り返ってからにしてもらいたい。いくら今が閉塞感にさいなまれていると言ったって、どうなるか分からないものに対して熱狂するのは、何もわからない大衆を騙すメソドロジー(方法論)に他ならないのだと思います。

私は、星新一と言えば、『ショートショート』しか知らなかったのですが、老師の一人である I さんが読んでいるの見て、図書館で借りてきました。今は、新潮文庫になっています。お薦めの一冊です。

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2011年3月2日水曜日

子育てにとって大敵は?

三鷹駅に到着する総武線各駅停車

知っていること、知らないことよりも、ずーっと問題なことは何でしょうか?
それは、「知ろうとしないこと」です。

Far more crucial than what we know or do not know is what we do not want to know. ~ Eric Hoffer

色んなことを知ろうとすることで、人生はいくらでも楽しめます。
今の日本は楽しめることが満載です。崖っぷちですからね、、、。

事勿れ主義(safety-first principle)はダメです。特に、子育てにおいて大敵ですよ。 なぜならば、子どもも事勿れ主義に育ってしまうからです。

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2011年3月1日火曜日

ビールのあて


マクファーレン著の『日本 1852』には、以下の記述があります。

この国を訪れる誰もが農業や園芸のレベルの高さを賞賛している。
もし農業を文明の尺度とすれば、日本は少なくとも東洋ではナンバーワンだろう。

日本の野菜は、1852年の江戸時代に東洋一だったかも知れませんが、今や世界でナンバーワンではないかと思いますね。日本のキュウリじゃないと、「ちくわきゅうり」にはなりませんから。

これはマヨネーズで食べるのではなく、つーんとくるワサビ醤油でお願いします。

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