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2019年7月29日月曜日

百日紅の景色


これそげに夏の花なる百日紅  正岡子規

百日紅は夏の炎天が似合う花です。やっと青空になりました。お日様が出て来たのでさっそく今年の百日紅の景色をカメラで切り取ってみました。

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2019年6月9日日曜日

半分化粧


半夏生(はんげしょう)です。

葉っぱが白く化粧していくので「半化粧」とも書きます。風流ですね。オシャレですね。

半夏生は陰暦の上での「雑節」の一つ。今年は7月2日のようです。まだ梅雨が明けない時期なので、この頃の雨を「半夏雨」(はんげあめ)と呼んできました。半夏生は、田植えなどの農作業を終える日の目安としてちょうどよい時期にあったのです。

田植えの農作業が終ってほっと一息、しばし休息をして七夕様を迎えます。昨今のこじつけた10連休と違って風情がありますね。国民の祝日は文化ですから意味がある。




















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2019年6月8日土曜日

梅の雨


今年も梅雨がやって来ました。ジトジトと不快だしチャーリーの散歩にも困るので大嫌いなのですが、唯一、「梅の実が梅雨によって熟すのだ」と考えれば梅の雨も趣があり風流なものです。

『仰臥漫録』は病床に釘づけにされた子規の日記です。日本人が理解できる普遍的なテーマが満載です。

自分は一つの梅干しを二度にも三度にも食ふ
それでもまだ捨てるのが惜しい
梅干しの核(たね)は幾度吸はうっってもなほ酸味を帯びてゐる
それをはきだめに捨ててしまふというのが如何にも惜しくてたまらぬ


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2018年3月19日月曜日

摘みて帰らぬ


奈良の秋篠川沿いを歩いていると土筆を見つけました。

近くの幹線道路の排気ガスのせいか、記憶にある土筆とは少し様子が違うような、、、。摘んで煮て食う気にはなれないので摘みて帰らぬでした。 


つくづくし 摘みて帰りぬ 煮てや食はん 
ひしほと酢とに ひでてや食はん  ~正岡子規 『病牀六尺』 

(「つくづくし」は土筆のこと。「ヒシホ」とはひしほ醤油)。

土筆に関する子規の俳句です。

「家を出でゝ土筆摘むのも何年目」
「女ばかり土筆摘み居る野は浅し」
「病床を三里離れて土筆取」

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2017年12月22日金曜日

冬至

玄関の水仙

仏壇に水仙活けし冬至哉    正岡子規

昔の日本の家には「仏壇」がありました。熱心な宗教の信者でなくても、一日のうちに亡くなった人や「死」を考える機会があったのです。ところが、仏壇のある家は少なくなりました。今の日本は、多くの人が人間は死なないというVR(仮想現実)の世界に生きているかのようです。

キリスト教やイスラム教徒のように、一日の中でお祈りをする機会のない日本では、「死」を考える瞬間がないのです。せめて、冬至には水仙でも活け、素直に手を合わすことがあってもいいのではないかと思います。

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2017年8月16日水曜日

今年も8月15日に考えた

今日も朝から雨、、、、

日本は海外資産が潤沢にあるから将来的にも利子で食べていけるいう経済学者がいますね。でもそれは大きな間違いだと思います。資産は簡単に負債に転ずるのです。

「カネ」や「モノ」に対してだけではなく、人は、自分の地位や仕事や権利をいったん保有すると、なかなかそこから離れたり、手放したりできません。自分の仕事やこれまで習得したスキルについても同じことが言えます。新しいことに変えるのは、今の状態を失うという恐れが伴う。この損失を回避したいがために現在の状態にこだわってしまう。人が変われない理由の一つです。

日本国憲法の議論も同じです。戦後の復興(一般的には“高度成長期”と言われますが、、、)を含む72年の僥倖を失うのが恐ろしいから、改革らしい改革もできないのが現状だと思います。要するに、72年もの間、自己欺瞞を続けているのです。

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2017年7月3日月曜日

イネの成長


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。若い時は謙虚でなくてもいいのですよ。自己主張していっぱいいっぱい痛い目にあって下さい。

      後方は奈良の若草山

2017年4月19日水曜日

日本の人口減少を考える

ベランダの三つ葉

日本の人口減少に関する思慮の浅い記事が目立ちます。下は昨日のブルームバーグに掲載された editorial board のJapan Needs More People」という記事です。


人口減少が必ずしも不幸な時代とは言えないでしょう。 それは、次のステップへの充電期間とも言えるからです。智慧を出して次の社会を創造する期間と考え、あらゆる分野で長期的に問題解決に取り組めばいいと思います。単純に移民で埋め合わせればいいというものではないのです。EUの現状が端的に証明しているじゃないですか?

全ての年代の人に役割と責任のある社会を考えることは重要です。未来の展望がないから若い人は閉塞感があり、高齢者の多くは自己中心的になる。今は鬱屈した気分だけの若者もすぐに中年になり高齢者の仲間入りをして自分勝手になる。

人口減少というのは、未来に対する VISION をつくるには丁度いいタイミングだと言えるのです。それができなかったら、どんどん人口が減少して日本は世界の中で消滅するでしょう。

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2017年4月11日火曜日

気遣いと気配り

9日(日曜)の井の頭公園

週末に ibg の花見で井の頭公園に行ってきました。人がいっぱいで相手を気遣う気配りなんて出来ないのか、何度も人にぶつかりました。 「それは、あんたが年寄りだからだろ!」 と言われれば、「その通り」と言うしかないか! 

以下は、花見の後の会食での会話です。


Aさん: 気配りって未来に対してだと思う。微分するみたいに。気遣いって今のことじゃない? 気配りって主に他者にたいしてする。気遣いって、自分のためのほうが多いんじゃないかなぁ、、。
Bさん: そうですね。相手との距離を置くための気遣いって、ありますよね。
Aさん: 相手に気遣いさせないように、こちらが気配りする。
Bさん: それが最大の気遣いとも言えるかもしれません。これまで私はそのように考えていました。
Aさん: 自分勝手な思い込みとか独善性が先行すると気配りなんてできない。自分で勝手に気遣いして他者のためにならない。周りをよく観察する、相手がしてほしいことをする、イニシアチブを発揮する、、、、これらがないと気配りはできない。
Bさん: そうですね。
Aさん: 気配りは行動しないといけない。自分で悩んで考えるけど、何もしなかったら気配りしていることにはならない。気遣いして気遣いして自分で悩んで悩んで他者に何も伝わらないことは多い。日本の多くのサラリーマンたちは、気配りなんてする必要がない状況で長年仕事をしてきている。胃が痛くなるほど気遣いはするかも知れないけど、、、。でも、気配りは少ない。組織が大きいから顧客第一主義じゃない。自分自身にも気を配るって自己認識力でもある。他者との接点が少ないから自分が分からない。
Bさん: 客観的に自分を観るということですからね。
Aさん: そうだね。相手に不安を感じさせないというのも気配りだと思う。特に上司やリーダーは部下やメンバーを不安に陥れない気配りをしないといけない。組織運営やプロジェクト管理のスキルでもある。それから、気配りしても相手からの見返りを期待してはいけない。相手が何も気づかなくても平気でないとね。
Bさん: おもてなし、ウラがない精神ですね。
Aさん: そうだね。もし、組織の誰かがハッピーでなくストレスを感じているとすれば、その人に自分自身に対してや他者に対する気配りが足りないからだよ。それは、別の言葉でいうと、視野、視点、視座に問題がある。プロの3要素でいえば、ピープル・マネジメントに問題がある(プロの3要素:専門性、自己管理能力、ピープル・マネジメント)。
Bさん: 周囲がプロばかりだと、余計に自分に対する気配りをしないといけませんね。どんどん周りが見えなくなってくるので、、、。
Aさん: 明るく振る舞うことだって気配りだよ。
Bさん: そうですね。会話のあと、相手が元気になるようにしないといけないですね。
Aさん: そうだね。内容は仕事だけとは限らない。
Bさん: 精根尽き果てさせる(エネルギーを奪う)のは、良くないです。
Aさん: 会話が暗くなることはよくない。
Bさん: 人が集まって来ないですし・・・。
Aさん: 自分から他者をシャットダウンすることになるからね。


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2017年4月7日金曜日

時間に関する感覚

奈良 秋篠川

毎年この季節に桜が咲くのは循環的変化です。在原業平の時代から今に至るまで同じです。来年のこの季節にはまた咲くでしょう。一方、人は不可逆的変化です。人生は一回。青春期も壮年期も中年期も老年期も一回きり。二回目はないのです。

最近、日本人は時間に対して非常に鈍感になったように感じるのですが、どうでしょうか? もっと、一日一日を楽しく過ごせばいいのに。

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし (在原業平)

世の中に桜と云うものがなかったなら、春になっても、咲くのを待ちどおしがったり、散るのを惜しんだりすることもなく、のんびりした気持ちでいられるだろうに。

これには以下の反歌があります。

散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき

桜は惜しまれて散るからこそ素晴らしいのだ。世に永遠なるものは何もない。

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2017年4月3日月曜日

棘のあるサクラ

薬師寺の桜はまだまだ、、、(4月2日)

パッと咲いてパッと散るだけでなくて、みんな一緒に咲いてみんな一緒に散るところも日本人に似ていますね。

ただ、最近ではその本質も随分と変化してきているのが気になります。真紅でトゲのある桜ができたりして!?

新渡戸稲造 『武士道』 より

私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままいつでもその生命を捨てる覚悟がある」(which it is ever ready to depart life at the call of nature)。

その色はけっして派手さを誇らず、その淡い匂いは人を飽きさせない」(whose colors are never gorgeous, and whose light fragrance are volatile, ethereal as the breathing of life)。

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2016年9月26日月曜日

大阪弁

奈良 秋篠川のコスモス

国際政治学者の高坂正堯、会田雄次、司馬遼太郎、生きている人であれば佐伯啓思さんとか、みんな分かりやすい、平易な言葉で難しい言いにくいことを説明します。 そして、みんな関西弁なのです。

政治や国際問題を語るには大阪弁がいい。 私は大阪南の生まれの関西人ですが、大阪弁を話さなくなって30年以上たちます。 そろそろ関西弁に戻すのもいいかなと思い始めています。

坂口安吾が大阪の作家 織田作之助の死に際して書いた『大阪の反逆』(1947年)の一文です。

「理論は理論でちやんと言つてゐるのだから、その合ひの手に時々読者を笑はせたところで、それによつて理論自体が軽薄になるべきものではないのだから、ちよつと一行加筆して読者をよろこばせることができるなら、加筆して悪からう筈はない」。

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2016年9月17日土曜日

実るほど

奈良 西ノ京

稲穂が少しこうべを垂れ始めています。
いつも稲の様子が気になるわけではないのですが、、、。

彼岸花は彼岸を待たずして色が褪せているようです。



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2016年7月24日日曜日

能動的(active)な人生

ベランダのピーマン ~ 赤くなるまで待つか、その前に刈り取るか?

人間って一人一人の価値観に基づいて選択をするもので、我々は選択することによって自分の生き方を方向づけます。 苦渋の選択もあるだろうし、選択の失敗もあると思います。 選択する力が人生で最も重要な能力の一つなのです。 しかし、日本の社会は、教育の中でも社会の中でも選択の自由を奪ってきました。

混沌とした世界で必要とされるのは、精神的に強い(intensity)ということです。 自分とのコミュニケーションがちゃんとできること(新渡戸稲造が『武士道』で説明した「克己」です)。 精神力は選択することによって強化されていきます。

選択を避けて流れに身を任せる、即ち、受動的(passive)な生き方を続けていると、最終的には自分自身を追い込むことになり、自分の思い通りにならない場合、政府が悪い世の中が間違っていると声高に叫ぶこととなるのでしょうね。

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2016年5月5日木曜日

空気に支配された5月

白いツツジも美しい

毎年、ツツジが満開になる頃、山本七平(やまもと しちへい、1921年12月18日 - 1991年12月10日)を思い出して読み返します。 憲法記念日がやって来て、日本全体が護憲という「空気」に支配されるからです。 山本七平は、日本人を呪縛するものは 「その場の空気」 という怪物だと言いました。

戦争をフィリピンで体験した山本七平は、日本軍部の合理的根拠のなさは戦後左翼(日本全体)に受け継がれたと言っています。 私は名言だと思います。 15年戦争での日本軍の「リアリティの欠如」、それは現代の「護憲運動」とよく似ています。 日本人は今でも空気に支配されている。

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2016年4月3日日曜日

春はコメンスメント、始まりの季節


社会人になる学生さんだけでなく、定年退職になったお父さんたちも、リストラにあって早期退職を余儀なくされた人も、先ずは挑戦する。 自分の人生、一歩前に踏み出して視野を広げるしかないのだろうと思います。 春は始まり、誰にとっても絶好の季節です。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. 

Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. 

And most important, have the courage to follow your heart and intuition. 

The Commencement Address(卒業式の祝辞) 
Steve Jobs on June 12, 2005.

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2016年3月27日日曜日

自発性のない循環的変化

今朝の武蔵野簡易裁判所の桜

ちょっとややこしいタイトルですね、、、。

今年も桜が咲き始めました。 ご存じの通り四季は循環的変化です。

在原業平(ありわらのなりひら)の頃の日本人は、四季のような循環的変化不可逆的変化である人生を十分に承知して、後悔することなく日々を生きていたのかも知れません。 
 
今の日本人はどうでしょうか? 毎日を忙しくするルールや道具を求め、更にルールの詳細化に邁進しているような気がします。 それは、信念や志のない自分をごまかしているだけのようでもあります。 国も会社も家庭もVISION(理想のイメージ)なんてない。 だから戦略がない、つまり、やるべき事とやってはいけない事の区別がつけられない。 実行計画は目的を見失い手段に固執する。 結果、循環的変化の中で、アメとムチで縛り付けるしかなくなっているようです(自発性のない循環的変化)。 

VISIONなんて実現可能でなくてもいいのです。 北極星のように輝いているものです。 本当にやりたい事があれば、試行錯誤を繰り返し、錯誤の幅が広がったり狭まったりすることを楽しめばいい。 それが生きるということじゃありませんか。

春はいいですよ。 一歩前に踏み出すにはちょうどいい。

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2015年4月18日土曜日

桜が終われば、、、



桜が終われば、ツツジとドッグウッド。 

四季が巡る循環的変化に教えられる日本は素晴らしいと思います。 四季の変化に人間は抵抗できません。 したがって、受け入れるしかないのです。 この「あきらめ」が、欧米人との一番の違いでしょう。

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2015年4月3日金曜日

桜との付合い


桜は咲く時も散る時も人間様の都合を考えてくれませんね。

写真は夕暮れ時の井の頭通り(横河本社前)の桜です。井の頭公園も歩いてみましたが、日本人は元々こうだったのか、、、 桜との付合いだってできなくなった。 これじゃ、他者(人間)と付き合うのは限りなく難易度が高いのでしょう。

「自然に対する私達の付合ひ方は、私達一人一人の付合ひ方を決定すると同時に、その時代の付合ひ方を決定する。個人の人柄と同時に、その時代の道徳や文化を決定する。自然に対して無関心であったり、粗暴であったり冷酷であったり、おろそかであったりすれば、その人の、あるいはその民族や、その時代の付合ひ方が優しく懇(ねんご)ろになるわけがない」。

『自然の教育』 福田恆存 昭和368

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2013年11月8日金曜日

蕃椒(トウガラシ)

ベランダのトウガラシ

蕃椒横むいたのはなかりけり   


正岡子規 (明治25年 秋)

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