2015年12月30日水曜日

リトマス試験紙の一年

自動車に何を求めるのか?
つけまつける号は見て音を聞いてガソリンの匂いをかいで楽しむものです

今年もあっという間に過ぎてしまいました。今年は興味深い一年だったですね。 右側の人も左側の人も本質が分かるリトマス試験紙のような年でした。

桃井真さん(故人)が昭和51年の対談で軍事力について以下のように言っています。桃井真さんは国際政治学者であり軍事アナリストで、女優桃井かおりのお父さんです。

「軍事力は、相手からの好まない政治的あるいは経済的な決断を迫られたとき、それを断り得る心のささえになる。全く軍事力がなくて、相手に何か強制された場合には、政治家も国民自身も恐怖を感じて、手をあげたほうが早いという議論になりかねない。それが国家のためにいいのかどうかと、自分自身問い直してみる必要があります」。

安全保障の議論は、変化にどう対応するかという意味で、小林秀雄が 『無常という事』(昭和17年)で言いたかったことだと思います。 SEALDs の学生さんや国会議事堂前のデモに参加した知識人や大学教授からは、そういったレベルの議論は微塵も出てこなかった。 残念ですね。

「無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」。 これは『無常という事』最後の一行です。 刻々と変化する国際情勢(これが無常です)の中で、半独立国家である日本はどう振る舞うか、つまり、どう外交を展開するのかは非常に難しい舵取りだと思います。 昭和の軍国主義真っ只中に小林秀雄は警鐘を鳴らしたわけですが、今の国際情勢は当時よりも何百倍も複雑に変化していると思います。 

不可逆的な変化だって、どんなにコストを支払っても無理矢理可逆的に変えようとするものです。

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2015年12月25日金曜日

煮卵のトッピング


先日、ibg 中国の中国人総経理がやって来ました。 ウチの近所の尾道ラーメンで、トッピングの煮卵を注文しました。

「近所であまりへんなことしないでくれ~」。

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2015年12月20日日曜日

一匹と九十九匹と


先週は天王洲アイルまで行く機会があったので、電車の中で久しぶりに福田恆存 『一匹と九十九匹と』(昭和2111月) を読みました。 今は文庫本 『保守とは何か』(文春学芸ライブラリー) に収録されています。 何度読んでも難解ですが、ぼんやりと自分なりの解釈ができかけてきました。 移民・難民で揺れ動いている世界の問題の本質をついているのかも知れません。

福田恆存が言うところの「集団的自我」とは、家族、企業、国など、様々の集団に属してその中で必要な役割を演じる自我であり(九十九匹)、「個人的自我」とは、そうした集団に帰属させ得ない純粋な個人としての自我です(一匹)。 人は「集団的自我」によって政治、経済といった社会的な活動を行い、「個人的自我」によって精神的な諸事、つまり、文学や宗教に向き合う。

今の世界は、集団的自我(エゴ)や個人的自我(エゴ)が充満していて(要するに、多様化やグローバリゼーションです)、エゴだらけで、エゴとエゴの戦いじゃないでしょうか? 宗教が自我を緩和するのではなく増長する。 そして、一匹を癒す文学者たり得る文学者は何處にもいない

ぼくたちの思惟が他人の思惟とくいちがうとき、あるいは現実の抵抗を感ずるとき、ぼくたちのなさねばならぬことは、それらを性急にくみふせようとあせることではなく、まず自己の発生の地盤を見いだすことである(『一匹と九十九匹と』)。

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2015年12月13日日曜日

マリリンモンローも野坂昭如もノーリターン

手元に残っているのはこの一冊でした

野坂昭如が亡くなった。 直木賞受賞作の『火垂るの墓』は西宮市の満池谷(まんちだに)が舞台です。 子供の頃に従兄が満池谷に住んでいたのでよく遊びに行きました。

野坂は言います。 「満池谷は特別といっていい意味を持った、ひとつの忘れ得ぬ、なつかしい場所である。 戦中に見た蛍の乱舞をしみじみ生きのびた実感がわいた。 この時の印象を、ぼくは忘れない」。

司法試験の問題を教え子に漏らしたとして明治大学法科大学院の教授が起訴されました。 私はこの事件を聞いて、野坂昭如の四畳半作品を思い出しました。

「色こそは天のなせるわざ、故に師無し、人それぞれに大道を行くべし」(色籬大学四畳半)。 

籬(まがき):遊郭で、遊女屋の入り口の土間と店の上がり口との間の格子戸。

マリリンモンローも野坂昭如もノーリターン(R.I.P.)。

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2015年12月8日火曜日

本当の手作り


デパ地下に行くと 「手作り~~~」 っていっぱい売っていますが、自分で作るのが一番。 たとえ不格好でも安全で美味しいのです。


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2015年12月3日木曜日

他人の養分を食べて消化できるか?

この1945年製造のC11は姫路機関区の播但線を走っていたそうです
(新橋駅前 SL広場)

今週は久しぶりに新橋からSL広場を抜けて虎の門に出て、日比谷公園から有楽町へと散歩をしました。 新橋の南側は高層ビルが立ち並び様変わりですが、反対側は昔のままです。

『渡り鳥』は太宰治の昭和23年4月の作品です。 太宰の死が昭和23年6月13日ですから死の直前に発表されたものです。

主人公は大学生ですが、闇屋をやったり出版社のアルバイトしながら暮らしています。「ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。 どっちだっていいじゃないか」。 主人公が日比谷から有楽町界隈で偶然出会った3人の相手とのやりとりを書いた短編です。 軽佻浮薄な主人公は戦後の日本人の態度を皮肉ったものだと言えるし、自分の人生を自虐的に振り返っているとも言えます。 死の直前に書かれたものだけに意味深長です。

もともと、このオリジナリテというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。 消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。 昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。 真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。 だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。 しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊している人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。 ああ、溜息が出るわい『渡り鳥』 太宰治 1948年)。

自分で考えて消化することなく、流行りのものや勝ち馬に相乗りする傾向は、70年経った今でも続いています。 2015年の日本もそういった出来事ばかりだったと思いませんか?

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