2020年5月30日土曜日

ポストコロナの未来(4)

中国公船が尖閣諸島周辺の領海へ侵入を繰り返している(写真は2012年9月)=共同
尖閣諸島

日本人にとって歴史が苦手なのは、歴史も「異文化理解の問題」だからでしょう。他者の理解、他国の理解と同じことです。また、死後の世界だって他者であり、宗教観の希薄な今の日本人は死後の世界との対話も苦手です。

歴史は、史実を史実として記録する客観的な捉え方と現代の目(または自国の眼)で過去を解釈する主観的な見方があります(権力維持のために無理やり捏造する国もありますが、、)。実際は客観と主観を積極的に行ったり来たりしながら共同主観の比率を高める努力をし続けないといけないのでしょう。

ポストコロナの世界では以上のようなことが益々重要になって来ます。だとすると、一国の教育というのは根本的な問題として捉えなおすべきだと思います。はたして日本の知的な人たち(政治家・学者・メディア 等)の Vision は如何に?

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2020年5月26日火曜日

ポストコロナの未来 (3)

納豆ごはんスペシャル

ポストコロナの世界で大きな争点となるのは、やはり「個と公共の問題」でしょう。

日本は個人の自由が最大限認められている、そして平等意識も極めて高い。それでも国民は「もっと!」と叫んでいる状態だと思います。自己中人間が大量に生産され、常に政治や社会に不信感を募らせている。時の権力に立ち向かうことが民主主義だと思われている。それが日本の民主主義の本質じゃないでしょうか? そもそも資本主義と民主主義は相いれないのですが、なんとか均衡を保つには個々人の倫理観、そして、それを育む教育が大事なのですが、日本の教育は受験システムに縛られたままです。

そうであるとすると、「個と公共の問題」を乗り越えるのは並み大抵のことじゃない。しかし、どうにか乗り越えていかないと、ポストコロナの世界で置いてきぼりを食らうでしょう。

「国民の魂はすっかり柔らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹をたてて我慢ができないようになるのだ」( プラトンの『国家』 )。

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2020年5月18日月曜日

ポストコロナの未来(2)

徳島の友人が送ってくれた鯛の一夜干し

アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」

小坂綾子dot.
https://dot.asahi.com/dot/2020051100004.html?fbclid=IwAR36mr270uV4zcY-poogfwrrKSLM5k95scibeg2FuRRtGFd8D3Df1yipmo0

「興味深いのは、日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。アフリカも政治不信は同じですが、まだギリギリ地域共同体が機能し、地域の動きを政治家が利用してサポートする例が見られます。昔の日本は、京都の地域住民が国に先駆けて小学校をつくるなど共同体の力がありましたが、今は自治会レベルでも国の決断を仰いでいる。共同体が壊れ、相互扶助もできなくなっています」(記事より)。

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ウィルス後の社会を考えた場合、日本では自己統治としての共同体は考えにくいでしょうね。日本社会は参加型になりにくい。それはパターナリズム(決定を自己ではなく強者に委ねる)が重視されるからです。主従関係が心地よいから能動的に共同主観を形成するようなコミュニケーションは日本の教育では訓練されません。教師と生徒の関係も医者と患者の関係もパターナリズムです。

日本の場合、本来民主主義がもっていた画一性(多数者の専制)に加え敗戦後から今に至るまでアメリカに対するパターナリズムが被さってきたようなものです。ポストコロナの国家の在り方を考える場合、世界と協調する前に日本は乗り越えないといけないハードルがいくつもあるのです。

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2020年5月16日土曜日

ポストコロナの未来

1996年

アメリカ、特にニューヨークはエゴイストの集まりです。それはリベラルな思想を支える個人主義の行き過ぎによるものです。自分さえ良ければいい態度から公共性が急速に蒸発しました。ところが自由を満喫しているうちに自由すぎる環境に疲れてしまった。行き過ぎた資本主義と民主主義がバランスを保てなくなったのです。

知的なアメリカ人は今回のウィルス騒ぎを機会に資本主義に代わる新たなシステムを模索し出すのか? アメリカの20~30年後を走っている日本はアメリカを反面教師とできるのか? この時期にレスター・サローを再読してみるのは参考になると思います。

アメリカでは80年代後半には中流の崩壊が始まりホワイトカラーのブルーカラー化が進みました(私がNYに移ったのは1989年)。サローなどのUSの知識人は米国の中流階級がもっとも豊かだったのは50年代後半から60年代にかけてだと言っています。サローは「階層化の深刻化であり、富の分配の不公平だ。社会主義の崩壊は資本主義の勝利ではなく、グローバル時代への対応もできていない」と言っています。

アメリカの20~30年あとをヒョコヒョコとついて行っている日本は今後ますます階層化が進むでしょうね。若者はもっと貧乏になり失業率は高くなる。商店などの自営業は成り立たなくなり、1~2%の人たちのみが豊かさを享受するようになる可能性が高い。果たして、むなしい日米間の上に安眠し国際情勢に全身を投げかけて平然としている日本は孤独になってとことん堕落し、一人荒野を歩いて、そこから這い上がることはできるか?!(坂口安吾調)。

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2020年5月4日月曜日

ウィルス後の日本社会

自己決定権はないけど常に自由を求めるチャーリー

個人を重視すべきか公共を重視すべきかという問題なのですが、日本社会は個人主義を基調としているかどうか怪しいし、自己決定権を基本としているようには思えません。パチンコに行くのも釣りに行くのも自己決定なのですが、、、。

要するに、個人と公共のバランスがキーなのですが、具体的には個人の中に全体を考える意識を教育で植え付ける以外にないように思う。それは日本人としての徳であり倫理観なのです。

始業を4月か9月かじゃなくて、教育の「質」を議論してもらいたいものです。

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