2025年12月21日日曜日

「取捨を断ずる力」を失った教育 ――福沢諭吉とAI時代の学問

(ChatGPT生成のイメージ)

紙とペンの時代も、AIの時代も変わらない。
思考とは、取捨を決断する行為である。

BBC News 2025/12/20

https://www.bbc.com/news/articles/cd6xz12j6pzo

Are these AI prompts damaging your thinking skills?

George Sandeman

2025年12月20日土曜日

被害から始まる平等、責任から始まる平等

 

“Men Are People, Women Are People”: Fukuzawa Yukichi’s Unfinished Revolution

James (Jim) H.
Associate Director of Georgia Tech Center for International Business Education and Research
December 18, 2025
論文の要約

本稿は福沢諭吉を、単なる先進的思想家や時代遅れの人物としてではなく、近代化の過程で日本社会が抱えた道徳的矛盾を直視した思想家として再評価しています。福沢諭吉が問題にしたのは法制度上の不平等ではなく、家庭内や日常生活において男性だけが道徳的規律を免除されてきた構造でした。

彼は「男も人間、女も人間」と明言し、平等とは同一化ではなく、道徳的責任を男女に等しく課すことだと考えました。『日本男子論』では、日本の男女問題の根源は女性の地位ではなく男性の私的行動にあると断じ、一夫多妻や妾制度を男性の特権として批判した。福沢諭吉にとって平等とは女性を引き上げることではなく、男性が自らの特権を引き受け直すことを意味していました。

福沢諭吉再考 ~ 私の感想

福沢諭吉のこの考え方は、実は現代の日本社会にもそのまま当てはまるのではないかと思いました(Unfinished Revolution)。日本では法律や制度の上では男女平等がかなり進みましたが、家庭や職場の日常に目を向けると、「空気」や「暗黙の役割分担」の中に、形を変えた不平等が残っているように感じます。

たとえば、育児や介護、職場での気配りや感情面のフォローといった、いわゆる「見えにくい労働」は、今でも女性に多く委ねられがちです。一方で男性は、「手伝う側」「サポートする側」にとどまっている場面も少なくないのではないでしょうか。福沢が鋭く指摘したのは、こうした不平等が法律や理念の問題というよりも、日々の振る舞いや生活習慣の中で繰り返し作られている、という点でした。

彼にとって平等とは、スローガンを掲げることではありませんでした。私生活の中で自分を律し、責任を引き受けること――とくに男性が、自分に与えられてきた無自覚な特権と向き合うことが不可欠だと考えていたのです。現代の日本が本当に問われているのも、女性を「支援する」姿勢そのものではなく、男性が自らの立ち位置を見直す覚悟なのではないか、そんなことを考えさせられました。

ここからは少し言いにくい点ですが、男性の私だからこそ、あえて書いておきたいことがあります。女性の側もまた、知らず知らずのうちに「被害者である立場」に安住してしまっている部分はないでしょうか。福沢諭吉が示したような、「責任をどう引き受けるか」という男女平等の視点は、日本のフェミニズムの議論の中で、十分に参照されてきたのか疑問に感じます。

とくに、日本でフェミニズムを牽引してきた知識人――たとえば上野千鶴子氏のような存在が、福沢の議論、つまり「不平等の根源を女性の被害ではなく、男性の道徳的な甘さや私的行動に見た視点」を、どこまで真剣に受け止めてきたのかは、検証されるべき問いだと思います。

日本のフェミニズムの議論には、被害者意識を出発点とする構造が強く見られるように感じます。それは抑圧を可視化するという点では大きな意味がありますが、その枠組みが固定化してしまうと、「男性=加害者、女性=被害者」という単純な対立から思考が始まり、そこで終わってしまう危うさもはらんでいます。

福沢諭吉が最も警戒していたのは、まさにそうした「道徳的な免罪符」が再生産されることでした。彼の平等論は、被害の正当性を競う思想ではありません。むしろ男性に対して、自分の特権を自覚し、日常生活の中で自制と責任を引き受けるよう、厳しく求めるものでした。しかもそれは、今から150年も前の明治時代に提示された考え方です。

福沢にとって平等とは、声高に権利を主張することではなく、行為と責任が一致しているかどうか、つまり「知っていることを実際に行う」こと――知行合一によってしか成立しないものでした。もし日本のフェミニズムが、制度批判や言葉の闘争に重心を置くあまり、日常の行動規範や私的領域での倫理の改革に十分踏み込めなかったのだとすれば、それは結果として、日本独自に変質したフェミニズムを生んでしまった可能性もあるのではないでしょうか。

福沢諭吉の思想は、女性を救済する物語ではありません。男性に重い責任を背負わせる思想です。その厳しさゆえに、現代のフェミニズム論は彼の問いを正面から引き受けてこなかったのかもしれません。しかし、日本のフェミニズムが次の段階へ進むためには、「被害から始まる思考(被害者意識)」ではなく、「責任から始まる思考」へと転換する必要があるように思います。

その問いを、福沢諭吉はすでに150年前に、私たちに突きつけていたのです。

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2025年12月19日金曜日

イソップ寓話が日本に突きつける問い ~ 狼と仔羊

 
イソップの『狼と仔羊』が教える、現代への警告


昔から折に触れて考えてきたことがありますが、これまで文章にまとめる機会がありませんでした。忘れないうちに、ここに書き留めておこうと思います。それは、中国共産党の言動や行動を見ていると、どうしてもイソップ寓話の一つ『狼と仔羊』を思い出してしまう、ということです。

まず、この寓話を簡単に紹介します。

川の上流で水を飲んでいた狼が、下流で静かに水を飲んでいた仔羊に目をつけます。狼は「お前が水を濁したせいで、私は汚れた水を飲まされた」と言いがかりをつけます。しかし、仔羊は「私は下流にいますから、上流のあなたの水を濁すことはできません」と、冷静に事実を説明します。

すると狼は、「去年、お前は私を侮辱した」と別の罪をでっち上げます。仔羊が「その頃、私はまだ生まれていません」と反論すると、狼は「ならばお前の父親だ」と、さらに理屈をねじ曲げ、最後にはそのまま仔羊を食べてしまいます。

この物語が教えるのは、極悪非道な嘘つきの前では、どれほど正当で論理的な弁明をしても無力である、という冷酷な現実です。相手が最初から結論ありきで害意を持っている場合、理屈や正論は通用しないのです。

私には、この狼の姿が、現在の中国共産党の振る舞いと重なって見えます。仔羊が日本であったり、周辺の他国であったりする構図です。

中国共産党に対して、正当性や国際法、論理を積み上げた主張を行っても、それは彼らの前ではほとんど力を持ちません。共産党の支配と存続のためであれば、どれほど悪辣であっても、どれほど露骨な嘘であっても、ためらいなく使う──その姿勢は、まさに『狼と仔羊』の狼そのものです。

だからこそ、日本の政治家や経済界、そして教育界に携わる人々には、この寓話を単なる昔話として片付けず、現実の教訓として肝に銘じて対応してほしいと、切に願います。

正論を述べれば分かり合える、論理を積み重ねれば納得させられる、という前提は、相手によっては成り立ちません。狼に対して仔羊の理屈が無力であったことを、私たちは忘れてはならないのです。

イソップの寓話は短い物語ですが、そこには時代を超えて通用する、人間社会の本質が凝縮されています。『狼と仔羊』は、まさに現代を生きる私たちへの、重い警告だと感じています。

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2025年12月18日木曜日

1ミリの進歩――ブルースハープとサキソフォンのあいだで

 

10ホールのブルースハープちゅうもんをやね、
中学高校の頃から、ずーっと持っとんねん。半世紀以上やで、半世紀。

せやけどな、上手なったか言われたら、笑わしたらアカン。
そない立派なもんちゃうわ。

去年の秋からや。
アルトサックスちゅう、またややこしいモン始めてな、
一年ほど経って、久しぶりにハーモニカ吹いてみたんや。

……その時や。

「なんやこれ」
「前より、音が分かる気ぃすんで」

ほんの一ミリや。
せやけどな、その一ミリが、やたら重たい。

サックスとブルースハープ?
見た目は似ても似つかんわな。
片やピカピカ、片やポケットに突っ込む鉄クズや。
けどな、吹いたら分かる。
こいつら、根っこは一緒や。

まずな、息や。
息が全部や。
腹で息せんかったら、どないもならん。
浅い息やったら音フラフラやし、力入れたらすぐバレる。
押すんとちゃう。支えるんや。
流すんや、流す。

「力入れんな!」
「息止めるな!」
あれな、ハーモニカでも、そのまんま通用する話や。

誰かにエラそうに言われたわけやあらへん。
せやけどな、吹いてたら分かってくるんや。

「あ、これ力入れたらアカンな」
「ここで息止めたら、音が死ぬわ」

そういうことがな、
音そのもんから、じわじわ返ってくる。

それがな、ハーモニカ吹くときにも、
そのまんま通用する話やった。

それからな、息の加減そのもんが、表現や。
ブルースハープのベンドも、サックスの音程の揺れもな、
指ちゃうで。息や。

ちょっと圧変えただけで、
ちょっと角度ズラしただけで、
音がな、ニヤッと笑いよる。
生き物や、あれは。

正解?
そんなもん、あるかいな。
あるんはな、身体が覚えた感覚だけや。

それとな、決定的なんがこれや。
この二つの楽器、歌いや。

リトル・ウォルターはんの演奏、思い出してみ。
吹いとるんとちゃう。
しゃべっとる。
歌っとる。

音符並べてるんやない。
間ぁ取って、
ちょっと黙って、
言いよどんで、
腹立ったら、叫ぶ。

楽器やのうて、
喉の続きやな、ありゃ。

到達点?
そんなん言われたら、困るわ。

せやけどな、
サックス一年が、
ハーモニカを一ミリだけ前に押してくれた。

一ミリやで。
けどな、ワイには十分や。

音楽ちゅうのはな、階段ちゃうねん。
上がったり下がったりするもんやない。
循環的な解釈や。歴史みたいなもんやな。

遠回りして、
別の楽器通って、
ようやく昔の自分のとこ戻ってくる。

そん時な、
同じ場所立っとるはずやのに、
景色がちょっとだけ違う。

……その一ミリや。

それがあるさかい、
ワイは、まだ吹いとるんやろな。

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2025年12月17日水曜日

ジミー・ライ事件が暴いた「嘘の体制」――香港から日本への警告

 
11年前の香港民主化運動


香港の教訓と、日本が見ようとしない現実


ジミー・ライ有罪判決のニュースは、日本では議員定数云々といったほど、大きな話題にはなっていません。しかし、この事件は単なる香港の一活動家の裁判ではありません。それは、中国共産党が長年かけて積み上げてきた「約束」「制度」「法の支配」という言葉の体系が、完全に嘘であったことを世界に露呈した出来事です。

ジミー・ライ氏は、中国が香港に導入した国家安全維持法の下で、「外国勢力と結託した罪」に問われ、有罪とされました。量刑次第では終身刑の可能性もあります。高齢で健康状態も懸念される中、この判決は事実上の人生の終焉を意味しかねません。

約束は、最初から守る気がなかった

中国共産党は、香港返還以降、繰り返し世界に向けて語ってきました。
  • 香港は高度な自治を享受する
  • 一国二制度は50年間変わらない
  • 法治と自由は守られる
しかし、ジミー・ライ事件は、これらがすべて守るための約束ではなく、利用するためのレトリックだったことを明確に示しています。

一国二制度は尊重されたのではありません。時間を稼ぎ、香港の経済的価値と国際的信用を吸い尽くし、十分に力を蓄えた後、段階的に解体されたのです。

これは失敗ではなく、計画の完遂でした。

「法の支配」という最大の嘘

中国政府と香港政府は、今回の裁判について「法の支配に基づく公正な裁判」だと主張しています。しかし、この言葉こそが、全体主義体制の本質的な欺瞞です。

国家安全維持法は、
  • 犯罪の定義が曖昧
  • 解釈は党の恣意に委ねられる
  • 実質的な遡及適用が可能
  • 政治的言動そのものを犯罪化する
という特徴を持っています。

「外国勢力との結託」という罪名は、その象徴です。

外国メディアに語ること、国際社会に支援を求めること、民主主義の価値を共有することが「国家への裏切り」とされる。これは法治ではありません。思想統制です。

本来、法は権力を縛るために存在します。しかし中国共産党の言う「法治」とは、

法が権力を縛るのではない
権力が法を道具として使う


という、正反対の構造を意味しています。

「安定」を口実にした恐怖政治

中国共産党は常に「安定」や「秩序」を口実にします。香港国家安全法も「混乱を防ぐため」「秩序回復のため」と説明されました。

しかし、冷静に見れば明らかです。

香港を不安定にしていたのは、ジミー・ライ氏ではありません。自由な言論と批判に耐えられなかった中国共産党自身です。

全体主義体制にとって最も危険なのは、暴力ではありません。事実を語る言葉であり、権力を笑う自由であり、「異論が存在する」という現実そのものです。

だからこそ彼らは、新聞社を潰し、経営者を投獄し、高齢であっても容赦しない。これは秩序維持ではありません。恐怖による沈黙の強制です。

香港は実験場だった

香港の30年は、中国共産党がどのように嘘を重ね、自由を段階的に解体していくかを示す実験場でした。約束を守らなくても、国際社会は最終的に強く出ない。経済的利益を理由に、多くの国が目を逸らす。

その読みは、残念ながら当たってしまいました。

なぜ日本のメディアは、この問題を避けるのか

最後に、どうしても触れなければならない問題があります。

それは、日本の主要メディアが、このジミー・ライ事件、そして香港で起きている現実を、意図的に深掘りしようとしないという事実です。

中国共産党の「法治」や「安定」という言葉の嘘を正面から検証し、「一国二制度」がいかに計画的に破壊されたのかを構造的に伝える報道は、ほとんど見られません。

そこにあるのは、
  • 中国への配慮
  • 経済関係への忖度
  • 「刺激的な報道を避けたい」という空気
  • そして「遠い国の話にしておきたい」という自己防衛
でしょう。

しかし、報じないことは中立ではありません。報じないこと自体が、現状を追認する態度です。

香港で何が起きたのかを直視しないことは、中国共産党の嘘を事実上黙認することに他なりません。そしてそれは、日本社会が自らの「知る権利」を静かに手放していることを意味します。

かつて香港の人々は、「ここは中国とは違う」「国際社会が見ている」と信じていました。日本のメディアもまた、「日本は民主主義国家だから」「中国とは違う」と無意識に思い込んでいるのではないでしょうか。

しかし、自由と法の支配は、信じているだけでは守れません。それを支えるのは、現実を直視し、嘘を嘘として言葉にする営みです。

ジミー・ライ事件は、中国共産党の嘘を暴いた出来事であると同時に、日本のメディアと社会が、どこまで現実から目を背けているのかを映す鏡でもあります。

香港の悲劇を、遠い国の出来事として消費するのか。それとも、日本自身への警告として受け止めるのか。

沈黙は、安全ではありません。
沈黙こそが、次の現実を呼び込むのです。

***

2025年12月16日火曜日

誰も決めないという病

 

「空気を読む」文化が危機対応を壊す 
  ~ 臨機応変を許さない日本社会  

――準備・覚悟・責任という欠けたピース

「臨機応変に対応せよ」。

企業の現場でも、政治の世界でも、危機が起きるたびに繰り返される言葉です。しかし実際には、日本社会は臨機応変が得意とは言い難い。むしろ、非常時になるほど判断が遅れ、混乱が拡大する場面を私たちは何度も目撃してきました。

問題は個々人の能力や度胸の欠如なのでしょうか。今回は、臨機応変という言葉の本質を掘り下げながら、日本人がそれを苦手とする構造的理由、そして身につけるための条件を整理します。

1.臨機応変とは「思いつき」ではなく、準備と覚悟である

まず確認しておきたいのは、臨機応変とは決して「その場の思いつき」や「精神論」ではない、という点です。

本来の臨機応変が成立するためには、少なくとも次の三つが必要です。
  • 第一に、選択肢(オプション)を事前に把握していること。
  • 第二に、最低限守るべきライン、すなわちフォールバックやコンティンジェンシーを決めていること。
  • 第三に、現場で決断する権限と、その結果を引き受ける覚悟があること。
この三点がそろって初めて、人は不完全な情報の中でも判断できます。逆に言えば、どれか一つでも欠けていれば、臨機応変は単なる行き当たりばったりに堕してしまいます。

日本ではしばしば、臨機応変が「空気を読むこと」「その場を丸く収めること」と誤解されがちです。しかし本質はその逆です。臨機応変とは、空気に従う力ではなく、責任を引き受けて判断する力なのです。

2.日本人が臨機応変を苦手とする根本原因

① フォールバック・プランを持たない文化

日本社会の大きな特徴の一つは、「100%でなければ意味がない」という思考です。その結果、「50%でも続ける」「被害を最小化するために引き返す」という発想が嫌われがちです。

これは歴史を振り返っても同じです。昭和の十五年戦争においても、あるいは国際的なテロ事件や金融危機の際の企業対応においても、「最悪を想定しない」「引き返す最低線を決めていない」という共通点が見られます。

フォールバックを考えることは、敗北を認めることではありません。本来は、生き残るための知性です。しかし日本では、それが「弱気」「責任回避」と見なされ、忌避されてきました。その結果、状況が悪化しても止まれない構造が温存されてきたのです。

② 「サーバント適合型」リーダーの量産

もう一つの要因は、人材の育成と評価の問題です。日本の教育や組織は、長らく「言われたことを忠実に実行する人」を高く評価してきました。

その結果、
  • 自分で判断しない
  • 決断しない
  • 責任を引き受けない
管理職が量産されてきました。いわば「係長止まり」の優秀さです。彼らは平時には有能ですが、非常時には機能しません。

臨機応変ができないのは、個人の資質の問題ではありません。判断しない人ほど安全に生き残れる構造そのものが、臨機応変を不可能にしているのです。

③ 「村の掟」と精神主義

非常時になると、日本ではしばしば精神論が前面に出てきます。「気合」「一体感」「頑張ろう」という言葉が飛び交い、具体的な判断は先送りされます。

背景にあるのは、「村の掟」とも言うべき同調圧力です。協調性を乱さないこと、空気を壊さないこと、村八分に遭わないことが、合理的判断よりも優先されてしまう。

その結果、非常時ですら人間関係の維持が最優先され、判断は遅れ、全体がパニックに陥る。この構図は、現代の企業や政治の現場にも色濃く残っています。

3.臨機応変の前提条件①:基礎と引き出しの多さ

臨機応変は、誰にでもできる魔法ではありません。「守破離」や職人、演奏家の世界が示している通り、徹底した基礎の上にしか成立しないものです。

型を知らない人は、応用できません。
引き出しが少ない人は、状況に対応できません。

にもかかわらず、日本では「守」だけで止まり、「破」「離」に進めない育成が常態化しています。型に従うことと、型を超えることは矛盾しません。むしろ、型を極めた者だけが、自由になれるのです。

4.臨機応変の前提条件②:現場でのイニシアチブと決断

臨機応変に必要なのは、全員の合意ではありません。必要なのは、現場で主導権を持ち、決断する人間です。

コンセンサスを待ち、上司の顔色をうかがい、本社や東京の指示を待つ――その間に、状況は刻々と悪化します。

臨機応変とは民主的であることではなく、責任を引き受ける覚悟です。結果が失敗だったとしても、その判断をした人が組織として守られる。この前提がなければ、誰も動きません。

5.なぜ昭和の戦争でも、今でも同じなのか

以上、述べてきたように、日本が臨機応変を苦手としてきた理由は一貫しています。
  • 不都合な事態を想定しない
  • 引き返す線を決めない
  • 判断する人を育てない
  • 判断する人を守らない
その結果、状況が変わっても止まれない。

重要なのは、「臨機応変ができなかった」のではなく、臨機応変を許さない構造が存在していたという点です。この構造は、昭和の戦争から現代の政治・企業経営に至るまで、本質的には変わっていません。

臨機応変とは、空気を読む力ではありません。
最悪を想定し、最低線を決め、現場で責任を引き受ける力です。

その力を育て直さない限り、日本はこれからも同じ場所で立ち尽くすことになるでしょう。














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2025年12月15日月曜日

橿原の風土と国際感覚 ~ 高市早苗という政治家の多面性 

 
橿原神宮のイメージ画像

橿原の風土と国際感覚


――高市早苗という政治家の多面性

大阪を離れて半世紀近くが経とうとする今、故郷である奈良県橿原市に思いを馳せるとき、ふと一人の政治家の姿が浮かび上がってきます。日本の建国の地ともいえる橿原。大和三山を借景に持つこの特別な土地で、人格形成期である10代を過ごした高市早苗氏です。

私はこれまでニューヨークや上海に住み、国際都市の空気や、理屈だけでは割り切れない現実感覚を肌で知ってきました。一方で、本籍はいまも奈良県橿原市八木町に置いています。そうした立場から高市氏を見ていると、彼女の政治家としての個性は、単純なイデオロギーや党派性では捉えきれない、多面的なものに映ります。

彼女の姿は、時に「大阪のおばちゃん」を思わせる率直さを帯びながら、同時にニューヨーカーや上海人のような、ドライで合理的な国際感覚をも併せ持っているように感じられます。その併存する二つの顔は、偶然ではなく、彼女が歩んできた土地と経験の積み重ねから生まれたものではないでしょうか。

いわゆる「大阪のおばちゃん」的な感覚とは、物事を包み隠さず語り、時にユーモアを交えながら本質を突く、関西特有のコミュニケーション能力です。回りくどさを嫌い、腹を割って話すその姿勢は、東京中心の政治文化の中では異質に映ることもあるでしょう。しかし同時に、それは人の体温を感じさせる強みでもあります。

一方で、高市氏のシャープで合理的な判断力には、国際都市で生きるビジネスパーソンの気配があります。データや事実を重視し、感情論に流されにくい姿勢は、競争が常態化したニューヨークや上海の都市感覚と通底しています。私自身がそうした都市で働き暮らしてきた経験から見ても、その感覚には作り物ではないリアリティがあります。

この一見相反する二つの側面をつなぐ鍵が、神戸という土地です。

高市早苗氏の若き日々は、神戸・六甲の地で育まれました。奈良の実家から、親の経済的援助を受けずに神戸大学へ通い、学費も生活費もアルバイトで賄う――いわゆる苦学生(?)としての日々です。この経験が、彼女の性格形成に決定的な影響を与えたことは想像に難くありません。

神戸は、大阪の商業的な活気とも、奈良や京都の内向きな伝統とも異なる、開明的で国際色豊かな港町です。異なる文化や価値観が日常的に交差するこの街で、高市氏は自立心とともに、物事を多角的に捉える視野を身につけたのでしょう。「学費は出さない」という逆境は、彼女に甘えを許さず、強い意志と現実的な経済観念を刻み込みました。神戸六甲での四年間は、単なる学生生活ではなく、政治家としての原点となる時間だったに違いありません。

そして、その土台のさらに奥底に流れているのが、橿原という土地の記憶です。

橿原市は、日本初の本格的な都とされる藤原京が置かれ、神武天皇即位の地と伝えられる橿原神宮を擁する、「日本の起源」とも言うべき場所です。こうした歴史を日常の風景として育つことは、国家を長い時間軸で捉える感覚や、日本人としてのアイデンティティを、静かに、しかし確実に育てます。

大和三山に囲まれた橿原の風土は、派手さこそありませんが、地に足の着いた、ぶれにくい信念を育むには最適の環境です。高市氏の政策論の根底にある歴史観や国家観は、こうした土地の空気の中で自然に形成されたものではないでしょうか。

つまり高市早苗という政治家は、関西的な率直さと、国際都市的な合理性を併せ持ちながら、その深層には橿原が育んだ時間感覚と国家観が流れている――私はそう考えています。

私は決して彼女の熱心な支持者でもなければ、自民党支持者でもありません。ただ、日本が敗戦後に形作られた体制を、惰性のまま温存するのではなく、現実に即したかたちで少しずつ修正していく必要があるとは考えています。その文脈において、高市氏には一定の役割を果たしてもらいたい、という距離感のある期待を抱いています。

人の体温を感じさせる率直さと、AIやデジタル技術にも通じる論理的でぶれない正確さ。その二つが同居する彼女のキャラクターは、良くも悪くも、現代日本の政治家像の一つを体現しています。長年故郷を離れてきた者として、同じルーツを持つ政治家の存在は、日本の未来を考える上で、実に示唆に富んだ存在だと感じています。

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2025年12月14日日曜日

2番ドローに追いつけないまま


ブルースは完成せえへん。
せやから五十年、

2番ドローの途中に
居場所があった。

ブルースハープ(10穴のハーモニカ)っちゅうモンはな、まず 2番ドロー(吸音) をモノにせんことには始まらんのや。

ベンドっちゅう技は、音をグッと下げて、あのブルージーな“泣き”を出すための、いわば 魂の呼吸 や。せやけどな、そいつを自由に操ったら天下取れる。

なんでや言うたら、リトル・ウォルターちゅう男、あいつはもう 2番ベンドの化けモン やったからや。10穴しかないハープでもやな、ひとつの穴で3つの音、それに無限のニュアンスや。

デジタルちゃうで。全部、口と腹ん中と心ん中で作る“生(なま)の音”や。これがアナログのええところなんや。

ほんでな、『Juke』や。

ウォルターはんの全米No.1のあの曲や。あれの3コーラス目聴いてみい。2番ベンドを“散歩するみたいに”ヒョコヒョコと行ったり来たりしよるんや。通常吸い→半音落とし→全音落とし、この3つを、シャッフルに乗せて気持ちよ〜く揺らすんや。

あんなん、並の人間ができる芸やあらへんで。ワイはな、50年やってもまだでけへんのよ。

🎵 🎵 🎵 🎵 🎵

2番ドロー・ベンドのカラクリ

2番ドローは普通吸うたらCのハープで「ソ」っちゅう音が出るんやけどな、ベンド入れたら 最大全音下げて「ファ」まで潜れる んや。その間の「ファ#」? もちろん出せる。出せんとブルースにならんわ。あれはな、口ん中の空間いじって、ふたつのリードを同時に共鳴させるワザや。高いほうのリードだけやなく、低いほうのリードも鳴らして、無理やり音程を沈める。ほんで初めて、あの“泣き声”が出よるんや。

***

2025年12月13日土曜日

阿Qの時代は終わっていない ~ 反抗を恐れる国家がつくる“従順の装置”

 

https://www.bbc.com/news/articles/c5y2qd1795yo

Tricked, abducted and abused: Inside China's schools for 'rebellious' teens

Mengchen Zhang, Jack Lau and Ankur ShahBBC Global China Unit and Eye Investigations


カミュの「反抗」と、中国における“問題児矯正”の構造

1. カミュが言う「反抗(révolte)」とは何か

カミュにとって「反抗」とは、人間が自身の尊厳を守るために、理不尽で圧制的な力に対して“ノン”と意志を示す行為です。これは暴力の肯定ではなく、「人間とは何か」を守る倫理的態度そのものです。

人間が“物”として扱われる瞬間に反抗は始まり、その核心には 自由・尊厳・境界線の意識 があります。

カミュは全体主義を批判し、個人の尊厳より体制維持を優先する社会では、反抗の精神はかならず抑圧される と喝破しました。

ちなみに、日本のメディアは「体制批判こそ正義」という美しい物語を好みますが、そこに自分たちの物語以外を排除する全体主義的傾向が潜んでいるのは興味深い点です。

2. 中国の「問題児矯正」学校——反抗の否定としての“規律”

BBCが報じた中国の矯正学校の構造は、カミュの「反抗」という概念を参照すると鮮明に見えてきます。

現れた「問題」とは本当に“問題”か?

矯正対象とされた若者の理由は、
  • 親との不和
  • ネット依存
  • 性的指向
  • 恋愛
  • 「反抗的」態度
  • 不登校
などです。

これらは犯罪でも反社会行為でもなく、「自分とは何か」を模索する、ごく自然な“反抗の芽” です。しかし中国では、その芽を「異常」扱いし、「矯正すべきもの」と断じ、体制にとって都合の良い“従順な若者”へ加工していきます。

日本でも、「正しい価値観」を押し付けがちな某公共放送や、朝の報道番組と称する“偽善的なショー”で司会者やコメンテーターが声高に異論を排除している光景を思い出します。

体制側の論理:反抗=秩序の脅威

中国の矯正学校では、軍事式訓練・監禁・体罰・性的暴行まで報告され、個性を消し“従順さ”を作り出すこと が目的とされています。

これは、カミュが批判した「個人を体制に適合させるための素材」とみなす、典型的な全体主義の論理です。

3. 「思想教育」としての反日教育の位置づけ

中国の義務教育が掲げる「愛国教育(愛国主義教育基礎)」は国家戦略として構築され、その中核が「抗日戦争物語」を軸とした歴史修正教育です。
  • 日本を一貫して“侵略者”として強調
  • 共産党が人民を救ったという物語を正当化(justification)
  • 国家への忠誠と民族感情を結びつける
これはカミュ的に言えば、個人の判断を“国家が望む物語”で上書きする行為 です。目的は、若者の反抗の精神を幼少期から弱める(去勢)ことにあります。

日本の歴史認識報道でも、特定の価値観だけを“良心的”“リベラル”と称し、異論に冷淡な空気が漂う点は、どこか似ています。

反抗の否定としての“愛国的感情”の動員

カミュは、権力が正統性を保つために“敵”を創作し、集団の憎悪を管理する 手法を批判しました。

反日教育は、
  • 中国国家の正統性(legitimacy)
  • 共産党の歴史的正義
を補強するために「外なる敵」を物語化し、若者が自分で考える力=反抗の精神を弱める仕組みとして作用しています。

注)中国共産党は、自分らに何ら正統性(legitimacy)がないことを知っているのです。

4. 「問題児矯正」と「思想教育」は連続している

異なる制度に見えて、両者は驚くほど似ています。

共通する構造
  • 個の尊厳より集団秩序を優先
  • 個性や反抗を“問題”として扱う
  • 国家や大人が一方的に「理想の人間像」を定義
  • 従わせるための身体的・精神的強制
  • 若者の「自分とは何か」という問いを封じる
つまりこれは、「人間とは反抗する存在である」というカミュの前提を否定し、管理しやすい若者をつくる教育装置 です。

なお、日本の大手メディアが“良心”や“正しさ”の名のもとに異論を封じる姿勢も、構造的にはこの装置と完全に無関係とは言い切れません。「報道しない自由」はその典型でしょう。

5. まとめ

カミュは「反抗する者は、同時に人間らしさを守ろうとする者である」と述べました。

中国の矯正学校も、反日教育も、人間が本来持つ“反抗=自分で考える力”を危険視し、都合のよい枠に押し込む点で同型 です。

カミュ的視点で見れば、そこで抑圧されているのは「問題行動」ではなく、人間にとって最も根源的な自由と尊厳 です。

魯迅もまた『阿Q正伝』で、封建中国が“人間そのもの”を変えない限り、革命も進歩も幻で終わると鋭く見抜きました。阿Qが「革命、革命」と唱えていれば何か良いことが起こると信じ、何も理解しないまま処刑される姿は、思考を放棄した社会が生む悲劇 を象徴しています。

結局のところ、問題の核心は指導者個人よりも、中国共産党という巨大官僚組織に根づく「自分たちの組織を守るためなら真実を捻じ曲げ、約束すら反故にする」官僚的メンタリティそのものにあります。

そしてその姿勢は残念ながら、日本の財務省をはじめとする官僚機構にも驚くほどよく似ているのです。

“唯一の正しい物語”を掲げたがる日本の大手メディアにも、同じ匂いを感じざるを得ません。反抗の精神は、どんな社会でも腐食しうるのです。

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2025年12月12日金曜日

哲学のない世界で上手に迷子になるために

 
薬師寺(亡き父の撮影)

哲学のない世界で上手に迷子になるために

――考えること・悩むこと・無知を自覚することのすすめ――

私たちはよく「哲学」と聞くと、ギリシャの白い石柱の下でひげを触りながら思索にふける老人の姿を思い浮かべます。しかし、私が哲学と言っているのは、そんな高尚なものではありません。哲学とは、実はもっと泥臭くて、もっと生活感のある営みです。考えること、悩むこと、そしてなにより――自分は無知であると自覚し続けること。これだけで、もう立派な哲学者なのです。

なぜそんなことが大事なのか?それは逆を考えればすぐにわかります。愚か者というのは哲学ができない人のことだからです。

哲学ができない人、つまり考えない人、悩まない人、無知を自覚しない人。他者の言葉をそのまま飲み込み、自分の足で立たず、他人の判断に乗っかって生きていく人。

こういう人が権力の座につくと、世界はだいたい不幸になります。歴史を見れば枚挙にいとまがありません。私が敬愛する水戸の黄門様も言っていました。

「こんな大変な時だからリーダーの足をひっぱるな」という人がいますが、いやいや、そもそも足を引っ張られるようなリーダーを選んだのは誰なんでしょうか。哲学をしなかった国民が、哲学をしない政治家を生み出したのだとしたら、それは悲劇ではなく必然です。

日本人は「無駄と余裕」が嫌いである

私は昔から日本人は「無駄」や「余裕」が大嫌いだと感じています。しかも困ったことに、それが文化レベルで染み込んでいる。会社で意味のない結論のでない会議を午後5時から延々とやるような無駄をやる割には「無駄は敵だ!」とばかりに余裕を叩き潰す。

完璧主義はさらに拍車をかける悪癖です。アメリカや中国なんて欠点だらけですよ。問題だらけの中から、“まあいいか”と前に進んでしまう。強引さもある。しかし日本は違う。

 問題が100%解決しない限り前に進まない。
 しかも誰かが少しでも余裕を見せたら、袋叩きです。

それでは新しい発想や魅力が生まれるはずがありません。私はずっと「無駄とか余裕から魅力が生まれる」と言い続けていますが、日本ではなかなか受け入れられません。そりゃあ長年日本を離れていたくもなるというものです。

ところで政治の世界で「仕分け」という言葉が持てはやされた時期がありますが、私は最初、「簿記の話?」と本気で思いました。政治の世界でまでコストカットとは、もはや笑うしかありません。アカウンティングとファイナンスのバランスが悪すぎる。 

人間とは矛盾そのもの

ソクラテスのギリシャ哲学からヘーゲル、マルクス、毛沢東まで、多くの思想家たちが「矛盾」を語ってきました。なぜ人間はこんなにも矛盾だらけなのでしょう。

 私は思うのです。
 人間は生まれてから死ぬまで、矛盾との戦いだからだ。

生きるということそのものが、自分の中にある無数の葛藤を引き受ける作業です。だから人間の作る政治や外交なんて、矛盾や葛藤の塊で当然なのです。「遺憾だ!」と列島の中だけで叫んでみたところで、矛盾は一ミリも減りません。

矛盾を解決する力こそ哲学であり、考える力なのです。

失敗を記憶するという智慧

リーダーに求められるものは、世界的な視野、歴史と文学への素養、そして責任感。この三つが揃わないと国はまともに運営できません。凡人が運命に逆らって国家権力を握ると、だいたい独裁になります。これは歴史が証明しています。

スペインの哲学者オルテガは言います。
 「人間の真の宝とは、積み重ねられた失敗である

人類は何千年という時間をかけて、失敗という名の宝石をため込んできました。そこから学ばないなら、もはや人間とは呼べません。

ニーチェもこう言いました。
 「超人とは、“もっとも記憶力の良い”人間である
 失敗を覚え、そこから学び、自分を更新し続ける者こそ強い。

日本では、歴史の失敗と向き合うことを避ける人が多い気がします。宗教の原理主義や独裁政治のせいではなく、単に無関心(虚無)と勉強不足でしょう。

「なんとなく信じてしまう」人々が大量生産される社会では、哲学は育ちません。問い続けることです。

日本の近代化の「精神的不徹底」

世界史の歩みは、ルネサンス、宗教改革、フランス革命を経て近代国家へと至ります。その中核は三つの精神です。
  • Humanism(人間主義)
  • Rationalism(合理主義)
  • Personalism(人格主義)
特に重要なのはこのPersonalismです。自分を自律的な主体として捉える態度。これが欠けている社会は、どんなに文明が進んでいても「近代」とは呼べません。

明治の文豪たち――漱石や鴎外――が明治政府の「上滑りの文明化」を批判したのは、この精神的近代化の遅れを感じていたからでしょう。鹿鳴館のドレスと燕尾服の下には、まだ「自律した個人」が育っていなかったのです。

150年経った今も、日本社会全体が自律した人格を確信できているかと言えば、どうにも怪しい。働き方改革の議論にしても、歴史の文脈を共有しないまま「効率」「生産性」と叫んでいるだけに見えます。

自律とは、迷路の中を歩く覚悟である

ニーチェは、「一人で迷路を歩く勇気こそ意志の力だ」と言いました。見える範囲だけでなく、遠くを見渡す目。新しい音楽を聴き分ける耳。そして、孤独に耐える力。これが哲学であり、自律の証です。

サルトルもまた、「実存が本質に先行する」と述べました。人間は、生まれた瞬間には何者でもありません。経験し、学び、出会い、失敗し、悩む。その積み重ねによって、自分の本質を形づくっていくのです。

つまり、自分の人生を自分の決断で生きるしかないということです。誰かの言葉を借りて生きているうちは、いつまでも「他者の人生」を生き続けるだけです。

いま、世界は「哲学のない世界」に突入している

SNSのタイムラインは瞬間的な反応の洪水で、人々は“考える前にクリックする”生活に慣れ切ってしまったようです。悩む時間を「非効率」と呼び、無知を自覚することを「恥」と思う世の中。生成AIは、さらにそういった状況を加速させる。

そんな社会で、哲学はますます軽視されます。考えない国民が増え、考えない政治家が選ばれ、そして考えない世界ができあがる。

私は今の世界が、まさにその段階に入ってしまったのではないかと思っています。

だからこそ、哲学なのです

哲学とは、別に難しい言葉や学術書を読むことではありません。

 考えること。
 悩むこと。
 無知を自覚すること。

それだけで、人は愚か者にならずに済みます。

日本のように「無駄と余裕を嫌う社会」でも、個人レベルで哲学することはできます。むしろ、哲学とは個人の営み以外の何ものでもありません。社会がどうであれ、自分が考え続けるかどうかは自分で決められるのです。

人類の歴史は、失敗の積み重ねでできています。 ならば私たちも、悩み、失敗し、考え続け、生きるしかありません。

迷路の中を進む一人の旅人として。
そして、自分の人生に責任を持つために。

以上が、極めて凡人である、私の考える「哲学」なのです。

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2025年12月11日木曜日

ハーモニカと人生後半の幸福について

 
Juke 2nd 12 Bar ”2nd hole bend"

久しぶりにリトル・ウォルターの『Juke』を吹いてみました。何十年経っても、この曲を前にすると、気持ちが17歳にもどってしまいます。私にとって『Juke』という曲は、人生の長い旅(?)の途中に時おり姿を現して、「おい、まだやってんのか?」と笑いかけてくる古い友人のような存在なのです。

ウォルターとの“邂逅”

私がリトル・ウォルターに出会ったのは、まだ10代の後半、大阪ミナミの街を彷徨していた頃でした。心斎橋の阪根楽器というレコード屋で、たまたま流れてきた彼のブルースハープの音に、心をすっかり持っていかれ、「黒人のブルース音楽」に引きずり込まれたのです。

すぐに10穴のブルースハープを手に入れて、意気揚々と吹いてみるのですが、まあ、出てくるのは自分でも笑ってしまうほどのフォークソング調の頼りない音でした。吸っても吹いても、どうひっくり返しても、あの“ウォルターの黒い音”はどこにも転がっていません。「特別なハーモニカでも使っているんじゃないか?」と本気で思ったほどです。

当時は何の参考資料もなく、もちろんYouTubeの解説動画なんて夢のまた夢。手探りでふーふー吸っては吹き、吸っては吹き……。今思えば、よく集合住宅の近所から苦情が来なかったなと不思議なくらいです。

特に『Juke』の12バー(小節)の2サイクル目。あの1〜8バーは、10代の私はもちろん、50代、60代になっても、まともに「分かった」と言えるレベルに届きません。半世紀たった今でも、あの部分は私にとって“永遠の宿題”のようなものです。

『Juke』という奇跡の曲

リトル・ウォルターの『Juke』という曲は、1952年に発表された、ブルースハーモニカの歴史を塗り替えた名曲です。ハーモニカだけでR&Bチャート1位を取ってしまうなんて、今でいうと大谷翔平レベルの快挙です。

彼はアンプリファイド・ハーモニカ――つまりハーモニカをマイクにくっつけて、増幅した“電気ハープ”の先駆者で、まるでアルトサックスのような、鋭く、それでいて温かく震える音色を作りました。あの不安定なユラユラする音を初めて聴いたときの感動は、半世紀経った今でも色褪せません。

ウォルターの革新性は、テクニックだけではなく、それを軽々と、まるで道端を鼻歌まじりで歩くように吹いてしまうところにあります。こちらは必死に息を吸っては吹いているのに、ウォルターは「Hey, man. Take it easy」とでも言うような余裕のある音を響かせる。この温度差がまた、彼に惹かれる理由なのです。

半世紀たっても“敵わない相手”がいる幸せ

私には音楽の才能はありません。これは、長年周囲からも念押しされ、そして自分でも納得している事実です。しかし、才能がないからといって、やめてしまったら、それこそ人生はつまらなくなってしまいます。

『Juke』に挑むと、いつも「ああでもない、こうでもない」と悩みながらも、どこか楽しい。ウォルターの音を探して彷徨いつつ、見つからないまま今日まで来てしまいましたが、最近ようやく「見つからないのもまた楽しさの一部なのでは?」と感じるようになりました。

50代以降になって分かったのは、「敵わない相手」がいてくれることのありがたさです。人生の後半で、まだ越えられない壁がポツンと残っているというのは、なんだか嬉しいものです。壁があるからこそ、人は前に進める。ウォルターは、私にとってそんな存在です。

「ないもの」ではなく「いまあるもの」に気づく

人はどうしても「自分にないもの」に目を向けがちです。若い頃の私は、まさにその典型でした。ウォルターのような音が出ない。でも彼のように吹きたい。どうしてできないんだ、、、、。

しかし、半世紀かけて分かったことがあります。
人生は、ないものを数えても豊かにはならない。今あるものを数えてこそ豊かになる。

才能はなくてもいい。うまくなくてもいい。むしろ下手なほうが、長く楽しめるのかもしれません。もし若い頃から上手に吹けてしまっていたら、私はきっと今ほどハーモニカを続けていなかったと思います。

この感覚は、和田秀樹先生の新刊『医師しか知らない 死の直前の後悔』にある多くのエピソードにもつながっているように思います。和田先生は、長年高齢者医療に携わる中で、人が人生の最後に何を後悔するのかを丁寧に綴っています。

 「もっと家族を大切にすればよかった」
 「もっと旅行すればよかった」
 「もっと仲間と交流しておけばよかった」

これらは、すべて“今あるものを大切にする”ということの裏返しです。人は、失ってからようやく気づく。けれども、本来は、生きているうちに気づいたほうがいいに決まっています。

高齢化社会の日本で、「幸福」をどう育てるか

日本は世界でもトップクラスの高齢化社会です。否が応でも、「老後の幸福」というテーマに向き合わざるを得ません。ただ、ここで大事だと思うのは、「国がどうするか」ではなく、「自分がどう生きるか」です。

そして、人生後半の幸福の本質は、とてもシンプルなものだと思うのです。
  • 自分の好きなことをゆっくり続けられること
  • 心を許せる仲間がいること
  • 何度でも読める本が一冊でもあること
  • 今日のご飯が美味しいと思えること
  • そして、明日の自分が、今日よりほんの少しだけ機嫌よくいられること
この「今日より明日を少しだけ良くする」という感覚は、ハーモニカの練習そのものと似ているように思います。昨日より、ちょっとだけ良い音が出せた。今日は昨日より少し長く吹けた。それくらいのペースで十分なのです。

高齢者が幸せになるためには、特別な才能も、高価な趣味も必要ありません。
“今あるもの”を丁寧に味わう力。それだけで人生は十分に豊かになる。
私はそう信じています。

『Juke』が教えてくれたこと

久しぶりに『Juke』を吹いてみて、あらためて思いました。

10代の頃にリトル・ウォルターと出会えたのは、私にとって間違いなく幸運でした。半世紀かけても攻略できない曲がいまだに存在するというのは、考えようによっては、とても贅沢なことです。

人生の後半では、「人より劣っているところ」よりも、「自分だけの幸せ」を一つずつ増やしていくことのほうが大切なのだと思います。ウォルターの音は一生出せないかもしれません。でも、下手なりに吹き続けて、時おり「あ、今日はちょっとだけマシだな」と思える瞬間、それが楽しくてたまらない!

人生もまた同じではないでしょうか。
完璧を目指す必要はありません。
昨日より今日、今日より明日を、少しだけ良くしていく。
その積み重ねが、人の幸福をそっと育てていくのだと思います。

そして私は、これからもウォルターと対話しながら、『Juke』の2サイクル目に挑み続けるつもりです。70代になっても、80代になっても、たとえ吹けなくても、その時間そのものが、きっと私の人生を豊かにしてくれるはずです。

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2025年12月10日水曜日

個人主義の不在:漱石の警告と日本社会のいま ~ 考える自由より、従う安心を選ぶ国民へ

 

私の個人主義と、いまの日本という舞台について

高校生の頃に夏目漱石の「私の個人主義」を読んだとき、私は大きな衝撃を受けました。漱石が大正三年、学習院の学生に向けて語ったあの講演は、百年以上前のものとはとても思えないほど現代的で、そして鋭いものでした。「修養を積まない個人に、自由を扱う資格はない」「自由の背後には義務がある」という漱石の言葉は、私自身の人格形成に強く刻まれました。

半世紀以上経った今でも、私の考えはほとんど変わっていません。変わらないどころか、最近の日本社会のあり様を見ていると、むしろ漱石の言葉の重さは増す一方です。政治家も、メディアも、そして私たち国民も、「自由」と「責任」の関係性をどこかで取り違えているのではないかと感じるからです。

「自由」と「自分勝手」が混同されている国

そもそも日本では、「自由」と聞くと、どこか悪いことのように思われている節があります。子どもの頃から「勝手なことをしてはいけません」と言われ続け、そのまま大人になった私たちは、「自由=わがまま」という誤った等式を知らぬうちに心の中につくりあげてしまったのではないでしょうか。

自由とは、本来、互いの自由を尊重し合うためのルールを引き受け、責任を背負う覚悟をもつことです。しかし、日本では「責任」という言葉が出てきた瞬間、多くの人がスッと後ずさりする。責任を取る覚悟がないから、自由に近づくことすら避けてしまう。ある意味、非常に合理的です。面倒ごとを避けたい人にとって、「自由を放棄する」という選択は、責任も一緒に手放せる便利な方法なのです。

その結果、「個人の自由」よりも「空気を読む」という、世界でもかなり特殊な社会的ルールだけが異様に発達しました。自由よりも空気の方が強い社会。漱石が見たら、苦笑いしながら筆を走らせそうです。

政治家たちの「自由」はなぜか経費で育つ

こうした「自由と責任の不均衡」は、日本の政治の世界ではより露骨に現れています。政治資金収支報告書に並ぶ、社会通念上どう考えても首を傾げる支出の数々。遊興費、高額な備品購入、そして“何に使ったのかよくわからない”謎の項目。まるで、自由とは「公金を自由に使う権利」だと勘違いしたまま成長してしまった大人たちが、国会という舞台で演じているかのようです。

しかも驚くべきことに、これらは政治家個人の倫理観の問題であるにもかかわらず、「政治資金パーティーの仕組みが悪い」「法律が十分ではない」といった、責任転嫁のための舞台装置まで完備されています。責任を取るべき立場の人ほど、責任の所在を曖昧にする術だけは抜群に長けている。その姿は、漱石が説いた「修養ある個人」とは対極です。

 世襲議員が幅を利かせ、社会経験が乏しいまま政治家になれる仕組みも、この国の「個人主義の欠落」を象徴しているように思います。漱石が「権力を扱う価値のある人とは、修養を積んだ人だ」と語ったことを、ぜひ議員宿舎の枕元に貼っておきたいくらいです。

メディアは「国益」よりも「クリック数」を追う

政治家と並んで、もうひとつの大きな問題はメディアです。ジャーナリズム精神はどこへ行ったのか、まるで国全体を視聴率で運営しているのではないかと思う瞬間が増えています。

事実よりも数字、検証よりもスキャンダル、国益よりも炎上。結果として、政治家はますますパフォーマンスに走り、有権者は刺激ばかりを求めてしまう。社会全体が「考える力」を奪われ、責任をもたないまま「自由に批判するだけの存在」になってしまいました。

これでは、漱石が説いた「変化に対応できる個人主義」など育つはずがありません。変化に対応するどころか、変化を伝える側が率先して扇情的な情報で社会をかき回しているのですから。

責任を放棄した社会の行き着く先

こうして政治家、メディア、国民の三者がそれぞれの場で「責任」を回避し、「自由」を誤って運用していけば、社会はどうなるでしょうか。

 政治家は修養より集金力を磨き、
 メディアは探求心より煽り文句を磨き、
 国民は判断力より空気読みを磨く。

日本社会には、「自由なはずなのに責任を誰も取らない」という、奇妙な無責任のアンサンブルが完成します。現在の日本は、残念ながらそのハーモニーがあまりに“美しく”響いてしまっているように思えてなりません。

いま必要なのは、漱石と諭吉のあいだにあるもの

漱石は「自由には義務が伴う」と言いました。福沢諭吉は「人望とは実学を含む修養によって生まれる」と説きました。二人が共通して語ったのは、「個人の成長が社会の成長の前提である」という思想です。
  • 自由を主張するなら、その自由が他者と共存するための責任を引き受けること。
  • 社会を批判するなら、その社会を構成する一員として自分の役割を考えること。
  • 人望を求めるなら、人と交わり、苦労し、考え続けること。
これらは、百年前の日本にも、今の日本にも等しく必要な姿勢です。

政治家の不祥事やメディアの扇動に目を奪われがちな現代ですが、本当の問題はもっと深いところにあります。それは、「私たち一人ひとりが自由と責任の関係を理解しているか」という問いです。

 自由を望むなら、責任から逃げないこと。
 責任を果たすなら、自由を他者と分かち合うこと。


その積み重ねこそが、健全な民主主義を支える土台になるのだと、私は今でも信じています。

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2025年12月9日火曜日

読解力の育成に必要なものとは?

 
https://president.jp/articles/-/105582

 「絵本」でも「小説」でもない…「読めるけど分からない子」の"理解力"を伸ばす本の種類読んだ先から「何の話だっけ?」となるのは理解できていない証拠

PRESIDENT Online 2025年12月5日

船津 洋(言語学者)

記事の要約

多くの子どもは「文字を読めている」ように見えても、実際には内容を理解していないことがある。これは、「文字を音に変換する力(音韻符号化)」はあるが、「内容を頭の中でイメージ化する力(心内表象化)」が弱いことによって起こる。「読める=理解している」と思い込む親や教師が多く、この問題が見過ごされやすい。

こうした子どもは読解力が低いにもかかわらず気づかれず、そのまま学年が上がるため、学校や塾は「理解」ではなく「記憶」に頼った指導へと偏りやすくなる。

研究によると、読書量は語彙力向上に効果があるものの、理解力(読解力)の向上には読書ジャンルが重要であり、特に説明文の読書が効果的だという。一方で、絵本や小説は語彙力には良いが、理解力には直接つながりにくい。

また、未就学児への絵本の読み聞かせは、後の語彙力・読解力を高めることが多くの研究で示されている。脳の基本構造は遺伝の影響を受けるが、環境による刺激(読み聞かせ・言語体験)によって回路が発達していくためである。

☆ ☆ ☆

この記事が指摘するように、「読めるけれど理解できない」という子どもが増えているという問題意識には同意します。文字を音に変換できても、内容を頭の中でイメージし、理解する「心内表象化」が欠落している──その構造は非常に重要な指摘です。人間の生成AI化かもしれません(思考なき文章作成)。

ただし、私は読解力の育成には、説明文を読む以前に、二つの要素が不可欠だと考えています。学者ではない一個人の意見ではありますが、長年の経験から確信していることです。

第一に、親が読書を好きであること。

家庭の中で自然に本が開かれ、言葉が交わされる環境こそ、子どもの語彙力と理解力の土台になります。読書は強制されて身につくものではなく、「空気のように本がある環境」が最も効果を発揮します。

第二に、「読む」と同時に、自分で書くことが大切であること。

読むだけでは理解は深まりません。読んだものを言葉にし、絵や文章として表現しようとすると、自分の中に蓄えた語彙・知識・体験が総動員されます。逆にいえば、書こうとして初めて、読んでいない・理解していないことに気づくものです。

したがって、読解力を育てるには「書く力」の訓練が不可欠です。しかし日本の教育では、小学校の作文をそのまま延長して、論理的な文章=論文へと発展させる訓練が欠落しています。これこそが、大人になっても日本語を書くことが苦手な社会人が多い原因だと思います。

また、読解力の問題は「聴く力」にも通じます。「聞く」と「聴く」が違うように、読み方にも浅く追うだけの読みと、内容に深く踏み込む読みがあります。

私は半世紀以上ロックやブルースに親しみ、ギターやハーモニカを続けてきましたが、長い間「聞いていただけ」で、本質的に「聴いて」いませんでした。だからこそ、どれほど触れても上達しなかったのだと気づきました。プロになる人は必ず「聴く」ことを実践しています。これは読解力と全く同じ構造です。何度も何度も繰り返し「聴く」、能動的、且つ循環的に聴くということです。

記事が示す「読めても理解できない」という課題に対して、私は、読む・書く・聴くという三つの行為が相互に補い合う教育こそ、これから必要だと感じます。

さらに付け加えるなら、読める=理解していると思い込む親や教師が多い背景には、彼ら自身が子どもたちの言葉を“正しく聴いていない”という問題もあるのではないでしょうか。単に耳に入っているだけで(受動的に聞いているだけで)、能動的に聴いていないことが、子どもの理解の深さを見誤らせている──私はそう感じます。

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2025年12月8日月曜日

心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

 
(ネットで見つけた画像)

'Life being stressful is not an illness' - GPs on mental health over-diagnosis

https://www.bbc.com/news/articles/cx2pvxdn9v4o?fbclid=IwY2xjawOigTFleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEe2SP-bOiOsBmZNoB2BgWia8-z9zRjYH_z00Uu3aXzl0pi-6d9slgpjWCJWG4_aem_JTWUg3nmf1oAAgkkTO1dAQ


心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

英国BBCが報じた、全国の家庭医(GP:General Practitioner)を対象とした大規模調査は、現代の医療が抱える構造的な課題を象徴的に示していました。GPとは、本来「general=総合的に」そして「practitioner=実務に携わる医師」を意味し、地域住民のあらゆる健康問題の“最初の相談窓口”となる存在です。専門医とは異なり、身体・生活・心の問題を切り分けずに把握するという姿勢が職能の原点にあります。

しかし英国のGPたちは、いま、その本来の役割を果たしきれなくなっていると感じています。調査では、「生活がストレスフルなのは病気ではない」という意見がある一方、失恋や悲嘆といった“正常な体験”にまで診断名が付く風潮を憂える声がありました。過剰なラベリングによって、本当に治療が必要な人へのリソースが削られているという指摘は重いものです。

コロナ以降、若年層のレジリエンス(回復力)が弱まったという見方がある一方で、専門サービスの不足から医師側が診断を渋る傾向もあると議論は割れています。ただ共通しているのは、ほとんどのGPが以前よりもメンタルヘルス対応に多くの時間を費やし、生活困難が心の不調に直結している現実に向き合わざるを得なくなっているという事実です。心理療法が受けられず、やむなく薬を処方せざるを得ない例も多く、NHS(英国の国民保健サービス)が急増する精神的支援ニーズに追いついていない現実が浮かび上がっています。

ジェネラル・プラクティショナーという言葉を深く考える

ここで改めて、general practitioner という言葉そのものを考えてみたいと思います。日本では「ジェネラル」も「プラクティショナー」も、概念として十分に理解されぬまま使われているように思います。これは医療に限らず、コンサルティングなどの専門職にも共通する日本独自の問題ではないでしょうか。

GPに求められるのは、目の前の患者の体質や病歴、生活環境を把握し、身体と心を切り離さず「全体像を理解する」能力です(原子でなく分子)。そこには医学に加えて臨床心理学的な洞察が不可欠であり、患者の言葉の背後にある不安や状況を読み取ることが求められます。これはコンサルティングビジネスでいえば、最初に状況を読み解く“パートナー”の仕事に近い役割です。

また practitioner(プラクティショナー)という語の背景には、practice=経験の積み重ねを通じて形づくられる実践という意味があります。アメリカの社会哲学者であるエリック・ホッファーが語ったとされる「人生はボートを漕ぐようなもの」という比喩は、この考えをよく表しています。

背後に広がる川面――つまり過去の経験や慣行――だけを頼りに、左右の岸に気を配りながら、見えない未来へ向けて静かに進んでいく。その姿は、医療者が日々の診療の中で積み重ねる「プラクティス」と地続きのものです。

私は、このgeneral と practitioner の二つの語が示す洞察――“全体を見る力”と“経験を重ねる実践”――こそ、医療だけではなく、私たちの仕事や人生にとっても大切な視点だと考えています。

日本との共通点・相違点

英国と同じく、日本でも生活困難が心身に影響し、“普通の困難”と“医療的支援が必要な状態”の境界が曖昧になりつつあります。しかし、日本との大きな違いは、GPという役割に対する歴史的な理解です。

かつて日本の「町のお医者さん」は、まさに general practitioner 的な存在でした。患者本人だけでなく、親の世代から体質や生活環境まで把握し、身体と心を包括して診る姿勢が自然に根づいていました。医師は“家族の歴史を知る相談者”として地域に存在し、その信頼関係のなかで心の不調も自然と扱われていたのです。

ところが現在の日本では、大病院を中心に医療がシステム化され、プロセス管理が重視されるあまり、医師が患者よりもコンピュータ画面を見る時間のほうが長くなっています。一般外来は流れ作業化し、担当医も固定されず、生活背景や心理的要因を丁寧に扱う余白が急速に失われつつあります。

英国でGPが「心の問題は専門外だ」と感じ始めている状況と、不思議なほど共通する兆しが日本にも現れています。身体と心を一体で扱うという、本来のgeneral practitioner の視点が後退しているのではないか――それが私の懸念です。

医療の原点をもう一度考えるとき

心の不調は、生活、身体、そして社会構造の交差点で生まれます。英国のGPが直面している問題は、少し時期をずらして日本にも押し寄せつつあり、効率化が進むほど「患者の全体像を丁寧に診る」という医療の原点が失われる危険があります。

いま私たちが問うべきは、「どの診療科が担当するのか」という分断ではありません。誰が、どのような視点で、患者の全体を支えるのか。

日英の医療現場が示している課題は、医師と患者の関係そのものを見つめ直す契機になるはずです。そしてその鍵は、general practitioner という言葉に込められた、「全体を見る力」と「実践の積み重ね」という、極めて人間的な営みにあるのだと思います。

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2025年12月7日日曜日

食べることは、いちばん大切な教育

 

昨夜は今季いちばんの冷え込みでした。

こういう夜は、おでんと熱燗に限ります。きゅうりとカブの浅漬けがあれば、もうそれだけで完璧です。

二か月前にもおでんについて書きましたが、今回はその続編として、日本食と文化の話を少し続けたいと思います。

☆ ☆ ☆


子どもの頃の私は、おでんが大嫌いでした。

練り物を食べるとなぜか頭が痛くなるという、今思えば不思議な体質だったのです。ところが十代の終わり、“ナニワのブルースマン”時代になると、養老乃瀧でちくわを片手に「人生はペンタトニックやなあ」と語っていました。

黒人ブルース音楽と大阪ミナミの街、そしておでん。この組み合わせが妙にしっくりきたのです。

☆ ☆ ☆ 

大阪のおでんは「関東煮(かんとだき)」で、ちくわぶは存在しません。
昔はくじらや牛すじが普通に鍋の中に入っていて、いま思えばかなりワイルドでした。

日本のおでんは地域ごとにだしが違います。

九州は昆布+あごだし、関西は昆布だし、関東は鰹節。
四国では昆布をベースにした甘めの味噌だれが添えられる地域もあります。
だしひとつで味の世界ががらりと変わるのが、日本食の面白さです。

私はやっぱり、透明でやさしい昆布だしがいちばんしっくりきます。
練り物にも大根にも、そっと寄り添ってくれる旨味があります。

☆ ☆ ☆

日本の食文化には、狭い国土のなかに驚くほど「深い」地域性が宿っています。アメリカのように世界中の選択肢がそろう「広さ」も魅力ですが、土地の記憶と結びついた日本の「深さ」は、できるだけ失ってほしくありません。

だからこそ、日本の食文化にはあまりグローバル化してほしくないのです。

ハンバーガーが世界標準なのは構いません。けれど、おでんの味まで世界中どこでも同じになってしまったら、寂しい気がします。

寒い夜に熱燗を傾けながら「やっぱりこの地域の味やな」とつぶやく――
そのささやかな幸福は、どうか守られてほしいと思います。

☆ ☆ ☆

現実には、日本食のグローバル化は急速に進んでいます。“なんちゃって日本食”が増えるだけでなく、マグロやウニなどの寿司ネタをめぐる国際的な争奪戦まで起きています。

世界が日本食を求めるほど、肝心の日本の食卓がその恩恵を受けにくくなるという逆説まで生まれています。

これからは、現地の嗜好に合わせた柔軟さと、日本食が持つ本来の価値を丁寧に伝える姿勢の両方が必要でしょう。異文化理解を深めながら文化を共有していくことが求められているのです。

☆ ☆ ☆

そして何より大切なのは、家庭で子どもに本物の味を覚えさせてあげることだと思います。子どもの頃に本物に触れておくと、大人になって異文化コミュニケーションの場で「基準」ができます。

本物を知っていれば、偽物に対して本能的な違和感を覚えるようになります。これは料理でも、仕事でも、人でも、言葉でも同じです。

私自身、子どもの頃に出会った味や風景、あの映画館の暗がり、あのレストランの衝撃の一皿――もう存在しないものたちが、いまも私の中に確かに生きています。

☆ ☆ ☆

ここで思い出すのが、「ツーン」の感覚です。

おでんのからしが鼻を刺すあの一瞬は、単なる痛みではなく、感覚の奥で「自分は生きている」と思い出させてくれる刺激です。

文化もまた、時に理解されず、伝わらず、孤独の中を生きます。それでも静かに根を張るものこそ、本物の文化なのだと思います。

AIの時代になっても、私たちがこの「ツーン」の瞬間を忘れないかぎり、文化はまだ生き続けます。

小林秀雄が「上手に思い出すことが大事だ」と言ったように、おでんを食べてツーンと感じるとき、人は自分の原点や、大切にしてきたものを自然と思い出すのだと思います。

☆ ☆ ☆

振り返れば、あの頃に触れた「本物」が、後の人生の方向をそっと定めていたのかもしれません。食とは、記憶であり文化であり、人生の基準そのものです。

だからこそ、日本の食文化が持つ「深さ」を、これからも大切に守っていきたいと思います。
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2025年12月6日土曜日

日本の教育を問い直す──「ロボットの大量生産」を越えて


はじめに

私は日本の教育について、「不足か過剰か」という議論ではなく、「質そのものに根本的な問題がある」と感じてきました。これは教育の専門家としてではなく、長く日本の外で暮らし、改めて日本という国家の姿を外側から眺めてきた者としての違和感に基づくものです。2009年にアメリカから帰国した直後に抱いた思いは、いま読み返しても変わっていません。日本は、個性ある子どもたちを社会に開かれた人間へと育てるのではなく、受験という狭い門を通すために均質化し、結果として「ロボットの大量生産」のような教育を続けているように見えるのです。

教育の「権利と義務」は誰のものか

義務教育は、本来「子どもに教育を受けさせる義務が国民・保護者にあり、国家にはその教育を施す権利がある」という構造になっています。では国家は、正しくその権利を行使しているのでしょうか。国家の役割は、自国民を自国民として育てること、つまり国家観・歴史観を共有しうる人間を育てることにあるはずです。しかし、日本の義務教育はこの最も根本的な部分を放棄しているように感じます。

歴史教育はその象徴でしょう。多くの学者が優れた見解を述べているにもかかわらず、その成果は教科書に十分反映されていません。歴史が歴史として教えられていない、意図的な空白がある――そう感じられる部分さえあります。自分の国の歴史を曖昧にし、誇りを持てない教育を続ければ、子どもたちが自尊心や帰属意識を育むのは難しくなります。海外に出れば、パスポートを手にし、国名で呼ばれ、自国の歴史に関する問いを向けられる。それなのに、日本人は自国の歴史に対してあまりにも無防備です。

私のアメリカ人の友人Rは、海軍の士官学校で学んだ歴史を語ります。日本海海戦、ミッドウェイ、山本五十六の戦略。彼との酒席では真珠湾攻撃をめぐる議論が何度も出ますが、そうした応酬ができるのは、お互いの国の歴史を前提として理解しているからです。歴史とは「正確さ」を競うものではなく、タイムマシンがない以上、各国が国策として示す“物語”でもあります。日本がその物語を持たず、子どもに伝えないことは、国家としての怠慢だと思います。 

日本に欠けているのは「概念」を育てる教育

あるビジネス雑誌には「人は概念によって世界を知覚する」と書かれていました。私もまったく同感です。概念は思考の土台であり、言葉よりも前に存在します。概念が貧困であると、議論の前提となるレベルセッティングができず、他者とのコミュニケーションが難しくなります。

日本の教育は、知識の量については豊富かもしれません。しかし、その知識を概念として整理し、世界観や価値観を構築する訓練には欠けています。外国語力以前に、日本語での抽象思考の力が弱い。だから変化に直面したときに、対応力が鈍くなるのです。

「日本人は変化への適応力が弱い」と言われるのも、過剰に環境へ迎合する一方で、自分の信念や観を形づくっていないからでしょう。明治維新以降、日本は西欧近代に、敗戦後はアメリカ的価値観に過剰適応してきました。夏目漱石がロンドンで苦しんだときから、日本人は劣等感と優越感の間で揺れ動き続けています。三百万人以上が亡くなった戦争の原因すら、国家として総括をせず、そのまま記憶喪失のように現代に至っている。この土台の弱さこそ、教育の質の問題です。

子どもたちが確固たる信念を持つには、日々概念を集め、自分の「観」を作っていかねばなりません。世界観、社会観、死生観……それらは読書や日記、思索を通じてしか育たないものです。本来、教育とはその基盤を整える営みであるはずです。 

個性を押しつぶす社会と、居場所のない才能

村八分(1969-1973)というバンドの存在は、教育の欠陥を象徴する例として語ることができます。彼らは時代の文脈を越えた表現をしていたにもかかわらず、日本社会の中に居場所を見つけることができなかった。ギフティッドの子どもが学校に適応できず、「問題児」とされてしまう構図とよく似ています。

欧米にも閉鎖的な共同体は存在しますが、同時にそれを跳ね返す「個人の自立」も育てています。日本は個人主義が弱いのに、共同体の規範は強い。そのため、周囲と異なる者は排除されやすく、しかも本人が跳ね返す力を持たされていないのです。これは教育の失敗と言うほかありません。

村八分の時代から半世紀が経ちましたが、地方の村八分は今も姿を変えて存続し、地方都市は過疎化し、依存心が強まる一方で住民自治は弱体化している。倫理的主体としての市民を育てない教育の帰結でしょう。 

必要なのは「ロボットではない人間」を育てる教育

日本の教育は、入試という細い門に向かって子どもたちを押し流し、均質化し、個性を削り取っていきます。保護者は疑問を抱きながらも、企業が学歴ブランドで採用する現実があるため、子どもをレールに乗せざるを得ません。学校で足りない部分は塾で補い、習い事で広げる。その構造自体が、教育の本質を見失っています。

教育とは本来、強みを育て、弱みを否定しない営みです。ところが現在の日本では、強みは矯正され、弱みは排除され、結果として「平均的な優等生」は生産されても、多様で自立した市民は育ちません。このままでは、日本は世界の多様性とダイナミズムに取り残されてしまいます。

同性愛やLGBTに関する国会議論が小学校の学級会レベルに見えるのも、抽象度の低い議論しかできない教育の帰結でしょう。個人の尊厳や自己決定という概念の土台が共有されていないから、社会的議論が深まらないのです。 

おわりに

私はこれは単なる高齢者の思い上がりではないと信じています。しかし、そう感じてしまうこと自体が、この国の教育が「自分の意見を堂々と言う力」を奪ってきた証左でもあるのかもしれません。

今こそ、ロボットを量産する教育から、個性と概念を育てる教育へ転換すべきです。国家としての物語を教え、世界と渡り合える市民を育て、倫理的主体としての個人を大切にする。そのための教育の質を問い直すことが、日本の再生に不可欠だと私は考えています。

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2025年12月5日金曜日

AI時代の判断倫理――法と医療の現場から

 
(出典:日経新聞)

生成AI・法律・医療に共通する本質

~ 人間を扱う領域で「予測」に頼りすぎる危うさ

息子の意見をきっかけに考えたこと

アメリカで働く息子が、次のような意見をSNSにポストしていました。

”近頃、生成AIの出す誤った回答を「バグ」や「幻覚(hallucination)」と呼ぶ議論をよく耳にする。しかし生成AIの本質を考えれば、それはバグではない。AIは、過去のデータやプロンプトから「最も尤もらしい答え」を計算しているにすぎず、その仕組みは単純な予測モデルと同じ構造を持っている。もし結果が外れても、それはモデルが間違ったのではなく、人間世界そのものがモデルの予測を超えるほど複雑だからだ”。

ここで少し補足します。生成AI(Generative AI)や LLM(Large Language Model)とは、人間の言語データを大量に学習し、その統計的なパターンから「次にもっとも来そうな単語や表現」を予測して文章や画像を生成する仕組みです。つまり、何かを“理解”して答えているわけではなく、過去のデータから計算される確率の高い結果を返しているにすぎません。

法律分野では、この「外れ」が許されません。誤った判例引用や事実認定は、弁護士にとって致命的なミスになります。同じように、医療の現場でも“予測の外れ”は生命に直結します。ここに、AIの限界が最も鋭く現れるのだと思います。

医療現場も、AIが前提とする「単純さ」とは正反対の世界です

私はここ一か月、身内の看病で毎日大病院に通うことになり、その変化と現実を目の当たりにしました。三次救急(高度救命救急病院)の大病院であっても、医療者・患者・家族という三者の「人間性」が常に影響し合っており、判断や感情の揺れが診療の流れを左右します。

20年前は母親、5年前には義母の看病で同じ病院に通いましたが、そのときとは様相が変わりつつあります。若い医師と若い看護師、高齢の雑務係。患者も付き添いも高齢者が多く、コンピュータの使用率は格段に上がり、院内のセキュリティ体制も厳しくなりました。

しかし、どれほど巨大で近代的な医療機関であっても、結局は人間同士の理解、葛藤、判断が診療の中核を形づくります。この複雑さは、AIが前提とする「予測可能な世界」とは根本から異なります。

今日の医療では、電子カルテや各種端末の導入によって、医師も看護師も患者より画面に向かっている時間の方が長くなっています。効率化のために導入されたコンピュータですが、これがAIによる意思決定支援へと進めば、医療全体が「予測に頼りすぎる構造」へ変質しかねません。

しかし、医療は法律以上に、予測の外れが致命的な結果につながる領域です。もし医師や看護師が判断の核心をAIに委ね始めれば、医療者の洞察力や判断力は確実に低下し、その影響は患者の命に直撃するはずです。
 
共通するのは「人間を扱う領域で予測は万能ではない」という事実です

法律も医療も、そして社会全般も、生成AIが扱うにはあまりに複雑で多層的です。AIはデータから「最善の推測」を返しているだけで、現実の因果の複雑さまでは理解できません。原因と結果の間には、数値化できない無数の人間模様が介在しています。
  • 法律では、誤った予測は弁護士の誤りになります。
  • 医療では、誤った予測は患者の死につながります。
いずれも、人間の身体・心・関係性という数値化できない領域を扱っており、「確率モデルの限界」が最も深刻な形で現れる世界だといえます。

だからこそ、AIを使うほどに「人間が人間であること」を忘れてはなりません。効率化や自動化が必要な場面はもちろんあります。しかし、判断と責任の核心をAIに委ね始めた瞬間、法律も医療も、そして社会も成り立たなくなると感じます。

AIは道具であり、人間の代替物ではありません

AIは計算の道具であって、人間を理解する存在ではありません。人間を扱う領域では、「AIの予測をどう使うか」以上に、「人間の判断をどう守るか」が本質になると考えています。

医療でも法律でも、そして社会全体でも、私たちが本当に恐れるべきなのは、AIの間違いそのものではなく、AIに頼って人間が思考を放棄することです。

これこそが、AI時代にもっとも重要な視点であると私は考えています。

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2025年12月4日木曜日

ジョン・レノンへの想い ~ 12月8日を迎えて


12月8日がやって来ます。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(日本時間)。

毎年この日を迎えるたびに、私は自然とジョンのこと、そしてビートルズのことを深く思い返してしまいます。季節の空気とともに胸によみがえるのは、ジョンの「イマジン」であり、ポールの「レット・イット・ビー」です。表現のスタイルも、宗教観も、人生の歩みも異なる二人でしたが、彼らが向かおうとした「心の平和」という方向性には、やはり共通するものがあったのだろうと感じます。

とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。

『Get Back』でなければならなかった理由

ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。

その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。

日本文化がジョンにもたらした視座

ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。

ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。

もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。

二元論を超える視点 ― ジョンが見つめた「一体化」

「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。

近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。

ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。

「共同主観」をつくれるか ― 日本社会への課題

ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。

とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。

ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。

ポストコロナの世界 ― 忘却ではなく、教訓へ

新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。

欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。

真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。

だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。

ジョンが遺した「想像力」という武器

ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。

ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。

12月8日を迎えるたび、私は思います。

もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。

ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。

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2025年12月3日水曜日

BBCの報道と、日本の事なかれ主義への苛立ち

 

BBCが尖閣の記事出してましたわ。

いやいや、隠居のわしがBBCに文句言うたところで、世間は鼻で笑うかもしれん。せやけど、これも高齢者の義務や。モンスター老人の社会参加や。「また年寄りがなんか言うてるわ」ぐらいの扱いでもええ、自分の記録として残しとくで。世間の承認なんていらん

それにしてもやなぁ、日本のメディアは情けない。オリジナル記事を読まずに通信社から買ってきた翻訳記事だけ垂れ流すとか、もう情弱量産メディアやん。

BBCの記事をざっくり言うたらやな

日本の尖閣近くで、中国と日本の船がギャーギャー言いながら対峙したいう話や。

中国「日本の漁船がウチの領海に入ってきたんや!」
日本「いやいや、中国が日本の領海に侵入してきたんやろ!」

最近の国会でも台湾の問題が取り上げられて、お互いピリピリしとるからドンパチ寸前みたいな空気ですよ、いうことらしい。ほな、BBCの記事の問題点言わせてもらうで、よー聴きや。

BBCは案の定こう言うんや。

「双方に言い分があります」

ほら出た!英国式・高みの見物中立報道術。まるでワイドショーのコメンテーターや。

「両方悪いんちゃいます?」
「歴史的な背景は一旦置いておいて」
「ワシらは中立ですよ〜」

って、完全に上から評論家ポジション決め込んどるわけや。ほんまBBCはこういうの好きやな。大英帝国のお家芸か?

ほんで、史実はどこ行ってん。尖閣の話はな、ただの「どっちもどっち論」では語られへんねん。史実を欠いた評論は、国際報道では乱暴やで。
  • 日本は1895年に国際法に基づいて編入
  • 中国が言い出したのは1971年、資源見つかってから
  • 今も日本が実効支配しとる
これが最低限の前提や。それ全部すっ飛ばして、「両者の主張が対立してます」て、いやいや、それ説明の逃げ方やろ。事実はどうでもええから、国際関係の空気を上から目線で語りたいんや。

イギリス公共放送の悪い癖でたな。
  • 歴史言うたら責任生まれる
  • 片方に踏み込んだら批判される
  • せやから両論併記で逃げる
それ中立ちゃうで、ただの保身や。国際報道やるならこう言えや。

「どっちの主張に正当性があるんか」

避けんなや、BBC。そもそも尖閣ってそんな軽い話ちゃうねん。外交カードでもないし、SNSのネタでもない。領土と国際秩序の根幹の話や。

一番あきれる相手は、日本政府と日本の事なかれ主義や

でな、BBCに文句言うてる場合ちゃうで。ほんまに腹立つのは、日本政府と日本のメディアの無関心っぷりや。

駆逐艦みたいな中国海警の船が、機関砲つけて堂々と領海に入ってきてもやで、やることといえば “遺憾の意” だけやんか。これで国を守れる思てるんか?現場で命張ってる海上保安庁は気の毒や。自衛隊は出せません、政府は動きません、メディアは見て見ぬフリで翻訳記事回すだけやろ。

ほなどうすんねん?

まず海上保安庁の警備体制を最新鋭のものに強化したらええやろ。必要なら装備や制度も見直して、国としての姿勢を示したらええ。さらに国際社会にも堂々と言うたらええんや。

「習近平はん、歴史的・法的根拠あるなら出してきなはれ」

これは対立の激化やなくて、本来当たり前の主張や。それをせえへん政府。それを伝えへんメディア。それを教えへん学校、この国の鈍さこそ問題や。尖閣の緊張より、そっちの方がよっぽど危険やで。

領土領海は誰かが守ってくれると思ってる国ほど、失うのも早い。

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2025年12月2日火曜日

承認なんていらん、老後は自分のもんや!

 
old man playing sax

「老後のハウツー本」が売れる国で、ほんまに必要なんはハウツーか?

2025年12月1日月曜日

日本はなぜ中国に舐められるのか?

 

日中関係の根本は変わっていない

~ 15年越しの考察

いま、日中関係が再びぎくしゃくしています。何も目新しいことではないように思います。いま起きている現象は、15年前に私が感じていた懸念とほとんど同質のものです。むしろ、あの頃より見えにくく、複雑になり、深刻になっています。

この15年間、中国も日本も世界も大きく変化しました。中国はさらなる経済成長を遂げ、日本は国際政治の舞台で後退を続け、アメリカの戦略も様変わりしました。しかし日中関係の根本だけは、驚くほど変わっていません。

私は1970年代、文化大革命の真っ最中の中国に強い関心を抱きました。以来50年以上観察してきましたが、中国に対する本質的認識はいまも変わりません。ここで言う「中国」とは、言うまでもなく1949年に成立した中国共産党の国家です。党が統制し、歴史も情報も意思決定も一元的に管理する社会です。この前提を理解しなければ、日中関係は永遠に見誤ると思います。

いつも腹立たしいのは、日本国内の言論人と称する人々が、同じ思い込みを繰り返してはメディアで声高に叫び続けることです。視聴率しか興味のないマス・メディアも同罪です。そこには見識も歴史観も倫理観もありません。ウソと情緒とプロパガンダに対しては、冷静な真実の積み重ねによってしか対抗できないはずなのに、国内の議論はますます浅く軽くなっています。

中国人の反日感情はどう作られるのか

15年前、私は自社の上海オフィスの中国人コンサルタント(いわゆる“80后”)から、このようなコメントを聞きました。

子供のころは日本を嫌っていない。しかし、学校教育で植え付けられたイメージが、事件が起きた瞬間に思い出されるだけなのです。

つまり反日感情は常に燃えているわけではなく、引き金さえあればいつでも再燃します。国民感情は政府の統治手段の一要素なのです。

2005年の反日暴動も、尖閣の衝突事件も、まさにその構図が露骨に現れた事例でした。私は当時こう書きました。

「歴史とは勝者が書き換えるものである。現在を制する者は過去を制し、過去を制する者は未来を制する」。

オーウェルの『1984年』の一節です。この構造は今も変わっていません。

中国の問題、日本の問題

私は当時の反日騒動について、二つの理由を挙げました。一つは中国国内の社会不安です。所得格差、失業、汚職。国民の不満を逸らすには、外敵をつくるのがもっとも簡単で効果的な手法です。これは共産党統治の本質であり、今も全く同じ構造が続いています。

もう一つは日本の弱さです。政治の機能不全、経済力の低下、そして何よりも国家としての自信の喪失です。15年前の私はこう書きました。

日本が弱くなればなるほど、近隣諸国は元気が出てくる。

そしてこの構造もまた、全く変わっていません。もちろん、そこにはアメリカの外交戦略の意思があります。

日本社会の危うさ

私が危惧していたのは、中国の強硬姿勢そのものではありません。日本の側にある精神的崩壊です。外交と芸能ニュースを同列に扱うメディア、歴史認識を失った政治家、国家としてのビジョンも誇りも示せない社会。国民の心はすり減り、視野は狭くなり、余裕が無くなっています。

15年前の私はこう書いていました。

この国は国家としての誇りや気骨をどう取り戻すのか?

その問いは今も答えが出ないままです。むしろ当時より深刻になっています。

結局、何が変わっていないのか

私が観てきた50年以上の中国、そして日中関係を振り返ると、次のことだけは確信を持って言えます。

日中の緊張は、事件や偶然で起きるのではなく、構造から必然的に生じるのです。

中国側の統治構造、歴史教育、国家戦略。
日本側の精神的な弱さ、政治の失策、メディアの劣化。

15年前も、今も、問題の根本には何も変化がありません。

本稿をまとめながら、ひとつだけ希望を述べるとすれば、それは日本人が自国を知り、相手を知ろうとする姿勢を捨ててはいけないということです。孫子は言いました。

「知己知彼、百戦百勝」。

これは戦争の論理ではなく、外交にも国際社会にも通じる普遍の智恵です。

日中関係はこれからも形を変えながら続いていくでしょう。しかし、本質を見誤らなければ、危機は必ず乗り越えられるはずです。真実に誠実であろうとする姿勢だけが、プロパガンダと歴史の改ざんを超える唯一の道なのです。

駐日総領事・薛剣のXにおける暴言や、王毅外相に代表される日本に対する態度は、日本政府が招いたものです。つまり、日本を舐めている中国共産党を生み出したのは、日本の政治であり、事なかれ主義の敗戦後の日本精神なのです。

果たして、高市新政権はどこまで軌道を修正できるのでしょうか。

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