救急医療の現場から見えた、日本医療の静かな崩壊
「どんなに良心的に頑張っても、病院はつぶれる」
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20251224-GYTET00001/
下町の中小病院を率いてきた三代目院長の言葉が、胸に重くのしかかります。
読売新聞が報じたこの記事は、医療関係者にとっては「今さら」かもしれません。しかし、患者や家族の側にいる私たちにとっては、ようやく突きつけられた現実でもあります。
病院は、いつでもそこにあり、困ったときには受け入れてくれる。
そんな前提が、すでに崩れ始めているのです。
昨年11月、身内が自宅で倒れ、日赤病院に救急搬送されました。
日赤は三次救急医療機関です。命に関わる重篤な状態を、24時間365日で受け止める、日本の医療の最後の砦です。
しかし、そこに長くはいられません。
状態が安定すれば、必ず転院になります。
一か月後に転院し、そして昨日、ようやく退院しました。
治療の流れとしては、今の日本ではごく当たり前のことです。
三次救急は「治す場所」ではなく、命をつなぐ場所。
その後の時間は、地域の中小病院や療養型施設、あるいは在宅医療に委ねられます。
振り返れば、この20年、私は否応なく病院に通い続けてきました。
母、父、叔母、義父、義母――入退院と介護を繰り返す中で、多くの病院を見てきました。
進化した部分も確かにあります。
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検査や画像診断の精度
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医療機器の高度化
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電子カルテやオンライン連携
一方で、テクノロジーの進化が、人の余裕を奪った側面もはっきりと見えます。医師は忙しく、看護師は疲弊し、病院全体が常にギリギリで回っている。
効率化の名のもとに余白が削られ、現場の「人間力」に過度な負担がかかっています。
病院は「経営体」でもあるという現実読売新聞の記事が突きつけているのは、医療の中身以前に、病院経営の破綻です。診療報酬は抑えられ、物価と人件費は上がり続ける。
職員を多く抱える病院ほど苦しく、診療所のほうが儲かるという歪んだ構造。
「老人が増えるのに、なぜ病院がつぶれるのか」
それは、医療が市場経済ではないからです。
患者が増えても、収入は増えない。
むしろ、重度化・長期化するほど、病院は赤字になる。
この現実を、私たちはあまりにも知らなさすぎました。
「地域包括ケア」という美しい言葉の裏側2026年現在、日本の医療は「病院完結型」から「地域完結型」へ移行しています。地域包括ケアシステム――聞こえは良い言葉です。
しかし、現場を歩くと、こうも感じます。
それを支える人も、金も、もう足りない。
病院、介護施設、在宅医療、行政。
連携すべき主体は増えましたが、誰かの負担が減ったわけではありません。
さらに外国人労働の問題も絡み、現場は複雑化する一方です。
見舞う側から、入院する側へ私自身も年を重ねました。
最近は、病院を「見舞う場所」ではなく、「自分が入るかもしれない場所」として見るようになりました。
すると、見える景色が変わります。
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個室か、多床室か
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面会制限の現実
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退院後の生活設計
病院は、万能の避難所ではありません。
そこに「居続けられる」という前提そのものが、すでに幻想なのです。
はっきり言えば、日本の医療はかなりヤバい状況にあります。
制度の限界は、もう見えています。
だからこそ、50代・60代の「高齢者予備軍」が考えるべきことは明確です。
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どの病院が、どんな役割を担っているのかを知る
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介護や療養の現実を、元気なうちに学ぶ
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健康管理を「自己責任」で引き受ける覚悟を持つ
基本は、自助努力です。
医療は「魔法」ではありません。
社会全体が痩せ細る中で、支え合いにも限界があります。
それでもなお、現実を直視し、備える人間から、次の時代を生き延びていく。今回の経験を通じて、私はそう強く感じました。
何だか、日本という国の現状とも重なります。
アメリカ依存を続けるのか、それとも真の独立の道を歩むのか――。
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