2026年1月5日月曜日

袋詰めカウンターは戦場だった ――スーパーで見た「老い」とプライドの正体――

 
袋詰めカウンターは静かな戦場になる

2026年、令和8年の幕開け

お正月、いかがお過ごしでしたか。

私はといえば、我が家の愛犬・チャーリーのドッグフードを買いに、1月4日の初売りで賑わう近所のスーパーへ繰り出してまいりました。わりと規模の大きなスーパーです。

そこで目撃した光景が、あまりに「現代日本」を凝縮した地獄絵図、もとい、シュールなコントのようでしたので、少しばかり書いておこうと思います。

聖地「袋詰めカウンター」の決闘

昨日のスーパーは、昼前だというのに凄まじい混雑でした。
店内を見渡せば、右も左も、前も後ろも高齢者。

正月早々、ここが老人ホームか、はたまたパラレルワールドの永田町かと思うほど、見渡す限りのシルバー、シルバー、シルバー。もちろん、そのシルバーの一人は私自身なのですが。

私は今では一般的な「セルフレジ」が嫌いです。
レジ係とのほんの短い会話を大事にしているからです。

ですから、あえて「人のいるレジ」に並び、会計を済ませ、戦利品を袋に詰めるべくパッキングのカウンターへと向かいました。

やっとの思いで見つけたわずかなスペース。
そこでチャーリーのドッグフードをカゴから出そうとした、その時です。

突如として、隣でいさかいの火蓋が切られました。

出演者は、70代後半とおぼしきお二人。
スペックはほぼ同等。お二人ともカッコいい防寒ジャンパーを羽織り、人生の荒波を乗り越えてきた自負が、その鋭い眼光から滲み出ています。

いさかいの発端?
正直、わかりません。

カゴの角が少し触れたのか、レジ袋の広げ方が気に食わなかったのか、あるいは「お前の顔がそもそも新年にふさわしくない」といったレベルの言いがかりかもしれません。

武器を持たない、世界一激しい「口撃」。

喧嘩の内容は実に些細なものでしょう。しかし、その熱量は凄まじい。

「お前、さっきからマナーがなってないんだよ!」
「マナーだと? どの口が言っとるんだ!」

スーパーの若い店員さんは、遠巻きに「またか……」というような、死んだ魚の目で見守っています。仲裁に入る気配など微塵もありません。おそらく彼らにとって、これは日常茶飯事、あるいは「野生の動物番組」を見ているような感覚なのでしょう。

「かつての自分」を捨てられない悲哀

一般的に、高齢者のトラブルは、「認知機能の低下」だの「身体的ストレス」だのと説明されます。医学的・行政的な解説によれば、「易怒性(いどせい)」がどうとか、「前頭葉の萎縮」がどうとか。しかし、私の目の前で展開されているこの決闘を見て、私は確信しました。

これ、単なる「プライドの衝突」です。

彼らは決してボケているわけではありません。むしろ、頭の回転は驚くほど速い。

相手を罵倒するためのボキャブラリーの豊富さといったら、最近のSNSの誹謗中傷など足元にも及ばないほどのキレがあります。

問題は、彼らが「かつての自分」を背負ったまま、スーパーの袋詰め台という、極めてパーソナルな空間に降り立ってしまっていることです。

現役時代、部下を従え、大きなプロジェクトを回し、「俺の指示が絶対だ」と信じて疑わなかった時代。

その栄光という名の透明な鎧を脱げないまま、令和8年のスーパーで、「レジ袋がうまく開かない」という現実の無力さに直面している。そのギャップから生じるイライラが、隣の「同じような鎧を脱げない爺さん」にぶつかるのです。

まさに、鏡合わせの自分を殴っているようなものです。

私という名の「鏡」

喧嘩を見ながら、私はふと、ビニール袋を広げようとして、指先がカサカサで滑りまくる自分の手を見つめました。

「年寄りって、いやだな……」

私も今、同じ舞台に立っている。私もまた、セルフレジを嫌い、自分のやり方に固執し、混雑に思いっきりイラついている。

20代、30代の皆さんは思うでしょう。「自分はあんな風にはならない」と。

しかし、前頭葉は裏切ります。
自然の摂理には抗えません。

あんなに優しかったお父さんが、あんなにスマートだった上司が、ある日突然、スーパーの袋詰め台で「場所を譲れ!」と叫ぶ戦士に変貌する。

それは、老化という名のマイクロソフトの強制アップデートなのです。
しかも、元に戻す方法はありません。

2026年、新年の誓い

50代、60代の「予備軍」の皆様。
君たちは今、トレーニング期間にいます。

「自分が正しい」と思った瞬間に、心の中で「他人も正しい」と自分に言い聞かせる練習をしておかなければなりません。さもないと、近い将来、あなたは私の隣で叫んでいるかもしれません。

結局、お二人の決闘は、一方が現場を立ち去ることで幕を閉じました。
勝者は不在です。

残されたのは、気まずい沈黙と、散らばったレジ袋の残骸だけ。

私はチャーリーのドッグフードを抱えて帰路につきました。家に戻り、チャーリーの無垢な目を見て、少しだけ救われた気持ちになりました。

彼には「プライド」も「スペック」も「かつての肩書き」もありません。ただ、「今、ここにあるおやつ」に全力で感謝するだけです。彼はひたすら今を生きているのです。

「歳はとりたくないものだ」

これは真理かもしれません。
しかし、歳をとることは止められません。

ならばせめて、私は「袋詰め台で譲れる老人」になりたい。もし私がスーパーで誰かと怒鳴り合いをしていたら、どうぞ優しく諭してください。

令和8年。鏡の中の自分と喧嘩をしないために。

令和8年、本年も「謙虚な前頭葉」を大切に過ごしてまいりましょう。

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