この年になりますとね、晩ごはんの献立いうもんが、
だんだん決まってきます。
わたしにとって、きんぴらごぼういうもんは、
細う細う切ったごぼうに、牛肉の旨味がじわぁっと絡んで、醤油はちょっと濃いめ。
それをな、うっかり噛まんように避けながら、
口に運んだ瞬間ですわ。
若い頃はね、ステーキやの、鶏の唐揚げやの言うて、騒ぎます。
トロもそうやけど脂がのっているんがええ思うてた。
ところが、人生半ばも過ぎますと、
「今日のきんぴら、ええ出来やなぁ」
こんなこと言う自分がおる。
人はこうして、知らん間に成熟していくんですなぁ。
そもそも「きんぴら」いう名前からして、只者やおまへん。
坂田金平。金太郎はんの息子さんやそうで、怪力無双の豪傑です。
ごぼうの歯ごたえと、唐辛子の辛さを「強さ」に見立てた江戸の人の感覚、
これは大したもんです。
今は健康食品やらサプリやら、山ほどありますけど、
ごぼう一本で「強うなれ」言うてた昔のほうが、よっぽど核心突いてますわ。
戦争中の話になりますけどな、
自分らも食うもんあらへん時代に、
捕虜に木の根を食わせた言うて、虐待やと責められ、処刑された兵隊さんもいたと聞きます。木の根言うたら、今やったら健康食ですわなぁ。
木の根……つまり、ごぼうですわ。
なにをかいわんや、ですな。
さて、関西と関東の話もしておきまひょ。
関東のきんぴらは、ごぼうと人参だけ。
余計なもん入れへん。
武士みたいなもんですな。
潔い。
ところが関西は、牛肉入れよります。
これは文化です。
出汁と牛肉を愛してやまん土地柄ですさかい。
豊かで、現実的。
わたしはと言いますと、
濃いめの味付けに牛肉入り、しかもごぼうは極細。
関東の理屈と、関西の欲望を、ちゃっかり両取りしてます。
人生も料理も、ハイブリッドが一番ですわ。
「最後の晩餐、何食べたい?」
こう聞かれたら、迷いません。
きんぴらごぼうでええ。
いや、「で」やない。
「が」です。
イエス・キリストはんの最後の晩餐は、えらい厳粛やったそうですが、
もしわたしの幕引きが許されるなら、
白いご飯に、
ちょい濃いめのきんぴら、
大粒の納豆、
きゅうりとなすの漬物。
味噌汁は、じゃがいも・玉ねぎ・わかめの三種入り。
これで十分。
静かに箸を伸ばして、
「ああ、いろいろあったなぁ」
そう振り返れたら、それでええ。
正岡子規はんも、病床で食べ物のことばっかり書いてはりました。
「糸瓜食いて痰のつまりし仏かな」
死ぬ間際まで、食うこと考えてた。
悲しいようで、どこか可笑しい。
生きるいうのは、食べたいと思うことやと、
子規はんは教えてくれてる気ぃしますな。
歳取ると、先のこと考える時間が増えますなぁ。
わたしにとって、きんぴらごぼういうもんは、
「まあ、あったら箸のびるな」いう副菜やおまへん。
これはもう――思想ですわ。人生観ちゅうてもええ。
もっと言うたら、老後の指針みたいなもんです。
細う細う切ったごぼうに、牛肉の旨味がじわぁっと絡んで、醤油はちょっと濃いめ。
最後に、古式醤油なんかチョロっとたらすと、よろしおまんな。
鷹の爪が、これがまた赤うて勇ましい。それをな、うっかり噛まんように避けながら、
口に運んだ瞬間ですわ。
……ああ。これや。完成してますなぁ。
きんぴらは、えらいもんです。最初から前に出てきよらん。
「わしを食え、食え」と主張せん。けど、後から効いてくる。
きんぴらは、えらいもんです。最初から前に出てきよらん。
「わしを食え、食え」と主張せん。けど、後から効いてくる。
じわぁーっと、噛むほどに。食感がええですな。
これがまた、不思議なもんでしてな。
これがもう、人生の後半戦そっくりですわ。
これがまた、不思議なもんでしてな。
これがもう、人生の後半戦そっくりですわ。
若い頃はね、ステーキやの、鶏の唐揚げやの言うて、騒ぎます。
トロもそうやけど脂がのっているんがええ思うてた。
ところが、人生半ばも過ぎますと、
「今日のきんぴら、ええ出来やなぁ」
こんなこと言う自分がおる。
人はこうして、知らん間に成熟していくんですなぁ。
そもそも「きんぴら」いう名前からして、只者やおまへん。
坂田金平。金太郎はんの息子さんやそうで、怪力無双の豪傑です。
ごぼうの歯ごたえと、唐辛子の辛さを「強さ」に見立てた江戸の人の感覚、
これは大したもんです。
今は健康食品やらサプリやら、山ほどありますけど、
ごぼう一本で「強うなれ」言うてた昔のほうが、よっぽど核心突いてますわ。
戦争中の話になりますけどな、
自分らも食うもんあらへん時代に、
捕虜に木の根を食わせた言うて、虐待やと責められ、処刑された兵隊さんもいたと聞きます。木の根言うたら、今やったら健康食ですわなぁ。
木の根……つまり、ごぼうですわ。
なにをかいわんや、ですな。
さて、関西と関東の話もしておきまひょ。
関東のきんぴらは、ごぼうと人参だけ。
余計なもん入れへん。
武士みたいなもんですな。
潔い。
ところが関西は、牛肉入れよります。
これは文化です。
出汁と牛肉を愛してやまん土地柄ですさかい。
豊かで、現実的。
わたしはと言いますと、
濃いめの味付けに牛肉入り、しかもごぼうは極細。
関東の理屈と、関西の欲望を、ちゃっかり両取りしてます。
人生も料理も、ハイブリッドが一番ですわ。
「最後の晩餐、何食べたい?」
こう聞かれたら、迷いません。
きんぴらごぼうでええ。
いや、「で」やない。
「が」です。
イエス・キリストはんの最後の晩餐は、えらい厳粛やったそうですが、
もしわたしの幕引きが許されるなら、
白いご飯に、
ちょい濃いめのきんぴら、
大粒の納豆、
きゅうりとなすの漬物。
味噌汁は、じゃがいも・玉ねぎ・わかめの三種入り。
これで十分。
静かに箸を伸ばして、
「ああ、いろいろあったなぁ」
そう振り返れたら、それでええ。
正岡子規はんも、病床で食べ物のことばっかり書いてはりました。
「糸瓜食いて痰のつまりし仏かな」
死ぬ間際まで、食うこと考えてた。
悲しいようで、どこか可笑しい。
生きるいうのは、食べたいと思うことやと、
子規はんは教えてくれてる気ぃしますな。
歳取ると、先のこと考える時間が増えますなぁ。
財産や墓の話も大事ですけど、
そこに「食」を入れてもええんと違いますか。
最後まで、何を「うまい」と思えるか。
それが、生きる意欲そのもんです。
きんぴらのごぼうを噛みしめて、
牛肉の旨味を感じて、
「ああ、うまいなぁ」
そう思えてるうちは、人生、まだ終わってまへん。
きんぴらごぼういうもんは、
噛まんと、味がわかりません。
人生も、どうやら同じようでしてな。
そこに「食」を入れてもええんと違いますか。
最後まで、何を「うまい」と思えるか。
それが、生きる意欲そのもんです。
きんぴらのごぼうを噛みしめて、
牛肉の旨味を感じて、
「ああ、うまいなぁ」
そう思えてるうちは、人生、まだ終わってまへん。
きんぴらごぼういうもんは、
噛まんと、味がわかりません。
人生も、どうやら同じようでしてな。
おあとがよろしいようで。
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