2026年1月22日木曜日

私たちの住む街は、どこから来たのか ――『警視庁物語』と『鉄人28号』が教えてくれる戦後のリアル


本題に入る前に、まず二つの作品について簡単に触れておきたいと思います。どちらも、いまの子育て世代の親御さんにとっては、名前すら聞いたことがないかもしれません。

『警視庁物語』は、1950年代後半に制作された映画シリーズで、戦後まもない東京を舞台に、警視庁の刑事たちが集団で事件を捜査する姿を描いた作品です。派手なアクションやヒーロー的活躍はなく、実際の街並みの中で、聞き込みや地道な捜査を重ねる様子が淡々と描かれています。当時の東京の空気を、ほとんど記録映像のように残している点が特徴です。

一方の『鉄人28号』は、同じ時代に連載が始まった漫画で、巨大ロボットを操る少年が活躍する物語です。一見すると子ども向けの空想作品ですが、物語には警察組織が深く関わり、戦後の社会不安や復興期の日本が背景として描かれています。ロボットという非現実的な存在を通して、当時の現実が映し出されている作品です。

私が『警視庁物語』と『鉄人28号』を特別に好んでいる理由は、この二つの作品に共通して「戦後の地続きにあるリアリティ」が色濃く描かれているからです。物語としてのジャンルは、刑事映画と少年向け漫画・空想科学作品と大きく異なりますが、その根底に流れている時代の空気には、驚くほどの共通性があります。

私は、戦争を直接体験した世代でもなく、終戦直後の混乱を生きた世代でもありません。しかし、自分自身が形作られていったのは、まさに「戦後」という時間が連続した延長線上にある社会でした。焼け跡は姿を消しつつも、価値観や人々の記憶、社会の歪みは、まだあちこちに残っていた時代です。その感覚と、『警視庁物語』や『鉄人28号』の世界観が、私の中で自然につながっているのだと思います。

とりわけ『警視庁物語』が描いている昭和30年代の東京には、戦後日本の生々しい現実がそのまま刻み込まれています。上野や浅草、新宿といった街並みは、いまの整然とした都市の姿とはまったく異なり、舗装されていない道や、仮設のような建物が残る混沌とした風景が広がっています。一方で、建設中のビルや新しい鉄道が映り込み、高度経済成長の入口に立った社会の熱気と不安が同時に感じられます。これは単なる舞台装置ではなく、復興途上の日本そのものを記録した「生きた映像」だと感じます。

事件の背景に描かれる人々の姿もまた、戦後の傷跡と直結しています。混乱期に身分を偽って生き延びた人間の不安、地方から都会に出てきたものの、居場所を見つけられずに困窮する人々、戦災孤児が成長した先に待っていた厳しい現実。こうした要素は、犯罪を単なる悪としてではなく、時代が生み出した歪みとして浮かび上がらせます。そこに、戦後社会のリアリティがあります。

一方で、『鉄人28号』もまた、空想科学という形をとりながら、戦後の現実をしっかりと内包しています。巨大ロボットが登場しても、物語の中心にあるのは、警察組織や大塚署長の存在であり、社会秩序を守ろうとする大人たちの姿です。超人的なヒーローがすべてを解決するのではなく、「組織の一員」としての警察が描かれる点は、『警視庁物語』と通底しています。

刑事たちは泥臭く聞き込みを重ね、夜を徹して議論をしながら、一つひとつ事件を解決していきます。その姿には、戦後の不安定な社会の中で、法と秩序を積み上げようとした時代の意志が感じられます。私にとって、それは単なるノスタルジーではなく、自分自身が育ってきた社会の「原風景」を見つめ直す行為でもあります。

『鉄人28号』が空想というフィルターを通して描いた戦後、『警視庁物語』が現実の街角から切り取った戦後。その両方が示している「地続きのリアリティ」こそが、私がこの二つの作品に今なお強く惹かれる最大の理由なのです。

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