
人生を400メートル走にたとえて考えてみます。
一番重要なことは、人生は不可逆的だという点です。
つまり、二周目はありません。一周のみです。
そして人生は、「100メートル走」でもなければ、「フルマラソン」でもありません。
400メートル走は、短距離のようでいて、実は過酷な中距離走です。
最初から最後まで全力疾走はできない。
かといって、ペースを誤れば、最後に必ず失速する。
この感覚は、人生の実感に驚くほどよく似ています。
アスリートでもない私が言うのも少し滑稽ですが、それでもこの比喩は捨てがたい。
人生のスタート地点は直線ではなく、第一コーナー付近に置かれています。つまり私たちは、生まれ落ちた瞬間から、すでにカーブを走らされている存在だ、という前提です。
家庭環境、教育、社会制度、時代背景。
自分では選べない条件の中で、身体はすでに傾き、遠心力を受けながら走り始めている。
人生は「よーいドン」で公平に始まるわけではありません。
すべての人が「gifted」ではないのです。
第1コーナー(20代)──スタートダッシュの誘惑
20代は、第1コーナーです。
20代は、第1コーナーです。
多くの人が、ここでスタートダッシュをかけたくなります。
努力、根性、勢い、成功体験。確かにスピードは出ます。
しかし、400メートル走で最初に飛ばしすぎると、後半に必ずツケが回る。
人生も同じです。
ここで重要なのは、自分の軸足を確認することです。
自尊心とは何か。自分は何を武器に走るのか。
それを見極めないまま飛ばすと、後半で必ずフォームが崩れます。
恋愛もする。結婚もする。親になるかもしれない。
人生が一気に複雑になり始める時期でもあります。
第2コーナー(30〜40代)──バックストレッチへの備え
30代から40代にかけては、第2コーナーからバックストレッチに入る局面です。
まだ走れる、という感覚がある一方で、40歳を超えたあたりから、勢いだけでは通用しなくなります。
30代から40代にかけては、第2コーナーからバックストレッチに入る局面です。
まだ走れる、という感覚がある一方で、40歳を超えたあたりから、勢いだけでは通用しなくなります。
前半でどれだけ無理をしたか。
どれだけ自分の体力・能力・環境を冷静に把握してきたか。
それが、このあたりで明確に表れ始めます。難しいですね。
この時期に必要なのは、ペース配分の再設計です。
惰性で走り続ける人と、一度フォームを整え直す人との差が、
静かに、しかし確実に開いていきます。
バックストレッチ(50代)──不可逆の変化を受け入れる
50代は、人生のバックストレッチです。
ここで初めて、多くの人が気づきます。
――人生は不可逆的だ、という事実に。
体力は落ちる。回復は遅くなる。
若い頃のように無理は効かない。
だからこそ重要になるのが、「状態測定」です。
他人と比べるのではなく、自分の現在地を正確に知ること。
それができなければ、最後までは持ちません。
50代は、人生のバックストレッチです。
ここで初めて、多くの人が気づきます。
――人生は不可逆的だ、という事実に。
体力は落ちる。回復は遅くなる。
若い頃のように無理は効かない。
だからこそ重要になるのが、「状態測定」です。
他人と比べるのではなく、自分の現在地を正確に知ること。
それができなければ、最後までは持ちません。
第3コーナー(60代)──力を抜くという技術
60代は、第3コーナーです。
ここでは、あえて「頑張らない」ことが戦略になります。
肩の力を抜き、無駄な緊張を手放す。
人生後半では、「力を入れる技術」よりも、「力を抜く技術」のほうが重要になるのです。
若い頃に身につけた「頑張り方」が、
人生後半ではむしろ足かせになることもあります。
60代は、第3コーナーです。
ここでは、あえて「頑張らない」ことが戦略になります。
肩の力を抜き、無駄な緊張を手放す。
人生後半では、「力を入れる技術」よりも、「力を抜く技術」のほうが重要になるのです。
若い頃に身につけた「頑張り方」が、
人生後半ではむしろ足かせになることもあります。
第4コーナー──最後の直線に向けて
第4コーナーに入る前までに、
第4コーナーに入る前までに、
何度でも読み返せる本。
気の置けない友人。
いくつかの趣味。
こうした「支点」を持っているかどうかが、最後の走りを左右します。
400メートル走の最後は、気力だけではどうにもなりません。
最後のチャンスは確かに存在しますが、それは奇跡ではありません。
それまでの走りの結果なのです。
人生は、やがて「私」から「公」へと重心を移していきます。
自分のためだけに走る人生から、
自分の経験や失敗が、誰かの役に立つ走りへ。
それは、社会に尽くせ、という話ではありません。
自分の経験や失敗が、誰かの役に立つ局面が増えていく、という自然な変化です。
残りの時間をどう楽しむか。
400メートル走の最後は、気力だけではどうにもなりません。
最後のチャンスは確かに存在しますが、それは奇跡ではありません。
それまでの走りの結果なのです。
人生は、やがて「私」から「公」へと重心を移していきます。
自分のためだけに走る人生から、
自分の経験や失敗が、誰かの役に立つ走りへ。
それは、社会に尽くせ、という話ではありません。
自分の経験や失敗が、誰かの役に立つ局面が増えていく、という自然な変化です。
残りの時間をどう楽しむか。
考えるためのフレームワークとして、
人生を400メートル走として捉えることには、十分な意味があるように思います。
人生を400メートル走として捉えることには、十分な意味があるように思います。
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