2026年1月2日金曜日

2026年 元旦に思う ――ハクビシンに出迎えられて

 
元旦の早朝、夜が明ける少し前、いつものように近所を散歩していました。この早朝散歩は、もう10年以上続いています。

そのときです。

路地の向こうを、一匹の猫が横切った――ように見えました。
「まだ野良猫なんているんだ」

そう思った次の瞬間、その“猫”の後ろから、ぞろぞろ、ぞろぞろと何かが出てきました。

猫ではありません。

ハクビシンでした。それも一家総出です。

先頭の一匹、続く二匹、さらに子どもらしき小型の個体。
ざっと見て、4~5匹はいます。

まるで「今年もよろしくお願いします」と、新年のパレードでもしているかのようでした。ハクビシンは分類上「害獣」だそうですが、見た目は妙に愛嬌があります。

しかもこの一家、人をまったく恐れない。
どうやら、どこかで人間から餌をもらった経験があるらしく、子どもハクビシンに至っては、私と愛犬チャーリーのほうへ寄ってきます。

もっとも困惑していたのはチャーリーでした。

彼は他の犬を見ると例外なく吠え散らかすのですが、相手がハクビシンとなると話は別です。吠えるどころか、固まっている。

「これ、犬なのか? 猫なのか? それとも正月の縁起物なのか?」
「……吠えるべきか?」

そんな顔をしていました。

写真をご覧いただければ分かる通り、複数のハクビシンが、すでに完全に住宅地に定着しています。可愛らしさとは裏腹に、健康・衛生面、建物への被害など、実害は決して小さくありません。

奥多摩ではクマ、武蔵野ではハクビシン。

さらに言えば、早朝に吉祥寺方面から仕事を終えて帰宅する若者の、ほぼ半分が外国人になりました。日本列島も、なかなか多様性に富んできました。

さて、家に戻りメールをチェックしていると、例年どおり新年のあいさつメールがいくつも届いていました。ありがたいことです。私もまだ忘れられてはいないようです。

ただ、その中に一通、少し引っかかるものがありました。

政府の人口政策について触れた内容だったのですが、気になったので、忘れないうちにここに整理しておこうと思います。

まず、事実確認からです。現在、政府が進めている人口政策は、大きく二つの柱から成っています。

一つ目は、出生数の反転を目指す対策です。

児童手当の拡充、保育・教育費の軽減、育児休業制度の拡張、住宅支援など、「産みたい人が産める条件」を整える取り組みです。効果がすぐ数字に出ないのは当然で、これは10年単位で評価すべき政策でしょう。

二つ目は、人口減少を前提にした国家運営への転換です。

地方自治のあり方、医療・交通・上下水道といったインフラの維持方法の見直し、デジタル化による効率化。「人口が減っても国として機能を保つ」ための備えです。どれも早急な対策が必要です。

昨年11月に設置された「人口戦略本部」は、まさにこの二つを同時に考えるための司令塔です。希望的観測だけで「人口はそのうち増えるはずだ」と唱えるより、よほど責任ある姿勢だと思います。

ところが、その文章では、こう書かれていました。

「いつの間にか、人口減対策とは関係ない話に論点がズレていく」、「安い給料で女性を働かせようという、過去の政権の焼き直しの臭いがする」。

正直に申し上げて、ズレているのは政策ではなく、この論評のほうです。

人口減少対策と、人口減少を前提にした国家運営は、対立概念ではありません。これは、ブレーキを踏みながらエアバッグを装備するようなものです。事故を防ぐ努力をしつつ、万一に備える。当たり前の話です。

それを見て「事故を前提にするなんて無責任だ」と言い出すのは、運転席ではなく後部座席からハンドルに口出ししているようなものです。

さらに不可解なのは、「安い給料で女性を働かせる」という話が、どこから飛び出してきたのか、まったく分からない点です。人口戦略本部の話から、なぜそこへ瞬間移動するのか。論理というより、条件反射に近い印象を受けます。

人口減少社会では、女性も高齢者も外国人も含め、全員が能力を発揮できる社会設計が必要です。それを一言で「安く使う」とまとめてしまうのは、政策批判ではなく感情の吐露でしょう。安全保障の問題もあります(国内治安は悪化していると思いますよ)。

「やる気もないことに『真剣に検討します』と言い、防衛費と国会議員給与だけは増やす」

この一文には、現代日本病が凝縮されています。

  • 結果がすぐ出ない政策 ⇒ やる気がない
  • 防衛費 ⇒ 不要
  • 国会議員給与 ⇒ 悪意の象徴 (資格のない多くの国会議員には退場してもらいたいが)

すべて、感情的な連想ゲームです。

防衛費が増えるのは、日本の地理的位置や、ウクライナ侵攻以降の国際環境を見れば自然な流れです。日本は、ひょこりひょうたん島のように、好きな場所へ移動できません。国会議員給与も、制度上の改定であって、要は、資格のない自称政治家には退場願うことです。

それらを一括して「臭いがする」と表現するのは、論評というより、日本で蔓延している印象操作に近いものです。

文章の終盤では、こんな問いが投げかけられていました。

「自分は井の中の蛙、やがて茹でガエルになっていないか?」

率直に言えば、この問いは、そのまま書き手自身に返ってきます。

国家運営の現実を見ず、人口減少を「考えたくない未来」として切り捨て、国際情勢や安全保障を「誰かが何とかしてくれる」と無意識に信じる。

それは、「国連が助けてくれる」、「憲法9条があるから大丈夫」という思考停止の延長線上にあります。

最後に掲げられる「何でも見てやろう」という言葉は、確かに耳触りが良い。しかし問題は、何を見て、何を見ていないのかです。

人口構造、財政、インフラ、安全保障という重たい現実を直視せず、「雰囲気」「臭い」「焼き直し」で片付けてしまう。それは世界を旅する姿勢というより、自宅の縁側から世界を論じている状態です。負け犬の遠吠えかもしれない。

人口減少を前提に国家運営を考えることは、逃げではありません。経済予測は外れても、人口動態はほぼ予測どおりに進みます。希望だけを語り、備えを語らないほうが、よほど無責任でしょう。

新年早々、少々辛口になりましたが、「井の中の蛙」や「茹でガエル」という言葉は、他人に投げる前に、まず自分の足元の温度を測るために使いたいものです。私もまた、改めて自分の足元を見る必要があります(照顧脚下)。

明けましておめでとうございます。
本年も、現実から目を逸らさず、よろしくお願いいたします。

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