森とともに生きるという選択
人類の文明は、森とともに始まりました。木は燃やせば大きな熱を生み、加工しやすく、身近にあります。調理、暖房、住居、道具――文明の基礎の多くは森林に支えられてきました。人類が世界各地へ広がることができたのも、森という存在があったからです。一方で、文明の発展は常に森林の伐採と背中合わせでした。
国連食糧農業機関(FAO)によれば、過去35年で世界の森林は日本の国土の5倍以上失われています。特に南米、アフリカ、東南アジアの熱帯雨林の減少は深刻です。1万年前と比べれば、世界の森林はすでに3分の2にまで減ったという推計もあります。これは「最近の環境問題」ではありません。
人類は古代から、合理的な判断として木を切ってきました。燃料効率が良く、石より軽く、生活に不可欠な資源だったからです。文明の繁栄と森林破壊は、最初から表裏一体だったのです。
環境考古学という学問
環境考古学という学問
気候や地理条件などの環境が、人間の文明にどのような影響を与えてきたかを探る分野です。ある教授は「森を切り開くと文明は衰退する」と語っていました。ローマ帝国は森林を失い、土地が荒廃し、多神教的な世界観から一神教へと移行する中で、多様性を失い、やがて衰亡したという指摘です。私はこの見方を、かなり信じています。この視点は、森林が単なる資源ではなく、文明の思想や世界観そのものを支えていることを示しています。
私自身、宗教というよりも、「森や木や石や水に命が宿る」と感じる日本的な感覚に惹かれてきました。自然の循環や繰り返しを尊ぶ心は、経済効率だけでは測れない価値を持っていると思います。こうした思いの背景には、森を生涯の仕事とした祖父の存在があります。
祖父は明治33年生まれで、奈良の営林署から南樺太へ赴任し、1920年代から戦前・戦後を通じて日本の森林事業に人生を捧げました。極寒の山野を歩き、林道を拓き、木を育て、森と共存する知恵を現場で体現した人でした。国立国会図書館のデジタルアーカイブには、祖父の名前が林野庁の職員記録として残っています。
もっとも、私にとっての祖父は、学歴や業績よりも、日常の姿が強く印象に残っています。声を荒げることなく、淡々と暮らしながら、山と森への情熱を静かに燃やし続けていたのだと想像します。祖父は、私が中学生の頃に亡くなりました。
「木育」という言葉
子どもたちが木製玩具などを通じて木や森に親しむ教育です。意義は大きいと思いますが、祖父のように実際に森を歩き、木と格闘しながら学んだ経験と比べると、どこか物足りなさも感じます。森の匂い、木肌の感触、木陰を抜ける風――現場に立って初めて育まれる畏敬の念があるのではないでしょうか。
皮肉なことに、その木育発祥の地である北海道では、再生可能エネルギーの名の下に森林伐採が進んでいます。風力発電やメガソーラーは脱炭素という大義を掲げていますが、森を切り開いて設置される事例も少なくありません。釧路湿原周辺で進む開発計画は、生態系や景観との衝突を引き起こしています。森を犠牲にして未来を守れるのか。その問いは重くのしかかります。
アメリカのベネズエラ攻撃との共通性
この構図は、ここ数日メディアが報道するベネズエラ情勢とも共通しています。
この構図は、ここ数日メディアが報道するベネズエラ情勢とも共通しています。
「麻薬対策」「移民問題」という説明が前面に出されながら、実際の統計や専門家の分析はそれと噛み合っていません。アメリカの主張を「主張」として距離を取り、構造や根拠を検証しようとするのか。それとも、その主張を前提として報道するのか。日本の報道は、もっともらしい理由が単語として羅列されるだけで、そこにジャーナリズム精神は感じられません。
森林問題も同じです。
環境保護や持続可能性という言葉はあふれていますが、私たちの文明が「成長し続けること」を前提としている限り、森は切られ続けます。文明は資源を使うことで発展しますが、資源を使い尽くす文明は長く続きません。これは思想ではなく、歴史が繰り返し示してきた事実です。
自然を征服するのではなく、人と自然が一体となること。それは環境考古学が示唆する文明の条件であり、祖父が生涯を通じて体現していた姿勢でもあります。森は文明の礎であり、私たちが未来へ引き継ぐべき原点です。
森が語っているのは、環境問題ではなく、文明の寿命そのものなのかもしれません。その声に耳を傾けるかどうかが、私たちの選択なのだと思います。
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