これは精神論でも理想論でもありません。現実に社会を生き抜いてきた人であれば、誰もが肌感覚として知っていることではないでしょうか。上の図は、そのことを非常に分かりやすく示しています。
左側に描かれているのは「公」の世界です。そこでは、お金や契約書がなければ他者は動きません。合理的で公平ではありますが、関係性は薄く、取引が終われば縁も切れます。現代社会の多くは、この「公」の論理で動いています。
一方、右側の図は「私」を中心とした人間関係の広がりを示しています。相互の「信頼と尊敬(trust & respect)」を土台に、知識や経験が共有され、時には契約書も報酬もなく、自然に手を貸してくれる人がいる。そうしたネットワークの層が厚いほど、人は孤立せず、困難にも耐えられるのです。
「甘え」が成立する場所は、どこへ行ったのか
私は以前、土居健郎の『甘えの構造』を引きながら、次のように書きました。
今の日本は「甘え」の解釈もアヤフヤだし、甘えや友情なんていうのもきわめて薄っぺらで、土居先生が『甘えの構造』で説明している「内」と「外」が曖昧になっていると思います。真の意味で甘える場所がなくなっているのではないでしょうか?
本来、人間関係のコアは家族にあり、その次に友人があり、さらに「楽屋」のような仲間と時間を共有する場があります。楽屋とは、緊張すべきステージとは異なり、失敗も弱さもさらけ出せる場所であり、同時に修練の場でもあります。
ところが今の日本では、ステージと楽屋の境界が曖昧になりました。緊張すべき場では緊張せず、緊張をほぐすための楽屋が存在しない。時間を共有し、成功も失敗も共に経験して友人をつくる手間を省き、SNSの「友達」が友達になったつもりになる――あまりにも安易です。
適度に甘えられる環境は、誰かが用意してくれるものではありません。自分で時間をかけて作るしかないのです。
信頼と尊敬がなければ、ネットワークは育たない
甘えの前提は「trust & respect(信頼と尊敬)」です。相手を尊敬するには、自分自身も尊敬されるよう努力しなければなりません。甘えの過剰は相互依存に堕しますが、健全な甘えは、人を自立へと導きます。親子関係、特に父と息子の関係は、一生をかけた trust & respect 構築のプロセスだと私は思っています。
この視点は、福沢諭吉の言う「人間交際」とも重なります。福沢は教育の要諦として、「智」「徳」そして「人間交際」を挙げました。知識やモラルだけでは不十分で、人と人との関係を築く力こそが文明の基礎だと見抜いていたのです。
映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)は、その逆説を鮮烈に描いています。世界最大のSNSを作った主人公が、実は最も人間交際が苦手だったという皮肉。承認を求めるあまり、唯一の親友を失っていく姿は、「成功の代償とは何か」「お金より大事な価値とは何か」を私たちに突きつけます。
人間関係は「訓練」であり、「時間」を要する
アメリカのサマーキャンプの話も、人間関係が「訓練」であり、「時間」を要するものだということを象徴的に示しています。
サマーキャンプでは、子どもたちは数週間から数か月、見知らぬ他人と寝食を共にします。異文化交流と自立心の修行の場です。最初は衝突も摩擦も起こります。価値観も習慣も違う。しかし、共同生活のなかで役割分担が生まれ、助け合いが必要になり、喧嘩をしながらも、信頼と尊敬が少しずつ積み重なっていく。友情は、イベントではなく「過程」なのです。
重要なのは、そこに近道がないという点です。人間関係は効率化できません。評価シートもKPIもありません。時間を共にし、失敗を見て、時には我慢し、それでも関係を続ける――その積み重ねの先にしか、質の高いネットワークは生まれないのです。
現代社会は、あらゆるものを「契約」と「成果」で測ろうとします。それ自体は悪いことではありません。しかし、その論理だけで人間関係まで処理しようとすると、社会は極端に脆くなります。少しの失敗、少しの対立で、関係は簡単に切れてしまうからです。
だからこそ、「お金や契約を超えた関係」が人生のセーフティネットになります。困ったときに「契約外だけど、ちょっと手伝うよ」と言ってくれる人がいるか。利害が一致しなくても、「あなたのことは信頼している」と言ってくれる人がいるか。それは、運ではありません。若い頃からの選択と、積み重ねの結果です。
最後に、あえて厳しいことを言えば(高齢者の特徴ですね、、、)、質の高い人間関係を持つには「覚悟」が要ります。時間を差し出す覚悟、面倒を引き受ける覚悟、そして自分自身も評価される覚悟です。楽な道ではありません。しかし、その覚悟を引き受けた人だけが、年を重ねるほどに人生が豊かになっていく。
お金は失えば取り戻せます。契約は更新できます。しかし、信頼と尊敬で結ばれた人間関係は、人生そのものを支える「資本」です。
それを持っているかどうか――
その差は、思っている以上に大きいのです。
左側に描かれているのは「公」の世界です。そこでは、お金や契約書がなければ他者は動きません。合理的で公平ではありますが、関係性は薄く、取引が終われば縁も切れます。現代社会の多くは、この「公」の論理で動いています。
一方、右側の図は「私」を中心とした人間関係の広がりを示しています。相互の「信頼と尊敬(trust & respect)」を土台に、知識や経験が共有され、時には契約書も報酬もなく、自然に手を貸してくれる人がいる。そうしたネットワークの層が厚いほど、人は孤立せず、困難にも耐えられるのです。
「甘え」が成立する場所は、どこへ行ったのか
私は以前、土居健郎の『甘えの構造』を引きながら、次のように書きました。
今の日本は「甘え」の解釈もアヤフヤだし、甘えや友情なんていうのもきわめて薄っぺらで、土居先生が『甘えの構造』で説明している「内」と「外」が曖昧になっていると思います。真の意味で甘える場所がなくなっているのではないでしょうか?
本来、人間関係のコアは家族にあり、その次に友人があり、さらに「楽屋」のような仲間と時間を共有する場があります。楽屋とは、緊張すべきステージとは異なり、失敗も弱さもさらけ出せる場所であり、同時に修練の場でもあります。
ところが今の日本では、ステージと楽屋の境界が曖昧になりました。緊張すべき場では緊張せず、緊張をほぐすための楽屋が存在しない。時間を共有し、成功も失敗も共に経験して友人をつくる手間を省き、SNSの「友達」が友達になったつもりになる――あまりにも安易です。
適度に甘えられる環境は、誰かが用意してくれるものではありません。自分で時間をかけて作るしかないのです。
信頼と尊敬がなければ、ネットワークは育たない
甘えの前提は「trust & respect(信頼と尊敬)」です。相手を尊敬するには、自分自身も尊敬されるよう努力しなければなりません。甘えの過剰は相互依存に堕しますが、健全な甘えは、人を自立へと導きます。親子関係、特に父と息子の関係は、一生をかけた trust & respect 構築のプロセスだと私は思っています。
この視点は、福沢諭吉の言う「人間交際」とも重なります。福沢は教育の要諦として、「智」「徳」そして「人間交際」を挙げました。知識やモラルだけでは不十分で、人と人との関係を築く力こそが文明の基礎だと見抜いていたのです。
映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)は、その逆説を鮮烈に描いています。世界最大のSNSを作った主人公が、実は最も人間交際が苦手だったという皮肉。承認を求めるあまり、唯一の親友を失っていく姿は、「成功の代償とは何か」「お金より大事な価値とは何か」を私たちに突きつけます。
人間関係は「訓練」であり、「時間」を要する
アメリカのサマーキャンプの話も、人間関係が「訓練」であり、「時間」を要するものだということを象徴的に示しています。
サマーキャンプでは、子どもたちは数週間から数か月、見知らぬ他人と寝食を共にします。異文化交流と自立心の修行の場です。最初は衝突も摩擦も起こります。価値観も習慣も違う。しかし、共同生活のなかで役割分担が生まれ、助け合いが必要になり、喧嘩をしながらも、信頼と尊敬が少しずつ積み重なっていく。友情は、イベントではなく「過程」なのです。
重要なのは、そこに近道がないという点です。人間関係は効率化できません。評価シートもKPIもありません。時間を共にし、失敗を見て、時には我慢し、それでも関係を続ける――その積み重ねの先にしか、質の高いネットワークは生まれないのです。
現代社会は、あらゆるものを「契約」と「成果」で測ろうとします。それ自体は悪いことではありません。しかし、その論理だけで人間関係まで処理しようとすると、社会は極端に脆くなります。少しの失敗、少しの対立で、関係は簡単に切れてしまうからです。
だからこそ、「お金や契約を超えた関係」が人生のセーフティネットになります。困ったときに「契約外だけど、ちょっと手伝うよ」と言ってくれる人がいるか。利害が一致しなくても、「あなたのことは信頼している」と言ってくれる人がいるか。それは、運ではありません。若い頃からの選択と、積み重ねの結果です。
最後に、あえて厳しいことを言えば(高齢者の特徴ですね、、、)、質の高い人間関係を持つには「覚悟」が要ります。時間を差し出す覚悟、面倒を引き受ける覚悟、そして自分自身も評価される覚悟です。楽な道ではありません。しかし、その覚悟を引き受けた人だけが、年を重ねるほどに人生が豊かになっていく。
お金は失えば取り戻せます。契約は更新できます。しかし、信頼と尊敬で結ばれた人間関係は、人生そのものを支える「資本」です。
それを持っているかどうか――
その差は、思っている以上に大きいのです。
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