井の頭通りに日が昇る
この道を、誰が、どんな言葉で照らすのか
この国で、子どもに“考える力”は育つのか
選挙が近づくたびに、私はどうしても同じ違和感を覚えます。それは特定の政党や政治家への好き嫌いというより、「この国の政治や言葉のレベルは、子どもたちに胸を張れるものなのだろうか」という、もっと根の深い不安です。
母国語である日本語は、本来とても豊かな言葉を持っています。語彙が豊かであればあるほど、頭の中で考えられる空間は広がります。考える力とは、知識の量ではなく、言葉の奥行きなのだと思います。ところが、日本の政治家の発言を聞いていると、言葉が軽く、感情的で、どこか子どもっぽく感じられることが少なくありません。言葉が浅ければ、思考も浅くなる。そのことが、そのまま政治の質に表れているように見えるのです。もちろん、私は政治家ではないので、自分の事は棚に上げています。
政治がしっかりしなければ、教育は成り立ちません。
外交、国防、経済、そして教育は本来、一本の線でつながっているものです。ところが日本では、教育だけが切り離され、「いい学校に入る」「テストで点を取る」ことが目的になってしまいました。その結果、子どもたちは忙しくなりすぎ、自分で考えるための“余白の時間”を失っています。
私は、子どもにとって本当に必要なのは「閑暇(かんか)」だと思っています。何も予定のない時間、ぼんやりする時間、考え込む時間です。塾や習い事が悪いわけではありませんが、大人が良かれと思って与えすぎると、子どもは自分で判断する力を育てる機会を失ってしまいます。自分で選び、自分で決める経験こそが、将来の自立につながります。
教育の根っこにあるのは、家庭です。どんな生き方が大切なのか、何を恥だと思い、何を誇りに思うのか。そうした価値観は、教科書よりも、家庭の会話や大人の背中から伝わります。だからこそ、政治が無責任で、言葉が軽く、誰も責任を取らない社会は、子どもにとって決して良い環境とは言えません。
選挙になると、耳ざわりのいい言葉があふれます。「平等」「優しさ」「支援」「みんなのため」。どれも大切な言葉です。しかし、言葉だけで現実は変わりません。努力や責任、そして「自分は何を引き受けるのか」という覚悟がなければ、社会は成り立たないのです。
アメリカのケネディ大統領(JFK)はかつて、「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問え」と語りました。もし同じ言葉を日本の政治家が口にしたら、戸惑う人も多いかもしれません。それほどまでに、私たちは「与えられる側」でいることに慣れてしまったのです。
でも、子どもたちにそれを引き継がせていいのでしょうか。流れに身を任せるのではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の人生を選び取る力。その力を育てることこそ、親世代である私たちの責任ではないでしょうか。
選挙は、未来への問いかけです。
誰に投票するか以上に、「どんな社会を子どもに手渡したいのか」を考える機会だと思います。政治を他人事にせず、言葉の軽さに慣れてしまわず、家庭からもう一度、考える力を取り戻す。その小さな積み重ねが、この国を少しずつ変えていくのだと、私は信じたいと思っています。
***
***

0 件のコメント:
コメントを投稿