ミネアポリスの銃声が問うもの
ベネズエラやイランと同じ地平で、アメリカの本質を考える
年初から、世界では衝撃的な事件が相次いでいます。ベネズエラ、イランといった国々で起きている出来事は、日本でも比較的大きく報じられています。しかし、同じ時期にアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで起きた射殺事件は、それらと同じ重さで受け止められているでしょうか。私は、このミネアポリスの事件こそ、今のアメリカの本質を鋭く突きつける出来事だったと考えています。
事件は、ICE(米移民税関捜査局)の捜査官が、37歳の女性レニー・ニコル・グッドを射殺したものです。連邦当局、すなわち国土安全保障省やトランプ大統領は、「女性が車を武器化し、捜査官を轢こうとした」「捜査官は自己防衛として発砲した」「これは国内テロにあたる」と主張しました。
事件は、ICE(米移民税関捜査局)の捜査官が、37歳の女性レニー・ニコル・グッドを射殺したものです。連邦当局、すなわち国土安全保障省やトランプ大統領は、「女性が車を武器化し、捜査官を轢こうとした」「捜査官は自己防衛として発砲した」「これは国内テロにあたる」と主張しました。
一方で、ミネアポリス市長、市議会、ミネソタ州知事、民主党幹部らは、捜査官の行動を「無謀(reckless)」と断じ、連邦政府の説明を「プロパガンダ」「ガスライティング」とまで批判しました。複数の動画では、ICE捜査官が車に接近し、ドアを開けようとした直後、車が動き出した瞬間に至近距離から発砲し、SUVが制御を失って衝突する様子が確認されています。現在、FBIが捜査に入っています。
この事件の背景には、トランプ政権が不法移民や福祉不正を理由に、ミネアポリスへ約2,000人の連邦捜査官を派遣していた事実があります。特にソマリア系移民コミュニティが集中的に標的とされてきました。事件現場は、2020年にジョージ・フロイドが殺害された場所から約1マイルという近さであり、抗議は全米に広がりました。治安悪化を理由に、公立学校が休校する事態にまで発展しています。
この事件の背景には、トランプ政権が不法移民や福祉不正を理由に、ミネアポリスへ約2,000人の連邦捜査官を派遣していた事実があります。特にソマリア系移民コミュニティが集中的に標的とされてきました。事件現場は、2020年にジョージ・フロイドが殺害された場所から約1マイルという近さであり、抗議は全米に広がりました。治安悪化を理由に、公立学校が休校する事態にまで発展しています。
この事件を報じたイギリスBBCの姿勢は、非常に示唆的です。BBCは、連邦政府の公式説明と、地方政府や市民側の主張を並列に紹介していますが、細部を読むと、単なる中立ではありません。トランプ政権やICEの主張には必ず引用符を付け、市長や州知事、目撃者、映像証拠を丁寧に積み重ねています。「捜査官がどれほど近距離にいたのかは明確でない」という一文は、致命的な正当防衛だったかどうかに疑義を呈する含意を持っています。
さらに、BBCは意図的に言葉の温度差を可視化します。
連邦側は「weaponise」「domestic terrorism」といった強い言葉を使い、地方側は「reckless」「propaganda」「gaslighting」という言葉で応じる。この対比は、アメリカ国内で事実認識そのものが分裂している現実を、読者に体感させます。
連邦側は「weaponise」「domestic terrorism」といった強い言葉を使い、地方側は「reckless」「propaganda」「gaslighting」という言葉で応じる。この対比は、アメリカ国内で事実認識そのものが分裂している現実を、読者に体感させます。
BBCが「ジョージ・フロイドが殺害された場所から約1マイル」と明記したのも偶然ではありません。これは、この事件を単なる治安問題ではなく、「連邦権力 × 人種・移民 × 武装警察」という、アメリカが抱え続けてきた構造問題の再燃として位置づけよ、という無言のメッセージです。BBCの本音は、「これは事故ではなく、移民政策が都市空間で武力衝突を生む段階に入った」という警告にあるように思えます。
ミネアポリスという都市の歴史も、この事件を理解する重要な補助線です。1990年代以降、ミネアポリスにはソマリア系移民だけでなく、ロシアやウクライナなど旧ソ連圏、東欧からの移民が多く流入しました。ロシア語だけで生活できる地域が存在したほどです。
この街は、冷戦後の世界の矛盾を吸収し、アメリカの活力そのものを体現してきた都市でもありました。優秀で意欲的な移民たちが、経済と社会を支えてきた現実があります。
その都市で今、連邦捜査官が市民を射殺し、市長が「この街から出ていけ(leave the city)」と叫ぶ。この発言は、感情的な暴言ではありません。これは、連邦制というアメリカの制度そのものがきしむ地点を正確に突いた、明確な政治行為です。
日本の感覚では、市長が国に向かって「出ていけ」と言うことは想像しにくいでしょう。しかしアメリカでは、連邦政府、州政府、地方自治体が対等な緊張関係にあることが前提です。市長の発言は、「連邦政府は万能でも絶対的上位でもない」という建国以来の思想に忠実なのです。
今回、市長が恐れているのは、治安維持という名目が、恐怖による管理へと変質している点です。その結果として市民が死んだ。だからこそ「出ていけ」なのです。これは混乱ではありますが、同時に「統治を問い返す力」がまだ生きている社会の姿でもあります。
対照的に、日本ではどうでしょうか?
日本の報道は、おそらくこの事件を「移民政策をめぐる混乱」「トランプ政権の強硬姿勢」といった平板な枠組みで処理するでしょう。誰がどの権力として、どこまで踏み込んだのか。なぜ市長が連邦政府を拒絶したのか。そうした核心には触れられないでしょう。
その理由は、日本が戦後、「統治される側」であり続けたことにあります。治安や権力を批判的に分析する言語が、意図的に育てられなかったのです(これは思考力でもあるのですが)。戦後日本でアメリカが行ったのは、住民の合意による統治ではなく、管理でした。秩序回復を名目に、治安・司法・教育・報道が再編されました。
ミネアポリスで起きていることと、戦後日本の占領統治は、驚くほど似た構造を持っています。しかし、大きな違いがあります。日本では市長が「出ていけ」と言えなかったこと、メディアが占領の正当性を疑えなかったことです。その結果、統治を疑う言語、つまり、思想そのものが育たなかった。
だからこそ、日本メディアがこの事件を淡く、遠く報じるとしたら、それはアメリカへの配慮ではなく、日本自身の問題なのです。このミネアポリスの事件は、「アメリカのジレンマ」なのですが、統治とは何か、権力はどの瞬間に市民の命を奪ってよいのか、地方の正統性はどこから生まれるのか。それらを私たち自身に突きつける、普遍的な問いなのだと思います。
だからこそ、日本メディアがこの事件を淡く、遠く報じるとしたら、それはアメリカへの配慮ではなく、日本自身の問題なのです。このミネアポリスの事件は、「アメリカのジレンマ」なのですが、統治とは何か、権力はどの瞬間に市民の命を奪ってよいのか、地方の正統性はどこから生まれるのか。それらを私たち自身に突きつける、普遍的な問いなのだと思います。
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