散歩
アメリカの Washington Post に「ワクチンを受けずに育った若者たちが、大人になってから自ら接種を選ぶ」という記事が掲載されていました。宗教的理由や医療不信などから、親が子供に予防接種を受けさせなかったケースが多く、子が成人してから医療機関で「実はほとんど接種していなかった」と知って愕然とする例が紹介されていました。
記事で印象的なのは、「親を信じていたはずの子供が、成人してから自分の身体を守るために“親の判断を修正する”」という点です。ワクチン問題の背後には、単なる医療政策だけでなく、親子の信頼関係や社会への信頼の問題が深く関わっています。
日本の医療は、世界でも稀な充実度
日本に暮らしていると見えにくいのですが、日本の医療制度は世界的に見ても極めて手厚いものです。私自身、両親や義父母の介護を経験し、医療費や高額療養費制度など、国の支援のありがたさを痛感しました。アメリカでは、医療保険が不十分な家庭も多く、経済的理由で予防接種を受けさせられない親もいます。宗教や思想だけでなく、「医療費」や「制度の不備」もまたワクチン忌避の背景にあるのです。
日本のコロナワクチン接種については、私は初期の段階で区切りをつけました。裏で様々な思惑が交錯しているように感じられたからです。健康に関する選択は、国家や企業の方針に委ねるものではなく、やはり最終的には一人ひとりの判断にゆだねられるべきだと思います。
情報の時代における「親の限界」
いま世界中の若者たちは、スマホとSNSで育っています。情報の出所はもはや親ではありません。ワクチンに限らず、社会や政治の情報についても、親世代と子世代の間に大きな断絶が生まれています。
情報の時代における「親の限界」
いま世界中の若者たちは、スマホとSNSで育っています。情報の出所はもはや親ではありません。ワクチンに限らず、社会や政治の情報についても、親世代と子世代の間に大きな断絶が生まれています。
私の世代では、「朝日新聞の天声人語を読め」と先生に言われたものです。しかし今では、朝日新聞をはじめとする既存メディアの信頼度は大きく落ちています。テレビや新聞の情報を鵜呑みにするのは、私の上の世代か、同世代くらいまででしょう。
いま必要なのは「正しい情報をどう選び取るか」というリテラシーです。真贋を見極めることは容易ではありませんが、読んで・考えて・書くという営みを怠れば、思考力は確実に失われます。AIに思考を委ねるのではなく、日々の生活の中で自分の頭を使うことが、知性を守る最低限の防波堤です。
成人した後の「子育て」
何度も言及していますが、「子育て」には、二つのフェーズがあると思っています。
① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係
多くの「子育て論」は①しか扱いません。けれども、親子関係は成人しても続くのです。
親の役割は「誠実で信頼できる存在であること」。それがすべてです。
子供は親の言葉ではなく、親の態度や行動を見ています。言葉と行動にギャップがあれば、信頼は失われます。信頼とは、教え込むものではなく、日々の言動の積み重ねから生まれるものです。
私は中学生の頃、教師のあら探しばかりしていました。信頼できない学校や先生とは距離を置いた。反抗的な傾向は高齢者になった今も変わりませんが、、、。誠実さのない大人は、子供にも社会にも信頼されないのです。政治家と国民の関係も、まったく同じ構図でしょう。
「自然体の親」であること
日本社会では、アダルトチルドレン的な傾向が強まっていると感じます。子供のころから親との信頼関係が築けず、大人になっても他者との関係がうまく結べない。会社では上司と部下の関係に置き換わり、仮面をかぶって生きる。
日本社会では、アダルトチルドレン的な傾向が強まっていると感じます。子供のころから親との信頼関係が築けず、大人になっても他者との関係がうまく結べない。会社では上司と部下の関係に置き換わり、仮面をかぶって生きる。
それを断ち切る第一歩は、親が自然にふるまうことです。立派な親でなくていい。言葉よりも誠実さ。形よりも態度。「信頼できる親」であることが、ワクチンよりも強い免疫になるのです。
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