渋谷スクランブル交差点
先日、5~6年ぶりに渋谷に行きました。いやあ、びっくりしましたね。まるで空港のターミナル。スクランブル交差点を渡る人の7~8割が外国人。浅黒い肌の中東系、インド系、そして白人の姿も目立つ。パルコのレストランに入ると、店員さんまで外国人。しかもみんな日本語を話している――もっとも、流暢というよりは接客マニュアルの会話レベルですが。もはや「旅行者」ではなく、明らかに「居住者」なんですね。日本人の私が、なんだか田舎から出てきた高齢者のおのぼり観光客のような気分になってしまいました。エスカレーターに乗るのにも一苦労。突然立ち止まる人、写真を撮る人、スーツケースを引く人…。渋谷の街は、東京というより“人種と文化のカオス・ワールド”。その雑踏を抜けるころには、頭がくらくら、軽い時差ボケを感じたほどです。
そんなタイミングで、日本版『ニューズウィーク』を開いたら、フランス人ジャーナリストのレジス・アルノー氏の記事が目に飛び込んできました。タイトルは「なぜ日本は『移民』を語って『帰化』を語らないのか」。――まるで渋谷の雑踏から直接インスピレーションを得たようなテーマです。記事の趣旨は、「日本はすでに移民国家なのに、その現実を見ようとしない」というもの。たしかに数字だけ見れば説得力があります。日本に暮らす外国人は約380万人。飲食業も建設業も、今や外国人なしでは回らない状況に追い込まれた。法務局の帰化審査がブラックボックスだという批判も、正しいのかもしれません(詳しくは知りません)。
しかし、読み進めるうちに、どうにも違和感が湧いてきました。彼の論には、「時間」と「記憶」という、日本特有の文脈がすっぽり抜け落ちているのです。
日本は、戦前と戦後でまったく別の国になりました。敗戦後の80年で、日本は見事なまでにアメリカ化し、2000年以上かけて積み重ねてきた文化や風習――つまり「日本人の情緒」を、自らの手で手放してきた。しかも押しつけられたのではなく、むしろ喜んで。
「アメリカの保護者付きで生きるほうが楽だった」のです。考えなくていい、責任を取らなくていい、失敗しても誰かのせいにできる。そんな“戦後の知恵”が国民的習慣になった。私は、ここに戦後日本のストックホルム症候群的構造を見るのです。つまり、支配者を憎みながらも依存せざるを得ない心理(令和の現在、そういった意識さえ無くなった)。おかげで私たちは「独立国家のふり」をしながら、実際には「ごっこ」の中で暮らしている。―― これこそ、戦後最大の自己欺瞞ではないでしょうか。
だから私は、「日本は移民国家だ」というアルノー氏の断定には、少し首をかしげます。確かに街を歩けば外国人だらけ。でも、それで移民国家?いや、あれは“共生”というより“雑居”です。同じマンションに住んでいるけど、料理の匂いも文化も混ざらない。せいぜい「エレベーターでうなずき合う」レベルの共存です。フランスのように「生まれたら国民(出生地主義)」の国と、「血と文化を継ぐ(血統主義)」の国では、社会観がまるで違う。それを「どちらが進んでいる」と比べたがるのは、文明が文化を見下す傲慢というものでしょう。
むしろ今の日本は、「外」ではなく「内」を見つめ直す時期だと思います。私は極論を承知のうえで言いますが(何十年も言い続けています、、、)、いまこそ“精神的鎖国”をしてもいい。「日本とは何か」を、もう一度ゆっくり考える時期です。「和の感性」「間の美学」「自然との共生」―― これらは懐古趣味ではなく、未来への設計図です。それを忘れ、自らの「情緒」を経済合理性の奥底に押し込めてしまったのが、いまの日本人の姿でしょう。
だからこそ、必要なのは「反抗」です。
ただの反米ではなく、思想としての自立、文化としての自尊 ―― つまり、自分の足で立つという決意。移民政策の議論をする前に、私たちはまず「どんな日本に生きたいのか」を考えるべきです。国家とは制度ではなく、文化の器であり、精神の住処なのですから。
最後に、日記をつけることをお勧めします。“Inner Balance Notebook(内なる均衡ノート)”――自分の心のバランスを記すための小さな日課。毎日の気づきや感情をほんの数行でも書きとめる。それは、忙しい日常の中で“自分の中の日本”を取り戻す、ささやかな習慣です。渋谷の喧騒の中でも、静かに立ち止まる時間が生まれる。日本の再生は、そんな小さな自己対話から始まるのではないでしょうか。
移民国家かどうかを論じる前に ―― まず私たち自身が、どんな日本に生きたいのかをノートに書くこと。それが、未来へつながる本当の「文化の再構築」だと思います。
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